第42話 世界の秘密

 その日、俺は水車小屋にいた。

 あーでもないこーでもないとやっていると、


「おいっ、ユーリ。出来たぞ!」


 珍しく興奮した様子で、カフがやってきた。


 ガヤガヤと人々が集まってくる。


「これだよ、これ。これが欲しかったんだ」


 カフの手にはボソボソとした木の繊維が乗っかっている。

 念に念を入れて煮たためか、だいぶ繊維がほぐれていた。


 本当なら水酸化ナトリウムでやるべきなんだが、石灰水でやっても、時間をかけて煮れば、なかなか上手くできるものだ。

 俺も頬ずりしたくなるほど嬉しかった。


 これでボトルネックとなっていた原料問題から解放される。

 カフが何十時間もかけて服屋だのなんだのを歩きまわる必要はなくなる。


「早速、それでやってみてくれ。いろいろな木を試して、一番薄く作れるやつを探してみてくれ」

「ああ、お前が言ってた薄紙な。わかってる」


 カフは早速漉きに行った。



 ***



 俺の方は、屋外で珍妙な装置と向かい合っていた。

 中古の酒用蒸留装置を買ってきて、原油を沸かしていたのだ。


 いろいろ試しては見たが、ガリ版に適したガリガリする用紙やインクを作るには、獣畜や植物の油では無理。ということがわかったのだった。


 そこで調べてみたところ、この国にはいくつか天然の油井ゆせいがあり、原油は入手可能だった。

 というか、ホウ家領内にあったので、調達しようと思えばいつでも調達できた。

 気付かなかっただけだった。


 俺からしてみると、原油というのは産業にとって命の水であり、幾らでも使いようがある。


 だが、この国の認識では、原油は使えるものという認識ではなく、半放置状態であるらしい。

 つまるところ、精製していないので、使いようがないのである。


 そのまま暖炉で燃やしてしまうと、煤や付着物がひどく、部屋の中に異臭が立ち込める上に、煙突や暖炉にもべったりとタールのようなものがこびりついてしまう。

 どうにも使えないので、やはりどのような地域であっても、原油を積極的に利用するという土地はない。


 だが、俺は原油は精製することで、いかようにも利用の方法があることを知っているので、今日も今日とて熱心に原油を煮ていた。


 そろそろ冬が近づいてきたこともあって、蒸留日和といったら変だが、川の水も冷たくなり、装置冷却部分の効きがよくなっている。


 今やっているような、混合液体を沸点の差を利用して分離していく方法を、分留という。

 原油を分留すると、ナフサや灯油、軽油のような揮発性の高い成分が低温度で揮発し、次に重油のようなものが出てきて、最終的にはアスファルトのようなものが残る。


 軽油もガソリンもナフサも、原始的な蒸留装置でやるぶんには、区別がつかなかった。

 だが、透明な液体が着実に金属の容器の中に溜まっている。


 それは温度がまだ高いこともあってか、強烈な石油臭を放っていた。

 見るからに粘度が低く、軽油質であることがわかる。

 これはアルコールランプの燃料にでもして売ろうかな。


 俺は内部にアスファルトを塗って乾かした樽に、分留した液体を詰めていった。

 バシャっと放り込んでは栓をするだけだが。

 原始的な分留装置でも、揮発性の高い液体は透明になった。


 といっても、今欲しいのは、揮発性が低く、常温でクリーム状になっている層のものなのだが。

 これは中々採れずに苦労していた。

 採れても黒いし、どうしても蒸留管の中でベトつく。


 この物質は、油性インクと削り用紙を作るのにどうしても必要なのだ。

 だが、やはり難しい。


 これでは採算が合わないかも知れない。

 やっぱりガリ版のほうは失敗だったか。


 だが、とりあえずはパルプはできたわけだし。

 揮発性の高い油というのは、着火性が高いことを意味しているわけで、いわば副産物になってしまったが、利用価値はいくらでもある。


 問題は、今これをやっている俺がストレスの塊だということだ。


 手は既に油でベトベトだし、暑いし、疲れたし、マスクをしていても石油臭くて頭がガンガンするし。

 泣きたくなってきた。

 俺は怠け者だったはずなのに、何をやっているんだろう、という思いが間断なく頭をよぎる。


 こんなの、会長がやる仕事じゃないよ。

 誰かにやらせたい。


 とりあえず、午後から用事があるから、そろそろここで終わっとくか。



 ***



「シャム、これはホントに合ってるのか?」

「合っているはずですが……」


 シャムはしれっと言うが、俺のほうは半分パニックだった。

 んな馬鹿な。と思う。


「19.5度。誤差は……せいぜいプラスマイナスコンマ3度程度かと思います」

「そうか……」


 もう俺も忘れかけてはいるが、日記帳にはちゃんと赤道傾斜角は23度と書いてある。


 赤道傾斜角というのは、つまりは地球の太陽公転面に対する自転軸の傾き具合だ。

 これがあるから季節もできる。


 俺の記憶でも、確かに20度以下ということはなかったはず。

 なんでだ?

 地球とは微妙に違うのか?


 そりゃ、シャン人みたいな耳に毛が生えた人種がいるんだから、違うことは違うんだろうけど。

 傾斜角まで違っていたら、微妙どころじゃない。


 シャムが間違っているのだろうか。


 いや、シャムは天体観測に関してはかなり熱心にやっているし、手順も間違っていないはずだ。

 傾斜角の求め方なんていうのは、比較的簡単な部類だし。


 角が違うとなると、一日の長さとかも数十秒単位で違うのかも。

 物体の固有振動とかに詳しければ、比べようもあっただろうが、今となっては確かめようがない。


「それで、私はなんで呼ばれたんかなぁ」


 リリーさんが言った。


 リリーさんの前にはお茶とお菓子が置かれている。

 ここは、コミミに案内されてから良く使うようになった、大図書館前の喫茶店の個室だった。


 とりあえず、傾斜角のことは忘れよう。


「ああ、ええっと、お二人に作っていただきたいものがありまして」

「二人で?」


 リリーさんとシャムは顔を見合わせた。


「作ってもらいたいのは、天測航法の道具です」

「てんそくこうほう?」


 リリーさんは首を傾げた。


「天測航法というのは、簡単に言えば、地形もなにもない大海原で、自分が地球上のどこにいるか分析する方法です」

「なんやのそれ……一体なんの役に立つん?」


「現在では」


 うーん、どう説明したものかな。


「陸の見えない大海原に出ると、船乗りたちは、自分がどこにいるのか解らなくなってしまいます。つまりは迷子になってしまうわけですね」

「コンパスがあるやんか」

「コンパスで向きがわかっても、帆船は風向きで進む方向が変わりますし、大海原に出たら陸地からどっちの方向にどれくらいの位置にいるなんてのは、老練の航海士でもすぐに解らなくなってしまうものなんですよ」


「ふーん、そんなもんなんかぁ。よくわからんけど」

 よく分かんないかぁ。


 そもそも、この国の人は船に乗る事自体が少ないしな。

 大海原で遭難したら死ということも、実感として感じることはないだろう。


「つまりは、外洋航海は命がけということなんです。でも、位置が判れば命がけではなくなる」

「そうやろうけど、どうやって位置を割り出すのん?」


「この……なんというか、地球は、今もこのときも、どこかで夜が明けて、どこかで日が暮れています。想像できますか?」

「それは……まあ、考えてみればそうやな」


 この国では地動説は一般的ではないが、リリーさんはシャムと付き合っているので、そのへんは承知しているのだろう。


 今は昼間だが、現在昇っている太陽は、地球上の別の地点では日暮れに地平線に沈む太陽であり、別の地点では、地平線から今まさに昇る朝焼けの太陽でもある。


「それはつまり、決まった高さに同じ時刻に太陽が見える土地は、この地球に一箇所しかないということを意味します」


「……うーん、そうかなぁ」

 なにやら納得行かない様子だ。


「リリー先輩、ユーリの言うことは合ってますよ」

 うわ。

 シャムはリリーさんのこと先輩って呼んでるのか。

「ふぅん、シャムは解るん?」


「解りますよぉ。機器の誤差はもちろん考えなきゃですけど、キッチリ計測できれば、決まった時間に決まった地点に天体がいる場所は、地球上に一点しかないのは当たり前です。一番簡単な連立方程式と同じ仕組みじゃないですか」


 シャムのほうは直感的にわかってしまったらしい。

 こいつはこいつで、どんだけ頭の回転が早いんだよ。


「わりと大雑把でいいから、大体のところを表にできるか?」

「できますけど、どの天体を使うんですか?」

「とりあえずは太陽の南中を使うのが早いだろ。一番わかりやすい」

「太陽だとあんまり精度は出ません。私がやれば別ですけどね」


 えらい自信である。


 だが、天測航法には精度はあまり必要ではないのだ。

 GPSのような正確さがなければ使えないというわけではない。


 島を目指すなら、島が見える範囲まで。

 都市を目指すなら、港の灯台が見える範囲まで、近づければよい。


 問題は、自分の位置がわからなければ、島を見つけられずに通り越してしまった場合、通り越したこともわからないということなのだ。


「べつに、精密さは必要ない。おおよその位置が判明すればいいんだ」

「あと、時間はどこを基準に?」

「シビャクに時計を合わせたシビャク標準時だな」


 勝手に作っちゃっていいものか知らんが、こんな世界まできてイギリスに気を使う必要もなかろう。

 どこ中心でも変わらないし。

 どうせシャン人しか使わないんだろうし。


「おっけー。わかりました」

「範囲は全世界じゃなくていいからな。そうだな……経度はシビャク中心で西経120度までで、北半球、緯度もシビャクの以北は10度まででいい」

「わかりました」


 すげぇ物分かりがいい。

 結構面倒なはずだけど。


「それで……リリーさんにお願いなんですが」

「ユーリくん」

 リリーさんはニコっと笑った。


「例の印刷機も難航しとるんよ」


 あ、はい。

「なんとかなりませんか」


「眼鏡も作らなあかんし……」

「はい……」

「漉桁のほうは追加注文がなくなったけど」


「そっちは手先が器用な大工を雇ったので……なんとか、ハイ」

「ふーん、そーなん」


 なんか無理っぽい。

 まーリリーさんには大分無理を頼んだしな……。


「わかりました……無理を言ってすいません」


 諦めよう。

 気を入れて探せば誰か見つかるかもしれないし。


 でも、どうしよう。

 リリーさんに頼めないとなると、結構手間取るかも。


 俺が眉根を寄せて考え込んでいると、


「もー、しょーがないなぁ~」

 と言ってきた。

「え」


「そんな顔されたらお姉さん断れんやないの~」


 なんだこれ。

 なんか急に良い感じになった。

 脱出ゲーでうろうろ迷ってたら、何故か次の扉が開いたような感じだ。


 それにしても、ニヤニヤしながら片手を頬にやって空いた手をひょいひょいしている。

 おばさんの所作はこの世界でも共通なんだろうか……。

 リリーさんはオバサンではないが……。


「まー、急ぎやないんやろ?」

「はい。とりあえずは」

「せやったら、やっとくわ。多少どういうものか教えてな」


「こういう感じです」


 俺は用意しておいた紙を取り出した。

 作ってもらいたいものというのは、六分儀である。


 六分儀というのは、鏡の反射を利用して、地平線あるいは水平線に対しての、天体の角度を測る道具だ。

 応用的に星と星の角度も測ることが出来る。


 直接覗くための筒の先に、右半分だけの鏡が取り付けられており、鏡の向いた先にはもう一個鏡がついている。

 その鏡は回転できるようになっており、そこを支点として大きな分度器がついている。

 鏡を回転させ、視界の中で対象の二つが重なりあった時、そのために傾斜させた鏡の分がそのまま角度になるので、分度器を見れば、それがそのまま対象二点の角度、ということになる。


「ほっほー……これまた面倒そうやね」

 俺の書いた簡単な図面を見て、リリーさんは言った。

「難しそうですか」


「硝子と鏡がな……胴体はなんとでもなりそうやけど、煤硝子かぁ……。しかし、珍妙なものを考えつくなぁ」


 夜の星ならばいいが、太陽を覗くときは、黒いガラスすなわちシェードを被せないと目がやられてしまう。

 煤硝子というのは初めて聞いたが、シェードに類するものは必須である。


「硝子工房のようなところに注文を出す形になるのですか?」

「そうなるなぁ」


「どうせなら十枚くらいまとめて注文しちゃってもいいですよ」

「そう? まあ、そっちのほうが一つあたりは安くあがるけど」

「ま、よろしくお願いします」


 どうせ、これから一隻に一台は装備するようになるんだし。

 腐るものでもないわけで、とっておいてもいいだろう。


「ま、わかったわ。でもけっこう高く付くよ」

「かまいませんよ」

「そんなに大儲けしとるんか」

「それなりですね」


 業績はうなぎ登りだった。

 紙だけでもそれなりなのに、これからは石油から灯油ランプやライターも作れるようになるだろうし、売上が伸び悩む要素もない。


「でも、そんなにお金を儲けてなにをするつもりなん? もうお金には困らんのに。あ、それは元からか」


 それはそうなんだけど。


「お金は幾らあっても困りませんから」

「それにしても限度があるやん。こんなに頑張る必要あるん?」


 まあ、その疑問はもっともである。

 実際、俺は金が欲しいわけでも、贅沢な暮らしをしたいわけでもない。

 じゃあ一体なんのためにコイツは仕事しとるんだ、ということになる。


 金を求めているのは、目的に到達する過程に必要であるからで、それはあくまで手段にすぎない。


「ま、リリーさんが我が社に入社してくれたら教えてあげますよ」


 と、俺ははぐらかした。


「我が社?」

「屋号としてホウ社を名乗ることにしたんです。父上にバレてしまったので」

「ああ、そうなんな」

「そうなんです」


「ほな入社したるわ」


 え。

 今なんて言った?


「今なんていいました?」

「入社したるわ、って」

 いやいやいや。

 自分で言っといてなんだけどさ。

「そんな、遊びに混ざるみたいな」

「ホウ社なんていうても、辞めるのはいつ辞めても自由なんやろ?」


 そりゃそうだが。

 終身雇用されるつもりがないなら最初から来るな! なんていう経営方針ではないし。


「それはそうですが、仕事はこれまでのような支払いかたではなくなりますよ。リリーさんへの報酬は買い取りではなく給与ということになります。リリーさんにとっての儲けは今より減るかも。それでもいいんですか?」


「そんなん、かまわへんわ」


 かまわへんのかい。

 なんでやねん。


「今までどおりの仕事でええんやろ? ユーリくんが用意した部屋に朝から晩まで詰めて仕事するとかやなくて」

「そりゃー、構いませんが」


「……いつ辞めてもといっても、一ヶ月で辞めたとか言われても困りますよ?」

「わたしのことなんやと思ってんの。そないなケチくさいこと言わんよぉ」


「じゃー、よろしくお願いします」


 参ったなこりゃ。


「私も入ります」

 なんだかちっこいのが妙なこといいだした。

 腕をピンと挙手している。

「シャムはだめだ」


「なんで」

 なんかむっとしてる。

「……俺がサツキさんに怒られるからだめ」

 本当を言うと、シャムは仕事に向いてない気がするし、そもそも天測航法のあとはやってもらうことがあんまり思いつかない。


「なんだ、つまんない」

 なんか普通の女学生みたいなことを言い始めた。


「じゃあ、そういうことで。今日は終わりにしましょうかね」

 さてさて、忙しいし今日はもう帰るか。

 俺は椅子を立った。


「はいはい、じゃあまたな……ってなんでやねん! なにすっとぼけて帰ろうとしとんねん」


 覚えていたらしい……。

 なにこのノリツッコミ……。


「はあ、これ絶対に秘密ですからね」



 ***



「僕は、この国にはもう滅びる道しかないと思ってるんですよ」

「……は?」


「五年後か十年後か、それは解りませんが、この国は近いうちに滅びるでしょう。これはもう避けられません」

「なんでやねん。なんも悪くないってことはないけど……全然大丈夫やんか」


「大丈夫なわけがないですよ。シャン人の国家九国のうち、六国までクラ人に滅ぼされたのに、なんでシヤルタ王国だけが特別滅ぼされないと思うんです?」

「それは……」

「シヤルタ王国は他の滅ぼされた国となにも変わりはありません。滅びた国と同じような機能的欠陥を、同じように持ったまま、キルヒナ王国が倒れようとしている今でも、のほほんと続いています。クラ人の態度もまったく変わっていません。それなら、滅びた国と全く同じに、ここもいずれ滅ぼされると考えるのが普通でしょう」


 これは、誰もが見て見ぬふりをしている事実であった。


 これならいっそ、現状を憂いた革命勢力と内戦状態にあったりしたほうが、まだ救いがある。

 多少血を見る現実があっても、将来には希望が持てる。

 だが、この国では、保守勢力が強すぎるために、そのようなことも起きていない。


「でも、これから変わるかもしれへんやないか」


「それはそうです。例えばキャロル殿下あたりが国を強く率いて、この国を大きく変えるという可能性は、現実として存在するでしょう。ですが、それは希望的観測です。僕は僕で、可能性に自分の命運を賭けるつもりはありません」


 言っておいてなんだが、俺はその可能性をちっとも信じていなかった。


 シヤルタ王国の政体の致命的にまずいところは、王家に権力がちっとも集中していない。というところだ。


 もし王家が絶対王政的な力を持っていたのであれば、これは事情が違ってきただろう。


 様々な改革をやらかし、外科手術のように国の腐った部位を除去し、国を立てなおして強国となり、クラ人と立ち向かう、という筋道も現れてきたはずだ。

 独裁制というのは大いなる負の側面を持っている反面、暗雲立ち込めた状況を快刀乱麻に解決することのできる可能性を持っている。


 だがこの国では、残念なことに、王家はちっともそんな力を持っていないのだ。


 五大将家フィフスブレイブス七大魔女家セブンウィッチズに、軍権と政権が分散されてしまっている。

 王家が持っているのは、手持ちの兵として近衛軍第一軍に兵が七千弱、あとは元老院議会の議長権、外交代表権、将家への命令権(実質的には提案権というのが正しい)などがあるだけで、これはこれで大層な力ではあるものの、絶対王権とは程遠い。


 これでは、キャロルあたりが幾ら頑張ろうと、どうすることもできない。

 もともとの力が弱すぎるし、その力も雁字搦めにされてしまっている。

 王家が大暴れしようにも、周りがいつでも取り押さえることができる仕組みになってしまっているわけだ。


 では、王家以外に、その役割を担える存在はあるか。


 将家の連中はどいつもこいつも、ホウ家以外は家で槍を磨いているだけの腰抜けばかりで、こいつらもクーデターをするような根性はない。


 そのホウ家は遠征でさんざんこき使われた挙句、軍団が瓦解して再建中である。

 軍事力の背景のない将家などカスでしかないので、我が家のこととはいえ、カスでは役割を演じることはできないだろう。

 魔女家の連中は、言うまでもなく保守の権化とも呼ぶべき存在であって、そもそも文字通り腐った女のような性格のヤクザなので、こいつらに任せても国はさらにドブ底に沈むだけである。 


「じゃあ、どうするんや」


 どうしようか。

 答えはひとつ、逃げるのだ。


「その時のための、天測航法ですよ。これがあれば、大海原で迷うこともなく、どこへでも行ける。国が滅びた時、クラ人の虜囚となり奴隷になるしか道がないのと、大海原へ逃げ延びるという選択肢があるのとでは、だいぶ違うでしょう」


「……そか」


「もちろん、それは最後の最後、という時の話です。そうならなかったら、手元にはお金と、不要になった用意だけが残ります。それも無駄ではないでしょう」

「それは、そうやな」

「この話を聞いて僕に嫌気がさしたなら、退社しても構いません。話さえ漏らさなければ」

「そんな心配せんでもええよ。怒っとるわけでもないし。まあ……でもちょっと考えたいことはあるかな」


「それなら、お金はここに置いておきますから、茶のおかわりでもしてゆっくり考えてみてください。僕はそろそろ行きますね」


 俺はいないほうがいいだろう。

 忙しいのは本当だったので、俺は十分な額の銀貨を机の上に置いて、個室を出て行った。

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