第31話 ビジネスパートナー


「ユーリ、言付けを預かってきたぞ」


 キャロルがやってきて、便箋を渡してきた。

 開けてみると、

『特許第一号として貴君の発明を認める』

 という内容が書いてある。

 通ったらしい。

 

 特許第一号は製紙に関する技術である。

 もちろん羊皮紙を作る技術ではなく、植物の繊維で作られた紙だ。

 上手く行けば莫大な儲けになるだろう。


 ……と思う。

 きっと。

 たぶん。

 

「副業はいいが、本業を忘れるなよ」

 キャロルが釘を差してきた。

 こないだ説教されたのに、身に沁みてはいなかったらしい。

「わかっとる。俺だってサボっていたら親に申し訳が立たん」

「わかっていればいいんだが」


 キャロルは腰帯にくくりつけていた革袋のようなものを取って、唐突に俺に渡した。

「褒美だ」


 褒美?

 革袋を受け取って、開けると、中には金貨がぎっしりと入っていた。

 子どもの手の内に収まるほどの革袋だが、中々の大金だ。


「なんだこりゃ」

「だから褒美だ」

「なんの褒美なんだ。こないだのとは別の用件の褒美か?」


「そんなに頻繁に褒美を貰えるほど善行を積んでるのか?」

 キャロルはニヤリと意地悪そうに微笑んだ。

「心当たりはないけどな」


七大魔女家セブンウィッチズから文句がでたんだ。褒美になるのかならないのか解らん制度を対価にしてしまうと、ホウ家に対して借りができたようで気分が悪いらしい」


「それで金をよこすのか。くだらねえ」


 こっちは借りとも思っていないというのに。

 清々しい気分で別れたと思ったら、手切れ金が送られてきたような気分だ。


「こんな少しならやらないほうがましだと言ったのだが」

「少し?」


 革袋の中には軽く見ても金貨30枚前後はありそうだ。

 金貨1枚が1000ルガだから3万ルガになる。

 一概には換算できないが、日本円だとだいたい300万くらいに当たるか。


「どうみても大金だぞ」

「私には、お前の発見がどの程度のものなのかイマイチぴんとこないが、お母様に呼び出されるような用件で、報奨金がその程度というのは聞いたことがない」


 そりゃそうか。

 王家がケチと思われてもいけないし、ポンと5万ルガくらい寄越すものなのかもしれない。

 さすが王族は金銭感覚が違う。


「俺はまだガキだからな。あんまり大金をポンとくれてやるのもどうかと思ったんだろ」

「なんだそれ、大人も子供も関係あるのか?」


 世間知らずなお姫様だな。


「子供に大金をやると、ロクでもないことに使って身を滅ぼすと相場が決まってるんだ。高級娼館通いとかして、娼婦に入れ揚げてみたりな」

「な、なんだとっ! やっ、やっぱり返せ! お前にやるわけにはいかん!!」


 キャロルはなにを思ったのか、革袋を奪おうと迫りよってきた。

 せっかく得た大金を奪われちゃかなわんので、俺は背中に隠す。

 ……振りをしてポンと後ろ手に放り投げ、ベッドの向こうの床に落とした。


「こら! よこせ!」


 キャロルは大声を出しているために、床に袋が落ちた音には気付かないようだ。

 なんだかもみくちゃになりながら、俺から金貨袋を奪おうと体をおしつけてくる。


「馬鹿、落ち着け! 俺はそういう使い方をしたりはしねえよ」

 精通もまだきてないし。

「はぁ、はぁ……本当か?」


「本当だよ。つーかお前には関係ないだろ」

「……まあ、そうだが。ルームメイトが良くない方向に堕落するのはだな……」

「堕落しねーっつーの」


 堕落するっつーても、大金を得たところで、せいぜいがニート止まりだった俺だ。

 堕落する性格だったら、大麻やったりギャンブルやったり、キャバクラ通ったりしていただろう。

 だから大丈夫だ。


「それならなんに使うんだ? 貯金か?」

 だから思考がババアなのかよお前は。

「先行投資だな」

「せんこうとうし?」


「まあ……なんだ、戦争の前にいい槍を買っとくとか、そんな感じだ」


 ぜんぜん違うんだけど。

 なんかもう面倒くさくなってきちゃった。


「ほう、それはお前にしてはいい心がけだな。感心な金の使い方だぞ」


 キャロルはそれで機嫌をよくしたらしい。

 受験のために参考書を買う受験生を褒めるような口ぶりだった。


 実際はエロゲのためにパソコンを買うようなものなのだが、まあいいだろ。

 

 

 ***

 

 

 主観時間ではだいぶ長いこと生きてきた俺だが、事業を起こすなんていうのは初めての経験だ。

 資金は一応さっき貰った3万ルガと、年単位で貯金した小遣いを合わせて、5万ルガある。


 5万ルガという金額は、結構な価値があって、日本円にすると500万円くらいだが、単純に換算することはできない。

 この国では特に食料の物価が安く、加工品の値段が高いからだ。


 この国で、というか、この工業レベルでの加工品というのは、全てが日本でいう「一個一個手作りで作りました」という物なので、自然と価値が高くなる。

 洗濯カゴ一つとっても、日本だったら百均で買えるんだから、こっちでも1ルガで購入できる。というわけにはいかず、手作りで細い木を編んでいくのだから、下手すると50ルガくらいする。


 だが、逆を言えば、贅沢をしなければ、かなり安上がりな生活ができるのだ。

 ふつうに、雑穀入りのパンのようなものと、干し肉と塩を食べるだけで、あとは寝るだけ。という生活なら、家賃にもよるが、王都でも年間1万ルガくらいで生きていくことができる。


 なので、5万ルガというのは、かなり大雑把に言うと、特別な技能がなく幾らでも替わりのきく人間を、五年間雇っておける給料ということになるだろう。

 五人を一年間、と言い換えてもよい。


 だが、実際には人件費以外別途に家賃も必要だろうし、設備投資費も必要なので、五人雇うというわけにはいかないだろう。


 俺は製紙業の会社に勤めていたわけではないので、原始的な製紙方法は洋紙だろうが和紙だろうが手漉きというのは知っているが、そのやり方に熟達しているわけではないし、道具の作り方もほとんど知らない。


 なので、製品として通用するレベルの紙ができるのはいつになることか、そこに到達するまでに幾ら金がかかるのか、まったく不明だ。

 5万ルガあるといっても、資本金としてはまったく心もとない。


 それに、俺も暇になったとはいえ、午前中は相変わらず忙しいので、まるっきり一日かけるわけにはいかない。

 午後も三コマは講義を取っているし、誰か運営を任せられる人材が欲しいところだ。


 もしくは、他人に任せず自分一人でやるという方法もある。


 最初から資本金に頼って人を雇わずとも、まずは自分一人で水辺の小屋でも借りて、暇な時間を使って労働にいそしめば良いのだ。

 俺は会社経営者になろうと思ったことは一度もなかったので、経営学のたぐいは学んだことがないから分からないが、人を雇う前にまずは一人で働いてノウハウを蓄積してみる。というのは、経営学者に怒られるような方法ではあるまい。


 ここは熟考のしどころ、と考えながら食堂で飯を食っていたところ、ミャロが声をかけてきた。


「なにか考え事ですか?」

 心配そうな様子もなく尋ねてきた。

「まあな」

「よかったら相談に乗りますが」


 相談に乗ってくれるらしい。

 ミャロならば、相談に乗ってもらう相手として悪くはないだろう。

 むしろ、これ以上の適任はいないかもしれない。

 

「商売を始めたいんだが、商売を任せる人材をどうしようかってな」

「商売ですか」

 ミャロは意外そうな顔をした。

「今年に入って午後の講義がぐんと減ってな。暇になったもんだから」

「贅沢な悩みですね」

 

 たしかにそうかもしれん。

 だが。実際にほとんど終わってしまっているのだから仕方がない。

 

「いつかはミャロもそうなるだろ、あと二年くらいで暇になっちまうんじゃないか」

「どうでしょうね。ボクは実技が苦手ですから、体力作りをしないと」


 ああ、確かに。

 自評するとおり、ミャロは実技が苦手だった。

 今年は、俺のほうが上のクラスに行ってしまったせいで、クラスが別れてしまった。


 ミャロは運動神経が悪いわけではないが、どうにも筋肉が付かない体質のようで、ヒョロヒョロしている。

 短剣術であれば、それでもどうにかなるが、短槍術は筋肉がものをいうので、どうにもならない。


 極端な話をすれば、ミャロが力いっぱい槍を構えていても、ドッラが思いっきり槍を振り下ろしてミャロの槍を打ち据えたら、おそらく槍がすっ飛んでしまうか、そこまで行かないまでも構えが解けて隙だらけになってしまうだろう。


 短槍術では、槍同士がぶつかり合うのを全て避けるというのは無理がある話なので、やはりミャロにとっては決定的に不利なのだ。


「でも、それでも卒業はできるんだろ」


 運動音痴は卒業できないなどということになったら、一人息子が虚弱体質に生まれた騎士家などは困ってしまう。


「ええ。ですが、それだと二十過ぎになってしまうので」


 二十過ぎか。

 できるだけ早く卒業したいもんな。

 勉強がいくらできても卒業はできないとは、厄介なことだ。


「大変だな……」

「ボクの話はいいですから。ユーリくんの話を先にしてください」


 そうだった。

 話が脇にそれていたようだ。

 なんの話だったか。


「人材だ」

「はい。どういう人材ですか?」


 真面目な顔になってる。

 真面目に相談事を聞いてくれるなら、心強い。


「新しい商品を作って販売するんだ。名産品を仕入れてきて売るわけじゃない。だから、思考に柔軟性がある奴じゃないとだめだ。店番と商談だけしかできない奴だと難しいかもな」

「なるほど。どういう商品かは秘密でしょうから聞きませんが、確かに並の人では勤まらないかもしれませんね」


 別に秘密でもなんでもないし、聞いてもいいんだが。

 特許が既に出ているから、真似したやつは俺に特許使用料を払う義務があるわけだし。

 むしろ、やれるもんならどんどん真似してくれという感じだ。


「商人ギルドにでも行って、求人して面接すればいいのかな?」

「あー」

 ミャロは悩ましげに眉を寄せた。

「ん?」

「商人ギルドは七大魔女家セブンウィッチズ支配下シノギですから、騎士家のユーリくんが行くと問題があるかと」

 うわ、そういうのがあるのか。

「面倒臭えな」


「求人を出すのであれば、ホウ家のご領地でやるのが賢いでしょうね」

「そっか、だがしばらくは王都でやらんといけないから、出張させるのもな」


 王鷲が使えればひとっ飛びだが、一人でどこへでも行くことができる許可を取るまでには、まだ数年がかかる。

 初動は王都でやる必要があるだろう。

 それに、紙の一大消費地といえば、やはり王都なので、その点でも都合が良い。


「王都在住の商人でしたら、ボクのほうで一人心当たりがあるので、紹介しましょうか」


 心当たりがあるとか。

 ミャロはなんでも知ってる上に顔まで広いのか。なんだかすげーな。

 ほんとにこいつ十五歳かよ。


「心当たりというと、どういうやつなんだ?」

「うちに出入りしてる商会から追い出された人です」

「追い出されたのか」


 職場を追い出されて再就職に困ってる系男子か。

 それもどうなんだよ。


「店のお金に手を出したとかではありませんよ? 少し意見が合わなかったらしくて」

「ふーん」


 俺は、この国の商人の商習慣というのを全く知らないので、ピンと来ない。

 まあ、会ってみないとわからないか。

 

「でも、魔女家に出入りしている商会というのは、媚びへつらいが上手なだけですから、それに反発して出て行ったというのは、むしろ安心できる要素かと思います」

 ナチュラルに実家ディスが入ってきた。

「まあ、ミャロの紹介だから悪いということはないだろ」


 面談の必要はあるが、ミャロがまるっきりの無能を俺に紹介するというのは、ちょっと考えづらい。


 そもそも、ミャロは魔女家が嫌いなことからも分かる通り、無能で生産性のない、家業にへばりついて生きているようなのが嫌いなのだ。


 なにかしら才能がある人材ではあるのだろう。

 少なくとも会ってみる価値はある。

 ……と思う。


「そう言っていただけるとボクも嬉しいです」


 ミャロは少し照れくさそうに笑った。

 

「どうやってコンタクトを取ればいいんだ?」

「ボクも名前しかしらないので、王城で住所を調べて、手紙を送るのが手っ取り早いかもしれません」

 王城で住所が調べられるというのは初めて知った。

 一応、王都については住民をある程度把握しているのだろうか。

「わかった。名前は?」


「カフ・オーネットです」



 ***



 三日後、俺はカフ・オーネットの部屋を訪ねた。


 カフ・オーネットの部屋のあるアパートは、王都北の第四環状通りの東側にあり、ここは大河で真っ二つになった王都の北側、王城から放射状に伸びる大通りを横に繋ぐバイパスの四番目ということになる。


 俺の感覚からいえば、ここは二等の庶民街といったところだ。


 金持ちの庶民は、北だったら第三環状通りの東あたりに居を構える。

 大市場に買い物にいくにしても、王城に用があるにしても、交通の便がいいからだ。


 だが、北の第四環状通りは、王都の北港に近いので、これは商人としては便利な立地だろう。

 ちょっと金のない商人の家としては、納得のいく立地だった。

 


 三階建ての石造りの建物を、二階まで上がっていってドアを叩く。

「――いてるぞぉ」

 と向こうから声がした。


 不用心な。

 最近は、キルヒナからの移民が食い詰め、治安がちょっと悪くなってるというのに。

 それをいったら、ガキが一人でこんなところ来んなって話だが。


「失礼します」


 ドアを開けて中に入った。


 中はなんだか、久しぶりに見る『だらしない独身男性の一人暮らし部屋』で、ゴミがごちゃごちゃしていて、床がホコリだらけだった。

 頻繁に歩く部分だけがくっきりとホコリの魔の手から逃れ、獣道のようになっている。


 日本にいたころは毎日見ていた、というか俺の部屋がそうだったのだが、この人生を始めてからは、初めて見るたぐいの部屋だ。

 最初のころはスズヤがキッチリ掃除してくれていたし、以後はメイドや掃除婦が掃除してくれているから、俺の住空間がこんな有り様になったことは一度もない。


「こんにちは、ユーリ・ホウです」

「悪いが」


 カフ・オーネットは、固そうなソファに寝転んで、酒を飲んでいた。

 来客がきているというのに、起き上がろうともしない。


「貴族の子どものお遊びに付き合うほど暇じゃないんだ」

「……そうですか」


 態度悪いな。

 こりゃダメか。


 まあ、そう思われても仕方ない部分もある。

 忙しいなら仕方ない。

 どっからどーみてもヒマを持て余してるようにしか見えないが。


 しかし、想像以上に生活が荒れているな。

 これで、メシを貰えない子どもが部屋の隅で死んだ目でもしてたら、まさにパーフェクトって感じだ。


「将来的には羊皮紙市場を駆逐できる製品を売ろうと思うんですが」

「そうか、無理だろうな」


 にべもない。

 暖簾に腕押しだ。


 帰るか。

 いや、せっかく来たんだし、もうちょっと粘ってみるか。


「そりゃどうでしょうかね。やってみないと解らない」

「無理だな。たとえそれが本当でも、どうせクソどもに盗まれるのがオチだ。この国はなにをやってもそうなる仕組みになってやがる」


 なんだかやさぐれておる。

 世を拗ねているというか。


「そうならない仕組みになってるので、大丈夫なんですよ」

「フン」


 話にならねえ、みたいな感じだ。


「発明者の僕以外がその製品を作ると、僕に特許料の支払いをする義務が発生するようにしました。女王陛下のお墨付きです。直筆サインと玉璽印付きの書状もありますよ」

 一応持ってきている。

「……そんな話、聞いたことねえな」


「女王陛下に上奏したのが一ヶ月ほど前の話で、制定されたのが一週間前ですからね。許可が出たのは三日前です。ちなみに、僕の発明が第一号です」


「ふーん。お前が陛下に仕組みを作らせたってのか」

「はい」


 そう言うと、カフは上体を起こして、初めて俺を見た。

 真正面からみると、改めて酷いツラだな。

 顔の作りが悪いというわけではなく、垢じみた上に髪も髭もまったく手入れしていない。


「信じられねえな。見せてみろ」

「どうぞ」


 若干、破かれたりしないか心配ではあったが、渡した。

 渡した紙は真っ白な上質の羊皮紙で、偽物には見えないだろう。


 カフは書面を流し読みすると、

「どうもマジらしいな」

 と言った。

「はい。マジです」

 カフは俺に紙を返した。


「それで、俺に何をしろっていうんだ?」


 おっと、若干やる気になったか。


「全般的な監督と労働。製品ができたなら、販売。つまりは、僕がやるべきことを代わりにやって欲しいんです」

「なんだそりゃ」


 唖然とした顔になっている。


「僕は午前は学校に行かなければならないので、何かと用事があるんですよ」

「じゃあ、俺が最初から最後まで全部やって、金はお前の総取りかよ」

「総取りというか、僕はアイデアを出しただけで、製品の作り方もこれから模索するんです。本格的な儲けが出るのは、甘く見て半年以降でしょう。その間、儲けはないものと考えたほうが良いと思います」


「じゃ、その間、俺は無給か?」

「固定給ですね。あまり多くは差し上げられませんが。本格的な報酬については、商売が軌道に乗った時に、また考えましょう」


 カフは、ふう、とため息をついた。

 どうも迷っている様子だ。


「お前、本当に成功すると思ってんのか?」


 と聞いてきた。


「十年後には、羊皮紙というものは市場から殆ど消えているでしょう。生産が上手く行けばの話ですが」

「そうか……。だが、羊皮紙ギルドはラクラマヌスの管轄だぞ。妨害してくるかもしれん」


 あー、まーた面倒くさい情報が。

 ラクラマヌスというのは五番目の魔女家の家名である。


 この王都は、どこもかしこもアホどものシマになってやがる。

 自由な商売とか風通しの良いビジネスとか、そういう言葉とは無縁のところにある、よどんだ都市だ。


「まあ、それはいいでしょう。僕とてホウ家の跡取り息子ですから。僕が代表であれば、いろいろやりようはあります」

「……なんだって? そうなのか。とんでもないところの坊っちゃんなんだな」


 手紙に名前書いといたのに。

 読んでいないのか。


「もし妨害してくるとしても、脅したり、生産拠点を壊したりするくらいでしょう。それは製品が十分出回って、羊皮紙市場を脅かしてからの話です。今から心配しても仕方がない」


「まあ、そうだな」


「生産体制が整えば、材料は獣畜の皮ではなく、その辺に生えている木でいいんです。丈夫さは劣るはずですが、半分以下の価格で流通できます。羊皮紙ギルドがどれだけ権力を持っているか知りませんが、淘汰から逃れることはできませんよ」


 俺自身、あの羊皮紙という製品の高額さ、敷居の高さには、たいそう不便な思いをさせられてきた。

 もっと安価で大量に流通できる植物紙があれば、必ず広まるはずだ。


「なにやら、よほどの確信があるみたいな物言いだな。流行る確証はあるのか」


 確証?

 こいつ、馬鹿か?


「確証がなければ動けないのであれば、他をあたります。そんな人間は商売人とは言わない」

「………」

「農民の百姓仕事でさえ、作物の出来不出来は運に左右される。魔女家を出し抜いて大儲けをしようという話に、確証なんてものがあるわけがない」


「……お前の言うとおりだ。俺のほうが馬鹿だったようだ」


 カフは雑念を振り払い、酔いを醒ますように、首を一度振った。


「やる気になりましたか」

「ああ。どうせ面白いこともねえんだ。一、二年それに賭けてみるのも悪くはない」

「そうですか」


 やる気になったらしい。

 さっきまでは酒によって胡乱げになっていた目に、今は力が漲っているのがわかる。


 やる気だ。



 ***



「だが、今はまだ思いつきの段階だ。まだ作ったこともないんだろ。とりあえずは製法を確立しなければ話にならない」


 目が覚めたカフは、具体的な計画を考える頭になったようだ。


「それはそうですね」

 その通りだ。

「ともかく、製法を確立するのが先決だ。お前のその紙はどうやって作るんだ?」


「原料は、植物の繊維です。雑草じゃだめですけどね」

「ふうん、布みたいなもんか」


 理解が早い。

 この国では、機会は少ないが、布も羊皮紙と同じように字を書く場合がある。

 羊皮紙と比べれば、布のほうが性質としては紙に近い。


 べつに布を紙として使っても良いのだろうが、布というのは全て手織りになるので、これはこれで羊皮紙を脅かすほどの価格競争力がないのだろう。

 編み目からインクが滲むから、よほど分厚い生地でなければ片面しか使えないしな。


「布はできるだけ長い繊維を糸に紡いだあと、織って布にしますよね」

「まあ、そうだな」

「紙は織る必要はないんです。紙は服にするわけではないので、布ほどの頑丈さは必要ありません。逆に、必要なのはきめの細かさです」

「そうだな」


「だから、なんらかの方法で植物を崩して繊維にし、それを水に入れて、目の細かい網で掬って層にします。その後、上から重しを載せて圧縮します。それを乾かせば、紙のできあがりです」

「……あー、そうか」

「なにか疑問でも?」

「…………」

 黙ってしまった。


 なんだ、気が変わったか?


 俺が心配していると、カフは唐突に膝を叩いた。

 パンと大きな音が響く。


「疑問はいろいろあるが、まあいい。とにかく一枚作ってみてからだ」

「そうですか。気が変わってしまったのかと思いました」


 俺が杞憂を話すと、ハッ、とカフは笑い飛ばした。


「乗りかかった船だ。半年もやって全くモノにならないようだったら考えるが、そう簡単には降りねえよ」

「そうですか」


 よかった。


「だが、一つだけ条件がある」

 条件?

「なんですか?」

「俺は勤め人にはならねぇ。だから固定給はいらん。儲かるようになったら、俺が増やした利益から割合をきめて頂く」

「なるほど、固定給でなく歩合給ということですか。もちろん、それでいいですよ」


 そっちのほうがやる気になってくれるのだろう。

 特にこういうタイプは。


「だが、先にいっとくが、俺には金はないぞ」

 言われなくても金があるようにはみえねえよ。

「当面の運転資金はホウ家から出るのか?」


「いえ、僕が勝手にやっていることですから、僕のポケットマネーから出します。五万ルガしかないので、心もとないですが」

「五万あれば、とりあえずは十分だろう。貿易なんかと違って船や馬を揃える必要はないんだしな。設備はどういうものになるか見当がつかんが、二万もあれば揃えられるだろう」

 まあ、二万も使えば揃うだろう。


「よし、じゃあ早速、動くとしよう」 

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