第5話
北門学士は、貴族社会である唐でありながら自らの才能と良いとする揶揄と、皇帝と私的で近い関係にあるとする羨望の相反する感情が交ざりあっていた。
北門学士は、貴族社会である唐でありながら自らの才能と才覚で武則天に認められる機会をもっていた。
武則天は、才能ある人物を愛していた。家柄のよくない彼女が、皇帝になるためには貴族の序列的には絶対に無理である。しかも女性である自分が皇帝になるためには、儒教を重んじる唐の貴族社会を潰す必要があった。
彼女は既存の官僚体系に揺さぶりをかけ、自分の野心の為に家柄はよくないが優秀な人材をさかんに採用した。
張説は、北門学士の出身である。唐は家柄を重んじる国である。この貴族社会的な時代風潮からすれば、張説はきわめて身分の低い家の出身である。
この張説にしろその政敵となった姚崇にしろ、この唐の玄宗の治世の前半に活躍した有能な政治家は皆武則天の人材登用政策によって発掘された人物であった。玄宗の治世の前半は元号が「開元」で後半は「天宝」であった。
唐の文化が最も華やかだった時代で、この華々しい盛唐の別称を「開元・天宝」の盛時と呼ぶこともある。人種差別も少なく、優秀でありさえすれば阿部仲麻呂や安緑山などの外国人も要職に就くことができた。
真備と玄肪の二人は、日本ではありえない唐の政治体制に瞠目、感動していた。
当時の日本は、唐以上に貴族社会であった。大和朝廷建国に功があった名門氏族が、政府高官を歴任するの体制が古代より続いている。
吉備出身の地方氏族である吉備真備や傍系氏族出身である玄肪は、どんなにあがいても二人が政府高官になるにはかなり厳しいのが現実だった。
唐のように有能な実力さえあれば政府高官になれるという仕組みを日本でもつくりたいと二人は志していた。
それは、決して簡単な事ではない。
しかし、それが日本にとって最良で自分の人生全てを賭けて意味のあることだと二人は覚悟を決め、どんな困難も成し遂げてみせると誓いあっていた。
彼らはその後聖武天皇の元で活躍し、夢に向かって確実に近づいていった。
それから玄肪は写経事業で優秀な人材の発掘に努め、真備は東宮学士となり夢を実現できる指導者を育て上げた。
やがて二人の弟子が、夢を受け継ぎ実践していく事になる。
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