説④公暁単独犯説
有力な説の最後が公暁単独犯説です。状況から考えればこれが一番考えやすいかと思います。
ここで公暁とはどんな人物か見てみましょう。
1200年生まれ、父は2代将軍頼家で、
1217年、18歳で鎌倉に戻り、
以上が公暁の一生ですが、義時や義村との距離の近さがまず見られます。詳細は前回挙げた通りです。
さて、単独犯説ですが、はっきり言ってしまえばこれも確証に欠けます。確証に欠けるというより、裏付けをとるのが難しいと言えます。突発的だったのか計画的だったのかもわかりません。
ただ、ここで気になるのは、公暁が実朝の猶子になっていること、また鶴岡八幡宮寺別当になったのちも髪をおろさない、つまり僧形にならなかったという記述がある事です。
つまり、公暁には将軍就任の野心があった可能性があります。それであるなら、実朝を暗殺する動機というのは想定できます。
さて、実朝の次の将軍は誰がなる予定だったでしょうか。
そうです。後鳥羽上皇の皇子ですね。つまり親王将軍です。それが実現すれば、前将軍の子であり、現将軍の
ではそれを覆すことはできたのか。
いや、ほぼ無理だったでしょう。既に実朝と後鳥羽との間で合意は成立していましたし、北条氏を始めとした御家人たちも賛同していました。それを打開するためには、混乱に乗じるしかなかったのかもしれません。
公暁は鶴岡八幡宮寺の別当、同神宮で儀式が行われることは知っていたでしょう。また、北条氏と三浦氏の微妙な関係も知らなかったはずがありません。自分が変を起こし、幕府転覆を志せば味方してくれる人間がいるはず、その勢力を元に幕府を再編する、そう考えていたかもしれません。希望的観測で変を起こしたのは確かと思えます。
ということで、実朝暗殺説は将軍就任の希みを絶たれた公暁の単独犯(少ない協力者はいましたが)で解決……と行きたいところですが、一つ疑問が残ります。
それは、一番最初に挙げたあのことばにあります。
「親の
親の敵。つまり父頼家の敵ということになりますが、先ほど述べた通り、頼家は北条氏(『愚管抄』によると北条義時の手勢)によって殺されたとされています。
では、なぜその敵が「北条氏」ではなく「実朝」にすり替わっているのか。
これについては、実朝とともに殺害された
しかし問題は、誰かがそう
「あなたの父を死に追いやったのは、現将軍です」と。
それを吹き込んだとするなら誰なのか。
先の説も加味するなら、考えやすいのは三浦義村でしょう。義時の可能性もありますが、自分(あるいは自分の身内)が真の黒幕である以上、蒸し返すようなことはしなさそうです。
では、なぜ義村は最後の最後に裏切ったのか。何か計画の
あるいは誰かが唆したのではなく、情報の蓄積の結果という可能性もあります。ただ、それならむしろ北条氏の方に
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