山隠し【第2回角川武蔵野文学賞 応募作品】
郷野すみれ
山隠し
がたん、ごとんと電車に揺られ、私は目的地に向かう沿線上の景色をぼーっと眺める。
都会、住宅地の風景が繰り広げられていたが、いつの間にか地元を彷彿させる、呆れるような田んぼと畑が広がっていた。
「せっかく近くまで行くけどね」
八国山の麓に位置する祖父母宅に行けないのは残念だ。だが、祖父母は健在とはいえ高齢だ。巷で流行っている感染症をうつしてはいけないからお互いに会わない方が身のためである。
目的地まではまだ時間がある。私は膝に置いている荷物を抱え直して目を閉じる。私が小学生だった時、10年ほど前に経験した不思議な経験を思い起こす。
***
「ねえねえ、お母さん! さとる君と八国山に遊びに行ってもいい?」
「いいけどちょっと待ちなさい」
当時小学6年生だった私は、年に2回夏休みと冬休みにだけ祖父母宅で会える3つ下の従兄弟と遊ぶのを楽しみにしていた。
小さい頃から本を読むか、外に虫取りに出かけるかの両極端だった私は親から、ずっと家に引きこもって本ばかり読むよりマシ、と思われていたのだろう。外に行って虫取りすることは咎められなかった。
「え〜、なんで?」
「まりがその格好で行ったらダメよ、ズボンに履き替えてから行きなさい。あと、日焼け止めと虫除けスプレーと、水筒と……」
「はいはい。さとる君も準備しておいてね!」
私は親戚が集まっている1階のリビングから、着替えなどが置いてある2階へ駆け上がる。
十数分後、ちゃんと日焼け止めを塗って虫除けスプレーをして、半袖短パンに履き替えて帽子を被り、水筒と腕時計を持った私と、私に準ずる準備をしたさとる君は玄関を元気に出発した。
「いってきまーす!」
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
「気をつけるのよ」
迷うこともないので、2人で行くことを許されるようになったのは私が小学4年生の頃だ。子供だけで行くようになってから、私たちは大人に言ってない密かな楽しみがあった。
「今日もいるかな?」
「今年も会えるかな?」
私はさとる君と顔を見合わせてくふふと笑い合う。
夏休みのお盆の期間中に私たちは祖父母の家に滞在するのだが、その期間、夏休みだけに会える子がいた。
3分ほど歩くと八国山の入り口に着く。街路樹に捕まえられそうな蝉もいたけれど、まだ我慢だ。
どうやらこの八国山は、私も見たことのある某有名なアニメの舞台にもなったらしい。知ってはいたがあまり実感は湧かない。上機嫌な私はうるさいくらいに蝉が鳴く山を元気に踏みしめ、テーマ曲を鼻歌で歌っていた。
「ふ・ふ・ふ〜ん♪」
「まりちゃん、待って……」
年齢の割に小柄な私と年齢の割に大きいさとる君とは言え、身長は違うので私が早足で歩いてしまうとさとる君がついて来れないのは当たり前だ。
「はーい」
私は足を止め、くるりと振り向く。ざーっと風が吹き抜けて葉っぱが音を立てて揺れる。青臭い匂いが広がった。
歩調を合わせて視界が開ける広場まで歩みを進める。夏休みの度に会える子とはいつもそこで会っている。
「待っててくれてるかな」
「あ、いたよ!」
さとる君は嬉しそうに駆けていくが私にはだれかがいるように見えなかった。
「さとる君、待って!!」
私は腕を掴んで引き戻す。この前の誕生日に買ってもらった腕時計がきらりと日光を反射した。針が……止まっている?
「まりちゃん、おかしいよ。なんでわからないの?」
「どこにいるの?」
さとる君が指をさす方向を見て目を凝らすが、何もない。あれほどうるさかった蝉の声が一瞬遠ざかって、夏なのに手足があり得ないほど冷たくなった。
「いやっ!」
私は我に返ると、さとる君の手を引いて闇雲に走り出した。
思い返してみると、おかしな点はいくつもあったのだ。
会う度にいつも同じ白いワンピースを着ていること。
誰かと来た様子も、誰かを待っている様子も帰る様子もないこと。
小学4年生くらいのまま、おかっぱの髪型も身長も変わっていないこと。
蝉の捕まえ方を詳しく知っているのにその子自身は捕まえられないこと。
私が作り話を話すとさとる君と一緒に手を叩いて喜んでくれるけど、拍手の音が聞こえないこと。
どこに住んでいるのかも、名前も知らないこと。
だとしたら、なんで? どうして私はあの子が見えなくなったのだろう。さとる君はまだ見えるのに。
「まりちゃん、そっちじゃない……」
さとる君に声をかけられて私は我に返った。危ない。別れ道で違う方へ行ってしまうところだった。
「なんであの子がいたのに引き返したの?」
さとる君に問われて言葉に詰まる。
「いなかったから。見えなかったから」
「いたじゃん!」
「いなかったの! さとる君はもうあの子のこと、忘れなきゃいけないの!!」
怒鳴り合う私たちに夏のむわっとした空気が吹きつけた。
唐突に閃いた。
私の体が「おとな」になったからかもしれない。
「ごめん、今日は戻ろう」
私は不満そうなさとる君の手を引いて行きとはうってかわって、重たい足取りで祖父母の家に戻った。
そうしたら、そこまで体感では時間が経ってないはずなのに、実際はかなりの時間が経っていて親戚たちに怒られたのだけれど、私は上の空でお説教を聞いていた。
***
あの後、色々調べたけれどよくわからなかったなりに、戦時中に亡くなった女の子だったのかも、と思うようになった。髪型と服装が当時の写真に当てはまったからだ。さとる君には当時、「忘れなきゃいけない」と言ったが、忘れることなどできない。あの子との交流は今の私を明確に形作っている。
「次は〜」
目的地の最寄り駅まで着いたので、私はカバンを持って立ち上がる。今日は、本が好きな人にとっては楽園のような、新しくできた施設に来たのだ。今、私は、あの子とさとる君にでっち上げて語っていた作り話の能力を伸ばして、本を読むだけでなくお話を書くようになっている。
電車から降りる時、ふと窓の外にあの子の白いワンピースが翻り、笑いかけられた気がした。
改札口に向かう前、がたん、ごとんと駅を発車して遠ざかっていく電車を見送った。
山隠し【第2回角川武蔵野文学賞 応募作品】 郷野すみれ @satono_sumire
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