赤痣

絵空こそら

第1話

 姉は生来、笑わぬ女だった。

 器量はいいが、顔には斑に赤い痣が広がり、息を潜めるように家の中で機織りや洗濯ばかりをしていた。

 母が亡くなり、父が後妻を娶ると、私たちは疎ましがられるようになった。私は愛想よく継母に取り入り、なんとか信頼を勝ち得たが、姉はそうはいかなかった。不愛想と赤痣が災いし、何かといじめられるようになった。

 可哀想な姉。そう思いながらも、私は姉を、継母との共通の敵として示して見せることで、なんとか難を逃れていた。

 姉は泣かなかったし、口答えもしなかった。どれだけ罵られようと、色の違う痣が増えようと、ただ淡々と家事をこなし、夜になると納屋の二階でひっそりと寝た。

 姉はなんの為に生きているのだろう。河原で黙々と洗濯をするあかぎれた手を見ながら、私は不思議でしょうがなかった。


 姉が十六になった年、身なりの綺麗な男が現れた。姉に惚れたというその男は、連日河原にやってきては、口説き文句を並べた。姉は返事をしないのに、滔々とまくしたてる。情熱的なはずのその言葉たちは、なぜか背筋が寒くなるような響きを持っていた。

 階級は中の上、年は二十から三十の間というところだった。なるほど、少々傷んだものを傍に置き、自分の見栄えがよくなることを期待しているのだろう。なんとも浅ましいが、よかったではないか。不幸な日々が続くとて、ここの生活よりはまだましだろう。


 男が故郷に帰る段になって、男は両親に姉との結婚を願い出た。継母はたいそう喜んだが、姉は首を縦に振らなかった。

 業を煮やした継母が姉をはたきつけると、姉の口の端からつうと血が流れた。滴ったそれは、じゅっと音をたてて床を焼いた。座が凍りつく。継母はひっと悲鳴をあげた。

 姉は燃える血を拭って、床に手をついた。

「御覧のように、私には人のものではない血が流れています。これは霊山の主のお怒りの証。私がここを去れば、私の中に流れる血と同じものが霊山から噴き出し、町は焼かれましょう。私はこれより、山の麓の尼寺へ入り、主のお怒りを鎮めるべく、祈りを捧げたく思っております。どうか、お許しくださいますようお願い申し上げます」

 姉は淀みなく語った。場の全員が何も言えずにいる中、私は、どうして姉なのだろうと思った。どうして私ではなかったのだろう。姉はそのお役目のことを、いつから知っていたのだろう。なぜ逃げなかったのだろう。肌から流れる燃える血を一人拭いながら、自分を傷つけたすべての人間を、なぜ焼き殺してしまわなかったのだろう。


 姉が寺へ発つ朝、私は河原に立ってその姿を見送った。なぜだか後から後から涙が流れてくるのだった。

 姉は振り向いて、道を引き返してきた。身体の中に溶岩が流れているとは思えないほど冷たい手が、私の頬に触れた。

「夜飯を抜かれた日、お前が握り飯を届けてくれたことを知っているよ。学校の医務室から塗り薬をくすねてきてくれたことも。それが燃える肌に、どれだけひんやりと心地よかったかわかるかい。お前は賢く優しいから気が咎めるのだろうが、私を哀れと思うなら、その分他のものによくしてやりなさい」

 初めて姉が笑った。

 嗚呼、姉様。私は優しくなどないの。我が身可愛さに姉様を見殺しにした。中途半端な気遣いが一体何になろう。頼むから寺へなど行かないで。逃げて、私を焼き殺して。

 言葉は嗚咽に紛れて届かなかった。離れる手の赤い痣、白い頭巾の眩しさが、今も眼に焼き付いている。


 あれから三十年が経つ。私は大店の呉服屋に嫁ぎ、子供も五人生まれた。病をして生死の境を彷徨ったこともあるが、死んでたまるかと思った。末娘は赤痣で、今度こそ守らなければならない。

 あの時告げられなかった懺悔が、今も呪いのように胸に巣食っている。

 近くの霊山は沈黙を保ち、麓の寺からは今日も鐘の音が響く。

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赤痣 絵空こそら @hiidurutokorono

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