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相舞藻子

花の都の冒険者

君と異世界




「……はぁ。」


 なんと虚しい、ため息であろうか。


 その女性は、一人夜道を歩いていた。

 仕事終わりだろうか、その表情には疲れの色がにじみ出ている。

 瞳は虚ろで、頭は空っぽ。まるで、歩く屍のように。


「……はぁ。」


 再び、ため息が漏れる。


(……ヤバい。腐りそう。)


 女性は一人、心の中で思う。

 毎日毎日、家と職場を往復するだけのこの時間。実家のすぐ近くの職場に就職できたのは幸運だったが、いつまでも地元に縛られているような感覚には嫌気が差す。

 高校を卒業して、運良く地元のWeb制作会社に就職できた。

 色々と資格とかを頑張ったおかげだし、生活にだって何ら不自由していない。

 だが、それだけだった。


(楽しくない。)


 いつの間にか、大人になってしまった。

 身長は、悲しいかな中学生の頃から止まったままだが。年齢的には、彼女は立派な大人になっていた。

 望んでいたわけではない。ただ、子供で居られなくなったから、仕方なく大人を演じているに過ぎない。

 その見た目と同様に。心だって、まだ幼いまま。


(面白くない。)


 ゲームをするのが大好きだった。

 学校が終わったら、仲の良い幼馴染とゲーム三昧。それが彼女の青春であり、高校を卒業するまでの当たり前だった。

 しかし、いざ別々の職場に就職してしまうと。その当たり前は、音もなく崩れ去った。

 大人になれば、社会人になれば。

 一緒に遊べる時間も無くなって、大好きなゲームも出来なくなる。


 今となっては、一人寂しくスマホのソシャゲに没頭するだけ。


『”ミレイ”さま、誕生日おめでとー』


 ゲームのキャラクターが、彼女ミレイの誕生日を祝ってくれる。

 それだけのことに、思わず頬が緩む。


 だが、悲しいかな。ミレイの誕生日を祝ってくれたのは、ゲームのキャラクターと両親だけ。

 他には誰も、今日が彼女の誕生日であることすら知らないのだ。


(寂しいやつだな、お前は。)


 鳴らない通知に、苦笑してしまう。

 それでも、可愛いキャラクターがお祝いしてくれるだけでも嬉しいのだから、本当に救いようがない。



 そうして、暗い夜道をソシャゲに興じながら歩いていく。

 20歳になっても変わらない、ミレイの日常である。


「――あ。」


 スマホに、メッセージの通知が届く。

 送ってきたのは、ミレイの唯一の親友にして、高校卒業までずっと一緒に過ごしていた幼馴染のその人。


(そう。そうだよな! まだお前が居たよな。)


 自分の誕生日を祝ってくれる人は、他にも居る。

 そんな熱い気持ちを抱きながら、ミレイはメッセージを開き。


――絶句した。




『実はわたし、結婚することになったんだ。』




 呼吸が止まる。


「……嘘、だろ?」


 何故か、信じられないほどに身体が震えてくる。


(頼む。頼むから嘘だって、冗談だって言ってくれ。)


 そう願いながらも、体の震えは止まらない。


(おっ、お前だけなんだぞ? わたしと遊んでくれる、遊んでくれた友達はっ。)


『それで、結婚式についてなんだけどね――』


 20歳の誕生日。彼女にとって、とてもおめでたい日のはずなのに。


 自分だけが取り残されていくような。

 そんな、底なしの恐怖に襲われる。


(……なんでこんなに、胸が苦しいんだ。)


 ミレイは、夜道のど真ん中で立ち尽くす。




 そんな、彼女を照らすように。

 一台の車が、止まる気配なく近づいてくる。




(――眩しい。)


 とっさに、光を手で閉ざす。

 だが、光は遮切れないほどに大きくなり。


(これがわたしの、誕生日か。)


 もはや笑うしか無い。



「最高。」



 そして、彼女の意識は途切れた。







――あぁ、本当に。本当に最低な誕生日だった。


 これにて、ようやく20歳となったのに。


 もう大人だよ? なんでも自由に出来るんだよ?

 お酒を飲みながらゲームしたって良いし。いくらでも楽しんで良いんだ。


 まぁ、だとしても。

 それでも、わたしは一人か。




『――わすれないで。やくそく。』




 ”まじないとキス”を受け取る。


 それは記憶には残らない。

 けれども大切な、友達との”約束”。







 風が吹いている。髪を揺らすように。優しく肌を撫でるように。

 とにかく心地が良かった。感じたことの無いような充実感。胸の奥が温かくて、心が浮ついている。

 まるで、死んでいるかのように。

 呼吸をすれば、空気が美味しいし。鼻を突き抜けるように、爽やかな自然の香りがする。


(……あれ? わたし、何やってるんだろう。)


 心地よさに包まれる中。

 ミレイは瞳を開ける。


 瞳に映るのは、鮮やかな緑色。

 ゆらゆらと風に揺れる、生気に満ちた草の色。


(なんで、こんな草の上で寝てるんだろ。)


 止まっていた身体を動かして。ミレイはゆっくりと起き上がる。

 手が触れるのも草の感触。お尻に敷いているのも草の感触。


(……まだ、寝ぼけてるのかな。)


 周囲を見渡せば、目に入るのは全てが緑の景色。

 風に揺れる草と、日光を浴びる大きな木。

 広大なる草原が、彼女の目の前には広がっていた。


(自然がハンパじゃない。てゆうか、ここどこだ?)


 とりあえず、状況を確認するために。ミレイを身体を弄って、自身のスマートフォンを探す。

 しかし、違和感に手が止まる。


(あれ? 何だこの服。)


 手に触って気づく。身に着けている衣類が、いつも着ている服とは違うことに。


(シャツじゃない。なんか厚いし、なんか懐かしいし。)


 いつも会社で着ている、ありふれた白いシャツではない。


(……これ、もしかして。高校の時の制服じゃね?)


 身に着けている衣服と、記憶の彼方が合致する。

 思い返すのは、忌まわしき記憶。背伸びした中学生にしか見られなかった、あの頃の自分。


(なぜ制服を着ているのか。……てゆうかこれ、もう少し”ピッチリ”としてたような。)


 制服と、ついでに自身の”胸”に触って。

 ミレイは、ある可能性に気づいてしまった。


(いや、そんなことはありえない。)


 そう、否定しつつも。ミレイはゆっくりと制服の上着を脱いで。

 下着の上から、自らの胸に触れてみる。


(――あぁ。この触り心地は、間違い無い。)


 鮮明な記憶が蘇る。

 ”なんでわたしはこんなに小さいんだろう”。

 身長と胸の小ささに嘆いていた、高校1年の夏の記憶である。


(……身体が縮んでいる。)


 あれほど、苦労して育てたというのに。

 4年か、5年だろうか。あの大きさまで育てるのに、掛かった年月は。



(どこへ消えたんだ? わたしの”Bカップ”は。)



 あまりにも無惨な現実に。ミレイは震えてしまう。


(ってか、スマホ、スマホ。)


 本来の目的を思い出し。ミレイは自身の周辺を探る。

 すると、すぐ側の地面に落ちていることに気づき、急いで拾う。

 電源を入れてみると。


「ああっ、会社に行く時間じゃん!」


 時刻は早朝8時。普段なら出勤している時間である。


「どうしよ。」


 不安に包まれながら。


 それでも周囲を見渡せば、何もない豊かな草原が広がるのみ。

 日光を直に感じられて。風が身体を押して、草木のざわめきが耳に届く。


「まじでどうしよう。」


 明らかに知っている場所ではないため。遅刻はすでに確定だろう。

 上司だろうが何だろうが。ミレイは怒られるのが大嫌いなため、憂鬱でしかない。


「……帰るか。」


 怒られる覚悟を完了し。

 ミレイは家へと帰るために、スマホのマップを開く。


「圏外かい。」


 一気に役立たずへと変わったスマホを閉じて。

 とりあえず、しゃがみ込む。


 目の前には草木が在るだけ。答えを与えてくれる文明は何もない。


(……ヤバい。マジで何も思い出せない。)


 ミレイはこうなった経緯を探ってみる。

 思い出すのは昨日の記憶。

 会社が終わって、家まで歩いてて。


(ああ、そっか。結婚か。)


 最悪のショックを思い出し、ミレイは顔をしかめる。


(それでヤバくなって。それから、どうしたんだっけ。)


 記憶の先を覗いて。

 見えてくるのは、こちらへ向かってくる車の光。


「あっ。」


 何があったのかを思い出し。ミレイはとっさに身体を弄った。

 色々と機能を確かめるように、身体の可動域を動かしてみる。


「……大丈夫、だよな?」


 少なくとも、胸と身長が縮んでいること以外に、異常は見られない。


 それを踏まえた上で。ミレイは改めて、自身の現状を確認する。

 昨日は仕事を終わって、ショックを受けて。覚えている最後の記憶は、こちらへ向かってくる車の光だけ。

 導かれる結論は、一つだった。



(死んだんか、わたし。)



 そう考えることで、色々と整合性が取れてくる。

 きっと、この場所は天国なのだろう。雲の上の世界ではないが、自然の溢れ具合からして天国の可能性は高い。

 ここが天国なら、今のこの服装や背丈にも納得ができる。

 一番楽しかった頃の記憶。高校時代の身体に戻してくれたのだろう。


(……親切だな。天国。)


 この世界の優しさに感謝しつつ。

 ミレイは草原に寝転がる。


 瞳を閉じれば、ただ風の感触だけが感じられる。

 空気はこれまでの人生の中で一番美味しくて。一番の安らぎを与えてくれる。


 これが、わたしの人生の終着点なのだろう、と。

 そうミレイが悟っていると。




――ガラガラと、どこからか音が聞こえてくる。




「……うん? 何だ?」


 聞こえてくるのは何の音だろう。

 そう気になって、ミレイは起き上がり。

 音の方向へと足を運んでいく。


 すると。

 草原の中にある一本の道を、一台の馬車が通っていくのが目に入る。


(馬車? なんで馬車なんだ?)


 珍しいものを見たように。ミレイはそれに釘付けになる。

 けれども、すぐに我に返り。


「――おっ、おぉーい! ちょっと待ってー!」


 ようやく出会えた文明的な存在に。ミレイは大声で呼びかける。

 恐らくは、この20年の人生の中で最も大きな声で。


 すると、幸運にもその声が届いたのだろう。

 馬車がその場で止まってくれる。


 ミレイは興奮と滅茶苦茶な思考の中で、必死に馬車へと走って行った。





「――やあ、なにか御用かな? お嬢さん。」


 ミレイが馬車に近づくと。馬車を操縦していたであろう、一人の若い男がミレイに話しかける。

 優しい色をした瞳に、整った目鼻立ち。髪型もそつがなく、何よりも雰囲気が爽やか。

 端的に言って、イケメンが話しかけてきた。


(……やばい、イケメンだ。)


 滅多に話さない。というよりも、会社や地元では見かけないタイプの人物との出会いに、ミレイは妙に緊張してしまう。


 それでも意を決して、口を開く。


「あの、すみません。ここって、天国で合ってます?」

「えっ、天国?」


 そのイケメン青年の反応に。

 ミレイは、己の中の”天国説”を抹消した。


「よくわからないけど。ここは、ジータンとアセアンを繋ぐ街道だよ?」


 青年の言葉を聞いて。

 ミレイは再び混乱する。


(ヤバい、何言ってるんだろう。)


 ジータン、アセアン。果たしてそれは地名なのか。それとも、なにか別の概念なのか。

 何一つとして理解が出来ない。


「……あの、実はわたし、気づいたらここら辺で寝てて。えっと、ここってもしかして、日本じゃないとか、ですか?」


「日本? ……どうだろう、どこかで聞いたことがあるような。」


「は、はぁ。」

(聞いたことがある?)


「あぁ、そうだ。ケッタマンの住人が言ってたな。日本って。」


 どうやら青年は思い出したようで。


「君ひょっとして、異世界から来たんじゃないかな?」


「……えっ?」


 異世界。その単語に、ミレイは言葉を失う。


(異世界って。マジかそれ。)


 その反応を見て、青年は確信する。


「――この世界は、”アヴァンテリア”。ここはボルケーノ帝国の領土で、花の都ジータンのすぐ近く。」


 青年が語るのは、ミレイが求めていた今の情報であった。


「と言っても、分かんないかな?」


「えっと。……はい、まったく。」


「なら、混乱するのも仕方がない。たまにいるんだよね、君のように異世界から迷い込んだ人間が。」


 青年は微笑みながら。

 ミレイに手を差し伸べる。


「乗りなよ。街に向かいながら、説明してあげるよ。」


 その声にそそのかされて。

 ミレイは青年の馬車にお邪魔することにした。









 草原の道を、馬車に乗りながら進んでいく。

 先程とは違う風を感じながらも。

 小綺麗で、思いのほか座り心地の良い馬車に感心する。


「――えっとつまり、わたしはその”異界の門”というのを通って、この世界にやって来たってことですか?」


「あぁ。君が他の異世界人と同じなら、そのはずさ。」


 馬車に揺られながら。ミレイは青年からの言葉に耳を傾ける。


「覚えていないのかい?」


「……はい。実は昨日の夜からの記憶が無くって。」


「なるほどね。多分、異界の門をくぐった時に、頭でもぶつけたんじゃないかな?」


「そう、ですかね。」


「きっとそうさ。だって君、お酒飲んだだろ?」


「えっ、お酒?」


 予想もしなかった単語に、ミレイは驚く。


「うん。少しだけど、臭いがするよ?」


 青年に指摘されて。

 ミレイは自身と服の臭いを嗅いでみる。


「……確かに、お酒っぽい臭いがする。」


 今までお酒を飲んだ記憶が無い故に、明確にそうだとは判断できないが。

 ミレイは確かに、自らの身体から微かな異臭がすることに気づく。


(まいったな。もしかしてわたし、JKのコスプレしながら酒飲んだのか?)


 今の自分の状況を顧みて。ミレイは昨晩の自分の行動を予想する。


(いやでも、胸のサイズからして、4~5歳ほど若返っているような気もするし。)


 考えも考えても、昨日の記憶が蘇らない。


「君って、まだ12かそこらだよね? 君の居た世界だと、その年齢でも普通にお酒を飲むのかい?」


「あっ、えっと。……わたし、こう見えても20歳なんです。なんか、目が覚めたら若干身長が縮んでて。」


 言ってて恥ずかしいが、ミレイは自分の年齢を告白する。


「……なるほど。まぁ、異界の門は謎だらけだからね。そういう事もあるのかも。」


 信じたのかは定かではないが。

 青年は特に追求することはなかった。



「ほら、そろそろ着くよ。花の都ジータンに。」



 そう、声をかけられて。ミレイが顔を上げると。


「――うわぁ。」


 思わず、声が漏れる。




 そこには、一帯を鮮やかな花々に彩られた、美しい街並みが広がっていた。


 花の都。そう呼ばれるのも納得の光景である。

 街のいたる所には綺麗な花々が自生し、周囲の建物にも根付いている。


 元の世界では見たことのない木には、桜にも似たカラフルな花が咲いている。

 それら全てが、新鮮な興奮としてミレイの中に入り込む。




「なにこれ。すっごい。マジで天国みたい。」


 あまりにも衝撃的な光景に。ミレイは心を奪われる。

 そんな様子に、青年は笑う。


「まぁ、驚くのも無理は無いね。俺もこの街は初めてだけど、まさかこれほどに美しいとは。」


 青年の言葉も、今のミレイには届かない。

 風に吹かれる、名前も知らない花びらに。視線が釘付けになっている。


(匂いも凄い。街全体が、柔らかい花の香りに包まれてるんだ。)


 鼻どころではない。ミレイは全身で、街の匂いを感じ取る。


「こんなの、見たことも聞いたこともないや。」


 思わず、ため息が漏れる。



「本当に、異世界なんだ。」



 一つの事実を飲み込んで。

 ミレイはようやく、緊張から開放された。




「ここは帝国の中で、最も美しい街の一つとして知られている。かの”女帝セラフィム”がいたく気に入って、周辺の魔獣たちを全て浄化した、という逸話が残るほどだ。」


 軽く放心しているミレイに、青年は街の説明をする。


「俺はしばらく、この街で店を開くつもりだけど。とりあえずは、君を”ギルド”まで連れて行くよ。」


「”ギルド”?」


 その単語に、ミレイは反応する。


「あぁ。”冒険者ギルド”さ。そこに行けば、君のような異世界人を保護してくれるはずだよ。」


(……冒険者ギルド!)


 その単語の持つパワーは、ミレイの心に炎を灯した。


(それってあれだよな。よくあるやつ。例えばと聞かれたら困るけど、とりあえずよくあるやつだ。)


 大好きなゲーム的展開に、ミレイは心躍る。


「安心しなよ。君のような異世界人は一人じゃない。環境に馴れるまでは時間がかかるだろうけど、気を落とさないように。」


「あっ、はい。どうも。」

(やだこのイケメン。わたしが女だったら惚れてるぜ。……まぁ、女だけど。)


 ミレイは、青年の優しさに感謝しか無かった。



「ほら、あそこが冒険者ギルドだよ。」


 その言葉に、ミレイが顔を向けると。



 そこには、立派な建造物が存在していた。

 他の建物と同様に、花に絡まった外観は変わらず。

 それでも、どこか強大な力を誇示するような、他とは違う雰囲気が感じられる。



「中に入って、異世界から来たって言えば、職員が対応してくれるはずさ。俺は馬車の面倒があるから、ここまでだけど。あとは大丈夫かい?」


「はい! えっと、本当に。ここまでお世話になりました!」


 小さな体で、深くお辞儀をして。

 ミレイは感謝の気持ちを伝える。


「まだちょっと信じられないけど。とりあえずこの世界でも、頑張ってみようと思います。」


「ああ。健康には気をつけなよ。」


 そう、言葉を交わして。

 ミレイは青年の馬車を降りた。


「……良い人だったな。」


 初めに会えたのが、あの人で幸運だったと。ミレイは思い返す。


「よし!」


 気合を入れて。

 ミレイは冒険者ギルドへと足を踏み入れていった。







 異世界からやって来た、その小さな女性を見送って。


「――まぁ、もう会うこともないだろうけど。」


 青年は、どこか哀れむような視線で、彼女の後ろ姿を見つめていた。



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