第11話 威厳と尊厳

「じゃーあ! ゆーくん! まず私の背中洗って!♡」


月城声色からして俺に為す術はないと判断し、取り敢えず洗ってやることを決意した。


「ほ、ほんとに少しだけだぞ……?」


俺はそう言って月城の元へ駆け寄る。


「うんうん全然いいよ! いやー! やっぱりカップルと言えば洗いっこだよね〜っ!♡」


背中しか見えていないのに、どんな表情をしているのか凡そ察しがつくような声色で月城は言う。


しかし、月城には残念だが俺たちはまだ付き合っていない。


「いやいや、俺たち二人は、断じてカップルではな──」


風呂の椅子に腰掛ける月城の後ろに立ち膝をした俺は、すかさずツッコミを入れるが、振り向きざまの月城の視線に圧倒され呆気なく撃沈した。


「かゆいところはございませんか〜……」


「うーんっと、それじゃ、もう少し右かな♪」


「はい、かしこまりました……」


俺は月城に言われるがまま、誠心誠意洗い続けた。勿論無心だ。


何があろうと自分が大人気アイドルの背中を洗っているという事実に気付かないように、自分を騙すように。



♢ ♢ ♢



「いい感じ! いい感じ!」


月城は体を揺らしてそう言う。当の俺といえば、なるだけ月城の体からは目を逸らし、何も考えず何も意識しない。所謂無の境地へと辿りつつあった。


こうでもしないと俺の尊厳が損なわれるであろうイベントが起こっているのだ。


「……はい。これで大丈夫か?」


脳を使わずに、この場を乗りこなすことしか頭に無かった俺は月城を軽く受け流す。


ちなみに、いったいどれほどの時間洗っていたのかは無の境地のおかげか覚えていない。


「うぅ!♡ やっぱり、ゆーくん上手上手!♡」


「そうか、そりゃよかった」


無の境地へと至った俺は何が見えても動じない心を手に入れた。もし、仮に今、月城の体が鏡に映っていたとして俺は意識する事は無い。


全ては威厳と尊厳の為。


「うんありがと!♡ それじゃ、次は私が洗ってあげる番だね!♡」


「──ッ?! 俺を?!」


月城の爆弾投下により、無の境地へと辿りつつあった俺だが不意に我に戻される。


「うん! 洗ってあげる!」


「いやいや、俺は別に……!」


月城は本当に俺の体を洗うつもりなのだろう、しかし、月城には悪いが俺はもう既に洗い終わっている、流石にこれ以上は耐えられない。


俺が洗うならまだしも触られでもしたなら、本格的に後戻りはできない。


「なんで? 私、ゆーくんの体、洗いたいよ」


俺が断ろうとすると、やはり月城は駄々を捏ねた。しかし、俺は本当に体を洗ってしまったのだ。


「ちょ、何言ってんだ。俺はもう洗っちゃったし」


「えー?? ゆーくんもう洗っちゃったの?」


俺が自分はもう体を洗ってしまった事を伝えると驚いた顔をした月城は此方へ振り向く。


このままではマズいと俺は再び無の境地へ至りその場を凌ぐ。見えていない、見えていない、見えていないと。


「ま、まあ、な」


なんの躊躇いもなく体を見せてしまう大人気アイドル月城に若干戸惑いつつも質問に反応する。


「ふーん、そっか」


「……悪いな月城」


俺が謝っていることについては腑に落ちないがこれで切り抜けられるなら仕方ない、と月城を刺激しない返事を心がける。


俺は一刻も早くこの地獄ふろばからあがりたかったのだ。


「じゃあ仕方ないか……」


月城は肩を落としボソッと呟く。




……月城にしては珍しく諦めが早い。月城月乃。コイツは本当にこの程度で引き下がるようなやつだっただろうか。


なんて思いつつも俺は内心ラッキーなんて考えて申し訳なさそうに立ち上がる。


「本当に悪い……悪い……っ、それじゃ」


捨て台詞をはいたあと俺は真っ先にドアの方へ向かっていく。


後ろは振り向かない、月城がどんな顔をしているかなんて想像がつかない。


俺はドアノブに手をかける。


「ほっ、」


無事風呂場から生還した俺は、思わず安堵の溜息を漏らし、勢いよくドアを閉める。


よし、これで威厳と尊厳は守られた。と完全に安心しきった俺は月城が用意してくれた服を手にかける。


やっと正念場を乗りきった。後は就寝だけだ。


すると、風呂場は声がよく反響するようで月城の声が漏れて聞こえた。


「う〜ん、ゆーくんの体洗いたかったな。残念、残念。あ、っでもまいっか!♡ 明日もあるんだしッ!」




……だが、俺はそんな言葉は聞こえなかった振りをして強引に服を着る手を進めた。


「はあ……よし。早めにでよう」

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