第12話
「気が付くと息子は、ホテルの一室でベッドに寝かされていました。そして横には、保険屋の女が寝ていたのです」
実際には、そこで何かがあったわけではない。
薬で眠らせた後、同僚の外交員達に手伝ってもらい、佐久間をホテルの部屋に運びこんだのだ。
そして佐久間をベッドで寝かせておき、佐久間が目を覚ます寸前に、綾子が布団に潜り込み、いかにも行為の後のように、佐久間に思わせたのだ。
佐久間は酔った勢いでトンでもない事をしてしまった勘違いし、綾子に詫びた。
もちろん、佐久間の負い目を利用して契約を取ったことは言うまでない。
さらに、その一月ほど後には妊娠したと言って佐久間を脅し、年金の契約まで取っていた。
ただ、その後で佐久間は『責任を取って結婚する』と言い出したため、綾子はそれを断るのにかなり苦労したが……
「死ぬ前に、息子はその事を話してくれました」
「そ……そうですか」
綾子は、怒濤の如く冷や汗を流していた。
「話を聞いて、あたしは保険屋が許せなかった。何度も抗議の電話を掛けたけど取り合ってくれなかった。そんな最中に息子は自殺したのです」
「……」
「会社も許せなかったが、あたしはその外交員も許せなかった。そこで、呪いを掛けることにしたのです」
「呪い……ですか?」
「ええ。高尾山の奥で諸行している修験者にお願いして、あの女に呪いを掛けたのです。まあ、あたしも本当は、呪いなんてものは信じていないのですがね。気晴らしですよ」
そうなのだろうか?
綾子は笑えない気分だった。
メールの件は佐久間が生前に行ったイタズラだったとしても、昨日から起きている一連の出来事は果たしてどうなのか。
もし、これらがすべて呪いによるものだとしたら……
「あの、呪いが本当にあるとしたら、その女はどうなるのでしょう?」
「さあ。呪いにどんな効果があるのか、あたしは知りませんが、修験者の話では今日が呪いの成就する日だとか」
「どうなるのです? 呪いが成就すると」
「死にます。今夜中に」
本人を前にして老女は、さらっと言ってのけた。そして老女は無言で綾子を見つめる。
背筋にぞうっと悪寒が走った。
……まさか? この人はわたしが誰だか知っていて言っているのでは……
「その女は……もう助からないのですか?」
「いいえ、一つだけ助かる方法があります」
老女は仏壇の方に目を向けた。
「どうするのです?」
すがるように綾子は言う。
老女は座ったまま振り返り仏壇を示した。
「手を会わせるのです」
「はっ?」
「息子に向かって、手を会わせて詫びるのです。そうすれば、その女は助かります」
「あの、それだけで、よろしいのですか?」
「ええ。あの女が死んでも、息子は帰って来ませんので。もっとも、あの女がそれを知ったところで、手を合わせに来るかどうかは分かりませんが……」
その後、しばらく老女は無言で綾子を見つめていた。
……やっぱり、わたしが誰だか知っていたのだ……
おもむろに綾子は立上がり、仏前に手を合わせた。
「嘘ですよ」
「え?」
振り返った綾子の目に映った老女は、綾子に背を向け、タンスの引き出しに手を入れて何かを取り出そうとしていた。
「呪いなんて嘘ですよ。そして……」
振り返った老女の手には、出刃包丁が握られていた。
「手を合わせれば助かるという事も嘘です」
「ひ」
綾子は座ったまま後退る。
「手を合わせた。という事は、やはりあなたですね。息子を騙したのは……」
「だ……騙したなんて、そんな……」
後退り続けた綾子の背中が壁に当たる。これ以上は逃げられない。
「わ……わたしは仕事でやったのです。やらないと、わたしも食べていけな……」
「あなたが食べていくために、なぜあたしの息子が犠牲にならなければいけないのです? あなたの言っている事は、しょせん盗人の屁理屈です」
「佐久間さんが死んだのは、わたしのせいでは……」
老女は徐々に距離を詰めていく。
「保険を切られなければ死ぬ事はなかった。いえ、保険がなくても息子はかなりの貯金を持っていました。しかし、そのお金は『子供に残してやりたい』と言って、絶対に手を付けようとしなかったのです」
「子供?」
「ええ。あの子が死ぬまで、自分の子供だと信じていた子供に……」
「まさか?」
自分が軽い気持ちで付いた嘘をずっと信じていた。
佐久間は死ぬまで洋介を、自分の息子だと思っていた。
でも、そうだとすると……
「それじゃあ! メールを送っていたのは?」
洋介を自分の子供だと思い込んでいた佐久間が、その母親である自分にあのようなメールを送ったりするのだろうか。
「メールはあたしが送っていました。アドレスは探偵社に調べさせたのです。もっとも最初は、そのために探偵を雇ったのではなく、あなたの子が敬一郎の子では無いという証拠を見つけて、あの子に治療を受けさせようと思ったのです。でも、手遅れでした」
床にへたりこんでいる綾子を見下ろせる位置まで来て、老女は足を止めた。
「一つだけ聞きます。あなたの子供は、私の孫ですか?」
老女は、いつでも綾子を刺せるように包丁を構えた。
「ち……違います」
「そうですか」
老女は包丁を振り上げた。
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