グローリー・ウィッチズ・ハンド

遠藤遺言

プロローグ-太陽の魔物

太陽の魔物①

 天使、なんていない。

 翼の生えた人間なんて誰も見たことがない。

 純、なんてない。

 無垢なのは子供だけ。

 祈り、なんて届かない。

 組んだ両の手はへし折られ、絶望の淵に立たされてしまう。瞬く間に。

 

 天使、なんていない。

 この世界にいるのは、業を背負った哀れで悲しき生き物たち。

 人間、魔女、魔物、そして——


◇  ◇  ◇


 観光都市、サクリファス。

 昔からこの地方は気候が暖かく、そのおかげでブドウがよく採れた。それらを使って作られたワインは絶品で、年代を重ねた物は世界一有名なレストランにも卸されていた。他の作物もよく育ち、瑞々しく味の濃い野菜や果物を使った料理は観光客に人気だった。

 サクリファス産の物は客受けがいい、と名だたるシェフたちは口を揃えて言う。さんさんと振り注ぐ太陽の光が作物を驚くほど甘くしているのだ、と。

 しかし今、空は分厚い雲に覆われ、街に暗い影を落としている。

「なあ、嬢ちゃん。そろそろメニュー決めてくれないかね?」

 昼時だというのに薄暗く、壁に飾られた有名人のサインには埃が積もっている。どことなく淀んだ空気。客も目つきの悪い男ばかりで、注文した料理を不味そうに口へと運んでいる。

 数年前までは観光客で溢れかえっていたと思えないほど落ちぶれたレストランのカウンターに1人、背丈の低い黒マントが座っていた。

「もう20分もにらめっこしてるじゃねえか」

 白髭を鼻の下に蓄えた小太りの男が、困ったように頭を掻く。この店の店主である男は料理人らしからぬ不潔な匂いを漂わせていて、頭を掻く度に粉状のフケが空を舞った。

 こんなガキに払う金なんてあるのか?

 店主は腹の中でそう思いながら目の前の黒マントを、じと、と睨む。

「うーん……この牛すじとトマトの煮込みにパンを浸して食べたいんだが、隣のたっぷりキノコのミルク煮も気になる……七種の野菜スープも美味しそうだし……うーん」

「ここまで悩む客は久しぶりだよ。あんまこんなこた言いたかないんだが、他の客も待たせてるからさ。なあ、頼むよ。嬢ちゃん」

「うーん……」

 そう唸ると、ボサボサ頭は分厚い手袋で頬をかいた。店主がはあ、とため息をつく。

「もういい。嬢ちゃん、決まったらコイツに言ってくれ。メル!」

 奥まったキッチンから顔を覗かせたのは17、18歳ほどの少女。彼女は頭の三角頭巾をきつく結び直して、ボサボサ頭に近づく。

「このキノコのミルク煮、やめといた方がいいよ」

「え?」

 メルは口をへの字に曲げたまま、メニュー表を指差した。

「昔はたくさんあったんだけどね、今は全く採れないの。だから隣町からこっそりもらってるんだけど、質が悪くってね。それなのに向こうはどんどんボるし……だから頼まれてもまともなの出せないよ」

「そうか……じゃあ」

「あ、七種の野菜スープもほぼ全滅。ニンジンなんて木の根っこ」

「コラァ! メル!」

 キッチンから店主の怒声が飛んでくる。

「客にその話をするなって何回言や分かるんだ! テメエは黙って注文だけ聞いてろ!」

 メルはふん、と鼻を鳴らした。

「本当のこと言って何が悪いの。客なんてこの街のヤツらしか来ないよ」

 殺気立った厨房とそれを睨みつけるメルを交互に見て、ボサボサ頭は萎縮するように肩をすくめた。

「じゃ、じゃあ牛すじとトマトの煮込みで……」

 バンッ

 錆びついたドアを1人の青年が開ける。その顔には汗と恐怖が浮かんでいて、目玉を忙しなく動かしている。

「”魔物”だ! “魔物”が出たぞ!」

 青年は店中に響き渡るほどの声量で叫んだ。

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