第3話: たとえ、この手を血に染めようとも

※暴力的描写・残酷描写あり、注意要


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 女が、己よりも大きな相手……それも、顔見知りはおろか、顔すらまともに見合わせた覚えのない相手より、有無を言わさず腕を掴まれた場合。


 基本的に、女が取る手段は二つ。



 一つは、本能のままに悲鳴を上げる事だ。パッと考えた限り、だいたいの者はこの手段を取るだろう。


 しかし、全員がそうなるわけではない。というのも、悲鳴を上げられるだけ、まだ良い方なのだ。



 悪いのは、二つ目の……悲鳴すら上げられないままに、その場に硬直してしまうことだ。



 自然界に限らず、危険がせまろうとしている時にその場で硬直するのは愚策である。もちろん、生存戦略の一つとして意図的に硬直する方法を取る生物も居るが、それは例外だ。


 知能が優れているが故の弱点と取るべきか、あるいは、それが許される環境にいたからなのか……些か判断に迷うところだろうが……で、この場においては、だ。



「――っ!」



 腕を掴まれたサナエは……前者であった。と、同時に、サナエは前者の中でも不運であった。


 動物に比べれば知能は高いが、人間として考えれば低い。子供の特権である成長性が、サナエには欠けているのだ。


 もちろん、全く成長しないわけではない。しかし、その成長速度は他者よりもはるかに遅い。


 言うなれば、心だけは何時までも子供のまま。


 してはいけない事、そういう事があることは理解している。


 けれども、どうしてそれが駄目なのか。それを抑え込む理性が未熟なままであるせいで、正確には理解出来ないのだ。


 それをすると、皆が怖い顔をしたり怒ったりするから、しては駄目。


 皆が怒る事は駄目な事である……そのように、サナエは受け止めていた。


 そう、サナエは本能的に危険な存在を感じ取る事は出来ても、それが危険な存在であるという事を頭が理解して処理出来ないのだ。



「あ、あの……?」



 故に……腕を掴まれたサナエは、混乱するばかりでその場から動けなかった。


 というのも、実はサナエにとって、誰かに腕を掴まれるという行為は、おとなしく付いて来いという指示に他ならないからだ。


 もちろん、そんな指示など誰も出してはいない。白坊はもちろん、ミエたちだって一度としてそんな指示なんぞ出してはいない。


 ただ、数少ない、サナエが自発的に習得している処世術である


 今は亡き両親がそうだったように、大好きな妹のミエやモエがそうであるように、腕や手を引かれる時は、おとなしくしておかないと怒られるのだとサナエは経験的に理解してしまっている。


 だから……サナエは混乱した。


 何故なら、腕を掴んだ傷痕男が……それ以上の行動を取らないからだ。


 サナエからすれば、俺に付いて来いと指示をされているのに、指示を出した肝心の相手がその場から動こうとしないようなものであった。



「あ~……あっちだ」



 そんな中、何をするでもなく佇んでいる傷痕男は……不意に視線を彼方へ向けると、そちらを指差した。



「……あっちに行くの?」

「そうだ、付いて来い」



 グイッと、傷痕男は手を引いた。


 少しばかりつんのめりながらも、サナエは……気付いて、踏ん張った。



「じゃあ、ミエちゃんにお出かけするのを言ってくるね」

「あ~……それは、駄目だあ」

「どうして? 勝手にお出かけすると、怒られちゃうよ」



 グイッと手を引かれ続ける中、サナエは抵抗を続ける。


 1人で何処かへ行くときは、必ず家族の誰かに行き先を言い残すのが決まりであり、約束である。



 それを、サナエは破るつもりは全くなかった。



 しかし……常識的(という言い方も変だが)に考えて、そう言われて止まる相手ならば、こんな事はしないだろう。


 サナエは、己が異性からどのように見られているのかを理解出来ていない。


 ジロジロと視線を向けられているというところまでは理解出来ても、そこから先が分かっていないのだ。


 なので、サナエのこの言葉は時間稼ぎや逃亡の為の発言ではなく、許しが出ればそのまま傷痕男とお出かけしようと本気で考えていた。



「……怒られるのか?」



 だが、ここで非常識的な事態が起こった。



「うん、お出かけする時はお許しが出ないと駄目だって言われているの」

「……そうか、それじゃあ聞かないと駄目だなあ」



 なんと、信じ難い話だが……傷痕男は、始めて表情を変え……そう、困った顔で立ち止まったのだ。



 ……仮に、傍で一連の流れを目撃している者がいたら……さぞ、困惑に目を瞬かせただろう。



 と、いうのも、だ。


 状況的に考えて、傷痕男は誘拐犯である。


 その誘拐犯が、『伝言残さなきゃ』という獲物のお願いを聞きいれて、わざわざ獲物を放すだろうか?


 普通は、放さない。


 そうすれば、間違いなく獲物は戻って来ないからだ。


 少しでも考えられる頭があるなら、一笑してそのまま連れ去る……はずなのだが。



「――じゃあ、おれぁここで待ってるから、終わったら来てくれ」

「うん、分かった!」



 不思議な事に、傷痕男は手を放してしまった。


 しかも、あろうことか傷痕男はその場で待つと言うのだ。「じゃあ、ちょっと待ってて!」小走りに駆けてくサナエの姿も相まって、あまりにシュールな流れでであった。



 ……。


 ……。


 …………で、だ。



 当然ながら、伝言を終えたから行くよ……とはならない。


 まず、勝手に外に出た事を知ったミエが、サナエを叱った。


 如何な理由とはいえ、勝手に出てしまったのは事実であるからだ。


 次いで、『お出かけしていいか』という謎のお願いに首を傾げた。


 白坊と一緒なら、朝の時点で自分に一言告げておくはずだと思ったからだ。



 では、いったい誰と?



 もしやと、湧き起こる不安を抑えながら、ミエは率直に相手は誰なのかを尋ね……時間にして、サナエが『じたく』に戻って4分17秒後。



 「――貴方様! 貴方様! 大変です、貴方様!!」



 当たり前と言えば当たり前だが、サナエは玄関より幾ばくか離れた場所に居るだろうと思われる、己の夫へと助けを求めたのであった。







 ――起こるべくして起こった事件なのかもしれないが、白坊にとって、そんな事はどうでも良かった。



 ただ、ミエより助けを呼ぶ声が聞こえた。それだけで、白坊にとっては十分であった。


 異変を察知した佐野助たちが辺りを見回した時にはもう、白坊はその場を駆け出していた。あまりの勢いに、傍の佐野助がオワッと退いていた。


 この時……白坊自身は焦りのあまり気付いていなかったが、信じ難い速度を出していた。


 元の現代社会であれば、間違いなくオリンピッククラス。学校でこの速さを見せていたら、ほぼ確実に陸上部に勧誘されるほどの加速力であった。



 ……もしかしたら、だ。



 少ないとはいえSPを割り振った影響なのか、あるいは白坊自身が知らない&気付いていないだけで、『レベル』というモノがこの世界に有って。


 それが、知らず知らずの内に白坊に影響を与えていた……のかもしれないが、とりあえず、白坊はまだ気付いていなかった。



(くそ――俺の阿呆! こうなる可能性ぐらい、考えていただろう!!!)



 そんな事よりも、今はただ、一秒でも早くミエたちの下へ駆けつけるのが大事であり、他は些事でしかなかった。


 そうして、気付かないままに『じたく』へと飛び込んだ白坊は……まず、状況を上手く掴めなかった。


 見たままを言葉にするのであれば、少しばかり涙を滲ませて困惑しているサナエを抱き締めた状態で、囲炉裏の奥側へとミエが座り込んでいた。


 モエは、そんなミエの後ろに隠れる形だが……不思議に思ったのは、3人の表情の違いである。



 まず、ミエは明らかに強張った顔をしている。



 まあ、助けを呼んだのはミエだからそれは分かるが……分からないのは、サナエとモエだ。



 サナエは、ちょっとばかり泣きそうな顔をしている。



 おそらく、ミエに怒られたと思っているのだろうが……モエも状況を上手く呑み込めていないのか、サナエと同様にちょっと涙を滲ませていた。



 ……何があったのだろうか。



 とりあえず、誰も怪我をしていなさそうなので安堵した白坊が、助けを呼んだ理由を聞き出す……次いで、外へと飛び出し……裏手へと回った。



 すると、話のとおりに、そこに居た。



 サナエを連れ去ろうとしていたらしい、傷痕男が……『じたく』より少しばかり離れた場所で、今もなおそこに立っていた。


 ただ、どうしてか……反射的に構えかけた刀をそのままに……一定の距離を置いたまま、白坊は足を止めた。


 白坊は……傷痕男がサナエを連れ去ろうとしたという話を聞いた時、様々な事を思い浮かべていた。


 それには、傷痕男がやろうとしていた(可能性の高い)事もある。けれども、実際に傷痕男を目にした時……不思議な話だが、白坊は……困惑してしまった。



 ――いったい、どうして?



 それは単に、傷痕男から放たれる気配というか、雰囲気が……明らかに、悪意を持つ者のソレではなかったからだ。



 そわそわ、そわそわ、と。



 何処となく落ち着きのない様子で、辺りを見回している。かと思えば、いきなりその場に座り込んだかと思えば……ジロジロと、足元の雑草を眺めている。


 何というか、落ち着きを感じない。情緒不安定というよりは、単純に落ち着きが見られない。


 もちろん、初見の時に感じた不穏な気配はそのままだ。間違っても、信用して良い相手ではないと今でも断言出来る。


 しかし、ぞわぞわとしたソレはそのままなのに、明確な敵意は感じ取れない。むしろ、こうして改めて自らの目で見やった白坊は。



(……子供、か?)



 ふと、そんな言葉が脳裏を過った。


 これまた当然ながら、傷痕男は大人である。それも、厳つい顔で屈強な身体つきの、立派な男で……と。


 不意に、傷痕男の視線が白坊へと向けられた。


 ハッと身構える白坊を尻目に、傷痕男はポカンと目を瞬かせた後……静かに、顔をしかめた。



 ……。


 ……。


 …………そのまま、時間にして7秒程。



 いっこうに動きを見せない傷痕男に対し、黙ったままでは埒が明かないと判断した白坊は……ジロリと、前方のそいつを睨みつけた。



「待っていても、あの子は来ないぞ」

「……お前、誰だ?」

「あの子の保護者だ」

「……ほごしゃ?」



 首を傾げる傷痕男を他所に、白坊はそのまま話を続けた。



「何の目的で連れ去ろうと思った? 佐野助様より聞いているはずだろう……何かあれば、切っても許されると」

「…………」

「その気になれば、返り討ちに出来ると思っているわけか? それとも、始めから何時でもどうにでも出来ると思っての仕業か?」

「…………」

「ふん、黙るなら何時までも黙っていればいい。だが、俺はもう覚悟を固めているぞ……先に手を出したのがお前である以上は、俺は欠片も引くつもりはない……!」



 その言葉と共に、スラリ……と。鞘より刀を抜いた白坊は……ギリギリと、持ち手を握り締めた。




 ――これから、殺し合いが始まる。




 その、限りなく起こり得る可能性の高い未来を前に……不思議と、白坊は己の心が緩やかに凪ぎ始めているのを感じ取っていた。



 ……当たり前だが、現代社会の日本で生まれ育った白坊にとって、本当の殺し合いの経験など無い。



 せいぜいが、学生時代の喧嘩であるし、命の奪い合いにまで発展しそうなモノではない。本当に、子供同士のいざこざみたいな事ぐらいしか経験していない。


 そして、この世界に来ても、経験したのは狩猟……すなわち、生きる為の狩りであり、相手は動物である。


 それなのに、いったいどうして……それはおそらく、この世界の価値基準に少なからず白坊が順応したからだろう。



 そう、自覚は薄かったが、白坊は理解していた。


 この世界は、本当に死が近しいのだと。


 そして、暴力を振るう時に躊躇してはならぬのだということを。



 ここは、現代ではない。そうだ、ここは己が暮らしていた豊かな時代ではないのだ。


 それ故に、現代では当たり前のように受けられる医療は無いし、現代であれば対して気に留めない怪我ですら、ここでは致命傷に成りかねない。


 加えて、この時代には現代では当たり前な防犯グッズもないし、監視カメラなどの犯罪を防ぐ小道具もない。そして、人を殺すや、それを生業にしている者がそれなりに居る。


 いざとなれば、己の身は己で守る。そして、大切な者はそれこそ相手を殺してでも守り通さねばならない。


 非暴力などという考え方で生きられる時代ではないし、そんな世界ではない。



 分かってはいたが……やはり、そういう世界なのだ。



 そして、今だからこそ分かる。要は、侮られていたのだ。手を出しても、怖いのは佐野助たちだけだ……と。


 仮に、白坊が恐ろしい存在として彼らの目に映っていたなら、こうはならなかった。


 悲しい話だが、白坊はそれを『サナエの誘拐未遂』という形で、改めて理解させられた気がした。



「なんだあ、てめえ……抜いたのか?」

「……………」

「抜いた以上は……分かってんだろうなあ?」

「……はは、ここでそれを言うのか」



 それまで言われるままだった傷痕男。けれども、白坊が刀を抜いた瞬間、ギロリと目つきを鋭くさせ……見下すように睨みつけてきた。




 ――ほら、思った通りだ。




 内心にて、白坊は己に対して溜息を零す。



 侮られているから、こんなセリフを吐かれるのだ。


 手を出したのは向こうからだというのに、まるで『冗談の通じないやつだな』と小馬鹿にしたような言い回しをする。


 手を出すのがマズイ相手に、こんな分かり易い挑発などしない。それを行うやつは、もはや狂人の域である。


 挑発しても良い相手だと、何時でも返り討ちに出来る相手だと思われているから、ここまで相手を馬鹿にした物言いが出来るのだ。



(……佐野助さんの言う通りだな)



 ならば、やるしかない。


 何せ、相手はコイツだけではない。


 ここで怖気づいて引けば、格下と定めた彼らは次から次に狙いに来るだろう。


 そうなれば、最悪は連れて来られた20人全員を相手にする危険性がある。


 可能性としてはかなり低いが、少なくとも、気配が異なる者たちは……来るだろうと白坊は思った。



「すーっ、ふーっ……」



 大きく息を吸って、吐く。


 たったそれだけの事だが、たったそれだけの事で……カチリと、頭の中のスイッチが切り替わる音を白坊は聞いた。


 山中で、獲物を狩る時の感覚と同じだ。



 生きる為に力を振るう。


 生きる為に刀を振るう。



 生きる為には糧を得る必要があり、糧を奪われない為には力が居る。後悔なんていうのは、生きてこそ出来る特権なのだ。


 それが、短い間とはいえ、自然の中で生きた彼が学んだ不変の掟である。


 その相手が、人間に切り替わっただけだ。


 やられた以上は、やりかえさなければならない……出来なければ、食われるだけの事だ。



「――ふう」



 軽く息を吐いて、止めた。


 そうして、一拍、二拍……瞬間、白坊は駆け出していた。



 ――切る。



 心の中にあるのは、それだけ。それ以外は全て、頭と心の外に追いやって……後は、切るだけだ。


 白坊の身体が、加速する。一歩踏み込むごとに、目に見えて速度を増してゆく。



 ――山中の狩りに置いて重要なのは、一撃で仕留める事。それが出来ない場合は、二撃目へで確実に仕留められるようにする事。



 分厚い皮膚と毛皮に覆われた獣の身体は、人の身体よりもよほど堅い。サイズこそ人間よりも小型な生き物が多いので誤解されがちだが、その強靭さは人間の比ではない。


 それに比べて、包丁一本さえあれば子供でも人は殺せる。相手が大人で犯人が子供であろうと、角度と力の方向によって殺す事は可能である。


 そして、此度の相手は人間だ。体格は相手の方が上だが、熊よりもはるかに脆く、それでいて反応速度も獣より遅い。



 ――傷痕男が、身構える。振り上げた拳が、タイミングを合わせて振り下ろされようとしている。



 だが、遅い、遅すぎる。


 集中し、研ぎ澄ませた白坊の目には……まるで、止まって見えた。そのまま、すれ違い様にして脇腹に深手の傷を負わせようと――したのだが。



「――っ!?」



 研ぎ澄ませた感覚が、迫りくるナニカを捕らえた。それは、ある種の超感覚、第六感と言うやつなのかもしれない。



「がっ!!」



 考えるよりも前に、身体が動いた。


 撫でるようにして食い込ませようとしていた刀を持ち変え、身体をぐるりと捻り、下から掬い上げるように切り払った。



(――石っ!? 何処から!?)



 かちん、と。


 固いナニカを切る感触と共に、視界の端で二つに分かれた石が飛んでゆく。直後、振り上げた腕に――傷痕男の拳が直撃した。



 ――びきり、と。



 白坊は、腕の骨が折れた音を知覚した。と、同時に、強烈な痺れと激痛が走る――が、けして刀は手放さない。


 手放さないまま、勢いのままに地面を転がり――そのまま、立ち上がる。涙が滲むほどに痛むが、頭の奥より響く脈動と共に……痛みが軽くなった。


 アドレナリンか何かが強烈に出ているのだろうが……気にする暇はない。プッ、と吐き出した砂粒には血が混じっていて……じゃりっと砂粒を噛み砕き、再び構えた。



「お~、お前、頑丈だなあ。俺に殴られて平気なやつは初めて見たぞお」



 ニヤリと、笑みを浮かべた傷痕男も、再び構える。それを見て、白坊は……おそらく意図的に狙ったわけではないと推測した。


 ただただ、思いっきり振り被った拳を放った先に、的のように白坊が腕を掲げていただけだ。言うなれば、わざわざカウンターを撃ち込まれに向かったようなものだろう。


 加えて、単純に力が強い。体格に見合う、優れた腕力を有しているのが今ので分かった。


 力いっぱいぶん殴る事だけを考えて放った拳だからこそ、技術としてのソレではない素人パンチでも……白坊の腕を折るには十分だったのだろう。



 ……だが、もう通じない。



 少なくとも、同じ手は――そう思うと同時に、白坊は駆け出した。向かう先は、傷痕男――ではない。



 己の斜め後ろより様子を伺っていた、別の男。



 おそらく、先ほど己に向かって石つぶてを放った男だと、白坊は認識している。


 根拠はある。それは、その男の気配が……例の、他のモノとは異なる気配のソレだったから。


 そして、何よりも――白坊と目が合った瞬間、逃げるわけでも硬直するわけでもなく……スラリと、手慣れた様子で刃を取り出したからだ。



 ――明らかに、堅気ではない。顔つきこそ特徴が見られないが……この傷痕男の仲間だ。



 関係が無いにしては、あまりにタイミングが良過ぎる。


 身体検査をすり抜けて刃物を所持している時点で、ただのゴロツキでない事を察した白坊は――迷いを捨てる。



「――シッ!」



 互いの刃が届く距離にまで接近した、瞬間。


 先手を取ったのは、相手の男だ。


 その身のこなしに無駄は無く、対人技術を修めた者特有の速さ。攻撃の軌道を限定させる、実にいやらしい動き。


 後の先、つまりは、カウンターだ。


 武器の長さが異なる以上は、接近させなければならない。故に、先にやらせて無防備になったところを……なのだろう。


 だが……男は、白坊の事を見誤っていた。


 白坊は、確かに素人だ。剣術を修めている佐野助からも、身のこなしも足運びも重心の配分も滅茶苦茶で、我流過ぎる、と評価された。


 しかし、白坊には本人すらはっきりとは自覚出来ていない武器が二つある。



 一つは、今の白坊に影響を与えていると思われる……SP(スペシャル・ポイント)だ。


 これは、キャラメイクの際に使用するポイントであり、割り振った数値こそ低いが、それでもなお白坊のフィジカルを底上げしてくれている。



 そして、二つ目は『レベル』と呼ばれる概念だ。


 そう、実は予感していたコレ、大正解である。実は、『じたく』と同じく、ひっそりと『レベル』という概念があって……この二つ目が肝心であった。



 『剣王立志伝』というゲームは、レベル制が採用されている。特殊なアイテムを使用しない限りは、経験値を必要量入手してレベルを上げない限り、ステータス(一部を除いて)は変動しないようになっている。


 そして、ゲーム中においてレベルが上がるのは、一部のキャラを除いて、主人公が操作するプレイヤーキャラのみとなっている。



 つまり……主人公は成長するのだ。



 それも、『レベル』という概念をその身に宿しているという……故に、白坊の見た目はある種の詐欺である。


 例えるなら、見た目は紅顔の美少年といった感じなのに、中身はビルダーなみに分厚く、アスリートのように俊敏な筋肉が搭載されているようなものなのだ。



 細い腕と、侮るなかれ。


 見た目とは裏腹に、その中身は怪物である。



 普段は無意識にリミッターを掛けているので万に一つ、億が一つ、兆が一つも誰かを傷付ける事はないが……だが、今は違った。



 体勢的に、力が入り難く角度も悪い。


 重心の関係から、踏み込みきれない。



 そんなものは、リミッターが外れた時点で何の意味もない。


 それは、無理やり身体を捻って放たれた一閃。


 普通に考えれば、そんな刃先を向けただけの一閃なんぞ、弾かれてそのまま切り返される……はずだった。



「あえ?」



 しかし、互いのパワーに差が有り過ぎた。


 言うなれば、弾丸をティッシュで止めるようなもので……そして、そのパワーによって生み出されたスピードを乗せられた刃は……男の反応速度をはるかに上回った。


 抵抗する間もなければ、驚く間も無く、出たのはため息のような断末魔だけ。


 一瞬、正しく一瞬。瞬きのような僅かな時間で、決着は付いていた。


 ヒュン、と空気を切り裂いた時にはもう、刃は男の身体を通り抜けていて……じわっとその顔よりひとすじの血が滲んだ直後、ぽろりと顔が斜めに滑り落ちた。



「――っ!」



 視界の端で、ばたんと仰向けに倒れた男を尻目に……白坊はたたらを踏んで立て直し、改めて、傷痕男へと向かおうとした。




「――双方、それまで!」




 だが、それよりも前に――待ったが掛けられた。


 声の主は、いつの間にか駆けつけてきた佐野助であった。







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