第12話: 分からなくとも、動かなければならないのだ

 


 ――とりあえず、話を戻して……ミエより許可を得た白坊は、せっかくなので武士である佐野助に相談する事にした。


 その際、さすがに外で立たせっぱなしも何なので出ようとしたが、「野暮な事をさせるな」と苦笑交じりに言われてしまった……で、だ。



「……二兎追う者、一兎をも得ず……だな」



 そうして、しばしの熟考の末に返された言葉が、そんな感じであった。


 言葉の意味は分かるが、そこに込められた意味が分からない。なので、素直にどういう意味かと尋ねてみれば、佐野助は武士の……というより、大名側の視点での推測を語ってくれた。


 まず、大前提として、側室の件は既に、相手側の中では縁が無かった事として処理されている可能性が、非常に高い。


 何故そうなったか――理由はやはり、ミエのお見合いの件である。


 武士ですら面子を重んじるというのに、大名ともなれば、それは比ではない。たとえ女遊びを控える為の側室だとしても、最低限の調査は既に成されているだろう。


 と、なれば、ミエが姉の為に身を売った(表向きは、お見合いだが)という話はほぼ掴まれていると思って過言ではない。つまり、妹を犠牲にしてでも姉を嫁入りさせるわけだ。


 それを健気に支える家族の美談と捉えるか、妹を犠牲にしてでも側室の座を掴もうとする醜聞と捉えるかは分かれるが……話を聞く限り、後者の可能性が高い。


 おそらく、今の時点で、向こうはどのような形で穏便に話を流すかを考えている段階。仮にこのまま側室入り出来たとしても、相当に辛い思いをするのは目に見えている……そう、佐野助は語った。



「一つ聞くが、娘……ミエと言ったな。その大名の次男とは、もしや古川こがわ家の次男坊か?」

「え、あ、はい。詳しくは教えられていませんが、両親は古川家の次男がどうとか話しておりました」

「やはり、あそこか……悪い御人ではないが、あそこの次男坊は相当な遊び人と聞く。仮に、お前の姉……サナエが側室に入ったとして、それを抑える器量は有ると思うか?」

「……妹の贔屓目を抜きにしても、姉にはそんな器量はありません。その、見て呉れは良いのですが……」



 そこまで言葉に出した辺りで、チラリ、と。白坊の方を見やった。



(…………?)



 見られた白坊の方は、首を傾げるだけである。何か意味があるのだろうが、さっぱり分からない。



「……ああ、なるほど。あの噂は真であったか?」

「……はい」



 けれども、佐野助には通じたようだ。沈痛な面持ちで頷くミエの姿に、白坊はますます首を傾げた。



「あの、噂って何ですかね?」



 すると、佐野助から視線が向けられる。


 当然、意味が分からず首を傾げれば、何やらミエと視線を交わした後で……ふん、と一つ息を吐いてから、教えてくれた。



「お前は、姉のサナエを見た事はあるか?」

「あ、はい。凄く綺麗な方だなあと思いました」

「あの娘は、白痴はくちなのだ」

「……はい?」



 白痴って……知能が低いとかそういう意味の、あの白痴?


 思わず視線を向ければ、ミエは変わらず沈痛な面持ちで視線をさ迷わせた後……佐野助の言葉を肯定するかのように、一つだけ頷いた。



 ……ミエ曰く、姉のサナエは、とにかく頭を使うのが苦手らしく、いくら言い聞かせても治らないのだという。



 と、いうのも……まず、1人では満足に家事が出来ない。


 火を焚くのは出来るが、火の加減が出来ない。つまり、薪を片っ端から入れて調理に入るか、火が完全に消えてから再び火を焚くかの二つに一つ。


 料理一つだって、並行して処理が出来ない。米を炊くなら、米が炊き上がるまでずっと見ていて、声を掛けないと他の作業に移れない。


 そして、移ったらもう米の事が頭から離れている。そのまま焦げ臭さが放たれるまで意識の外にある。そしてそれは、他の料理でも同じである。


 味噌汁を作るなら、火に掛けて沸騰するまで黙って見ているし、沸騰したのを確認してから具材を切り分けるし、とにかく一つが終わるまで動けない。


 洗濯をやらせようにも、キッチリ綺麗になるまで何十分、何時間、とにかく時間を掛ける。そして、どれを最初にやるかが分からず、時間の配分が上手く出来ない。


 買い物に行かせたら、馴染みの店以外では商品が理解出来なくて買えない。簡単なお釣りの計算が出来ないし、枚数を数えるのだって指折りで一つずつ数える必要がある。


 ……そのうえ、文字だって上手く書けない。文字自体は非常に達筆なのだが、とにかく時間が掛かる。


 反面、身体を使った遊び……『駆けっこ』や『ちゃんばら』は男顔負けに巧みらしいのだが、そこに少しでも先を呼んで考える要素が入ると駄目なのだと、ミエは言葉を続けた。



「姉が……うん、姉様が優しい人だってのは分かっているのです。頭は弱くても、何時も何時も私を守ろうとしてくれましたから」



 でも……向き不向きがある。小声で、ミエはそう付け足した。



「とてもではありませんけれども、側室なんて……」

「……ふむ、稽古などはやらせているのか?」

「やってはおりますけれども、上達は……指南役からも、遠まわしに『あの子には無理だからやめておいた方が良い』と言われました」

「まあ、そうだろうな……しかし、よく隠し通せているな。側室の話が出るということは、一度ぐらい顔合わせはしたのだろう?」

「初心で殿方と手を繋いだ事もないという言い訳で、何とか取り繕いました」

「それは……下手すれば、かなりの不評を買う事になるぞ。お前の両親はその事を理解出来ているのか?」



 静かに……けれども確かに、ミエは首を横に振った。



 ……欲に目が眩んで自分たちが何をしようとしているのかすら、分からなくなっている……ということなのだろう。



 むむむ……腕を組んで唸る佐野助……そうなるのも、致し方ない。


 史実の江戸時代においても、武士と町民との間では絶対的な階級の差がある。文字通り、暮らす世界が変わるのだから、目が眩むのも無理はない。


 実際、大名の側室入りを目指して、一世一代の大博打に出る家は少なくない。その時に出来ていた恋人との別れが縺れて死傷沙汰になるなんて話も、毎年の風物詩に近い。


 しかし、ここまで盲目的に目が眩んでいるのは珍しい。たいていは、その途中で我に返って止めてしまうからだ。



 ……まあ、ミエの口ぶりからして、両親は相当な苦労をしてきたのだろう。 



 言うなればこのまま何者にも成れずに終わるはずだった自分たちの前に現れた、出世の道。娘たちの幸せを願っているのは確かだが、当人たちの邪な願いが無いとは……言えないのだろう。


 ――しかし、万事が上手く動くのであれば、誰も苦労などしないのだ。



「……大名にも色々居る。真に民を想う名君もいれば、時勢が読めぬ暗君も居る。今代の古川家当主は確かな名君ではあるが……だからといって、底抜けに優しい御方ではない」

「はい……」

「親への情に従う他なかった姉妹として、手酷い罰を受ける事はないだろうが……事が露見すれば最後、間違いなく、お前たちは冷遇される事になるぞ」

「それとなく、両親には言い聞かせているのですが……言葉が届きません」

「まあ、そうだろうな。娘の言葉で止まるのであれば、とおの昔に我に返っているだろう」



 さもありなん……そう言わんばかりに溜息を零す佐野助に、ミエも同調するかのように溜息を零し……いや、それってさあ。



(それって、いわゆる発達障害ってやつじゃないか?)



 二人の会話を聞いていた白坊は、ふと、そんな事を思った。


 まあ、本当に障害を持っているのかは不明だが、日常生活が非常に不便なのは……想像するまでもないだろう。


 それを気付かせない当人の努力に感心するべきか、欲に目が眩み過ぎているミエの両親に苦言を零せばいいのか、あるいは社会構造そのものに……いや、違うな。


 ……。


 ……。


 …………うん、まあ、そうだな。



「佐野助様、一つ気になったのですが、見合いに出た大店の主ですが……もしかして、他にもやらかしたりしていませんかね?」



 現時点で出来る事はないが、とりあえずは……ミエが受けた仕打ちの仕返しぐらいは、手を貸そうと思った。



「やらかす、とはどういう意味だ?」



 白坊の言い回しに、佐野助は首を傾げた。けれども、その目は些か鋭く……発言の内容を注視しているのが見て取れた。



「いえ、ね……考えてみたら、40後半にもなって孫のような娘を娶ろうとするばかりか、結納も済ませていないのに胸倉に手を突っ込むような御人でしょう?」

「ふむ、そうだな」

「それだけ性欲旺盛なら、生前の奥さんも相当に付き合わされていたと思います。何時に亡くなったのかは存じませんが、その後、ずっと独りで……そんな性欲を抱えたまま、平気でいられたでしょうか?」

「……何が言いたい?」



 簡潔に申せ――その言葉に対し、白坊は、はっきりと答えた。



「おそらく、その大店の主は初めから娶るつもりなどなかったのかもしれません」

「なに? どういう事だ?」



 ピクリ、と目じりを吊り上げる佐野助。息を呑んで目を見開くミエ……そんな2人の視線を前に、白坊は「少しね、不思議に思うんですよ」そう言葉を続けた。



「単純に出すモノ出したいなら、それこそ幾らでもやりようがあるじゃないですか。それこそ吉原でも、それ以外でも……46歳ならば、子供も居るはずでしょう?」

「むむっ……!」

「些か幼い娘を、わざわざ後妻に入れようとするのか……不思議ではありませんか? 下手に子供が出来たら、それこそ家が二つに割れますよ」



 白坊の問い掛けに、言われてみれば……そう、2人は首を傾げた。


 たしかに、後妻を入れること事態は不思議ではない。


 手が足りない場合や、前述した裏の顔を務める者を得るため……そんな場合もあるだろう。


 しかし、それはあくまでも旦那が独りで年若い場合だ。


 つまり、前妻との間に子供を作れなかったとか、寂しさのあまり女遊びにハマるよりは……という側面が大きい。


 けれども、今回の場合は46歳にもなる老人だ。


 息子や娘はおろか、孫だって居てもおかしくない。前妻との間に子が出来なかったとしても、それならそれで、とっくの昔に養子を貰っているはずだ。


 あるいは、前妻が亡くなった事がキッカケで実子が欲しくなった……いや、いやいや、それこそ店が二つに割れる。最悪、騒動が悪化して店が潰れかねない。


 というか、その場合、ミエは若すぎる。姉のサナエぐらい、あるいはもう少し上ぐらいの妙齢の女でないと、本末転倒というものだろう。


 ならば、いったいどうして……考えられる理由は一つ。初めから、身体目当てで娶る気などない……である。



「……それで、白坊……お前は私に何をしてほしいのだ?」


 ――まさか、それで大店を捕まえろとは言うまいな?



 そう、佐野助の目は物語っていた。


 もちろん、そんな事を白坊は言わない。


 短い付き合いとはいえ、佐野助が真面目な性格であるのは分かっている。話を聞いても動こうとしない時点で、これだけではソイツを捕まえられないのは分かっていた。



「いえいえ、別にしてほしいってわけじゃないんですよ。ただ、一つだけ気になったんですけど……『持参金』って、この世界にも有ったりするんですかね?」

「……なに?」

「いや、もしも持参金って物があるなら、どっちが出したのかなあ……って」


「……あ、それはこちらが」


「――っ!? なるほど、そうか……」



(――おお、手応え有り、かな)



 ザワッ、と。


 ポツリと零したミエの呟きが聞こえたのか、佐野助が纏っている雰囲気が変わったのを、白坊は感じ取った。


 けれども、それに気付いた様子を微塵も見せることなく、「俺の世界にも有るんですけど……」あえて白坊は、己の世界の話では……と前置きした


 そうして話すのは……史実の江戸(向かいの日本でも)においても度々起こったらしい、『持参金詐欺』である。


 中身は、そう複雑ではない。基本的には対等の家柄で行われる婚約だが、様々な理由から『持参金』を渡す場合がある。


 その目的は、だいたいが結婚や結納の際に行う挙式の手配や挨拶回りをやってもらう代わりだ。当然、何らかの理由で間もなく離婚した場合は、それを返す必要がある。


 しかし、これまた当然ながら例外が存在する。それは、持参金を持って来た側の有責による離婚だ。


 たとえば、他に男が居るのに婚姻を行った。


 たとえば、重大な病を抱えているのを黙っていた。


 たとえば、家柄そのものに嘘があった……等々。


 そこらへんは現代と同じように、相手が原因で別れるなら持参金を返す必要はないのだが……白坊が暗に促したのは、わざと離婚に持ち込ませようとしたのではないか……という点だ。


 なので、今回の場合……おそらくだが、表向きは『金銭を工面するとはいえ、そちらのお願いで婚姻するのに一方的に逃げるとは何事か、私を馬鹿にしているのか!?』という形にしてあるはずだ。



 つまりは、有責をミエの方……女の方に有るように見せかけているのだ。



 そうなれば、持参金を返す必要はない。丸々全部、大店の懐に入ってしまうわけだ。


 金額もそこまで高くしなければ、わざわざ役所が動いて捜査を始める可能性は低い。何より、訴える事すら知らない田舎者が相手なら、いくらでもやりようがあるというものだ。



「俺は詳しくは知りませんが、もしかすると大店の……」

「――壱ノ始屋いちのはやです」

「そう、その壱ノ始屋というの、経営はどうなっているのかなあと思いまして」

「……そうか、壱ノ始屋か。あくまでも私事ではあるが、あまり儲かっているようには某には見えなかったな」

「なら、常習犯じゃないですかね。既に何度も似たような事をして、田舎の方では話が広まって獲物が掛からなくなったから、あえて町中に住んでいる娘に目を付けた……それで、持参金を懐に入れたりしているんじゃあ……と、思ったわけです」



 視線で促せば、間髪入れずにミエが教えてくれた。


 理由は何であれ気を使っていたのか、今まで名前を出さなかったのだが、騙そうとしていたという疑念が出れば、隠す必要は無いと思ったのだろう。


 ちらり……と。


 佐野助を見やれば、目が合った佐野助は頷いた。「だが、大した罪ではないぞ」しかし、それだけではと言葉を濁した……ので。



「なら、何処かにあるんじゃないですかね。経営が苦しいというていで、御役所に支払うはずの金を誤魔化して、こっそり隠して……とか、やってるんじゃないですかね」

「……何処にあると、お前は思うのだ?」

「可能性として高いのは、神棚の奥とかでしょうか。他には、内庭に小さな社を立てて、その下に埋めておくとか、仏像の中をくり抜いて小判を入れておくとか」

「ほう、なるほど」

「後はまあ、俺が居た世界での話ですけど、壁の中に埋めておくとか、畳のイ草に巻き込んで分からなくしたり、変わり種ってやつですけど、瓦の下に挟みこむように紛れ込ませたり」

「ほうほう、なるほどなるほど」

「凄いのになると、便所の傍に埋め込むってのもありますよ。臭いが酷くて調べるのが嫌になる場所とか、あえて不浄の場所に入れるとか、坊主と結託して墓の下に隠しておくってのもあったらしいですね」

「ほうほうほう、なるほどなるほどなるほど……そうか、それは正しく『稀人』ならではの盲点だな……!」

「……そう思います?」

「神棚の奥や社の下、御仏に扮して隠すなんぞ、普通は罰当たりで思いつかぬ。少なくとも、俺は思いつかなかった」



 とりあえず、思いつく限りの事を言えば……瞬く間に佐野助の怒りのボルテージが上昇してゆくのが感じ取れた。



 ……白坊としては、無理も無い話だなあ、である。



 壱ノ始屋の店主からすれば、数ある狼藉の一つに過ぎないのだろう。だが、役人である武士からすれば、脱税なんぞ真正面から喧嘩を売っているに等しい行為だ。


 何せ、幕府(この場合、織田幕府か)に金を払わないということは、幕府の言う事なんぞ聞く気はないと明言しているも同じである。


 下手したら、人殺しをするよりもよほど役所を怒らせてしまうのだろう……まあ、脱税されるとそのまま給料に直結する役人からすれば、そりゃあブチ切れるよね。


 しかし、その迫力ときたら……さすがは武士というわけだ。


 普段は『稀人』にも理解を示してくれる御人だが、〆る所はちゃんと〆るのだろう。あまりの迫力に、ミエが無言のままに己の背後へ隠れるので、そのまま庇ってやる。



「――所用が出来た。某はこれで失礼する」



 そんな白坊たちを他所に、佐野助は誤魔化しきれない感情をそのままに、ふんと鼻息荒く肩を怒らせると、小走りに『実らず三町』を出て行った。


 ……。


 ……。


 …………後に残されたのは、白坊とミエだけだ。他には、空っぽになったおひつと茶碗と、飲み掛けの白湯ぐらいだろうか。



「……行っちゃいましたね」

「ああ、そうだな」



 事態の変化に呆気に取られているミエに、白坊は気の無い返事をした……直後、ふと、ミエを見つめた。



「姉ちゃんの事、どうしたい?」

「……正直に話して、いいですか?」

「遠慮するなよ」

「……側室の話なんて止めてほしいです。姉様には、無理です」

「だろうね、話を聞いた限り、俺も嫁入りは無理かなあって気がする」



 ――それじゃあ、どうすれば?



 その言葉を、ミエは口にはしなかった。一瞬ばかり、視線で訴えはしたが、それだけで……すぐに、曖昧に微笑むだけであった。


 それを見て……白坊は、思った。


 はたして、己に何が出来るだろうか、と。


 はっきり言おう、出来る事なんて何も無い。結局のところ、白坊は部外者だ。あの両親に至っては、2時間も対面していないのだ。


 仮に今ここで強引にミエを娶ったとしても、サナエの問題に白坊は口出し出来ない。やはり、あの両親の気持ちを変えなくてはどうにもならない。



(……でもなあ、放ってはおけないんだよなあ。ここで見捨てたら、絶対に後悔するって分かるんだよなあ……)



 ちらり、と。名残惜しむかのように己の背中から離れないミエの温もりを感じながら、思う。


 たぶん……ミエだって、分かっている。白坊に頼るという行為そのものが、白坊に重く圧し掛かる行為だという事に。


 おそらく、これ以上、白坊を巻き込むわけにはいかない……そう、思っているのだろう。


 何せ、どうなるかは現時点では不明だが、役人の佐野助が動こうとしているのだ。下手すれば、連座する形でミエたちまでもが、とばっちりを受ける可能性もある。


 実際に繋がりがなくとも、だ。


 そのスケベ爺がデタラメを述べて罪を擦り付けようとする可能性は十分にある。というか、間違いなくそうするだろう。


 それに、サナエの嫁入りの為に相当なお金を使っている……もしかしたら、脱税した一部を回している可能性もある。


 そうなれば、厳罰は免れない。いくら知らなかったとしても、金額次第では……といった事を、考えているのかもしれない。



(……そうだよな、放っては、おけないよな)



 そんな事を、つらつらと思いながら……ふと、白坊は思い返していた。



 ……この身体になる前の己は、生きる目的を失っていた。



 伴侶はおらず、友人たちとも疎遠になり、両親は亡くなり、死にたくないから生きているだけの、もうすぐ還暦に差し掛かっていた中年男性であった。


 それが、何の因果か、かつての己とは全く別の姿となって、ゲームの世界に酷似した世界にて目が覚め、生活するのを余儀なくされた。


 はたして、それを幸運と呼ぶべきか、あるいは不幸と呼ぶべきか……現時点では、まだ白坊自身が答えを出せていない。


 でも、ただ一つだけ……これだけは、言える。


 この世界に来て……白坊は、久しぶりに『生きている』という事を実感していた。


 生死がどうとか、目的がどうとかの話ではなく、只々純粋に、生きる為に己は動いているのだという事を、強く感じていた。


 だからこそ……生きていると実感しているからこそ、白坊は……出会ってまだ三ヶ月と経っていない小娘の為に、動こうと思った。


 心から、悲しんでほしくないと思った。


 出来るのであれば、幸せになってほしいと思った。



 ……ああ、そうだ。



 むくり、と。立ち上がって振り返れば、突然の事に面食らったミエと目が合った……瞬間、白坊は思わず笑みを零していた。


 せっかく生きているのだ――せめて、誇らしい己のままに、かつての己では成れなかった己に……なってみようか。


 そう、決めた白坊は……そっと、ミエの手を取ると。



「ミエの両親に、話を付けに行くぞ」



 簡潔に、告げた。



「……はい!」



 ほんのりと不安が入り混じりながらも、嬉しそうに微笑むミエを見下ろしながら……握り締めてくる、己よりも小さな手を、優しく……けれども確かに、握り返したのであった。



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