少年vs決戦(1)

 三月下旬、東京、日本武道館。

 全国高等学校柔道選手権大会、男子81kg級決勝戦。


『赤、神住かすみ市立神住工業高校、木村 無限むげん

「うしっ!」


 木村の名前が呼ばれた。続けて対戦相手の紹介。


『白、千葉県立雄常宿おとこじゅく工業、超越寺ちょうえつじ 真人まさと

「くくく……」


 顔が怖い。相変わらず、うちの父さんに匹敵する迫力。あれで同い年とは……。

 木村と超越寺選手。二人が顔を合わせるのは一年ぶり。あいつ去年の準決勝であの人に負けて三位だったんだ。そしてその後の大会ではぶつかることが無かった。

「今度は勝てるかな……」

「さてな。お互いにこの一年で成長しておるだろうし、勝負には時の運も絡む」

 ママを挟んで一つ向こうの席に座る父さんは、そう言ってふんと鼻息を吹く。言葉とは裏腹に木村の勝利を願ってくれてはいるようで、一瞬たりとも目を離そうとしない。

 私も見なくちゃ。あいつ、この一戦のためにめちゃめちゃ頑張ってたんだし。

「勝ってくれるといいわね」

「うん」

 ママの言葉に頷く。

「今日ばっかしはあたしも応援してやるんだから、勝ちなさいよ木村!」

 さおちゃんも前のめりだ。私達は全員で木村を応援するための横断幕を掴んでいる。


“今年は優勝 頑張れ無限”


「勝て……勝って……」

 私も祈る。今度こそ勝って。日本一になってこい。

 頑張れ木村! みんなで見てるからな!




「がんばれ木村君!」

「木村おにーちゃーん!」

「無限、ここまで来たら優勝だ!」


 おいおい……何人で来たんだよ。歩美ん家だけじゃなくて、沙織ん家に友美ちゃん達に小梅先輩と通さんまで。他にも見覚えのある顔がたくさんだ。うちの学校の生徒より多いんじゃないか?

「くくく……相変わらず人気者のようだな」

「アンタこそ相変わらず舎弟がいっぱいだな」

 向かい合ったオレ達。一年ぶりに再会した宿敵・超越寺 真人の後ろにもかなりの人数が応援に駆け付けている。すげえ顔の濃い連中が。


「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「やっちまえ超越寺さん!」

「今年も優勝じゃあ! 我が校の名を天下に轟かせてくれえ!」


 ……一人も高校生に見えねえ。引率だろうか? 気の弱そうな女の先生が興奮する生徒達を宥めている。


「みんな、お願いだから、もう少し声を抑えて……!」

「先生ぇ! そんな声じゃ超越寺さんに届かん! もっと腹の底から声を出せい!」

「ひいっ!? が、がんばれー! がんばれまーちゃーん!」


 ニヤリ。超越寺のやつ、ご満悦の表情。


「くくっ、奴らは舎弟ではなく学友だ。我が校はもはやヤンキー校ではない。新米教師のおかげで生まれ変わった」

「教師? もしかして、今アンタを“まーちゃん”って呼んだ女の先生?」

「然り。大七だいなお姉……もとい、愛米ちかごめ先生の愛情あふるる指導のおかげで我等はすっかり更生した。よって、我はその恩に報いねばならない。連覇を果たすことによってな」

「へっ、なるほど……アンタにも負けられない理由があるか」

「くくくくく、良い闘気だ……貴様とここで相見える日も待ち望んでいたぞ」

「オレもだ!」


 火花を散らすオレ達に審判が礼を促す。


「両者、礼」

「おねがいします!」

「おねがいします」

 同時に頭を下げ、そしてすぐに構える。ここから先は一瞬たりとも油断できない。このオッサン──もとい、とても同い年に見えない男はとんでもなく強いのだから。

「始め!」

「っしゃオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「ぬっはアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 今年の81kg級王者を決める戦い。オレ達は真っ向からぶつかり合った。




「フンッ! フンッ!」

「くくく、くくくく!」

 くっそ、相変わらず畳に根を張ってるみたいに崩せねえ! 襟を掴んで右に左に激しく揺さぶりをかけてるのにビクともしやがらない。

 だがな!

「く、く、くうっ!?」

 相手にも去年ほどの余裕はねえ。一回戦ってるし、あれから徹底的に研究したからな!

(反撃なんかさせるか!)

 超越寺の十八番はカウンターからの鋭い投げ。自分はどっしり構えて相手にあえて先手を取らせ、パワーと優れた体幹を活かした防御で凌ぎ、焦った相手が隙を見せたところで崩しにかかって来る。

 だがオレはこの一年、コイツに勝つべく研究を重ねて来た。こちらが繰り出す技に対し、どう切り返してくるか、その切り返しをどう封じたらいいか考えに考え抜いた。

(読めてるぜ、アンタの動き!)

 手応えを感じる。封殺できている。今のところ超越寺が反撃に出る隙を与えず一方的にこっちが攻め手。さあどうする? 柔道は受けに回り続けてはいけない競技だ。そろそろ攻撃しないと“指導”がついちまうぜ?

 審判が時計を気にした。その瞬間、超越寺も動く。強引に力づくでオレの襟を引いて体を回転させた。


 背負い投げ? 雑なんだよ!


 素早く懐に飛び込み回転を止める。そこからすかさず反撃。超越寺の片足を取り体重をかけた朽木倒し! お前だって攻撃の瞬間には隙ができる。こっちの狙いもそこだったんだよ!

 見事、超越寺を床に押し倒した。どうだ!?


「技あり!」


 くそっ! 一本は取れなかったか……。

 立ち上がったオレ達は中央に戻りつつ乱れた道着を直す。呼吸が荒い。一分かそこらの攻防だったけど、かなりスタミナを削られた。でも──

「相当鍛えたようだな……」

 汗をぬぐいつつ超越寺。オレは笑いながら頷く。

「ああ」

 あっちの方が明らかに疲れている。手数で攻めると決めた時点でみっともなくバテないようスタミナ重視のトレーニングに切り替えたからな。今のオレならフルマラソンだって余裕だぜ。

 一本勝ちできなかったのは残念だがポイントはこっちが先取。もう一回技ありを取れば勝利だ。

 そんな風に考えた時、当間師匠が警告してくれた。

「いい調子だぞ、だが油断するな!」

「わかってます!」

 そうだ、気を引き締め直せオレ! 相手は去年の王者だぞ! 変わらず挑戦者の姿勢で立ち向かえ!

「よし……!」

「はじめ!」

 審判が再開の合図を出す。瞬間、不利なはずの超越寺がニヤリと笑った。その顔が下に沈んで──

(なっ!?)

 相手は予想外の攻撃を仕掛けて来た。




「抑え込み!」

「ああっ!?」

「なんだと……」

 驚く私達。今度は木村が床に押し倒された。

「超越寺さんが寝技!?」

 相手の応援団もざわついてる。つまり、それだけ珍しい光景。というより今までの試合で一度も見たことが無い。私も事前にある程度調べたからわかる。超越寺選手が自分から寝技を仕掛けるなんて前代未聞。


「対策してきたのが、貴様だけだと思ったか……!」

「ぐっ、うう……!」


 あれはたしか横四方固よこしほうがため

 上から抑え込まれた木村は、まず足を相手の首に絡めようとした。でも道着をしっかり掴まれていて片足しか動かせない。次に右腕を体の下に滑り込ませて持ち上げようとしたけど、超越寺選手は腰を木村の脇に密着させ、その動きも阻止してしまう。

「寝技からの脱出が得意な木村君を、あそこまで完璧に封じるか……!」

「ぐっ……そ……!」

 木村は背中をのけぞらせブリッジした。寝技は背中か肩が畳についてる状態で一定時間抑え込まれないとポイントにならない。あれで時間稼ぎをしてるんだ。

「あそこから、どうにかして体勢を入れ替えるのが常套手段だが──」

 父さんが解説を終えるより先に、超越寺選手が木村の下半身を持ち上げバランスを崩す。

再び畳についてしまう肩。もがいてももがいても抜けられず、ついに審判が宣告する。


「技あり!」


「まずい……あと十秒だ」

「え?」

「このままさらに十秒抑え込まれていれば一本になる」

 そんな!?

「木村、頑張れ!」

「脱出しろ!」

「がんばってええええええええええええ!」

 全力で応援する私達。

 もちろん相手の応援も声を張り上げる。

「がんばれまーくん!」

「超越寺さああああああああああああああああああああん!」

「連覇達成じゃあああああああああああああああああああああっ!!」


 そんな、今年も負けちゃうの?

 あんなに頑張ったのに?

 嫌だ、そんなの。

 お前が負けるのは嫌だ!


「が……がんばれ無限!」

「!」

 超越寺選手の一本勝ち直前、木村は息を吹き返した。驚異的な馬鹿力を発揮して爪先と首の力だけでブリッジすると、そこからさらに身体を回転させ体勢をひっくり返す。一転、今度は木村が超越寺選手を抑え込む形に。

「お、おお……おおおおおっ!」

 父さんも他の観客も大興奮。このまま奇跡の逆転勝ちかと誰もが思った。

 けど、審判が手の平を記録係に向ける。


「待て!」


「え……な、なんで?」

「場外だ」

 超越寺選手は抑え込まれながらも必死に這いずり、赤い畳の外へ逃れていた。

 二人は立ち上がり、乱れた道着を直しながらもう一度試合場の中央へ。

 私は両手を合わせ必死に祈る。目は閉じない。離さない。

「勝って……!」


 視線の先で二人は再び気勢を上げる。


「はじめ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「ぬうううううううううううううううううううううううううううっ!!」


 そこからの激闘は七分間続いた。

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