娘vsバレンタイン(1)

「いよいよね、いってらっしゃい」

「い、いってきます」

 二月十四日の朝、ママに見送られながら家を出た。

 あーもう、緊張する。それもこれもあいつが昨日いなかったせいだ。大事な練習試合があったらしいから仕方ないけどさ。来月全国大会だもんね。最後の大会だし今度こそ優勝するって息巻いてるもんね。

 でも、やっぱり思っちゃうよ。日曜に家にいてくれれば話は簡単だったんだって。そしたら誰にも知られずさっと渡せたのに。

「ううっ……おはよう」

「おはよう、あゆゆ。って、どうしたのよ?」

 今日はこっちが寝坊しちゃったんで駅前で合流。挨拶もそこそこに浮かない顔でお腹に手を当てた私を見て驚くさおちゃん。


 ま、まずい。バレちゃう。


「いや、あの……昨夜食べ過ぎて」

「大丈夫? どっかで胃薬とか買ってく?」

「へ、へーきへーき。すぐに治まると思うから。遅刻しちゃうよ、行こう」

「そう?」

 ……ああ、この目、絶対怪しまれてる。鋭いから怖いなあ。

 バレるのは気まずい。ほら、最近あれこれ自覚しちゃったでしょ。おかげでさおちゃんの意味深な言動の数々もやっと理解したって言うか……。

 というか、あんだけヒントを貰っててなんでわからなかったんだよ私。昔っから何度も何度も木村はやめとけって警告されてたんじゃん。

 でも、まだ一つわからない。なんでそんなに木村の評価が低いの? さおちゃんだってあいつと幼馴染なのに。あいつにも良いところがいっぱいあるって知ってるはず。

(やっぱあれかな? 小学校の高学年になったあたりからあいつ、私達に対してなにかと突っかかって来たからかな。今になって思えばあの年頃の男子なんて女子には素直になれないのが普通だってわかるんだけど)


 じーっ。


 うううっ、電車に乗ってもまだ凝視されてる。ここはやっぱりあれしかない。

 幸い、まだいつもの駅を出発したばかり。乗客の数は少ない。私はカバンから小さな箱を一つ取り出す。

「さおちゃん、はいこれ、今年のチョコ」

「おおっ、ありがとう。相変わらずあたしには電車でくれんのね」

「いや、なんかさおちゃんに渡すのって気恥ずかしいんだよね。だから学校だとなかなか難しくて」

 なので一年の時は帰りの車内で、去年は同じように通学時に渡したんだ。

「そっかあ、あたしは特別か」

 急に上機嫌になったさおちゃんはやはりラッピングされた箱を取り出す。今年も大きいなあ。サイズがつり合ってなくて申し訳ない。

「はい、あゆゆの分」

「ありがとう」

 よかった、これでとりあえず誤魔化せたかな。学校では他の皆もいるし、多分なんとかなるだろう。

 よし、あとは放課後を待つだけ。あいつには連絡済みだから今日の午後こそは家にいる。それまでどうにか隠し通すぞ!




 ──なんて思ってるんでしょ、あゆゆ?

(こんな雑なごまかしでバレないわけあるかっ! ほんと嘘をつくのだけは下手な子だよあんた)

 髪を珍しく編み込み、肩にも力が入っている。チョコの箱が小さいのはいつもの年より一個余計に持って来てるから。わかりやすすぎ。

 しっかし木村め……そう簡単にあたしが許すと思うなよ。そりゃたしかに過去の所業は反省したし、自分のポジションは“親友”に定めた。最終的に選ぶのはあゆゆ自身だってこともわかってる。


 けど、だからってすんなり事を運ばせてたまるか。


(覚悟しなよあゆゆ……今日は大変だよ?)

「さおちゃんのチョコ、楽しみだなあ。毎年凝ってて美味しいんだよねえ」

「気合入れて作ってますから」

 ふふふ。さーて、誰に声をかけようかな。




 ──放課後、私達は勇花ゆうかさんと一緒に三人で生徒会室へ。中へ入ると一年生二人が先に来ていた。

「やあ、こんにちは音海おとうみ君、日ノ打ひのうち君」

御剣みつるぎ会長! 大塚先輩とはしばみ先輩もおはようございます!」

「おはよう」

「相変わらず早いね」

 感心半分、呆れ半分の顔を向けるさおちゃん。音海君と鼓拍こはくちゃんは事情があって遅くなる場合以外、私達より先に来て掃除してくれていることが多い。退室時にも全員で軽く掃除してから出るんだけど、この二人の場合は「先輩達に気持ちよく仕事してもらいたいので」なんて言って自主的に。

 そういう子達だから中学時代から関わりのある私とさおちゃん以外からも可愛がられている。

 ところで今は午後三時過ぎ。この時間に“おはよう”って挨拶はおかしい気もするよね。でも、実はそうでもない。親しい相手に“こんにちは”だと畏まり過ぎな気がするし逆に目上の人が相手だとちょっと気安いでしょ? だから近頃は午後でも“おはよう”“おはようございます”を使う人が増えてるんだってさ。

 さて、そんな最近の若者の一人である音海君と言えば、我が生徒会では唯一の男子でもあるわけだけど……。


「……じーっ」

「……うう」


 うん、やっぱりね。クラスの男子達みたいにそわそわしたりはしてないな。なにせすぐ近くで三年半交際継続中の彼女が見てるもんね。

 だから迷う。どうしよう? あげてもいいものかな?

 私より先にさおちゃんが動いた。

「ほい、二人とも。今年もあげる」

「あ、ありがとうございます」

「まあ、バミさんならいいか」

 絶対に音海君には手を出さないと確信しているようで、さおちゃんが差し出したチョコを彼と一緒に受け取る鼓拍ちゃん。何かと衝突することの多い二人だけど、妙なところでは信頼し合ってる。

 渡すならここしかないな。そう思った私も便乗する形で箱を取り出した。中身を見分けやすくするため、今朝さおちゃんに渡したのとは違うラッピング。

「はい、二人とも」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 声を唱和させる二人。けれども鼓拍ちゃんの目はまた鋭くなり、殺気のこもった視線で音海君を貫く。

「喜びすぎじゃない……?」

「つい……」

「私があげた時より嬉しそうなんですけど……私、君の彼女なんですけど?」

「あたしの時の反応は逆に小さかったね」

「すいません……」

 二人に詰め寄られ声を震わせる音海君。かわいそうなので割って入る。

「あんまりいじめないであげてよ」

「先輩がそう言うなら」

 思った通り半分は冗談だったようで、あっさり引き下がる鼓拍ちゃん。さおちゃんだけ圧をかけ続けているので肩を掴んで引き戻す。

「ほら、仕事しよう」

「ちっ、命拾いしたわね音海」

「感謝してます! 榛先輩にもすごく感謝してますから!」

 何度も何度も頭を下げる彼。うーん、そんなに感謝されると心苦しい。君の分は今年もクッキーなんだよね。

 ほら、やっぱチョコだと義理でもちょっと特別な感じがしない? だから音海君に渡す分は毎年クッキーなの。

 ちなみに他の男子達へは、変な誤解をされても困るので何もあげてない。さおちゃんもお父さんへのチョコと私達への友チョコ以外で渡すのは音海君だけ。


 そう──だから、この人にも渡さない。いつもなら。


「大塚くん、ぼくには?」

 にょきっ。

「ありません、前会長」

 どこからともなく高徳院こうとくいん先輩が生えて来た。この人はまた卒業目前なのに生徒会室に顔を出したりして。第一志望に早々と合格しちゃったから余裕だな。

「お兄さま! チョコならわたくしが差し上げましたでしょ!」

 少し遅れて幼馴染の二人と入って来たのは妹の方の高徳院さん。相変わらずお兄さんのことが大好き。

 会長は勇花さんにも負けない整った顔に愁いを浮かべつつ言い返す。

「舞……毎年言ってるが、男にとって家族からのチョコは勲章にならないんだ。もちろん、最愛の妹からの贈り物だし嬉しいことは確かだよ」

「そうおっしゃるから、今年は八千代やちよ絵里香えりかにもお兄様さまへの義理チョコを許可しましたのに!」

 八千代っていうのは美浜みはまさんの名前。絵里香はさわさんだね。

「戦果は多ければ多いほどいい。特にそれが想い人からのものとなれば格別だ。仮に義理だとしてもね?」

 にこりと微笑み、もう一度私を見る前会長。

 ……はあ。ため息をつく。舞さんが怒るから今年もできれば渡したくなかったんだけど。

 でもまあ、この生徒会を結成してから色々助けてもらったしね。

「義理ですよ」

「えっ!?」

 私が差し出した箱を見て、催促した本人が一番驚く。


「くくくくく、くれるの!?」


 いつもの気障な口調はどこへやら、素で確認を求めて来る。

「大塚さん、あなたやっぱり!」

「だから義理だって義理! 生徒会の仕事とか教えてもらったし!」

 詰め寄って来る高徳院さん。誤解を解くため繰り返し義理を強調する私。いつものことなので皆それぞれの席について仕事を始めた。もうすぐ卒業式、そしてその後は入学式があり、準備に携わる生徒会はけっこう忙しい。


 ──のだけれど、本来最も忙しいはずの現会長は手持無沙汰なようで、のほほんとした調子で訊ねて来る。


「ねえ皆、僕にはチョコは無いの?」

「あんたはあげる側でしょうが!」

 さおちゃんの投げた友チョコはすこーんと勇花さんの額を直撃。当然私もあげるけどさ、勇花さんすでに紙袋三つ分くらいもらってなかった? 多分今年もこの人と高徳院先輩で獲得数一位を争うんだろうな。

 私? 去年は三位だって。千里ちゃん調べ。

「あの会長、これをどうぞ」

 不意に立ち上がり、照れながらハート型チョコを差し出す美浜さん。

「ありがとう! ああっ、この喜びをどう表現したらいいだろうか? そうだ、歌にして君に届けよう!」

 勇花さんはお礼に美浜さんのためだけのミュージカルを開演。美浜さんはうっとりその美声に聴き入り、目を輝かせる。

 やっぱり慣れている私達は、聞き流しつつ仕事した。

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