母vs伯母

 ど、どうしよう……かつてない険悪な空気の中、私と父さんはどっちに味方したらいいのかと忙しなく顔を左右に動かしている。目の前ではちゃぶ台を挟んでママと時雨さんが対峙中。

 時雨さんが再度切り込む。

「是非、我が家へ。遠慮はいりません!」

 対するママの返答も変わらない。

「駄目です、歩美には一人暮らしをさせてみるべきです!」

「危険です、東京で女の子の一人暮らしなんて……うちはセキュリティ万全で部屋もたくさん余っていますから!」

「たしかに預かっていただければ安心はできるかもしれません。でも、それではこの子の成長に繋がらないと思います。一生に一度くらいは保護者の手を離れ一人で生活してみるべきです」

「落ち着け二人とも。そう熱くなるな」

 どちらの言い分にも理があると悟った父さん。中立の立場で割って入る。やっと冷静さを取り戻し、ふうと息をつく二人。私も胸を撫で下ろす。


 だいたいの事情は想像ついてると思うけど、一応説明するね。

 いよいよ来年受験生になる私。再来年の四月には大学生。第一志望の学校は東京にある。だから無事合格できたなら、この家を離れて暮らさなければならない。

 いつものように遊びに来てそんな話になった時、時雨さんが言った。


『じゃあ、合格出来たら私の家に来てください。母も喜びます』


 時雨さんは今でも養子として引き取られた家で暮らしている。お養父さんが亡くなった後、浮草家に戻ることも独り立ちすることも考えた。でも私のパパの死や旦那さんの自殺で傷付き弱っていたお養母さんを放っておけなかったのだそうだ。

 ちなみに私も時雨さんと和解した後、一度だけその人と会った。たしかに儚い雰囲気で心配になるけど優しい人だったよ。旦那さんによる時雨さんへの虐待にずっと心を痛めていて、盾になって庇うことも多かった。本当の両親や弟に会えなくては可哀想だと密かに浮草家を訪ねてパパと交流させてくれてもいた。だから時雨さんは育てのお母さんのことも嫌いになれない。

 あの人、私にも何度も謝ってくれたっけな。時雨さんが浮草家から引き離されて育った屋敷だと考えると複雑な気分ではあるけど、あの人や時雨さんと一緒に暮らせるなら悪くないかなとも思う。

 でも、やっぱりママは反対した。


「駄目です、歩美には一人暮らしをさせます」


 時雨さんの提案は魅力的だけどママの教育方針には反する。ママは私に自立して生きていける人間になって欲しいのだ。

 それもわかるんだよね。雫さんほどじゃないにせよ時雨さんもやっぱり私や双子や友美と友樹をけっこう甘やかすんだよ。自分が子供時代に厳しくされていたから、その反動もあるのかもしれない。厳しくするより優しくする方が子供のためだって意識が働くんだね、多分。

 私は横目に父さんを見た。この人も多分そっちのタイプ。死んだおじいちゃんに一人前の男になれと厳しく鍛えられた。そのせいか子供に甘い。

 まあ、父さんは締めるところは締める。そこは見習いたい。


 ──それからもしばらく、私と父さんも交えての話し合いは続いたが、結局ママと時雨さんの意見はずっと平行線を辿った。


「今日はもう遅い。この話はここまでにしよう」

「そうですね」

 ふうとため息をつくママ。大人達の話し合いが退屈で、だっこされてた正道は眠ってしまった。柔も父さんの膝の上でうつらうつらと舟をこいでいる。

「時雨さん、泊まってく?」

「あ、うん。今日はそのつもりで来た」

 私の問いかけに頷く時雨さん。ちなみに着替えなんかは持って来てない。家が遠くよく泊まっていくため我が家に数日分ストックしてある。

「お母さん? 今回も大塚さん家に泊ってくから。え? うん……お母さんこそ忠臣ただおみさんの言うこと、ちゃんと聞いてね」

 自宅に電話した後、若干心配そうな顔に。ちなみに忠臣さんっていうのは長年鏡矢家に仕えている執事さんのこと。元々は鏡矢本家で働いていたらしいんだけど、私が生まれる前の例のゴタゴタ以来、心配した雫さんの指示で分家に派遣されているそうな。それからずっと時雨さん達の身の回りの世話をしてくれている。

 メイドさんもいるんだよね、あの屋敷。忠臣さんの孫で私より八歳上の水弦みつるさん。テキパキ働く人でいかにも有能って感じ。ただ、いつも無表情なんで実は少し苦手。

「さて、では飯の支度をするか。時雨殿、歩美、しばし正道と柔を頼むぞ」

「お願いね」

「はい、お任せください」

「了解」

 夕飯の支度を始める父さんとママ。私と時雨さんは居間に残り、布団に寝かされた双子をこれ幸いと愛でる。起こしたらまずいから眺めたり写真撮影したりするだけね。

「どうしよう歩美、もうスマホの容量が無い」

「クラウドに保存して端末内のデータは消すといいよ」




 夜十時、みんな寝ることになり、やはり自室に戻った私はZINEのグループ会話で友人達に相談を持ち掛ける。ベッドにもぐりこみ、掛け布団を被りながらテキストメッセージで切り出した。


『大学に合格した後、一人暮らしするか時雨さん家に居候するかでママと時雨さんが揉めてる』


『気が早い』

『にゃはは、まだごーかくしてないのに』

『時雨さんってどなたですの?』

『あゆゆの伯母さん』

『あっ、鏡矢の時雨さんですのね』

『しってるのまいちゃん?』

『時々お会いしますわ。我が高徳院家は鏡矢と並ぶ名家ですもの! おーほほほほ!』

 高徳院さん、ZINEでもノリがいつもと同じなんだよな。ブレない人だ。

『あゆゆはどうしたいの?』

『う~ん……正直迷ってる』

『なんで? せっかく実家を出るんだし一人暮らしの方が楽しそうじゃない?』

『おっかねもちのおうちにイソーローなんて、キュークツっぽいよね~』

 勇花さんと千里ちゃんは自立派か。たしかに私も一人暮らしをしてみたいって気持ちはあるんだよな。でもさあ。

『あゆゆのことだし、どうせお金のことを気にしてるんでしょ』

『うん、まあ……』

 さおちゃんには見抜かれていた。どのみちアルバイトはするつもりだけど、それだけで東京で一人暮らしする費用が賄えるかはわからない。一方、時雨さん家に居候させてもらえば家賃は気にしなくて良くなる。本人も今日、そこを何度もアピールしてた。家族なんだから家賃も食費も光熱費も不要だって。

 うちの家計は相変わらず楽じゃないからさ、切り詰められるとこは少しでも切り詰めておきたいんだよね。父さん達は私の進学費用として例の宝くじの当選金をいくらか残しておいてくれたけど、まだ正道と柔がいるんだし、むしろあの二人に使ってあげてほしいと言うか。

 なんてことを考えていたら、さおちゃんからお叱りの言葉をいただいた。


『考え過ぎなのよ。おじさんもおばさんも、あんたが好きなことをできるように頑張ってくれてるんだから、我慢なんてしたらかえって申し訳ないと思いなさい』


『おー』

『流石は沙織君』

『たしかに一理ある意見ですわ』

 ううん、たしかにそうかも。

 でも、時雨さん家に居候するのが嫌なわけじゃないからな。我慢って言われるとそれもまた違う気がする。

 そこへ、これまで沈黙していた人物が発言した。

『おい、こーとくいん』

『なっ、なんですかリトルプラム先輩』

 小梅ちゃんだ。ちなみに高徳院さん、このZINEグループでしか話したことのない彼女に苦手意識を抱いてる。育ちがいいから年上にはきっちり敬意を払ってしまうのだ。そして小梅ちゃんは実像を知らないとやたら偉そうに見える。だから苦手なんだろう。

『オメーも東京の大学にいくんだろ?』

『え、ええ?』

『ひとりぐらしだっつってたな』

『はい、大学の近くに手頃な物件があったので購入しました。これも社会勉強だと思って在学中は一人で暮らすように命じられています』

『一軒家買ったの!?』

『そこまでするか。流石は高徳院家』

『ていうか、まいちゃんもまだ受験してないじゃん』

『みんな気が早いよ』

 うわー、この話、絶対雫さんに知られないようにしなきゃ。あの人も私のためならポンとマンションとか購入しかねない。

 高徳院さんの回答を受け、小梅ちゃんはしばしの間を置いてから続ける。

『んじゃ、かんたんじゃねーか』

『え?』

『オメーら、いっしょに住め!』




 ──この提案が意外にもママと時雨さんの双方に受け入れられた。二人ともニコニコ顔で高徳院さんから聞いた住所を地図アプリを使って確かめている。

「お友達とシェアハウスだなんて素敵ね。舞ちゃんならしっかりしてるし賛成よ」

「ええ、一人暮らしじゃないなら私達も安心できる。高徳院家の購入した物件だし防犯もしっかりしているでしょう」

「ここなら時雨さんのお宅にも近いし、何かあってもすぐ駆け付けてもらえるわ」

「もちろんです。カガミヤの本社からもこの距離なら三〇分程度ですよ」

 というわけで昨日揉めたのが嘘みたいに、あれよあれよと私達二人の同居が決められてしまった。

 いやまあ、二人とも東京の大学に合格できたらの話だけどさ。

『我が家でも家族全員乗り気ですの……特にお兄様が』

『前会長、いまだに大塚ちゃん狙いだからね』

『ふくつのおとこだ、ぜんかいちょーは』

『不屈の男と言えばさ、木村はすでに神住大に進学が決まったらしいよ』

『なに? あの木村がか?』

『そうなんですよ先輩。アイツ、今年柔道で全国三位になったでしょ? それでスカウトが来たって』

『あー』

 そうなんだよね、木村は私達より早く進学先を決めちゃった。全国大会には私達も応援に行ったけど、ほんとすごかった。もうあいつとケンカしても絶対勝てないだろう。それだけ努力したんだ。私も頑張らなくちゃ。


 旧友の 活躍聞いて 奮い立つ


 こっちも負けてらんないな。この際、一人暮らしだとか居候だとかシェアハウスだとか、そういう問題は気にしないようにしよう。まずは合格。一発で第一志望の学校に受かってやる。そこに全力集中!

『こっちも頑張ろうね、みんな!』

『おー、やるきだあゆみちゃん』

『副会長だからね、恥ずかしくないように頑張らないとだね』

『勇花! 会長のあんたも頑張りなさい!』

『オメーらがんばるのはいいんだが、あたしのめんどーもちゃんと見てくれよ。こっちはもうちょいで受験なんだぜ』

『もちろん! 小梅ちゃんこそ勉強会ちゃんと来てよね!』

『おう! ぜったい、ぜったい通さんと同じ大学に入るんだ……』

『わたくしは一人暮らしがしたかったのに! どうしてこうなりますの!? それもこれもあなたのせいですわ大塚さん! こうなったら何が何でも合格なさい! 責任を取って私の身の回りの世話をしてもらいます!』

『いいよ! ただし、模試の判定で私より上だったらね』

『きいいいいいいいいいいっ! 余裕ぶって! お覚悟なさい、今度こそ勝ってやりますから!』

 盛り上がる私達。私の横ではママと時雨さんがのんびりお茶を啜っている。

「大学生かあ、早いものですね」

「入学式には時雨さんも必ず来てくださいね」

「もちろんですよ」

「……ううむ、いつもは俺が言われることだが、気が早すぎるぞ二人とも」

 父さんは渋い顔で、けれど、気持ちはわかると頷いた。

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