大塚家vs着ぐるみ
十月半ばの日曜。恒例になった訪問日。最初の頃は緊張していた時雨さんも近頃やっと慣れてくれた感じ。
家でお茶を飲みながら、ここ一週間の出来事を互いに報告し合った後、話すことが無くなったタイミングで父さんに提案される。
「散歩にでも行くか」
「そうだね」
時雨さんを交えて出かけるのも恒例行事になった。早速準備して皆で外へ。正道と柔は一緒に乗せられる横幅の広いベビーカーに。
「あの、私が押してもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとうございます」
ワクワクしながらベビーカーのハンドルを掴む時雨さん。この人も流石は私の伯母さんだよね。うちの赤ちゃん達のことは可愛くて仕方ないみたい。普段は遠慮して、あんまり構おうとしないんだけど。
ベビーカーを押す時雨さんの歩調に合わせ、皆でゆっくり歩く。季節は秋。ご近所さんの庭で大きなイチョウの木が葉っぱを黄色くしていた。別の家ではモミジが赤く色づいている。
そのモミジを見た時雨さんは、ふと思い出した。
「私の知人が暮らす村には、とても大きなカエデの木があるそうです」
「へえ、どのくらい大きいの?」
「ええと、聞いた話では三階建ての家より大きいとか」
「なんと、それは凄いな」
驚く父さん。三階建てって言ったらうちより高さがあるもんね。ちょっと想像しにくい大きさだな。
「カエデの木って、そんなに育つものなんですね」
「樹齢千二百年だそうですよ」
「そんなに!?」
ママと一緒に私もびっくり。それってもう世界遺産とかになってなきゃおかしいレベルじゃない?
「一度見てみたいものだ」
「残念ながら外部の人間には見せられないそうです」
「ふむ、御神木か何かか……残念だな」
「写真なら見せてもらえるかもしれませんね。今度頼んでみましょう」
「ありがたい」
時雨さん、父さん相手でも自然に会話できてるな。最初の頃は私やママと話す時以上に緊張してたんだけど。あの顔だから気持ちはわかる。
私は我が家より大きいカエデの木を想像して、そこからさらに別の、とろりとした甘い液体を思い浮かべた。
「そんなに大きいならさ、メープルシロップ採り放題かな?」
「もう少し年頃の娘らしい感想は無いのか」
「年頃の娘だからじゃん。成長期は食欲旺盛なもんでしょ」
「ぬう、一理ある」
「食欲旺盛とか言ったら、お腹空いて来た。駄菓子屋さんに寄ってかない?」
「お前、さっき茶菓子を食ったばかりだろうに」
「成長期成長期」
「太るわよ」
「大丈夫、私、どれだけ食べても太らないから」
あははと笑うと、突然、時雨さんの手が肩に置かれた。
「歩美ちゃん、今から覚えておいて」
「な、なに?」
目が怖いよ。
「鏡矢の血筋でも油断したら駄目……今は良くても、二十代に入ったら必ず我慢が必要になる……」
「そう、なの?」
「そうよ」
「そういうものだ」
ママと父さんも同意。
知りたくなかった、そんな真実。
年頃の娘になんて残酷な仕打ちを。
「まあ、駄菓子屋には元々寄る予定だったし、行きましょうか」
一転、苦笑するママ。そういえば左手に紙袋を提げている。ただの散歩ならあんなもの持たないし、なんなのか気になってたんだ。
「ママ、駄菓子屋さんに用があるの?」
「ほら、さっき時雨さんが美味しいって言ったお茶。あれってあの店のおばあちゃんから頂いたものなのよ」
「ああ、おばあちゃんの親戚が栽培してるとかいう?」
「そうそう。市販はしてないそうだけれど、とっても美味しかったでしょ? だからお礼にと思って」
なるほど。
納得する私の横で、ベビーカーを押していた時雨さんが急に足を止める。ちょうど駄菓子屋さんが見えて来たあたりで。
「あ、あれは……まさか……」
なんだかうろたえた様子。その視線を辿って行くと、いつもの駄菓子屋さんの前に珍妙な物体が立ち尽くしていた。
「な、なんだあれ?」
「珍しい物がおるな」
常連の私達も初めて見る光景。いつもの駄菓子屋“かながれ”の前には何故か着ぐるみのクマが立っていた。暇そうにぼんやり空を見上げている。
「ええと、時雨さんの知り合い?」
「おそらく……」
ママの質問に神妙な顔で頷く時雨さん。若干腰が引けている。
「もしかして何かある人? 今日は帰りましょうか?」
「いえ、ちょっと苦手なだけですから……ひょっとすると別人かもしれませんし」
そう答えると自分から近付いて行った。あれじゃ顔は見えないもんね。確認しないことには始まらないか。
ところが、その気配に気付いた着ぐるみは振り返り、ぶんぶんと手を大きく振り始める。あからさまな顔見知り感。
『よー、時雨じゃねえか! 久しぶりだな』
男の人だ。着ぐるみ越しで声が籠ってるけど大人だと思う。少なくとも前に店番してたサラさんじゃない。
近付くと、そもそもサラさんとは身長が全く違う。遠近感が狂いそうなほど大きい。
女の人にしては背が高い時雨さんを、さらに遥か上から見下ろし、問いかける着ぐるみの人。
『珍しいな、連れがいるたぁ。友達か?』
「いえ、その……親戚です」
『親戚?』
腕を組み、首を傾げた着ぐるみさんはやがて手を打つ。上半身がグリンと回転して私の方を向いた。身体柔らかいなこの人。
『歩美ちゃんか! コイツの姪っ子だっていう!』
「そ、そうだけど、なんで知ってるの?」
『雫の奴から良く話を聞くんだ。そうかそうか、お嬢ちゃんが噂の歩美ちゃんか。てこた、そっちのダンナが美樹さんの兄貴で、そっちの人がダンナの奥さん。んで、赤ん坊は時雨の子じゃなく歩美ちゃんの兄弟だな』
「私の子のはずないでしょう!?」
時雨さんが大声を上げると、柔と正道が目を覚まして泣きだしてしまう。
「ふええ」
「ぎゃあーーーん!」
「ああ、はいはい。大丈夫大丈夫」
「泣かずともよい。落ち着くのだ」
「す、すいません」
『何やってんだか、赤ん坊の前じゃ声は抑えるもんだ』
呆れた様子で肩を竦め、それから急に踊り出す着ぐるみさん。
『ヘイ、ベイビー! クマさんのホットな踊りで機嫌を直しな!』
「きゃっきゃっ」
「あぶうー」
本当にあっさり泣き止んだ!?
「この御仁、ただものではない……」
『フッ、俺は子守りにかけちゃプロだぜ』
「ぐぬぬ……」
戦慄する父さん。悔しがる時雨さん。着ぐるみが勝ち誇っていると、店内からいつものおばあちゃんが叱りつけた。
「ニッカ、いつまで馬鹿やってるんだい。ちゃんとご挨拶しな」
『わあってるって、ひいばあ』
ひいばあ? てことは、この人ってサラさんの──彼は、まず私に向かって右手を差し出す。
『妹とは前に会ったらしいな。俺の名はニッカ・カナガレ。あそこに座ってるばあちゃんの曾孫でサラの兄貴だ』
ニッカさんはアメリカ人。お父さんがネイティブ・アメリカンでお母さんが日系人なんだって。だからてっきりそのお母さんのおばあちゃんがこの店のおばあちゃんなんだなと思ったら、逆にお父さんの方が“かながれ”の血筋らしい。
「うちの子達には揃って放浪癖があってねえ、今も世界中あっちこっち渡り歩く根無し草ばっかりなんだよ」
「ワールドワイドな一族だったのだな、ばあさんの家系は」
「ほっほっほっ、あたしも昔は色んな土地を巡ったもんさ、懐かしいねえ」
目を細めるおばあちゃん。その話も聞いてみたいな。
でも先に、気になってしょうがないことをニッカさんに訊ねる。
「あの、なんで着ぐるみなの?」
『俺ぁ顔が子供ウケしねえからよ。店の手伝いをする時にゃコイツを着ろってひいばあに言われてんのさ』
言いつつホウキとチリトリを手に取るニッカさん。なるほど、店の前の掃き掃除をするところだったんだ。
って、いやいや。
「別に顔を隠さなくても……」
『これでもかい?」
がぽっ。頭を外して素顔を晒すニッカさん。
怖っ!? 海外のアクション映画に出て来る悪役っぽい!!
振り返るとママの顔も引きつっていた。前から知り合いのはずの時雨さんまで明後日の方向を向いて目を逸らしている。苦手って単純に顔が怖いってこと?
「ふむ、アメリカのどのあたりのご出身かな?」
自分も怖い顔なので、唯一たじろぐことなく会話を続ける父さん。ちなみに父さんは純和風の強面。ニッカさんは逆に彫りが深くて日本人離れした顔立ち。肌の色もかなり濃い。赤い肌って言うのかな? 私達が日焼けするのとはまた少し違う感じ。髪は地毛か、それとも染めたのかわかんないけど金髪。瞳の色は深い青。
「生まれはアリゾナさ。つっても、ガキの頃から南米を中心にあっちこっち回ってたんで地元なんて言える場所はねえ。サラの奴とは腹違い。歳もけっこう離れてる。ばあちゃん、つまりひいばあの娘が七十年前に渡米してな。ネイティブ・アメリカンと結婚して生まれたのが俺らの親父。俺のお袋もブラジルに移住した日本人で、サラの母ちゃんはペルーの観光ガイド。両方とも親父とは険悪。俺らとは仲良し」
この人、訊いてもいない家庭事情まで自分から一気に説明しちゃった。あけっぴろげな人だなあ。
「さっき美樹ちゃんの名前も出ましたけど、もしかして……」
ママがおそるおそる訊ねると、ニッカさんはニヤッと笑う。笑顔も怖いよ。
「そうそう、何度か一緒に仕事したんだよ。最初に会ったのは、えーと五年くらい前だな。ガイアナで見つかった遺跡の調査のためにガイドとして雇われて──」
「ニッカさん!」
「あれ? 言っちゃ駄目なやつだったかこれ?」
「ああもう……」
性格はいいかげんぽい。そういうところも生真面目な時雨さんと合わないんだと思う。
それにしても五年前って言うと──父さん達も気が付いた。
「あの時か」
「多分、あなたが初めて友美ちゃんを預かった頃ですね」
だよね。この人、そんな前から私達と関わってたんだ。
「ううむ、意外と世間は狭いな。まさか世界中飛び回っとる美樹達の仕事の仲間がこんな近場にいたとは……」
「時雨さんもそうですしね」
うん、人の縁って不思議。
「……まあ、その繋がりの中心にいるのは、お嬢ちゃんなんだが」
「えっ」
どういう意味? 眉をひそめた私の頭上でニッカさんはまたすっぽり着ぐるみを被ってしまう。表情が見えない。
それから答えた。
『受け売りだがよ、何事も不思議の一言で片付けちゃいけねえ。どんな物事にだって必ず原因があって、それから結果が生まれる。学校の先生を目指してんだろ? なら探求心を忘れないようにしな。より深く、より楽しく学び、子供にもそう学ばせることを心がけるんだ。勉強を教えるなら面白く。面白い方が記憶に残る』
お、おお……? なんだかすごくそれっぽいアドバイス。この人、普段は何をしてるんだろう?
「ニッカはねえ、たまに先生もするんだよ。学校が無い村なんかでねえ」
『言わなくていいって、ひいばあ』
「先生……」
驚く。まさか私が目指す道の先にいる人だったなんて。
でも、ニッカさんは謙遜するように頭を振った。
『本職じゃねえよ。お国によっちゃ教育制度なんてもの自体が存在しなくて、教えられる大人が教えてやればいいってなっちまうだけだ』
「けど、実際に子供に教えてるんでしょ?」
『まあな』
なら、やっぱり私にとっては大先輩。
背筋を伸ばして頭を下げる。
「さっきのアドバイス、忘れないようにします!」
『はいはい。なるほど、時雨似だなこりゃ』
「そうです、だから間違っても雫さんみたいに扱わないでくださいね」
どういう意味だろ?
家に戻った後、時雨さんは雫さんとニッカさんのことを私に語って聞かせた。あの二人は男女だけれど恋人ではなく、悪友で、よく一緒に飲み歩いたり無茶なことをして周囲を困らせているらしい。
そのとばっちりを受けることが多いという時雨さんは、至近距離から私の顔を覗き込み、くれぐれもくれぐれもと念を押す。
「あんな大人になっちゃ駄目」
「はい」
迫力に押され頷く私。でも、今日教えてもらったことは忘れない。誰が言った言葉でも、良いと思えたんなら、それは私にとっての名言なんだ。
着ぐるみに 教えを受けた 道の先
「ところで時雨さん」
「なに?」
「なんだか話しやすくなった気がする」
「……そうですか?」
「えっ、なんで戻すの? 今日の話し方のほうがいいってば」
「し、指摘されると難しくなります」
「照れてるだけじゃん! ていうか、どうして急に喋り方変えたの?」
「私も偶然の出会いから学びました」
「なにそれ、聞かせて聞かせて」
「ひ、秘密っ!」
「ケチ!」
まあいっか、また少しずつ慣れていってもらえば。どこの誰だかわからないけど、伯母さんと話しやすくしてくれてありがとうございます。
ぴぽっ。
「あ、さおちゃんからだ」
『噂した?』
「なんのこと?」
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