受験生vs宿題
うちの親父はダメダメだ。たいして強くもないくせに家でも外でもお酒飲んでばっかり。夜遅くに酔っぱらって帰って来ては、いつもおかーさんとケンカしてる。昔は怒鳴り合う二人の声が怖くて嫌だったし、そのせいで割と早く反抗期に入ったけど、最近はアタシも慣れて来た。
ようはあのダメ親父がすぐに寝たらいいだけ。だから、さっさと寝かせて二人のケンカを止めれば平和になる。アタシが寝ろって言ったらすぐに寝るので、初めて勇気を出して間に入ってみて以来、それがアタシの役割になった。
「まったく、ごーてつおじさんを見習えっての」
盆踊り大会から数日後、宿題しながらブツクサ言うアタシ。親父はきらいだけど、親父の幼馴染だっていうごーてつおじさんは好き。あの人はいい人だよ。かっこいいし。
でも子供の頃は、たまに会うたびに泣いちゃってたっけな。顔が怖いから。
多分アタシの初恋はおじさんだったと思うんだけど、小さい頃のことだからはっきりとは覚えていない。おっきい手で撫でられてさ、ああ、この人は別に怖くはないんだなってわかったら逆に好きになった気がする。
もちろん今は違うよ。さすがに歳が離れすぎてる。麻由美おばさんと結婚しちゃったし。おじさんが結婚するって聞いた時は悔しかったけど、それだけ。すぐに忘れた。
そんなことより今は目の前のこれに頭を使わなくちゃならない。現実逃避の手段だったゲーム機は全部終わらせるまで返さないって、おかーさんに取り上げられた。わかってる。アタシ受験生なんだ。いまだにしょっちゅう小学生と間違えられるけど来年は高校に入る。入らなくちゃいけない。中卒じゃ、あの親父にまで学歴で負けることになる。
ただ、アタシはバカなんだ。
「ううう……わからない……」
知ってる? バカってのはね、頭の回転が鈍い人のことじゃないんだよ。自慢になるかわからないけど、ゲームでは強いんだアタシ。男子どもにも負けない。でも勉強しろって言われると、なかなかやる気が出て来ない。すぐに他のことに意識が向いちゃう。
こういうのを本当のバカって言うんだ。多少頭の回転が鈍くたってね、やるべき努力をしっかりできる人間はバカになんてならない。そういう人間をバカにするやつはバカ以下だけど。
考えても考えても解けない。ならって見切りをつけ、とりあえず別の問題に取りかかる。いくつかの解答欄にはそんな調子で答えを書き込むことができた。でも、まだ空白の部分が多すぎる。
ああ情けない。こんな自分が情けない。だから年下にまで「ちゃん」付けで呼ばれたりするんだ。
うう~、悔しいけど、やっぱりアイツを頼るしかないか。類は友を呼ぶって言葉があるように、周りは基本バカばっかだから、こういう時に頼れる相手は限られている。
というわけで、我が家の裏の大塚家を訪問した。
「ごめんくださ~い」
「あら、小梅ちゃん」
奥から出て来た麻由美おばさんがパッと顔を輝かせる。この人、アタシのこと好きなんだよね。ちっちゃい子扱いでの話だけど。
「いらっしゃい、どうしたの?」
「歩美いますか?」
「うん、今は沙織ちゃんと上で遊んでるわ。上がって上がって」
「お邪魔します」
お許しが出たので靴を脱いで上がり、そのまま階段に足をかける。この家の階段を途中まで上がると居間の中がちょっと見える。おじさんはいないっぽい。ちょっと残念。まあ、遊びに来たわけじゃないんだけど。
歩美の部屋は階段を上がってすぐ左手。その奥がおじさん達の寝室で、右側は元々美樹ねえが使ってた部屋。今もあの人達が来た時に寝る場所として使われてるそうな。さらにその奥は物置。昔、ごーてつおじさんに一日預けられたことがあって、かくれんぼの時に隠れたな。
「おーい歩美、来たぞ」
できるかぎり情けなく見えないよう先輩風を吹かしつつドアを開ける。後輩どもは二人ともダラダラしながらマンガを読んでた。うらやましい。
「あれ? 小梅ちゃん?」
「こんちはー、リトプラ先輩」
「おう、こんちは」
リトプラ……なんかバカにされてるような響き。まあ、リトルプラムって呼べってのはアタシが自分で言ってるんだけどさ。長いから略したくなるのもわかるし。でもちょっとムカつく。
それはそれとして入口で躊躇するアタシ。ううっ、キラキラしてる。
「どしたの小梅ちゃん? 入りなよ」
「あ、先輩、このクッション使って下さい。あたしはベッドに座るんで」
「お、おうっ」
この二人、相変わらず顔面偏差値たけー。歩美は暴力的なほど天然美少女だし、沙織はなんかこう、元がけっこう良いのに加えて、すげー努力して磨いてんだろーなってわかる。タイプはちげーけど確実にうちの学校の最上位女子だよ。
沙織に薦められるまま、大きい犬型のクッションに腰を下ろす。初めて見るぞ、買ったのか? なんかこれ、クッションてよりぬいぐるみみてーだな。こんなもんどこで売ってんだ? ドンキ?
パシャッ
「……オメーら、なんでアタシを撮る?」
「かわいいから」
「ついつい」
「かわいいって言うな! 先輩を敬えボケェ!」
くっそう、ちょっと前まであたしより小さかったくせに、二人してあっという間に追い越しやがって。一五〇か? まさか一五〇に届いたのか!?
「まあまあ、それより先輩、宿題しに来たんですよね?」
「なっ、なんでそれを!?」
「いや、だってカバン持って来てるし……開いてるからノートとかも見えてる」
「はっ!?」
こ、こいつら、たったそれだけの情報で目的を見抜くとは。探偵かよ。
でもその通りだ。アタシは恥をしの……しの……なんだっけ? とにかく、恥ずかしいのを我慢して頼み込む。
「歩美、勉強おしえてくれ! お前、たしかもう三年生のやってるんだろ!?」
「えっ、誰から聞いたのそれ?」
「おじさんが自慢してたって、うちの親父が言ってた」
「父さん……」
苦笑いする歩美。なんだよ、いいじゃねえか娘自慢。うちの親父なんか口を開けばアタシの愚痴ばっかだぞ。
「まあ、そういうことならいいよ。どうせ暇だったし」
「さんきゅー! でも、お前もう宿題終わってんの?」
「毎日決まった時間やってれば、すぐに終わるよ」
「うっ……」
こいつ、耳に痛いこと言いやがるぜ。
「じゃあ、あゆゆが数学と理科担当で、あたしは国語と社会教えましょうか」
頼んでもないのに沙織までしゃしゃり出てきた。ありがてーけどアタシは焦る。
「待て、お前も三年生の問題わかるのか?」
「あゆゆと同じ理由です。来年はあたしも受験なんで、得意科目だけさっさと先に進めて時間に余裕作っておこうかなって」
マジか? 受験生って普通そうなのか? もしかしてアタシが特殊な例? ぶっちゃけ二年生の時のテストだって赤点取る自信があるぞ。去年教わったことなんか正月過ぎたら忘れたからな。
二人は飛び飛びで解答欄を埋められた宿題を見て冷や汗をたらす。
「これは……」
「まだ半分以上真っ白じゃないですか……二学期まで一週間切ってますよ」
「だ、だから助けて欲しいんだよ!」
いつもみたいに最終日になっておかーさんに耳元で怒鳴られながら意識が飛ぶまで宿題やらされるのはごめんだ。特に受験前の今年は、どんだけ厳しくなるかわかったもんじゃない。実際毎日毎日勉強しろって言われてるし。それで今までやらなかったアタシもたいがいだと思うけど。
でも、アタシだってやれる! やる時はやるんだ! バカをバカにすんなよ!
「よし、それじゃあ早速始めよう」
「そうね、時間が惜しい」
歩美と沙織は頷き合い、アタシを左右から挟み込むように座った。ぴったり密着される。
あれ? なんかこれって逃げられないようにされてね?
「残り時間が少ないし厳しくいくからね」
「これから毎日勉強会ですよ、先輩」
「え? え?」
「まさか、これだけの量を一日で済まそうとか思ってたの? そんなの逆に非効率だから。さっきも言ったでしょ、毎日決まった時間だけ勉強するの。その方が覚えも良くなる」
「ただ問題を解けば良いってわけでもないんですよ。何が、どうして、どうやって、その結果になるのかもしっかり理解していきましょうね」
「ちょっ、二人とも目がこわ……」
「どうせなら小梅ちゃんの受験まで定期的に勉強会を開こうか。私達も復習になるし」
「そうだね、毎週土曜の午後に集まることにしよう。先輩、帰宅部ですよね? なら問題無いですね」
待て、待て、待て。
「アタシを無視して話を進めんなあっ!!」
勉強会? そんなの嫌だ ばっくれたい
「あ、玲美おばさんから許可出た。ビシバシ鍛えてやってだって」
「あゆゆにとっちゃ将来のための予行演習にもなるね」
「腕が鳴るなあ」
「ぎゃあああああああああああああっ!?」
そんなわけで、アタシはこれから毎週土曜、後輩どもにしごかれる羽目になるのだった。
──が、しかし、
「精が出るわね~。これ食べて食べて。貰い物だけどとっても美味しかったのよ、ここのどら焼き」
「小梅、最近頑張っているそうだな。これは差し入れだ、その調子で励むが良い」
「先輩、肩凝ってますね。あたしマッサージ得意だから揉みますよ」
「うん、よくできました。ちゃんと二時間勉強したっておばさんに報告しとく。それじゃ、今日はもう遊ぼうか」
思ったより楽しいぞ、これ。お菓子いっぱい食べられるし、ジュースも飲めるし、マッサージしてもらえるし、歩美と沙織は教え方上手いし、決まった時間だけ勉強したらあとは遊んでてもいいって言われるし。
「ここは天国か!」
「私んちだよ」
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