大塚家vs夏休み(5)

 私、大塚 歩美には秘密がある。誰にも、ママや親友のさおちゃんにすら言ったことのないちょっと不思議な力が。


【危ないよ】


 小さい頃、その優しい声は時々どこからともなく聴こえてきた。声っていうと少し違うかもしれない。本当はもっとぼんやりした何か。イメージって言う方が近いかも。

 危険な場所へ近付きそうになった時、勇気を出して踏み出さなきゃいけない時、友達と喧嘩して仲直りしたい時、そっちは駄目だと注意してくれたり、そっと背中を押してくれたりする見えない存在を感じていた。

 他の皆には何も聴こえないし感じられないらしい。ママやじいちゃん達みたいに大人が一緒にいる時は私も滅多に感じ取れない。けれど、いつも私の近くにいて見守ってくれていることはわかる。パパがいなくてもあまり寂しく感じなかったのは、その見えない誰かさんのおかげ。

 たまに、視線を感じることもあった。そういう時には普段見えないその姿が、ちらりとだけ目に映る。私が見るといつも慌てて隠れてしまう。

 小さい頃、ママからパパはいつでも歩美を見守っていると教わった。だから私は、あの普段は見えない、たまにだけ姿を現す誰かさんはパパの幽霊なんじゃないかと考えている。確認できたことはないけどね。

 成長するにつれて、あの幽霊の声はほとんど聴こえなくなった。姿を見る機会も減った。それでもやっぱり、ごくたまになら存在を感じられる。まだいると確信できる。

 パパかどうかはわからない。なのに、私は彼が大好きだ。




 近所の公園。

「時雨さん、うちの子、抱いてみる?」

「いいんですか?」

「どうぞどうぞ」

 美樹ねえが友樹を時雨さんに手渡そうとする。時雨さんはおっかなびっくり両手を差し出した。子供に慣れてないのかな?

 そして──

「やあっ!」

「あっ、わっ、あぶないっ」

 だっこの相手が変わった途端、暴れ出す友樹。慌てた時雨さんが地面へ下ろしてやると、遊具で遊んでる友美の方へ一目散に走り出してしまう。

「あらら」

「すいません……」

「謝るこたないわよ、あの子が人見知りだってだけだから」

 そうなんだよね。友美は初対面の相手にも積極的に関わって行くけど、友樹はなかなか懐いてくれないんだ。私も最初は苦労した。

「そのうちあの子も慣れますよ」

 はは、と気まずそうに笑う友にい。腕には柔を抱いている。

「あゆゆ〜! 来て!」

「あ、うん」

 なんとなく居心地の悪さを感じ立ち止まっていた私は、友美に呼ばれたのをこれ幸いと走り出す。でも内心では葛藤していた。

 いいのかな? せっかく来てくれたのに時雨さんと話さなくて……。

 遊びに行こうと言って家を出た私達だったけど、ちょっと遅めの時間だったので遠出はせず近所を巡ることになった。それで、とりあえずはこの公園。

【いいの?】

 わかってるよ。

「あの、時雨さんも一緒に遊びませんか?」

「りょ、了解です!」

 私に誘われ、緊張したまま駆け寄ってくる時雨さん。ママや美樹ねえ達はそんな私達を見守る。

 結局、ずっとぎくしゃくしたまま。おかげで友美達もつまらなそうだった。




 今度は駄菓子屋さんへ来た。喫茶店も近くにあるんだけど、公園で遊んだ後なので悪いかなってことになって。

「らっしゃーい」

「あれ?」

 いつものおばあちゃんじゃなく若い女の人がレジの横に座ってる。美樹ねえも眉をひそめた。

「見ない顔ね、どちら様?」

「ばあちゃんの曾孫」

 そっけなく答える栗色の髪のお姉さん。高校生くらいかな?

「おばあちゃんは? 大丈夫?」

 何かあったのかなと思って訊ねると、単に町内会の旅行に参加してるだけという答えが返って来た。

「今頃、温泉でゆっくりしてるでしょ」

「なんだ、よかった……」

「うちのひいばあは簡単にゃ死なないって。なんたって夏流の──」

「あの! これはどうやって食べるお菓子なんでしょうか!?」

 急に声を張り上げる時雨さん。びっくりして振り返ったら持っているのは戦闘機のイラストが描かれた細長い袋。

「……それ、飛行機だよ。組み立てて飛ばすやつ」

「え? 駄菓子屋さんなのにおもちゃが?」

「おねえさん、駄菓子屋来たことないの? じゃあ仕方ないなあ、このサラちゃんが色々レクチャーしてやんよ。トルコまで行ったら二度と帰って来れないかもしれないし……」

 億劫そうなのに何故か積極的に商品説明を始める曾孫さん。

 この人がすっごくお喋りだったおかげで、結局また時雨さんとはあまり話せなかった。




 今度は市役所に隣接する公園まで来た。お堀があって鯉がたくさん泳いでる。ここまで結構歩いたな。ベビーカーの中の正道と柔はお昼寝中。

 大きな遊具を見つけた友美が目を見開いて驚く。

「友美、前にここに来た!」

「そうだね、友美ちゃん遠足で来たよね」

 懐かしそうに目を細めて笑うママ。

 あ、父さんと来た例の遠足か。へえ、あんなちっちゃい時にこんなとこまで来たんだ。

「すごいね友美。今日も遊んでく?」

「うん!」

 というわけで走り出して行く友美。当然その後ろを追いかける友樹。

「走ったら危ないわよ!」

 美樹ねえが声をかけると二人とも素直にスピードを落とした。えらいえらい。

 やっぱり歩いて追いかけながら、私は今度こそと意気込み時雨さんに話しかける。

「あの……」

「は、はい」

「えっと……」

 話しかけたはいいものの、何を話したらいいかよくわかんない。やっぱり無難にパパのことかな? 共通の話題っていうと、それくらいしか無いし。

 あ、そうか、並んで歩く友美と友樹を見ていたら訊きたいことを思いついた。

「パパと時雨さんって仲が良かったんですか?」

 前に聞いた話だと、家同士はともかく姉弟としての関係は悪くなさそうだった。

 私の質問に時雨さんはやっぱり頷く。

「そうですね、少なくとも私は雨道君が好きでしたよ」

「パパは?」

「同じだと思います。私みたいな人間でも姉と慕ってくれていました。何もかも彼の方が優れていたんですけどね」

「パパって、そんなにすごかったの?」

「何をやらせても完璧でした。要領の悪い私とは正反対です」

「歩美も器用だから、雨道さんに似たんでしょうね」

 ベビーカーを押しながら会話に参加してくるママ。ふうん、パパを良く知る二人がそう言うくらいだし、本当にすごい人だったんだろうな。


「時雨さんより……?」

「鏡矢の血が濃いみたいだし、歩美ちゃんも将来はとんでも超人になるのかもね……」


 前を行く友にいと美樹ねえはひそひそ囁き合っている。何の話してるんだろ?

 公園では友美が早くもネットで囲われた高い遊具のてっぺんに登っていた。少し下では友樹が必死にそこまでよじ登ろうとしている。

「あゆゆ〜!」

「ふふ、また呼ばれてる。歩美ちゃんは良いお姉さんなんですね」

 寂しそうに笑う時雨さんは、自分はそうじゃなかったと思ってるみたい。

「そんな……」

 ──ことはないって言いかけて、言葉に詰まる私。そして気が付いた。悪い人じゃない。それはわかってるのに、でもやっぱり私の中にはこの人に対するわだかまりが残ってるんだと。


【歩美】


 また、あの声。今日は久しぶりによく聴こえる。わかってる、こんなこと考えちゃ駄目なんだ。

 でも、時雨さんが間違わなければ、パパは今でも──


【歩美!】

「友樹!」

「!」

 謎の声と友にいの声で我に返る。友美を追いかけネットをよじ登ろうとしていた友樹が、途中で手を滑らせ落下した。

 大人にとっては大した高さじゃない。でも三歳の友樹にとっては十分に怪我をする高さ。

 しまったと、そう思った。私もママも美樹ねえも友にいも、きっと時雨さんとのことに気を取られ過ぎていて油断したんだ。そして、そんな失敗に気付いた私達が後悔するより早く、さらに速く、


 光が駆け抜けた。


「ふうっ! ふうっ! ふう……!」

 次の瞬間、荒い息をついて友樹を抱いていたのは時雨さん。なんとあの一瞬で駆け込み、スライディングキャッチした。信じられない光景に私とママは自分が今いる場所と遊具の間で視線を何往復もさせる。

「え? え? えっ!?」

 待って、十メートル以上離れてるよ? さっきまでたしかに隣にいたよね!?

 驚く私達とは対照的に、美樹ねえ達はホッと胸を撫で下ろす。

「さ、流石……」

「ありがとうございます!」

「いえ……怪我が無くて良かった」

 駆け寄った友にいに友樹を返そうとする時雨さん。ところが友樹は、今度は時雨さんの腕にしがみついた。

「友樹くん?」

「あいがとー」

 お礼を言われた時雨さんは、慌てて首を横に振る。

「め、めめめ、滅相もない!」

 それはなんだか、人に感謝されること自体に怯えているような態度。

「あっ」

 おかげで私は、あることを思い出した。




「お、おい、今の……」

 とんでもない瞬発力で歩美の従弟を助けた女の人。その姿を見た俺の中にある日の記憶が蘇って来る。

「うん……」

 一緒に尾行してきた沙織もやっぱり思い出したらしい。あの人に対する警戒心も敵意も、今のでキレイさっぱり消え去った。

「そっか、あの時の人だったんだ」


 ──それは、俺達が小二の時のこと。歩美が転校してきた直後だったから間違いない。

 公園で皆でサッカーをしてた。あの頃は沙織のやつも男子に混じって遊んでた。そんな沙織の蹴ったボールが道路に飛び出してったんだ。歩美はそれを追いかけて行った。

 そして──




「時雨さんだったんだ……」

 近付いて行った私は改めて目の前の人の顔を見つめる。あの時はサングラスで隠されてたからわからなかった。

 ボールを追いかけてく時、いつものあの声が聴こえた。【危ない!】って。でもママに買ってもらったばかりのボールだったから、私は必死に追いかけた。声の警告を無視してしまった。

 で、横から来た車に轢かれそうになり、気が付いたら知らない女の人に抱えられかなり離れた場所まで移動していた。


『はあ……はあ……はあ……っ!』


 その人は、私をぎゅっと抱きしめた。


『よかった……間に合った……』


 ママ以外の人にあんなに強く抱きしめられたのは初めて。驚いてる間にさおちゃん達がやって来て、ぶつかりそうになった車の運転手さんも降りてきて、口々にありがとうって感謝した。

 そしたら女の人は両手を突き出し、頭を振って感謝の言葉を拒絶したんだ。


『わ、私は……そんなこと、言われる資格ありません!』


 で、逃げてっちゃった。


「時雨さん、私のこと、たまに見に来てたでしょ?」

「ひへっ!? な、なんで──」

 やっぱりそうか。私は頭の中でパパに問いかける。

 いいよね? 許すのはもう少し先って決めたけどさ、これは感謝の気持ちだから別ってことで。


「友樹と私を助けてくれて、ありがとうございます」


 頭を下げた私の言葉に、ようやく悟る時雨さん。

「覚えて……いたんですか……」

「命の恩人だもん、忘れないよ」

「どういうこと? 二人とも、ちょっとその話、詳しく聞かせてくれない?」

「げっ」

「ひえ」

 肩を怒らせ詰め寄って来るママ。美樹ねえは「長いお説教になりそうね」と笑いながら手を振る。

「ま、いいんじゃない? 友美と友樹は私達が見てるから、ゆっくり話して。元々それが目的だったんだし」




 夜、自室のベッドに寝転がる私。時雨さんは夕飯を食べてから帰って行った。散々ママに問い詰められへとへとになって。

 私も今さらながらにあの日のことを怒られたけど、気分はとても良い。

「へへ……」

 やっぱりあの人、昔から暇を見つけては私やママの様子を見に来ていたらしい。たまに見かけた人影は時雨さんだったのだ。

 なら、あの不思議な声も?

「いや、違うかな……」

 あの声と時雨さんはまた別な気がする。両方の気配が似てるから今まで同じだと思っていたけど、片方が時雨さんだとわかった途端、微妙な違和感が生じた。つまり、そういうことなんだろう。


 伯母さんは 思ったよりも 素敵だね


【だろう?】

「うん」

 色々納得できた私は満足して瞼を閉じる。この夜は遊び疲れたこともあり、久しぶりにぐっすり眠ることができた。

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