夏ノ日家vs雨

「あら、降って来ちゃった」

 とある街の中心部に建つ歴史博物館。調査依頼等で出張している時以外ここで学芸員として働く私、夏ノ日なつのひ 美樹みきは小二の娘のことを思った。

(技術は進んでるはずなのに、最近の天気予報もまだ当てになんないわね。今日は一日中晴れだって言うから、あの子に傘を持たせず送り出しちゃったじゃない)

 友くんダンナも今日は忙しいはずだし、お迎えなんて頼めない。

 しばし考えた私は、しかしそのまま仕事に戻る。今度新たに展示することになった出土品に関する資料。その内容に間違いが無いか改めてチェックする。考古学者の私がここに勤めているのは、こういう専門知識の必要な役割を果たすため。お給料もらってんだから、その分しっかり働かないとね。


友美ともみはまあ、なんとかするでしょ」


 なんといっても私の娘だ。友達の傘に入れてもらうなり雨など気にせず濡れて帰るなり、我が道を行くに違いない。人生なんてどうせ試練の連続よ、好きにやってみなさい。

 それにあの子は直帰するわけでなく学校近くの児童館を経由する。学童保育というやつ。そこで数時間過ごし、夜になってから私なり友くんなり先に仕事を終えた方が迎えに行くのだ。それが我が家の日常。

 残業なんかする羽目になったら、それだけ迎えが遅れてしまう。なので、今ここで私がすべきはきっちり仕事を終わらせること、というわけ。

 バリバリ働く私を見て同僚が苦笑した。

「夏ノ日さん、あとは私がやりますんで、お迎えに行っても構いませんよ」

「いいのいいの、調査で留守にすることが多いしね。いつも融通を効かせてもらってる分、こういう時にこき使ってよ」

「そうですか」

「それに二人でやった方が早く終わる。そっちも家族が待ってるんだし、余計な気遣いは御無用」

 あ、今の言い回し、ちょっと兄さんぽかったかも。




(降って来ちゃったよ、微妙な時間だな。友美、児童館まで濡れずに行けたかな?)

 色んな機械が棚に並べられた部屋。ソファに座って娘の心配をしていると、定規で肩を叩かれた。座禅みたいにぴしゃりと。

「おい」

「うひゃっ」

「人に話を聞きに来といて、ぼーっとするたあ良い度胸だな、夏ノ日」

「す、すいません教授」

「ったく、もっぺん言うからしっかり聞いとけ。つまりこのエンジンの最も特徴的な部分はだな──」

 僕は第二次大戦中に使われていたというとある戦車の構造と設計思想について詳しく話を聞くと、それをつぶさにメモに書き留めていった。もちろんICレコーダーでの録音もしてある。こんな専門外の知識覚え切れないし理解も難しい。

 聞きたかったことをひとしきり聞き終えると、石泉いしずみ教授の助手の方がおかわりのお茶を持って来てくれた。お礼を言って受け取った直後、今度はこちらが質問される。

「あの、すいません。前から気になっていたんですけど、夏ノ日さんってどんなお仕事をされてるんです? うちの先生に会いに来るってことは工学関係?」

「いや、こいつは言語学者だ」

「え?」

「時々僕も自分の職業がわからなくなります」

 美樹ちゃんといると色んな経験ができる。それらに対処するため本来なら必要無かった知識やスキルも増えていく。

「難儀な嫁さん貰ったな、お前もよ」

「でも楽しいですよ」

 唯一の難点は、とても家族には話せないドキドキハラハラな体験が多いこと。次の調査でもきっと秘密にしなきゃならない思い出が増えるんだろうな。

「現代のイ○ディ・ジョーンズだな、お前らは」

「僕は単なるブレーキですって。一緒にいないと彼女、宇宙まで飛び出してっちゃうかもしれないし」

 まあ、もっと遠いところにも行ったことがあるんだけど。




「雨だ」

 学校から出たら雨がふってきた。朝の天気よほうでは今日はずっと晴れるって言ってたのに。

「友美ちゃん、カサもってないの?」

「うん」

「じゃあ、私のに入っていっしょに行こ」

「ありがとう」

 友だちのローズちゃんがカサに入れてくれたので、二人でじどーかんに行くことにした。ローズちゃんは本当は「バラ」ってかんじで書く名前らしい。でもまだならってない字で友美にはわかんない。ローズちゃんも自分の名前、むずかしすぎて書けないって言ってた。名札もカタカナ。

「そーいえば」

 昔のことを思い出したので、ローズちゃんに話してみる。

「友美がちっちゃい時、雨がふってきたらさ」

「うん」

「おじちゃんがだっこして歩いてくれた」

「なんで?」

「クツがぬれるって言ったら、よかろうって言って」

「よかろう?」

「いいよって意味だって」

「変なの」

「うん」

 おじちゃんは、言葉が変。

「でもいいなあ、私もこんどたのもう」

「おじちゃんに?」

「うちにはおじちゃんはいないから、お父さんにやってもらう」

「だいじょーぶ?」

「なにが?」

「友美の父ちゃん、こないだ友美をだっこしたら、こしをいためた」

「ひんじゃくだね」

「うん」

 父ちゃんは、うんどう不足。




「お待たせー、友樹ともき

「ママ!」

 保育園までお迎えに行くと愛しの息子が飛びついて来た。ふふふ、こやつめ流石は今年で四歳。元気なものよ。愛いやつ愛いやつ。ほーれぐりぐり。

「あうう」

「あー、このほっぺに頬ずりする瞬間がたまらないわ」

「あはは、愛されてるね〜友樹くん。それじゃあ夏ノ日さん、友樹くん、また明日」

「ありがとうございます。明日もお願いします。ほら友樹、先生に手を振って」

「またあしたー」

 ちっちゃいおててをふりふりする息子。ふふふ、見よ先生のあの顔。この歳でもう年上の女をメロメロにさせてるじゃない。我が子ながらプレイボーイだわ。

 まあ、冗談はさておき次は友美の番ね。今日は私が二人ともかっさらっていくわよ、友くん。

 と、夫に対する勝利を確信した私が友樹をチャイルドシートに固定して運転席へと乗り込んだ途端、電話がかかってきた。

 もう、誰よこんな時に? って、社長さん?

「はい、夏ノ日です。お久しぶりです社長。例の幽霊戦車の件なら、友くんが石泉教授に話を聞きに──え、時雨しぐれさんですか? いや、こっちには来てませんけど……急に有給を取った? 連絡がつかない?」

 珍しいな、あのお堅い人が。

「兄さんの方に、ですか? ああ、そっか麻由美ちゃんと歩美ちゃんがいるから。わかりました探りを入れてみます。では、はい、確認次第ご連絡を」


 ふう。


「あれから一年とちょっとか……ついに決意したのかな、あの人も」

 全ての事情を知ってるわけじゃあないんだけど、長いこと苦しんできたとは聞いている。できる限り良い結果になるよう友人として祈ろう。まあ、麻由美ちゃんと歩美ちゃんなら大丈夫だろうし。

「ん〜……一応、私も行った方が……いや、やっぱいいや」

 降り続いていた雨が止んだ。それを見て決断する。私は今回、手も口も出さない。

 自分で決着付けなきゃ、いつまで経っても納得できないでしょ。止まない雨なんて無いのよ。頑張りなさい、自称ただのOLさん。

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