引きこもり教授の受難(仮)

鳥尾巻

第一章

プロローグ

「行きたくない」


 オイデクレス=コンラッド=セオドル=マーテリー3世・33歳は、焦げ茶のシャドーチェックスーツに包んだ大柄な筋肉質の身体を一人掛けソファの上で縮こまらせて、最後の抵抗を試みていた。

 魔法省のトップで魔法学の権威、機械工学の工学博士、通称・教授プロフェッサーの彼は、今日も出勤を拒んで駄々をこねている。


 ライオンのたてがみのような濃い金髪をきっちり撫でつけて、のみで削ったような陰影がくっきりした彫りの深い顔を歪めて渋る。

 言い訳を探して、髪と同じ色をした瞳が落ち着きなく部屋のあちこちを彷徨った。

「私が行かなくても仕事は回るだろう。遠隔鏡モニターで話せば済む事だ」

「いい加減にしてくださいよ。今日は重要なレセプションもあるんですよ?各国から重要人物が集まるのにトップが欠席では示しがつかないでしょう」

 小馬鹿にしたような目で見下しながら彼の腕を引っ張るのは秘書兼護衛のニール=フレイズ。

 耳の上で真っ直ぐに切り揃えた黒髪、よく動く同色の丸い瞳。小ぶりの鼻と唇。形よく整った小さな顔。

 東洋人特有の年齢不詳さはあるが、れっきとした大人だ。細身のブラックスーツに身を包んで上司をキビキビ追い立てる。

 小柄で少年のような見た目ながら、その身体には鋼のような頑強さと放たれた矢のような瞬発力、よく研いだナイフのような切れ味鋭い殺傷能力が備わっている。

「ほ、ほら、ちょっと風邪っぽい。口蓋垂こうがいすいも腫れてる気がする」

「喉ちんこ腫れてるくらいで死にゃしませんよ」

「未知のウィルスかもしれない。ベーチェット病かも!口蓋垂が長いと睡眠時無呼吸症候群になる可能性もある。ああ、どうしよう、死ぬかもしれない」

「プロフェッサー」

 ニールの声が低くなる。危険な兆候だ。

 

 俯いて「死ぬ」とか「嫌だ」とかブツブツ言い続けるオイデクレスの前で、ニールの細い輪郭がぼやけ始める。

 じわじわと黒いスーツの輪郭がにじみ、身長が少し伸びる。赤い10cmヒールに包まれた足が現れ、太腿ふともものかなり上の方までスリットが大胆に開いた真っ赤なロングドレスを着た妙齢の金髪美女に変化へんげする。

『プロフェッサー?早く行きましょ?それとも私とここでたのしい事する?』

 甘ったるい声を吐く真っ赤な唇も女のものに変わっている。

 オイデクレスの膝の間に身体を割り入れて、角張った顎を細くしなやかな指が撫でさする。はだけたスリットからなまめかしい太腿がのぞく。

 彼は見た目通りの生き物ではない。公にはしていないが、闇の眷属けんぞくでオイデクレスの使い魔でもある。

「わああああああ!!」

 オイデクレスは女を押しのけて立ち上がった。全身に蕁麻疹が浮かぶ。

 脱兎の勢いで外に走り出す彼の背後で弾けるようなあざけるようなニールの笑い声が響き渡る。


 恵まれた体躯を持ち、天才の名を欲しいままにしながらも、心配性で、引きこもりで、潔癖症の気がある女性恐怖症のオイデクレス=コンラッド=セオドル=マーテリー3世の受難の一日は今日も始まる。



◇◇◇◇◇


扉絵イラスト

https://kakuyomu.jp/users/toriokan/news/16817330651647744036

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