オトモダチ
「――おい、聞いてたか、小林?」
「あ、あぁ。えーっと……で、何だっけ?」
今日の講義は全て終わり、後は帰るだけ。四限までしかなかったから、外は明るくはないが夕日がその眩しい顔を見せているだけ。
友人と並んで最寄り駅まで歩く途中だった。俺の顔を覗き込むようにして、友人は不思議そうな顔を見せている。
「本当に大丈夫か? やっぱ何かあったとか?」
「い、いや、別に何でもねえよ。その、ちょっと……考え事」
「どうせ小林のことだし、女の子のことだろ」
「ははっ。まあ、そんな感じかな」
笑って見せてはいるが、友人たちから見て本当に俺が笑っているのかはわからない。今、俺はどんな顔をしているのか、一切わからなかった。あいつのことだけを考えていた。会いたいとか、また抱かれたいとか、そんなんじゃない。どう復讐してやろうか、ただそれだけを考えていた。
「またかよ、マジで修羅場とかならないようにしろよ」
「だな! 女子って怒らせると怖いからさ」
友人たちはおどけた調子でそう言ってから、下品なくらいに大きく笑う。笑い声は聞こえてくるのに、口角を上げているのしか見えない。無意識に目を見ないようにしてしまっている。どうしてだろう。こいつらと目を合わせるのが怖い、なんて。
「わかってるっての」
女子たちの本当の怖さは昨日体感したからな、なんて言えないけど。
「あー、今日は俺はここで。んじゃ」
友人の過剰なブーイングを背中に聞きながら、俺の家とは逆方向の電車に乗り込む。少し離れた場所だったら、例え今村でもついては来ないだろうと考えたから。しかし理由はそれだけではない。今日はまた少し違った約束があったから。
ガタゴト電車に揺られている間にも、あいつのことを考えては深呼吸で心を整えた。これからあの人に会うっていうのに、怒りやら悔しさやらに俺をぐらぐら崩されちゃ困る。
窓の外、流れていく景色を見ながら、これからのことについて考える。ほんの数十分だけ先の、未来の話を。
日が傾いてきて、赤く染まり始めた街で降りた。ここから歩いて数メートル、洒落たレストランで待ち合わせだ。
扉の先には、糊のきいたスーツや色とりどりのドレスが食事を楽しんでいる。見るからに大人の場所、といった感じだ。それと比べると俺は少しばかり不釣り合いかもしれない。もう少し服装について考えておくんだったな。
「あれ、もう来てたんだ。ユミ」
長い黒髪をふわりと揺らしながら振り向いた彼女の大きな瞳は、俺を吸い込んでしまいそうに魅力的だった。大学生らしからぬ大人しいコーディネートに身を包んだ彼女からは、甘い香水の香りがする。
「うん。久しぶりに恭平くんに会えるって思ったら、楽しみで」
彼女は俺に柔らかく笑ってくれる。包み込むような温かさを感じて、俺はつい嬉しくなってしまう。向かい側に座ると、彼女は見やすいようにメニューを広げた。それを覗き込もうと彼女は髪を耳にかける。彼女が少し前に身体を傾けると、中身が溢れ出てきてしまいそうだった。
――やっぱりユミが一番だ。
各々選んだ夕食を食べ終え、それから少しの会話を楽しむ。他愛のない会話。互いの大学の話だったり、バイトで起きたことだったり……。本当に何でもない話ばかり。
夜が街を包んで、会話も尽きたとき。どちらともなく立ち上がり、レストランを後にした。本当の目的を果たすため、俺たちは手を繋いでゆっくりと歩き始める。きっと周りから見たらただのカップルに見えるんだろうな。その背徳感が優しくて苦しくて、心地良かった。
目的地に着くまで、言葉はほとんどない。そんなものはとうの昔になくなってしまった。この関係が褒められたものじゃないのは、頭ではわかっている。それでも、やめられない。生きるために俺には彼女が必要で、全てを隠して生きている彼女にも俺が必要だった。
慣れた手つきで部屋を選んで、彼女をエスコートする。これはどちらも理解して同意している、本物のただの遊び。
そうだな、これはある種の契約とも言えるだろう。どちらかが欲したら待ち合わせる。何があっても相手に恋心を抱いてはいけない。絶対にキスをしてはいけない。もし恋人ができたならこの関係は断ち切る。もし相手のことが嫌になったら関係を解消する。どちらかにトラブルがあろうとも責任は一切負わない。期限はない。いつか必要がなくなるまで。そういう契約。
ゆっくりユミをベッドに沈め、彼女の眼鏡を外す。恥じらいなどない。ほんの少し口角を上げて、俺を求めている。こんなにも真面目そうなユミが俺と定期的に遊んでいるなんて、彼女の知り合いが知ったらどう思うんだろうな。
挑発するように潤んだ瞳で、煽るように上目遣いで見つめてくるユミを、その柔らかい肌をきつく抱き締めた――。
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