最終話 『俺は勇者じゃない。勇者アークだ』



――フゥ



 妙にテカテカした俺は未だ賢者モードのまま、朝を迎えた。実に清々しい朝だ。俺は洗面所で顔を洗うと一階の食堂へと降りて行く。


 そこで朝食を取ったら早々に村長の家に行こう。そして、長かったような短かったようなこの旅の終わりが訪れるのである。


「おはよう」


 三人は既に着席していた。そこで俺は妙に爽やかな挨拶をする。いつもであれば、イリアが『おはようございます、勇者様!』なんて元気よく挨拶を返してくるのだが今日は違った。イリアは頬を膨らませて何かに拗ねていたし、他の二人は、んー、なんというかモジモジしていた。


「おはよ……」


 オリビエはなんて俺に返すと頬を朱に染めてそっぽを向いてしまう。俺が横に座るとウィズは椅子をズズっと横にずらし、何か言いたげな表情で俺の方に視線を向けたり、反対側にそれを向けるを繰り返し妙に挙動不審であった。


 昨日から、この三人はどこかおかしい。俺が嫌われたというのであれば分からなくはないが、どうやらそうではなさそうだし。まったく意味が分からない。


 このまま会話をしても、微妙な空気が増すだけだと判断し俺は四つ朝食を注文すると、それが到着するまで再び微妙な重い空気にさらされる。


何だろう? 『この空気、悪くないぞ』なんて本能が告げていた。



「あー、早く暴れたいわ!」


「ボクもそうです!」


「珍しく、ウィズも同意なのです!」


 食事が終わると早々に彼女たちは妙にテンションを高めて宿を出る。


 本来、オリビエの役目なのだろうが交渉事は俺の役目となる。道行く人に村長の家を訪ね、ようやく到着。


 長い顎鬚を垂らした誠実そうな男性であった。俺はクエストの内容について確認する。鉱山の村であるコマルはいくつかの廃坑を抱えている。その一つとその周辺にモンスターが大量に発生したとの事。そこで、まだ実害があるわけではないが放置するのも危険なので退治を依頼。簡単に纏めるとこんな感じである。


 オリビエから聞いていた話と全く一緒である。しかし、流石田舎の人間と言うか、のんきと言うか……、困っている感じもなく。更には「折角来てくれたのだから退治は明日にして、今晩はささやかではあるが村の皆でもてなしたい」なんて言ってくる始末だ。


 嗚呼、なんとなく歓迎されている感じがする。そう言えば、と俺は回想する。村長の家を道々で尋ねたのだが、村民たちの態度は実に友好的で親切であったのだ。


 ずっと、ニートとして生きてきた俺にとってそれは心地よくも、気恥ずかしいものでもあり。本来、勇者というものはこうやって迎えられるのだろう。なんて考えると耳の辺りが熱くなるのを感じてしまう。



「いいものだな」


 村長宅でお昼を御馳走になり、トンテンカンと櫓らしきものを組んでいる村人たちを眺めつつ俺は呟く。どうやら宴の会場を作ってくれているようだ。


「こんなに歓迎してくれるんだ。明日は絶対に勝とうな」


 珍しくやる気満々の俺は再び呟く。実際は呟いているつもりなどはないのだが、今日は誰も俺の話に乗ってきてくれない。無視されてしまうと、折角の上機嫌が台無しになってしまうので俺はずっと呟いている事にしていた。


「さて、何もしないのも居心地が悪い。現場の視察にでもでようか。うーむ、しかし俺一人だと心細いな。誰かついてきてくれないものか……」


 などと、白々しいにも程がある呟きを洩らす。そして、目的地へとゆっくりと歩みを進める。



――ふむ、やはりそうだ。



 ミニマップより俺を示す青い点のすぐ近くで三つの点が後を追っていた。それで、確信する。彼女たちに嫌われてない。だが、三人のよそよそしい態度はなんだ? 意味が分からん……。かと言って、どうやってそれを確かめていいかが皆目見当もつかない。困ったものだ。


 まあ、と俺は心の中で呟く。彼女たちの気持ちを理解してやるにはコミュニケーションの経験値が決定的に足りない俺はなんとなく良い風が俺に吹き始めているのだと勝手に結論付ける。


 そして、歩みを止めると彼女らに手招きした。



「これは、モンスターハウスだな……」


「そうね」


 俺はゴクリと唾を飲み込んで呟くと、オリビエが短く同意を示した。


 ミニマップの端に赤い点が映ると、俺たちは用心深くそれに近づいて行く。徐々に増えていく赤い点。更に用心深く、それらが目視出来るところまで近づき手頃な岩陰に隠れる。


 モンスターを召喚するモンスターホールはランダムで現れる。ランダムである故に稀にこういう現象が起こるのだ。つまり、ホールの近くに別の――それも複数のホールが出現してしまう現象。それを俺たちは『モンスターハウス』と、呼んでいた。


 軽くモンスターの数を数えると、俺たちは素早くその場を撤収した。



「おい、オリビエ。これ、本当にレベル1のクエストなのか?」


 クエストどころか冒険自体が初めてである処の俺は思いっきりしかめっ面でそう尋ねる。


「そうよ。今回は何と言うか――運が悪かったわね」


 オリビエは説明した。クエストの難易度は目撃者の証言から決定される。これを必要そうであれば国が調査し難易度の最終決定がなされる。


 今回の場合は『コボルト大量発生につき、これの殲滅』がクエスト内容である。最下級のモンスターであるコボルトごときには一々、監査が入らないそうな。


「だとしたら、これはひどい!」


 俺の抗議はもっともであった。


 あの場で見えた数、約三十。坑道の入り口付近にも敵が見えた事から廃坑の中にも敵が潜んでいると見て間違いはない。すると、推定四十から五十……。洒落にならない数字である。


「数は多いとは言ってもコボルトなら……」


「冗談じゃない!」


 イリアの言葉を俺の怒声がそれを遮る。


 今回の俺は真面目だった。臆病風に吹かれたわけではない。確かに、コボルト数匹の集団を倒したら次、倒したらまた次。みたいに、連戦方式でいけるならどうにかできる可能性が高い。


 だが、今回は駄目だ。間違いなくアドる。アドってのは簡単に言うと俺たちの用語で戦っている最中に別の敵が参戦してくる事を意味する。四対数十匹。何度も言うが実質、三対数十……。考えるまでもなかった。仮に、序盤優勢であったとしても後半で押し返される事は明白であった。


 では、とりあえずやってみて、振りを悟ったら逃げよう。なんて考えはもっての外である。大乱戦の中で逃げ出すなど、死期を早めるだけだ。


「冗談じゃない!」俺はもう一度、大きな声を出すと思いの丈を一気にぶちまけた。「いいか? 確かに、俺は経験値を必要としている。このクエストはやり遂げたい。何せ時間ももうそんなに残っていないからな。しかしな、それにどんな価値があるって言うんだ。それを得る対価として、イリア! それともウィズか? もしくは俺かもしれない。いや、あるいは全員かもしれない。いいか? そんなちっぽけな事の為に、それら大事なものを失うだけの価値はあるのか? 俺は『ない』と、断言する。もし、世界がそれに価値があると言うのであれば、俺はそんなものいらない。一生ニートのままで十分だ。一生ニートのままで周りから馬鹿にされて生きた方が遥かにましだ!」


「なら、私だけでも――」


 オリビエの言葉が俺の怒りを加速させる。


「オリビエ、お前もだ! ふざけるんじゃないぞ。勇気と蛮勇は別のものだ。もし、その続きを言ってみろ。この場で押し倒してメチャクチャにしてやる! この間なんてもんじゃない。メチャメチャのグチャグチャだ。お前が二度と馬鹿な事を言い出さないように、徹底的に汚してやる。それでもいいなら続けてみろ!」


 俺の感情の爆発に三人は押し黙り、俺は涙した。


 それは以前の悔し涙ではない。それはもっと、もっと純粋な涙であった。



 そんな中でも、厭らしい俺は考えていた。『仲間たちを失いたくない』これは間違いなく本心からである。しかし、経験値も捨てがたい。そして、村人たちも助けてやりたい。これも本心であった。そんな厭らしい俺は捨てかねている。


「少し――宴の時まで時間をくれ」


 だから、俺はそう言い残し部屋へ籠った。


――実に困った……。



 珍しく俺は真面目に困っていた。部屋に籠ったのはいつもの逃げではなく本気で考えるためであった。


 困っている理由は簡単である。経験値が惜しい。これだけの理由だ。冒険とは傷つく覚悟が必要である。死ぬ覚悟は必要がない。オリビエに言った通り勇気と蛮勇は別のものである。だが……、村人たちはいい人だ。出来れば助けてやりたい。だから、俺は困っている。



 いくつか解決策を考えてみる。



その一、素直にリタイアする。これが一番、簡単かつ確実である。村人たちには悪いが仲間を失うわけにもいかない。しかし、これによって俺はニートに逆戻りとなる可能性大。



その二、救援を出す。これが次点での良作である。冒険者ギルドに救援を要請し、大レイドで敵を殲滅する。これなら安全かつ良心も傷まない。だが、それにはどれくらいの時間が掛かるか不明である。タイムアップの可能性大。



その三、玉砕する。考慮に価しない。それなら俺は素直に逃げる。



 まいったな……。詰んでるじゃないか。俺はベッドに大の字になって天井をボーっと見つめる。そして、苦笑する。


 まいったな……。あいつらに出会う前の俺なら迷わず逃げていたはずだ。何だろう? 俺は勇者になりたがっているのかな? そんな事を思い苦笑してしまう。


 他の勇者なら――たとえば爺さんだったら、こんな時どうしたんだろう? こんな事に思いをはせる。


 ふと思い出す。


『私たちは同じ勇者だけど、お互いに別々の人間なのよ。勇者アーク君』


 そして、俺は笑った。今度は苦笑ではない。高笑いだった。



「アークさん……」


 ウィズが神妙な顔で何かを言いかける。他二人も似たようなものだった。昼間までのどこか余所余所しいそれではない。俺がリタイアを宣言する。そう確信しているような暗い表情であった。


「今回は残念でならないのです」


 この子たちも、この子たちに考えていたのだろう。


「何を言っているんだ?」


 対して俺の表情は明るい。「え?」っていう彼女の意外そうな表情をよそに俺は続けた。


「本題に入る前に……だ。オリビエ! お前の俺に対する印象ってのはどうだ? 忌憚のない意見を述べてくれ。遠慮はいらない。ずばっと斬ってくれ」


「え?」オリビエはいぶかしんだ表情を見せると「んー、そうね……」と続ける。


「一言で言うと、馬鹿ね。ちょっとは頭が切れて口が上手いところはあるけれども、そう、やっぱり馬鹿ね。ヘタれな癖に、妙に恰好つけたがるし。すぐ他人と比べて拗ねたりするし。スケベでウソ付きで狡賢くて、すぐ無いものねだりするし。弱いし、碌に役にも立たないし……」



――もう、やめたげて! アークさんのHPはとっくに0よ!



 酷く言われる心構えはしていたつもりだが……、やはり実際に言われると来るものがあるね。涙が溢れないように上を向いておこう……。



「でも、ボクを助けてくれました。オリビエさんの言う通り、どうしようもない人ですがそれでもボクの大切な勇者様です」


いつものニコニコ顔を見せるイリア。



――おお! ブルータスよ、お前もか! 



 イリアさんよ、お前様はフォローしたつもりなのだろうが、世間一般でそれは追い打ちって言うんですよ……。



「……でも、少しはカッコいい所もある……かな?」


 オリビエは、こう言うと少し頬を赤らめて拗ねたような表情をするとそっぽを向いた。それに合わせてイリアとウィズは、まるで同意を示すようにクスリと笑った。


「つまり、俺は俗物だって、欲深い奴だって話だな?」


 俺はここで無理やりニヤリとニヒルに笑い。


 そう、俺は欲深いんだ。仲間を失いたくないし、経験値もほしい。全部、まとめてかっさらってやる。だから……。


「結論から言おう。クエストは遂行する。方法はだ……後ほど説明する」


 こう言って三人にウインクをした。



 空が赤らんで来ると、村人が「宴の準備が出来た」と、案内してくれる。そして、俺は意気揚々と、三人は不安げに俺の後に付いて来る。


 俺たちが到着すると、村長が俺たちを紹介し、村人たちは拍手で迎えてくれた。村長の話によると村人全員が参加してくれたらしい。確かにぱっと見でも百人以上はいるようだった。楽しみの少ない田舎の村故に、単に興味本位の者もいるのではあろうが実にありがたい話だ。それ故に、少し心が痛む。


 俺は終始上機嫌で食事や飲み物にガッツき。街の様子や冒険の話なんかをねだってくる彼らに快く答え、櫓を中心とした踊りの輪に参加したりした。


 腹も膨れると『さて、そろそろだな』なんて俺は心の中で呟き、覚悟を決める。まだ、夕刻である。先送りにして村人たちに酔いつぶれられても困るし、明るいうちに終わらせた方が安全なのであった。



「諸君! 聞いてほしい事がある」


 本来なら剣の方がいいのだが、残念な事に今の俺には剣がない。俺は事前に拾っておいた杖ぐらいの木材を手に取ると、勢いよく櫓に飛び乗りそれを掲げ宣言する。


 テンションがぐんぐん上がってきた村人たちは目を輝かせて俺に注目する。恐らく、俺の勝利宣言でも期待しているのだろうが、ところがどっこい俺はそんな上等な人間じゃあない。


「まずはお礼を言わせてほしい。我々の為にこの様な宴を開いて頂き感謝の言葉もない」


 こう言い深々と頭を下げた俺に、村人たちは歓喜の声援や口笛などで応えてくれる。


 ハッタリだ。それこそが俺の真骨頂である。俺は弱い。だからこそ、これに賭けるのだ。


「そして、私は諸君らに謝罪しなくてはならない。我々では諸君らのお役には立てないと!」


 俺は一度言葉を切る。辺りがざわめきだった。


「誠に恐縮ではあるのだが我々だけでは敵に勝てないのである」


 ざわめきに怒気や非難が混じり始める。当たり前の話だった。


「もう一度言わせてもらう。我々だけでは敵の殲滅は不可能なのだ!」


 群衆から罵声と共に俺めがけてジョッキが飛んでくる。俺は避けない。敢えて額でそれを受ける。額から生ぬるい感触が伝わってきた。当然、痛い。


 だが、俺はそれを表情に出す代わりにキッと群衆を睨みつけ続けた。


「不甲斐ない我々を罵るのは構わない。私は甘んじてそれを受けよう。だが! 先刻、我々が偵察に行ったのは諸君らのよく知るところである。敵は――確実にこの村に歩みを進めているのだ!」


 まったくの嘘ではあるが、俺の予定通り大きなどよめきが起こった。


「だから、私は恥を忍んで今ここで諸君らに伝えているのだ。いや、今回はここまで攻めてこないかもしれない。しかし、次はどうだ? あるいは村の直ぐ近くに敵の群れが現れたとしたらどうするのだ?」


 俺はまるで威嚇するように、ゆっくりと周囲に視線をめぐらしていく。俺と目が合うと村人たちは視線を下に向けてしまう。


「その時も冒険者を――勇者を頼るのだろうか? その通りだ。我々、冒険者はそれが役目だ。だが! 愛する者が掠奪者に蹂躙されつつもそれを待つのかと私は諸君らにそう尋ねている!」


 下を向いてしまった村人たちの皮膚が赤みを帯びてきたのを、あるいは彼らが細かく肩を震わせるのを見て俺は勝利を確信し、更に煽った。


「諸君らは怯えながら待てばいい。それが正しい選択だ! 他人の犠牲を当然と受け入れて生きればいい。違うと言うなら武器を取れ! 私は言った。『我々だけでは勝てない』と。しかし、『だけ』ではなくなればどうだろう? いや、諸君らの力が加われば間違いなく勝てるのだ。それも、『誰一人欠ける事なく勝てる』と、私はここに宣言する!」



――ウオォォォォオオ!



 俺が棒を天高く掲げると、村人たちは雄たけびを上げながら、それに倣い自らの拳を掲げた。



 俺は勇者じゃない。勇者アークだ。


そして、俺という奴は多少口が上手いだけのちっぽけな奴だ。コボルトだって一人じゃあ倒せない。そんな情けない奴だ。


 だから、俺は自分を使う。いや、使い切る。誰に何と思われたって知ったことじゃあない。何故なら、これが俺だからだ!



 この後は散々だったさ。


 その手に鍬を斧を携えた村人たちを率いて一気に攻め込んだのだ。元々、コボルトって奴は少し腕っ節が強い程度の奴ならタイマンで勝てるって位、弱いんだ。


その上、数はこっちの方が多い。だから、散々だったさ。


 もちろん怪我人はでた。立場上、先頭を行かなくてはいけない俺に至っては何箇所か軽く斬られる始末だった。だが、俺の宣言通り一人の死者も出さずに敵の殲滅に成功した。



 戦闘が終わると上がりきったテンションが切れたのか戦闘に参加した大半の奴がその場に座り込んだり大の字に寝転んだりして余韻に浸っていた。当然、最前線で戦った俺たちも、輪になって寝ころんでいた。


「さ い て い」


「でも、かっこよかったろ?」


 そんな中、オリビエが妙に嬉しそうに俺を罵ると、俺はにやりとする。そして、四人で一斉にプッと笑い出してしまうのだ。


「でもさ、皆が乗ってこなかったらどうするつもりだったわけ?」


「そりゃ決まってるさ。その時は逃げるに決まっている。なんせ、俺はニートだからな。世の中や、色々なものから逃げる事だけは得意なんだぜ?」


「やっぱ、あんた最低よ」


 そう言ってまた笑った。



 やがて暗くなると俺たちは撤収する。流石に今日は疲れたよ。早く宿に戻って泥のように眠ろう。



 そんな中、どこか懐かしいファンファーレが風に運ばれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る