第1話 私の好きな人

 札幌、初夏の夕方。

 コンビニに出勤すると、菓子袋の陳列棚がスカスカだった。

「うわ、補充追いついてない……!」

倉本くらもとさん、おはよう」

 連勤続きで青白い顔のオーナーが、カップ麺の陳列棚から消え入りそうな笑みを向けてくる。このままだと確実にゾンビ化しそうで、いよいよ本気で心配になってきた。

「ごめんなさいね、倉本さん。こっちは終わったところだけど、まだそっちまで手がまわってなくて……!」

 人手不足すぎて泣ける。っていうか。

「お、おはようございます。また誰か辞めちゃったんですか?」

「そうなの。挫折しましたって新人さんにドタキャンされちゃったの。明日から奥さんがヘルプで入ってくれるけど、また急いで募集かけなくちゃね」

 勝手にお会計をしてくれる賢いレジが導入されているとはいえ、コンビニバイトは誰にでもできそうで、実はけっこう覚えきるまでのハードルが高いのだ。

「あとは私がやるので、オーナーは奥でいったん休んでください」

「ありがとう。でも僕けっこうハイなゾーンに入ってきちゃってて、わりと平気なの」

「いやいや、それ百パー勘違いですから、休めるうちに休んでください!」

 オーナーを事務室に押し込め、椅子に座らせた。勤怠をパソコンに打ち込み、リュックをロッカーに放り投げ、私服の上に制服を羽織って早くも戦闘態勢に入る。

 小さいながらも駐車場完備の路面店なので、お仕事帰りの混みあう時間が迫っている。一分一秒を争えない激務に備えながら、気合をいれて未陳列の棚に商品を素早く補充していく。そのとき、

「おはよーございまーってか、えっ、うっそ。倉ちゃん先輩早すぎってか、あたしもしかして遅刻っすか!?」

 同じシフトになっている専門学生のちーちゃんが、スマホを二度見する。大丈夫だと理由を告げると、「自分も加勢するっす!」と奥に消えた。

 レジをちーちゃんにまかせ、私は目にもとまらぬ速さで菓子袋を並べていく。自慢じゃないけれどコンビニバイト歴五年の私の陳列は、めちゃくちゃ美しいのだ。

「うわ、陳列ハンパねえ」

「パズルみてえでウケる! すげえな」

 大学生風の二人組が、早くもスマホで撮影してくれる。さあ、思う存分撮るがいい! 心の中で叫んだとき、カウンターのちーちゃんが私に目配せしてくる。はっとした私は、肩越しにそっと自動ドアを振り返った。


 きた。私の、絶賛片思い中の人がきた!


 年齢は私よりも少し上で、どちらかといえば小柄。黒髪のショートは前髪が眉の上で爽やかで、いつもスーツ姿にシンプルなバックパックを背負っている。

 数か月前から同じ時間に同じスタイルであらわれるので、おそらく会社帰り。たぶん、このあたりに引っ越してきた人だと思う。今日は金曜日ということもあってか、友達っぽい男性と一緒だった。

 ちーちゃんに言わせれば、「めっちゃフツー」。

 イケメンすぎるわけでもなく、有名人の誰かに似ているわけでもない。でも、私は彼のいいところを見てしまっていて、もうそれだけで特別な人になってしまったのだ。

 はじめて彼を見かけたのは、夕方過ぎの横断歩道。大きな買い物袋を持ったおばあさんが杖をつきながら歩いていて、さりげなく近づいた彼は姿勢を低めて話しかけ、荷物を持っておばあさんと一緒に歩道を渡った。おばあさんはお礼を告げ、彼はにっこりと会釈してその場を去った。

 その光景を眼鏡越しに目にした瞬間、キューピッドの矢が私の胸にズキュンと刺さったような錯覚を覚えた。胸が苦しくて息ができなくなるほどときめいてしまったのだけれど、名前も知らないし二度と会うこともないのだからと諦め、勝手に盛りあがった恋心を必死に瞬殺させた。

 その数日後。

 柴犬を散歩させるおじさんとすれ違ったとき、「かわいいですね」という声が聞こえて振り返る。すると、犬のそばにしゃがみ、わしわしと撫でている彼がいた。

 おじさんと話す彼の声をはっきり覚えておきたくて、誰からも着信がないのにスマホを確認するふりをしながら、二歩ほど退いてしまった。

「名前はなんですか」

 優しくてなめらかな声だった。おじさんは「タロウ」だよと、直球すぎる名前を伝える。彼は「そっか、タロウか。いい子だね。また会おうね」と言って、おじさんと笑顔で別れた。

 ――いい子だね。また会おうね。

 私にもそう言って、頭をわしわしと撫でてほしい。いますぐタロウになりたいと思ったとたん、瞬殺したはずの恋心はむくむくと勝手に育ち、残念ながら消えることはなかった。

 その翌日、私のシフトのときにコンビニにあらわれ、飛びあがりたくなるほどの歓喜に耐えたのは言うまでもない。

 どうにかなろうなんて思っていないし、どうにもならないのはわかっている。

 名前や居場所をつきとめる真似も絶対にしたくないし、彼の生活をおびやかすようなこともしたくない。ただ、このコンビニにきてくれたときだけ、ここの周辺で見かけたときだけ、いまみたいにきゅんとしてときめくくらいは許してほしいと、心のなかで彼に告げる。

 いつか、かわいい女の子と一緒にくることだってあると思う。私の片思いは、そのときまでの期間限定だ。

 コンビニの店員はよほどの美女かイケメンでもないかぎり、お客さんにとってはレジと一体化した透明人間。十代でかわいいちーちゃんならまだしも、年中ひっつめた髪で眼鏡をかけている地味な私の存在は、ただでさえ影みたいに薄い。ここではそれに輪をかけて透明なはずなので、私の姿は彼の目に映ってもいないだろう。


 でも、それでいいのだ。私は。


「おまえ、さっき本気で危なかったぞ。信号ちゃんと見ないと、いつか轢かれるからな。気をつけろよ」

 彼と一緒の男性の声が聞こえた。

「ごめん。でも、青に見えたんだけどな」

「がっつり赤だったじゃん。ちょっと前も似たようなことあったしさ、眼科とか行ったほうがいいんじゃないか」

「うん、そうだね」

 体調を崩してるのかな。心配だ。

 陳列棚から腰をあげようとした矢先、お客さんの触れた菓子袋が時間差でバランスを崩し、棚から落ちそうになる。

 床に落ちるのを阻止すべく、急いで手を差しのべようとしたとき、背後から先に手がのびる。菓子袋を下から包み込む長くてきれいな指先に、視線が釘付けになった。

「はい、これ」

 ついいましがた耳にした声の近さに、固まる。なんとか振り返ると、彼がいた。

「というか、俺がここに戻せばいいですよね」

 そう言った彼は菓子袋を棚に戻し、落ちないようにくいくいとつまんでバランスをもたせた。

 お礼を言わなくては、言わなくては――早く言わなくては!

「あ、ありがとう……ございます」

 耳まで真っ赤になっていくのがわかる。恥ずかしいけれど止められない。

 控えめに微笑んだ彼は、照れくさそうに軽く会釈し、ドリンクゾーンに向かっていった。

 うわ、やった! はじめてしゃべってしまった!

 間近で見た彼は、さらにさらに素敵だった。ああ、やっぱりいいな。すごくいいな。もうほんと、最高すぎる!

 急いでレジに戻る。混んできたので、彼のお会計担当はちーちゃんになってしまったけれど、去っていくうしろ姿に私は言った。

「ありがとうございました!」


 勝手な片思い、ウザくてすみません。

 でも、私はあなたがとっても好きです!

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