精神感応少女とタンデム

うららか山脈

第1話

 高校2年生の夏休みが明けた。高校3年間の総授業日数606日を懲役のように消化する日々が再開する。自分の将来に何一つ有益にならないであろう始業式に向かうため、1人暮らしをしているアパートの鍵を締めた。


 いくつの頃からだろうか、私――夜船コハク――には人の心の声が聞こえる。いわゆる 精神感応テレパスだ。

 半径50メートル以内の範囲の思考が見えない手によって脳みそに直接ねじ込まれるように、他人の思考を言語として届けてくる。私が望む望まないに関わらず。おかげでいろんな人間関係のトラブルに巻き込まれっぱなしだ。小・中学校に通っていた頃はこの力の危険性を自覚できず人間関係のトラブルを起こしてばかりだった。同級生にも先生にも気味悪がられ、両親にも距離を置かれている。


(子育て、どこで失敗したのかしら……)

(やっぱり産ませるんじゃなかったなあ……流石に結婚までしてて堕ろせなんて言えるわけなかったけど。独身で男連中でつるんでるダチを見てると楽しそうだよなあ……こんな問題児抱えちまって……めんどくせえ)


 一緒に住んでいた頃何度もねじ込まれた、無遠慮な両親の心の声。

 分厚い心の壁のように伸ばされた前髪の奥に潜む私の表情は、なにも変わらない。変えないようにいつしかなっていた。



 アパートを出ると朝だというのに嫌になるほどの蒸し暑さだった。高校までは徒歩で5分ほどだが、すぐに汗でびっしょりになってしまうこと間違いなしだ。夏休みは例年通り家で引きこもりまくっていた私にとって、他人と同じ空間に存在し思考をねじ込まれ続けるのに加え、この蒸し暑さも私の気分を暗くさせた。そして、


(ユウコ、夏休みにウチのグループの遊び誘わなかったからどうフォローしようかなあ、いっつも彼氏の自慢とかで面倒くさいんだよなあ)

(学校とかダリいなあ、遊びすぎて金欠気味だしソウマのやつからゆすんねえとなあ、ゴム代も馬鹿になんねえよホント)


 登校途中の生徒の思考がねじ込まれ始めた。みんな思い思いの青春ってやつを過ごしてきたのだろう。私には一切無関係の普通の青春ってやつだ。かなりの進学校に通っているけれど、高校生の夏休みだ。みんなそれぞれ楽しい夏休みの思い出に浸っているようだ。鬱々と、将来的に引きこもってでもお金を稼げるようにフリーランスになる準備している私とは大違いである。




(……ズレてない?)

(やっぱカツラだったんだあの校長……)

(体育館の照明で輝きすぎだよ校長の頭頂……あとでつぶやいとこ)


 始業式が始まった。普段なにをやっているんだか不明な校長とかいう生物が長々と催眠音波を発している。どうやら私達生徒に向けてのありがたい言葉らしいが周囲の心の声に邪魔されて私には内容が頭に入ってこない。いや、恐らく心の声なんて聞こえなくても同じだろうけど。

 校長が普段頭にひっつけている最後のプライドの象徴たるカツラがほんの少しズレていた。私は心の声によって入学当初から知っていたけれど、ついに全校生徒に周知されることとなったようだ。おかわいそうに。いつもの始業式と違って何百人もの心の声が校長のズラに統一されている状況が面白く、周囲の声を珍しく楽しんでいた。


(ズラ山先生さあ、ズラに金かけるくらいならもっと生徒に還元しなよ)

(俺の父親もハゲてきてるから遺伝的にいつかハゲるのかなあ……ああはなりたくねえ)

(帰ったら速攻乗るぞ乗るぞ乗るぞ)


 ん?なんだろう?こんな面白い光景の中、校長のズラ以外のことを考えている子がいる。隣の列の1年生の男の子っぽいな。興味を惹かれたので自分から見えない手を伸ばしてみた。


(乗るぞ乗るぞ乗るぞバイクバイクバイクバイク)


 バイク?バイクって高校生でも乗れるんだっけ?1年生の子が?

 全校生徒と全教職員が校長のズラにことを思考している中バイクのことを考えている男の子が気になって、その男の子をじいっと見つめた。視線を向けて集中することで心の声だけでなく脳内の映像も感じ取れる。


 「刀」と漢字で書いてある黒を貴重としたゴツイバイクだ。男の人が好きそうだけどちょっとおじさん臭いかも。とても高校1年生が、しかも私とそんなに背丈が変わらないこの子が乗るようなものとは思えない。

 じっと見ていると、ふとその子と目が合った。慌てて目を逸らす。変な人って思われちゃったかも。上級生の、ホラー映画でテレビ画面から這い出てきそうな長い髪――ちょっとくせ毛だけどね――をした女から急に見られたら不審に思うだろう。


(帰ったら速攻乗りてえ、いや、もうサボっちゃうか、流石にまずいか早く学校終われーーーーー)


 そうでもなかった。彼の脳内は早くバイクに乗りたい気持ちでいっぱいだ。

 

 みんなああいう風に好きなことに対して心がいっぱいだったら、人の心の声が聞こえるなんて力のことも好きになれたかもしれない。




 ヤバイ、ヤバイよバイク1年の彼。


 始業式から数日後、私は教職員の心の声を聞いて本日の帰りのホームルームで抜き打ちの手荷物検査があることを知った。主目的としては3年生が校則に背いて夏休み中に車の免許を取得していないかを確認する検査で、財布の中まで確認する徹底した検査みたいだ。校則で取得が禁止されている免許や所有が禁止されている車の鍵を見つけたら退学処分にすることを検討するらしい。もちろんバイクも同等だろう。田舎で交通機関に乏しい地域ならまだしもバリバリの都心の高校である。普通二輪免許取得もバイクの所持もバレたらヤバイ。


 ここは私が彼に忠告するしかないだろう。


 ほっとけばいいって?賢い人ならそうするかもね。でも、そこまで冷たくなれない。こんなだから人間関係のトラブルを起こしちゃうんだろうとわかってるんだけど、こればっかりは仕方ない。




 昼休み、彼――朝山ヒロ――のクラスを訪ねた。

「朝山くんいる?ちょっと話があるから着いてきて」

 上級生が訪ねていきなりの呼び出し。クラスが少しざわつく。色恋沙汰関係の勘ぐりをするには十分すぎるシチュエーションだ。

「え、わ、わかりました」

 困惑しながら彼は人気の少ない階段付近の踊り場まで着いてきた。


「今日、手荷物検査があるらしいから気をつけてね。」

「え、なんで知ってるんですか、それに俺別に変なものなんて持って……あ、いやー持ってないっッスよ」

(免許とバイクの鍵見つかったらマズイとこだった。というか、なんで俺が手荷物検査で見つかったらヤバイもん持ってるの気づいたんだ?)

 思考を読む。まあそうなるだろう。

「私、人の思考が読めるの」

「はい?」

「君、初恋はいつ?」

「え?」

「ふうん、小学校で同じクラスだったリカちゃんか。中学校から別々の学校になって離れ離れ。告白もできず。だけど気になっちゃってTwitterのアカウントは特定して捨てアカで監視してると。」

「ちょ、ま、まってまってまってください!」

「わかった?だからバイクの免許と鍵どっかに隠したほうがいいよ」

 じゃあね、それだけ言って立ち去った。

 ヒロ君は呆然と立ちすくんでいる。まあ無理もない。

 とりあえず彼が退学処分になることは免れるだろう。彼の思考パターンを読むに、学年の違う私のことを周囲に言いふらすことも、多分しないだろう。




 放課後、帰宅しようと校門に向かうと彼がいた。

「先輩、助かりました。ほんとに手荷物ありましたね。」

「バレなかったみたいだね」

「ありがとうございました!助かりました。それで相談なんですけど、これからお礼も兼ねて2人乗りでお台場にレインボーブリッジ見に行きませんか?ここからなら1時間半くらいで行けるんで。」

 レインボーブリッジ、名前は聞いたことあるけど実際に見たことはないな。彼には言葉以上の意図はなく。お礼の気持ちで誘ってくれいるようだ。

 普段だったらこれ以上厄介なことに巻き込まれたくないから、こんな誘いには乗らないとこだけど、少しだけ興味を惹かれる。気まぐれで私は言った。

「いいよ、見てみたいし。」

「よかった!じゃあ俺の家まで行きましょう。」


 改めて自己紹介をはさみつつ10分ほど歩く。彼の家は一軒家が並ぶ区画にあるごくごく一般的な家だった。

 小さい庭に鎮座するゴツくて黒いバイク。陰キャオーラ全開の引きこもりコミュ障の私がこんなものに乗ることになろうとは。人生何があるかわかんないね。


「死んだじいちゃんが譲ってくれたんだ。親は危ないからやめろって言ってるんだけど、バイトした金で教習所通って免許までとったら勝手にしろって」

 いつの間にかタメ口になってた。ちょっと生意気。だけど、心が読めるなんて力を気味悪がらず普通に接してくれて心地が良かった。

「かっこいいね」

「だよね!だけど学校の奴らにも内緒にしてるからなかなか二人乗り《タンデム》できなくてさあ。はいこれヘルメット」

 ヒロ君がヘルメットを付けているのを見ながら見様見真似でフルフェイスのヘルメットを装着した。頭全体が包まれる感触に安心感を覚える。

「じゃ後ろ乗って、ここに足を載せて、あと走ってる最中は腰にしっかり掴まって」

 思ったより狭くて密着する。ただ、ヒロ君には男子にありがちな下心はないようだ。純粋に二人乗り《タンデム》がしたいようだ。私もより楽しみになってきた。

「じゃ、行こうか」





 住宅街から少し走り新宿を抜けて銀座まで来た。夜の銀座はいかにもな高級店が並ぶ街並みが人工の光で輝いていて、静寂に満ちていた。風を切る感触。下半身に伝わるバイクの振動。ヒロ君の頼もしさを感じる背中。そしてそれを楽しむ気持ちでいっぱいな彼の心の声。

「日帰りだとここを抜けてお台場まで行って帰ってくるのが都内のツーリングの定番らしいんだ。」

「楽しいね。風を切る感じとか夜の町並みとか」

 いつぶりだろう。こんな純粋な気持ちで楽しんでいるのは。何よりヒロ君の声とバイクで走る感触によって周りの心の声が感じられないのが私にとってすごくいい。

「学校言って授業受けて部活して勉強して、いい大学入っていい会社に入る。それも大事かもしれないけどさ、今を楽しみたいんだ。社会のルールに囚われないで今したいことそのままやって楽しみたい。だから俺はバイクに乗っている」

「うん、わかるよその気持ち」

 本心からの言葉であることを私が一番わかっていた。

 そして私の心も彼と同じ、今が楽しい。腰に掴まっている手を意識する。彼と二人乗り《タンデム》で体を密着させて、心も密着している。





 すごい。映画みたい。

 レインボーブリッジのイルミネーションは白色のライトアップから、時間によって段々と緑色に変わり、また白色に戻る。とても幻想的なものだった。

 近くのコンビニでバイクを止め、私はコーラを飲みながらイルミネーションを見ていた。

「夏は白と緑のパターンで、冬になると白とピンクのパターン、あと期間限定で虹色になるらしいよ」

 ヒロ君はアイスコーヒーを飲みながら教えてくれた。

「レインボーブリッジってホントにレインボーになるんだ!ピンクもかわいいだろうなあ」

「また来ようよ。抜き打ちの検査あったらまた頼むぜ」

「任しといて、私にとっては抜き打ちでもなんでもないからね」

「ははーコハクさまーー」

 拝むような仕草をしてふざけるヒロ君。それにしても私の力を気持ち悪がらないで受け入れるのはおおらかというか、大物だなあ。

 私の力に気づいた人や、私から仕方なく打ち明けた人はこれまで何人かいたけど、鼻で笑うか気持ち悪がるか、共通するのは距離を置くことだった。絵が得意な友人にイラストを頼むような、勉強の得意な友人に教えを請うような気楽さで私の力を頼ってくれるのは、私の望む関係性に限りなく近かった。

「じゃ、ちょっと遅いけどメシでも食って帰ろうか」





 楽しかった。ホントに楽しかった。

 今日は月曜日、登校のためにアパートの鍵を締めた。

 先週の日帰り二人乗り《タンデム》プチ旅行はホントに楽しかった。夜の銀座もレインボーブリッジのライトアップも、帰りに初めて牛丼屋さんに入って食券の買い方がわからず彼に笑われたことも、悔しかったから信号待ちの最中に彼のお腹を思いっきりつねってやったことも。

 彼の登校時間が何時なのか力を使って把握して、それに合わせて登校したから、向かいの歩道から彼が歩いてくるのが見えた。

 力を使って把握した彼の好みに合わせて、そして二人乗り《タンデム》したときに鬱陶しくないようにバッサリ切ったボブカットを見せるためだ。

「ねえ、どうかな?」

 きっと、その時の私は、人生で最高の笑顔していた。

 


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