第106話氷結の聖女5

「姫、君……?」

「またお会い出来る日を、心待ちにしておきますね」


 とても忙しく尊い身分のミカリアとこうして言葉を交わして触れ合える日など早々やって来ない。そもそもアミレスの短い生の中でもう一度あるかどうかも怪しい。

 だからもし叶うのなら。ミカリアの友達になると決めたのだから、彼の友達として死ぬまでにもう一度くらいは会いたい。


「……姫君は、もう一度、僕に会って下さるのですか?」


 ミカリアがボソリと呟く。その顔には驚きと戸惑いがあった。

 そんなミカリアの手を両手でぎゅっと握り締めて、私は笑顔で告げる。


「勿論です。これからも何度だってお会いしたいです。だって私は、ミカリア様の友達ですから」

「──っ!」


 途端に潤むミカリアの瞳。その真っ白な頬には朱が射して、彼の喜びを体現しているようだった。

 今まで家族らしい家族も友達らしい友達もいなかったミカリアは、ずっと独りで何十年も聖人という重責を背負ってきた。

 どれだけ欲していても決して許される事の無いその存在にミカリアはとても憧れていたらしい。だからこそ、初めて愛するという事を覚えたミシェルちゃんに対して非常に執着し依存するようになる。

 一応ミカリアは攻略対象の一人でもあるアンヘルと仲が良いんだけど、アンヘルはミカリアの事を『ただの知り合い』としか称しない。

 更にはミカリアにとって家族同然のラフィリアも厳密には彼の従者みたいな立場であり、家族では無いと主張する。つまりミカリアはずっと頑張って来たのに何もいい事がなかったようなものなのだ。

 それなら少しぐらい褒美があってもいいじゃないか。少しぐらい彼の欲しいものをあげてもいいじゃないか。

 どうせこの先ミシェルちゃんと出会い彼女に執着するようになるんだ、ほんの少し先に私が彼にちょっとしたご褒美をあげても問題ないだろう。


「………僕の事を、友達と…言って下さるのですね」

「私なんかが友達では不服でしょうけど…そこはどうか、我慢ください」

「っいえ! そんな事は………寧ろ、大変光栄で……こんな夢みたいな事があってもいいのかと不安で」


 ポロポロと涙を流しながらそう話すミカリアは、何十年も生きる不老不死の聖人なんて大層な存在ではなく、どこにでもいるような普通の少年のようだった。

 ミカリアから手を離し、背伸びして彼の頬を流れる涙を指の背で拭う。

 その事に驚き、恥ずかしいのか紅潮するミカリアを見上げて私はいたずらっ子のように笑う。


「どうか私が死ぬ前にもう一度会いに来てくださいね。後何年その猶予があるかも分かりませんが……約束ですよ? ミカリア様!」


 指切りしようと小指を立てて彼の前に差し出す。

 ちなみにアンディザは日本の乙女ゲームブランドの出したゲームなので西洋風ファンタジーでありながら指切りげんまんなんて文化があるのだ! あるあるだね!

 どこか複雑な面持ちのミカリアとたどたどしく「ゆーびきーりげんまん」と約束する。

 その後暫く呆然と自身の小指をじっと見つめるミカリアに疑問を抱きつつも、私は他にどんな本があるのかと別の本棚へ向かった。

 そして大書庫から出ようという頃にはミカリアがそろそろ帰りますねと言った。しかしよりにもよってこのタイミングで私は思い出したのだ、王妃の事を。

 運良くミカリアと目が合ったのでちょいちょいと手招きすると、シルフやリードさんにじとーっと睨まれつつ、ミカリアはニコニコ微笑みながらスススっとこちらに来て屈んでくれた。

 彼の耳元に手を当てて、私は小声で内緒話をする。


「あの、厚かましい事は重々承知の上ですが……帰る前にエリザリーナ王妃の治癒をお願いしてもいいですか? ここ数年でかなり体が衰弱しているそうで…」


 せっかく目の前にはあの聖人様がいるんだ。彼に頼まないでどうする!

 するとミカリアは「勿論構いませんよ」と快諾してくれた。これで少しでも王妃が元気になると良いのだけど……。

 そして別れ際、ミカリアに突然右手を出せと言われた。よく分からないけれどとりあえず右手をさし出してみる。


「んっ……また、必ずや会いに行きますね」

「ひぇっ!?」

「さようなら、姫君。皆さんも」


 ミカリアは私の手の甲に口付けを落とした。彼の柔らかい唇が手に触れて、私は思わず上擦った叫びをあげる。

 優雅に一礼した後、ミカリアは笑顔で王妃の元へと向かった。


「おいそこの司祭、浄化とか出来ないのか! アミィが人間に穢された!!」

「なんじゃあの人間、アミレスに唾をつけおって…」

「浄化かぁ………やってみようかな。ふふっ……聖人がこの扱いとか、ちょっといい気味だ」

「……む、どうしたんだディオ、イリオーデ、マクベスタ。石像のように固まって」


 ポカーンと立ち尽くす私の周りで皆が騒ぎ出す。

 リードさんによって念入りに浄化された私の手は何だか輝いている。しかしそんな事も気にならないぐらい、私の頭は突然の事にショートしていた。

 ──攻略対象やる程のイケメンにあんな事されて! 平気なわけないでしょう!!?

 前世の自分の顔や名前や性格は全く覚えてないものの、異性やら恋愛関係に不慣れであった事は分かった。

 も〜〜っ、ミカリアはあんな事ホイホイやるタイプじゃないでしょ! いくら私がフォーロイト帝国の王女だからって何してるのよまったく!! 心臓に悪いったらありゃしない!



♢♢



「俺と取引しようぜ、お嬢さん」


 エンヴィー様がニヤリと口角を釣り上げて言った。

 火の精霊様だからと大書庫に入る事を断ったエンヴィー様は、わたしにも外に残るようこっそりと伝えて来た。

 精霊様がわたしに何の用なのかと思いつつも言う通りにし、そして現在に至る。


「取引とは?」


 わたしも商人の端くれだ。取引なんて言葉を聞けばそれなりに身構えてしまう。

 少し警戒しながら聞き返すと、


「お嬢さんに新しい魔眼をあげるから、その代わりに姫さんの事を守って欲しいって取引。ほら、昨日聞いたろ? 俺達はどれだけ守りたくても姫さんを守れねぇからな。人間に希望を託すしかねーの」


 エンヴィー様は手元に二つの眼球を出現させた。片方が爆裂の魔眼、もう片方が太陽の魔眼………この前初めて見た、延焼の魔眼以外の火系統の魔眼たち。

 彼はなんと、延焼の魔眼を持つわたしに更なる魔眼を与えようとしているらしい。

 しかし分からない。何故アミレス様ご自身に何かを与えるのではなく、わたしに与えるのかが。


「………何故、わたしなのですか」

「そりゃあお嬢さんならやれると思ったからだよ。膨大な魔力と生まれつき魔眼を持つ希少な人間。そして──姫さんの為に命を懸けられる。どうせ誰かに力をやるなら、ちゃんと使いこなしてくれそうな奴がいいだろ?」


 ──ああ、なるほど。わたしがアミレス様の為なら世界をも敵に回せると言ったから。

 だからエンヴィー様はわたしを選んだんだ。アミレス様の為なら命を捨てられるわたしを………。


「……そう、ですね。エンヴィー様の言う通り、わたしはアミレス様にこの身この命この人生全てを捧げる覚悟です。もし本当に新たな魔眼を与えられたのならば──わたしは必ずや使いこなし、アミレス様をお守りする為に生きると約束しましょう」


 義手をトンっと胸に当て、エンヴィー様を見上げて宣言する。

 あの人の為ならばわたしは何にでもなれる。化け物でも、怪物でも、魔女でも、何にでも。

 あの日わたしの為に泣いてくれた優しい彼女の為ならば、わたしはこの身が地獄の業火に焼き尽くされようと構わない。

 何だってする。もう何も怖くない……彼女と家族を失う事以外は何も怖くない。

 だから必要とあれば世界も敵に回す。アミレス様の幸せの為なら──


「ですからどうか、わたしに力をください。いざと言う時、氷の皇帝陛下でさえも灰に変えられる力を!」


 ──この世界全てを燃やし尽くしても構わない。アミレス様さえ幸せに生きてくださるのなら、わたしは、最悪の魔女にだってなってみせよう。

 アミレス様の望みはわたしの望み。アミレス様の願いはわたしの願い。アミレス様の幸せがわたしの幸せだ。


「……俺の見込んだ通りだな。そんなお嬢さんにはこの爆裂の魔眼を与えよう。これはその名の通り視界に映るありとあらゆるものを爆破する事のできる魔眼だ。ただし条件として爆破する対象に起爆剤として自分の魔力を纏わせる必要がある上、魔力の消費も激しい。だが………延焼の魔眼と組み合わせたら最っ強になると俺は思う」

「なるほど、確かにその通りですね」

「だろ? だからこの二つの魔眼を──」


 エンヴィー様が楽しそうに語るそれを聞き、相槌を打つ。

 延焼の魔眼は魔力さえあれば何でも燃やす事が出来る。それが自分の魔力でなくても、だ。

 しかし延焼の魔眼が発動したとなればその火はわたしの管理下にあり、若干ではあるもののわたしの魔力との繋がりが生まれる。

 つまり──延焼の魔眼で燃やしたものはその瞬間に爆破も可能になるという事だ。

 確かにかなり強い組み合わせになると思う。これがあれば……もしかしたら本当に、皇帝陛下を………。


「──ま、今ここで魔眼の摘出と挿入をする訳にもいかねぇから。また今度、帝国に戻ってからゆっくりとやろうじゃねぇか」

「………分かりました」


 今すぐ魔眼をいただけると思っていたのにそうではないと知り、少しがっかりしてしまう。

 だがしかし帝国に戻ったら爆裂の魔眼をいただけると約束して貰えたので構わない。

 ……楽しみだなぁ。アミレス様の為に強くなれるのが、凄く楽しみだな。



♢♢



 ミカリアが神殿都市に戻った数時間後。お城の一室にて私達はささやかな祝宴を楽しんでいた。

 これはオセロマイト王が開いてくれた小規模なパーティーであり、参加者は私達とオセロマイト王とマクベスタ兄、そして突然快復した王妃である。

 マクベスタもマクベスタ兄もオセロマイト王も王妃の快復を心から喜んでいて、私もなんだか嬉しくなった。

 途中でマクベスタ達に囲まれる王妃と目が合った。私を見てハッと何か言いたそうな顔をした彼女に向け、私は口元に人差し指を当てて、しー。とする。

 すると王妃はこくりと一度頷き何も言わない事を選んでくれたらしい。……恐らく彼女が言おうとした事はミカリアの事だろう。

 あれはミカリアの優しさだ。ミカリアがこの場にいない以上、わざわざ掘り返すのも野暮だと思う。


「おねぇちゃん楽しんでる?」

「シュヴァルツ! ずっといなかったけどどこにいたの?」


 色とりどりの料理を楽しんでいたらひょっこりとシュヴァルツが現れた。

 シュヴァルツはまっすぐこちらを見上げて、


「すっごい疲れてたからずっと部屋で休んでたのぉ。あっそうだ! おかえりー、おねぇちゃん!」


 と明るく笑った。ただいまと返して、私はシュヴァルツに何か食べたい物は無いかと尋ねた。

 肉が食べたいと言ったシュヴァルツに、薄く切られた牛の肉をいくつか取り分けて渡す。シュヴァルツはたいへん美味しそうにそれを頬ばっていた。

 私の皿が空になると、どこからとも無くイリオーデが現れて「何をご所望ですか」と聞いてくる。その度に気になる料理の方を指さして、アレ……と言うと、取り分けた筈なのにとにかく綺麗な盛り付けの皿を手渡してくるのだ。

 そんなイリオーデにありがとうと告げると、彼は表情こそあまり変わらないもののかなり嬉しそうに頭を垂れる。大型犬みたいな人だ。

 ディオとシャルは目を輝かせながら料理を楽しんでいて、メイシアとナトラは意外と仲良く二人で色んなテーブルを見て回っている。

 シルフと師匠とリードさんはドリンクコーナーのような場所にいて、お酒やら紅茶やらを飲み比べているようだ。

 各々が思い思いにこのパーティーを楽しむ中、皿をまた空にしてちょっと休もうと思った私は、イリオーデとシュヴァルツにそれぞ楽しんで来てと言って壁際の椅子に座っていた。

 すると、ジュースの入ったグラスを二つ持ったマクベスタがやって来た。そのうち片方をこちらに渡し、「隣いいか?」と聞いてくる。

 勿論いいわよと返すと、マクベスタは隣に座っておもむろに喋り始めた。


「……なぁ、アミレス。教えてくれないか? どうしてお前は、あれだけの無茶をしたんだ?」


 マクベスタの翠色の瞳に、ぽかんとする私の顔が映る。

 突然そんな事を聞かれるとは思っていなかった。どうしてあんな無茶をしたのか………これに関しては、事前に知っていたからとかそう言う理由じゃない。


「──約束したでしょ。貴方の帰る家は守ってみせるって」


 約束は守ったわよ、と自慢げに笑ってみせる。本当に、最初からこれだけだったのだ。

 ゲームでとても辛そうに『もう帰る家が無い』と語るマクベスタを何度も見て来たから、現実でまでもそれを見たくなかった。

 だからマクベスタの帰る家を、彼の愛する国を守りたかった。ただそれだけなのだ。

 そこに大層な理想や理由なんてない。これはただの私のエゴなのだから。

 すると途端にマクベスタの瞳が見開かれた。


「……っ、そん、な……こと、で……ッ」


 今にも泣き出しそうな顔に震える唇で紡がれる言葉。鬱々とした表情のまま俯き、マクベスタは心臓の辺りを強く握り締めて体を僅かに震えさせた。


「…………っ!!」

「どうしたのマクベスタ!? どこか具合が悪いの…?!」


 しかしマクベスタは首を横に振るだけだった。どうしたらいいのか分からず、ただただ彼の横で狼狽える。

 俯き僅かに震えるマクベスタから「……フーッ…ぁ…!」と嗚咽のようなものが聞こえて来て、更に不安になる。

 やっぱりリードさんに頼んで診てもらった方が! と立ち上がると、手首をマクベスタに掴まれて。


「…だい、丈夫……だ。これは、オレの、最悪な……心の問題だから……っ」


 必死に私を引き止めようとするマクベスタ。しかしその顔はブルーベリーを塗りたくったかのように真っ青で、目から涙も溢れていた。

 どこからどう見ても大丈夫じゃない。大丈夫じゃないのに……どうしてマクベスタは虚勢を張るのか。


「……部屋に、戻って休む。すまない、迷惑を…かけて。本当に、すまない──……」

「えっ、ちょ、ちょっと!?」


 ようやく手を離したかと思えば、マクベスタはそれだけ言い残して覚束無い足取りで自室へと戻って行った。

 追いかけようにも「一人にさせてくれ」とマクベスタに制止されてしまい叶わず。

 結局、遠ざかるマクベスタの弱々しい背中を見つめる事しか私には出来なかった……。

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