第104話氷結の聖女3
「……私は、生まれつきあまり体が丈夫では無いのです。特にここ数年は更に体が衰弱し、王宮から出た事はほんの数えられる程で…どうしてもアミレス王女とお話したかったのですが、城に行く事が叶わなかったのですわ」
「そうだったんですか………」
「本当に、ありがとうございます。こうしてここまで来てくださって……」
王妃の翠色の瞳にキラリと一筋の光が射す。それは重い雫となり彼女のドレスを濡らした。
彼女が落ち着くまで私は静かに待つ事にした。王妃がその涙を拭うのを、紅茶を飲みながら待つ。じっと見つめるのも無礼かと思ったのだ。
そして程なくして王妃は私に会いたかった理由というのを話してくれた。
「実は以前よりマクベスタからの手紙でアミレス王女の話をうかがっておりまして。あの子があれ程に特定の人物、それも女性の話をするのは初めてでしたので……本当にお会いしてみたかったのです」
カチャリ、とカップを置いて王妃がふんわりと微笑む。
え。そんなに私の話題出してるのかマクベスタ…まぁでも、ここ一年ほぼ毎日一緒に特訓してたものね。書く内容が私の事ばかりになっても無理はないわ。
というか寧ろ申し訳ない……私がずっと周りをうろちょろしてたから書く内容が限られてしまったなんて。
「そこでお聞きしたいのです、アミレス王女。マクベスタの事をどう思っていらっしゃるのか……有り体に言えば、マクベスタの事は恋愛対象としていかがでしょうか!」
「ぶふぉっ?!!」
ずいっと身を乗り出した王妃が口にしたのは、まさかの恋バナだった。それに驚いた私ははしたなくも紅茶を少し吹き出してしまった。
突然の展開に少し噎せていると、王妃が「大丈夫ですかアミレス王女!?」とこちらを心配してきた。
「だ、大丈夫です…しかし王妃殿下、先程の問の意図がよく分からないのですが……?」
息を整えながら王妃に問い返す。すると王妃はあらっ、と恥ずかしそうに口元に手を当てて、
「ごめんなさいまし、性急過ぎましたわ…今まで女性に欠片も興味を抱かなかったあの子についに春がと舞い上がってしまいましたの」
恋バナを楽しむ淑女のように王妃は語る。彼女の見た目が若々しく見えるからか、親ほどの歳の人と話している感覚が全く無い。
それにしてもマクベスタ、貴方今までどんだけ女の子と関わって来なかったのよ……特訓仲間でさえ親にそう認識されてしまうなんて。
と、心の中でマクベスタを憐れみナチュラル失礼をかます。
「………マクベスタは話の分かる友人であり、共に剣を学ぶ同士だと思っております。なので恋愛感情がどうこうと言われても──無い、としか。そもそも私には誰かと恋をする資格も権利もありません。ですので………私が彼の友人以上の立場になる事はないでしょう」
言葉を選べず申し訳ございません。と王妃の翠色の瞳に告げる。
マクベスタの過去に起きる筈だった悲劇は何とか阻止出来た。マクベスタは心に膿を抱えていない状態でミシェルちゃんと出会う事になるだろう。
この世界のミシェルちゃんが誰の手を取るのか、未だによく分からないが──…誰の手を取ろうが私のやる事はただ一つ、生き延びる事。
しかし、個人的には皆がハッピーエンドを迎えられたらいいなと思っているので、それぞれのやりたい事や叶えたい事があるのなら全力で応援するし手伝うつもりでいる。
だからもし、マクベスタが近い将来ミシェルちゃんと出会い恋に落ちたとしたら。その時はミシェルちゃんが誰のルートを進んでいようが、無理やりにでもマクベスタとのイベントを発生させて恋のキューピットになってやろう。
愛を知らず死ぬか生きるかしかないアミレスに恋をする余裕なんてある筈がない。だからゲームのアミレスは恋愛のれの字も無いまま死を迎えた。
アミレスとしての基盤は私にも勿論受け継がれている。だからこそ、『私』も愛とか恋とかは分からない。
脇役で悪役のアミレスにはそんなキラキラしたものは似合わない、という公式さんの判断なのだろう。
そもそも乙女ゲームの世界にいるのに誰からも愛されてなかった時点で、アミレスには最初から恋愛と言う土俵に上がる事すら許されなかったようなもの。
だからこそ──私には、恋をする資格も権利も無いのだ。
「アミレス王女………突然すみません、このような事を聞いてしまい。これは私の過ちですわ…なのでどうか、マクベスタの事は嫌いにならないでやってください」
あの子にとっては、貴女はかけがえの無い存在のようなのです。と言って、王妃はもう一度頭を下げた。
しかしハッとしたようにこちらを見て、
「…実はもう既にマクベスタが嫌いだとか……?」
不安げに王妃は呟いた。そんな事は無いですよと伝えると、王妃はほっと胸を撫で下ろしていた。
彼女は本当にマクベスタの事を愛しているんだろうなぁ……だからこそ息子の事にここまで真剣になれるんだ。
──羨ましいな。
気づけば私の心にそんな言葉が住み着いていた。沢山の愛情を与えてくれる親がいる事が羨ましいんだろう、この体は。
………久しぶりだな、アミレスの残滓に悩まされるのも。やっぱりどこまで行ってもこの体は愛を渇望する。それも、親の…家族の愛を。
絶対に手に入れる事の出来ないものに手を伸ばし続けるなんて、何と虚しく憐れなのか。
私にも王妃のような母親がいたならば──そんなたらればを空想しては、私は自分が惨めに感じてしまうのだ。
時間にして三十分程、王妃とのお茶を楽しんだ私は、深く一礼して王妃の私室を後にした。
王妃は本当にマクベスタの事を気にかけているのか、見送りの際にも「マクベスタの事をこれからもよろしくお願い致します」と頼み込んで来た。
帝国にいる間はちゃんと守ってみせますよ! と宣言すると、王妃はふふっと笑い手を振って見送ってくれた。
「遅いぞアミレス。どれだけ我を待たせるつもりじゃ」
「ごめんねナトラ、皆もお待たせしてごめんなさい」
部屋の前にはぶすーっと膨れた顔のナトラと皆がいた。いつの間にかマクベスタと師匠も増えている。
そのマクベスタがおずおずと一歩前に踏み出して。
「母に何か変な事を言われなかったか? たまに突拍子も無い事を言いだす人なんだ、母は……」
「特には…これからもマクベスタをよろしくねーって言われたぐらいよ」
「そうか? なら良いのだが」
本当は貴方についてどう思ってるかとか言われたけれど、わざわざ言う程の事でもないよね。面と向かって本人に言うのは気が引けるし。
「時にアミレス。この後の事なんだが……父からお前達に城を案内しろと言われたんだが、構わないか?」
「案内してくれるの?」
「あぁ、簡単にだが………っと、その前にお前は食事が先か」
「そう言えば起きてから何も食べてないわ」
時刻は十四時を過ぎた頃。昼過ぎまで寝ていた私は今ようやく朝兼昼ご飯を食べられる。中には私に合わせて何も食べずに待っていた人もいたので、皆で軽く食事をとる事になったのだ。
ご一緒にどうですかとミカリアも誘い、マクベスタ案内のもと通された食堂にて私達は大きなテーブルに座り食事する。……ちなみに一応探してみたけどシュヴァルツは見当たらなかった。一体どこにいるんだろうか。
テーブルマナーなんて知らないとぼやくディオとシャルにはイリオーデが逐一教えてあげているし、ナトラは私が隣に座っているからもしもの時は手伝える。
その他の人達は全員礼儀作法がきちんとしているので、なんら問題なく食事は進んだ。
「ぐぬぬ……どうやって食えばいいのじゃ。何故手掴みで食ってはならんのだ………」
そんな中、握りしめたフォークを更に突き刺すように皿へと落とし、カンッという音と共にナトラが唸る。そのフォークの近くをトマトがコロコロと転がっていて、トマトを食べたいのに上手く刺せなかったらしい事が分かった。
このままだとナトラの中で小さな苛立ちが積み重なりやがて爆発してしまいそうだ。それはまずいと思った私は、
「はい、これで食べられるでしょう?」
ナトラのフォークを借りてあーん、とトマトを差し出す。するとナトラは大きく口を開けてぱくりとトマトを食べた。
ほくほくとした顔でトマトを咀嚼するナトラを眺めていると。
「う、羨ましい……っ」
「お嬢さんもやってもらえばいいじゃん」
「わたしなんかが頼める訳がないでしょう! アミレス様に手ずから食べさせて欲しいだなんて…!!」
「姫さんはお嬢さんの事気に入ってるから快諾すると思うけど」
「違うのです、わたしの心がもたないのです。今日だけでもアミレス様と入浴とご一緒する奇跡にあずかれたと言うのに、そんな事までされてしまっては幸せ過ぎて馬鹿になってしまいますわ!」
「はぁ、そう? 予想以上にめんどくせぇなァお嬢さん」
「悪かったですね面倒くさくて」
メイシアと師匠が仲良さそうに小声で会話をしている。火の魔力のメイシアと火の精霊の師匠だからきっと相性もいいんだろう。
それはともかく、私はメイシアの方を向いて彼女に尋ねる。
「メイシアもあーんってして欲しいの?」
「えっ?! ぃいやっ、嫌ではないのですが、その、いいのですか…?」
「えぇ勿論よ」
ぱぁあああああっと明るくなるメイシアの顔。宣言通りあーんしてあげると、メイシアはまさに夢心地といった表情で蕩けていた。
そうやって和気藹々と食事をしていると、ふと膝の上に一匹の猫が乗ってきた。それを抱き上げて私はおはようと声をかける。
「おはようアミィ。暫く傍にいられなくてごめんね」
「お仕事だったんだよね、仕方ないよ………あっ、そうだ。皆にシルフの事紹介してもいい?」
「別に構わないよ」
シルフからの許可も降りた事だし、私は改めて皆にシルフの事を紹介した。
猫の姿をした精霊さんであり、六年前に出会って以来私に色々な事を教えてくれた先生なのだと紹介した。
既に面識のあるマクベスタやメイシアならともかく全員あまり驚いた様子では無かったのが少々意外だった。
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