第100話緑の竜 番外編3
オセロマイト王への報告を終え、説教と質問責めよりアミレスが脱兎のごとく逃げ出した後の事。アミレスが部屋で深い眠りについたのを確認した面々は、まず初めにリードに何らかの結界を張るように頼んだ。
アミレスは事ある毎に夜中のうちに脱走し、計画的に厄介事に首を突っ込みがちだ。
今はもうその予定も無いと信じたいが、やはり怖いものは怖いので、念の為にと夜中のうちに脱走出来なくなるように結界を張るよう依頼したのである。
結界魔法が苦手だと語るリードが結界を張る中、アミレスの部屋の前で関係者達は一人の少女へと視線を集中させた。
アミレスが
「少し話いいか、緑の竜。アンタに聞きたい事があるんだ」
ディオリストラスが代表して少女に声をかけた。
少女は酷く退屈、気だるげな瞳で億劫そうに彼等を見上げる。
「……我にはナトラという名がある。じゃが気安く我の名を口にするな、我はアミレス以外の人間はまだ好かぬ」
これ以上関わるなと突き放すような冷たい声音。ナトラはアミレス以外の人間の事は特に認めてなどいなかった。
以前のナトラであれば返事もしなかった事だろう。しかしこと彼等彼女等に関しては……アミレスの知人友人という事もあり、仕方なく返事したのだ。
「我はもう寝──、いや…我もお前達に二三聞くべき事が出来た」
アミレスの眠る部屋に入ろうと踵を返したナトラであったが、その途中である事を思い出し、足をピタリと止めた。それについて彼等に聞くべく話に応じたのである。
「お前達が我の問に答えたならば、我もお前達の問に答えてやろう」
「……分かった、それでいい。アンタの聞きたい事ってのはなんなんだ?」
ナトラは考えた。一体どれから聞いたものかと。
それは緑の竜がこの一日だけで抱いた違和感。疑問と呼ぶよりかはこう称した方がいい、アミレスにまつわる事。
ナトラが顎に手を当て思考する間、その様子を見守る者達は何を聞かれるんだと固唾を飲んでいた。
(相手があの竜種と分かってもあんな風に話せるなんて、彼も結構な大物だな……姫君の私兵と聞いたけれど、流石は姫君の選んだ人だ)
中にはミカリアのようにあまり関係の無い事に感心する者もいるが。
そしてついにナトラが一つ目の問を口にした。
「──アミレスは安全な環境で生きておるのか?」
その問にほぼ全員が言葉を失った。答え方が分からない………いや、答えられないのである。
それは彼女の血筋…家系故か、否。それは彼女の置かれた立場故か、否。それは彼女の住む場所故か、否。
それは──彼女の語る悲惨な運命故であった。
この場においてそれを知るのはディオリストラス、シャルルギル、イリオーデ、マクベスタの四人。
それは知らずとも彼女の置かれた境遇を知るのはメイシア、リード、ミカリア、ラフィリアの四人。
ある者達は彼女の語る悲運に口を閉ざし、またある者達は彼女の立つ悲劇に口を閉ざしたのだ。
誰もがナトラの問に答えられない今、ただ静かに時間だけが過ぎてゆく。
(何故こやつ等は誰も答えぬのじゃ? 我の問に答えたならばお前達の問にも答えると言うたのじゃが…もしや我を馬鹿にしておるのか? 人間の分際で? なんじゃこいつ等ぶっ殺してやろうか)
予想外の状況にナトラは少しムッとした。流石のナトラも、ここまで答えを迷われるとは思ってなかったのだ。
さっさと答えればよいものを……とナトラが苛立ちを募らせる。
「……おい、聞いてるのか人間。疾く答えよ。アミレスは安全な世界で生きておるのか否かを!」
痺れを切らしたナトラが竜種のオーラを放ち威圧しようとした瞬間。ついに答えを口にする者が現れたのだ。
もっとも──それはこの中の誰かではなかったが。
「半分正解半分不正解だよ、緑の竜」
淡い光を全身に纏いながらその男は突然現れた。それはほとんどの者達が初めて見る人智を超えた美男子。
男は紅の三つ編みを揺らし、腕に一匹の猫を抱えていた。
「師匠…!?」
「エンヴィー様……!」
マクベスタとメイシアが彼の登場に声をもらすと、エンヴィーは「よっ、マクベスタにお嬢さん」と空いている方の手を軽く上げた。
(マクベスタと王女殿下の剣の師匠…!)
(あれが………確かになんかすげぇヤバそうな存在だ…)
(あの猫は王女様の愛猫じゃないか。あの日も抱き抱えていたな)
(え、あれ人間…じゃないよね? 限りなく人間に近い何かだよなあれ……)
イリオーデ達は目を見開いてエンヴィーを凝視した。何かと勘の鋭いリードに至っては、本来の
そんな中、エンヴィーと数日前に会ったばかりの男がボソリと呟いた。
「………精霊様…」
「ん? お前何でここにいんの?」
「…部下に任せるより自分が行った方が良いかと思い」
「ふーん、あっそう」
(つーかあのチビはいねぇのな。何でだ?)
ミカリアの存在に気づいたエンヴィーは興味無さげに言葉を返した。ミカリアよりもシュヴァルツの存在を気にしているようであった。
そんなエンヴィーはミカリアをスルーしてアミレスの部屋の前に立つ。そして小声で胸元の猫に小声で話しかけていると……。
「おい、半分正解半分不正解とはどういう事じゃ。答えろ精霊よ」
ナトラが眉尻を上げてエンヴィーを睨んだ。その口の端は苛立ちに歪んでおり、その声からも今のナトラの感情が簡単に見て取れる。
そしてその瞬間──
((((精霊!!?))))
──ディオリストラス、シャルルギル、イリオーデ、リードの顔が驚愕に染まった。
マクベスタが師匠と呼び、アミレスの師匠でもあると言う男が…まさかまさかの精霊だったのだ。驚くのも無理はない。
その中でもただ一人リードだけは、(あぁ…そう言う事か)とその正体に納得もしていた。
そして、エンヴィーは思い出したようにナトラに向け説明を始めた。
「姫さんは人間社会では安全な場所に生きている。だが姫さんの人生においてはかなり危険な場所に生きてるって事だ」
「意味が分からぬ。もっと簡潔に話せ、精霊」
「えぇ…簡潔に? はぁ、そうだな…」
言い方が回りくどいのじゃ、と文句を言いつつナトラは更なる分かりやすい解説を求めた。それにエンヴィーはめんどくせぇと言いたげにため息をついた。
「──姫さんの住む場所は皮肉な事にあの国で一番対外的に安全な所だ。だけど姫さんにとっての危険はよりにもよって内側にいるんだよ」
「…どう言う事じゃ?」
「姫さんはいつ親と兄に殺されるかも分からないって状態で簡単に殺されないように必死に頑張ってんの…………っつーか今更だけど何で緑の竜がここにいんの? 姫さんとどーゆー関係なんだよ…」
エンヴィーの語ったアミレスの悲惨な運命にそれを知らなかった者達は息を飲み、それを既に知っていた者達は皇帝達に向け義憤を覚えた。
何もかもが歪で出鱈目な少女。そんな少女がいつ身内に殺されるかも分からない状況下で生きる為に必死で足掻いてきた──。
その背景を知ってしまい、彼等は皮肉にも納得してしまったのだ……あの異常さは無情の皇帝と氷結の貴公子に対抗する為に発現させたのものなのだと。
(──あぁ、そうか。シュヴァルツ君の言っていた後ろ盾はこの為のものだったのか。確かに、それなりに大きな宗教と繋がりがあれば簡単には殺せなくなる………こんな僕を頼らざるを得ない程、彼女は危険な立場にあるのか…っ)
(……エリドル・ヘル・フォーロイト皇帝はあれ程までに優秀な姫君を殺すというのか? 勇気に満ち、慈愛に満ち、才覚に満ちた姫君から…幸福を奪おうと? 何故そのような愚かな真似を──)
リードとミカリアがそれぞれ苦い思いを抱く。
するとそこに、精霊による追い討ちがかけられる。
「──正確には、いつかの未来で殺される…って話みたいだけどね。あの子はずっと……六年前からずっと、ただ生き延びて幸せになりたいと。ただそれだけを考えて血のにじむような努力をして来た」
その声はエンヴィーの抱える猫から聞こえて来た。この中でその猫を知る者はマクベスタとメイシアだけ。その二人以外は猫が喋りだした事に唖然とした。
「当時たった六歳のあの子がなんて言ったと思う──『死にたくない。生きて、幸せになりたい』って……今にも泣いてしまいそうな顔であの子は言ったんだ。実の家族にいつか殺されるからと、その来るかも分からない未来にあの子は酷く怯えていた」
猫がその小さな口を開く度に、聞く者の心に痛みを与える言葉が次々飛び出していく。
その猫の中のヒト──遠く彼方の精霊界で苦虫を噛み潰したような表情を作るその精霊は、この六年間でエンヴィーにしか話してこなかった少女の言葉を口にした。
「…もし努力が水の泡になったとしたら、その時は父や兄やその他の誰でもなくボクが殺してくれ……とあの子は頼んで来た。自分の人生を他人に踏み躙られたくないからって。これで分かったかい、緑の竜。アミィは──アミレス・ヘル・フォーロイトは、そんな言葉を口にしてしまうような最悪の環境に生きているという事を」
シルフは六年前より抱いて来た思いを一言一言に込めて押し出した。
エンヴィーはそれを歯ぎしりしながら聞いていた。実は彼もつい先日この話を聞いたばかりだったのだ。これを初めて聞いた時、エンヴィーは怒りや虚しさのあまり精霊界の一角にて大火災を起こしかけていた。
『──ッ、んだよそれ!! 姫さんは、姫さんが、何でそんな事言わねーとならねぇんだよッ!!!』
『それはボクだって同じ気持ちだ!!』
『っ………!?』
『でも、それでも……ボク達には何も出来ない。何も許されない! 今のボク達に出来る事は何も無いんだよ!!』
怒れるエンヴィーを鎮めたのはシルフの叫びだった。シルフが心底悔しそうに握り拳を震わせる姿は今でもエンヴィーの目に焼き付いている。
あれ程までに感情的になったシルフは今まで見た事がない。ああ、それ程までにこのヒトは姫さんを………。そうエンヴィーはシルフのアミレスへの思いの強さを思い知ったのだ。
勿論、自分自身のそれもようやく自覚した。
手塩にかけて育てた愛弟子…その少女が実はただ幸せになりたいなんて平凡な望みの為に死に物狂いで強くなろうとしていたと知り、彼は自分の愛弟子への思いを再認識し、同時にあまりのやるせなさに酷く心に痛みを覚えたのだ。
「………だから半分正解半分不正解っつったんだよ。これでお前の望む答えになったか、緑の竜」
「…そうじゃな。おかげであの言葉にも合点がいったのじゃ」
合点? と首を傾げるエンヴィーをちらりと一瞥して、ナトラは続けた。
「──死なないでよかった、死ぬかと思った、怖かった…そうアミレスが赤子のように泣きながら言うておったのじゃ。最初は我を見て恐怖のあまり口にした言葉かと思ったのじゃが……お前達の話を聞き思い返せば、あれは本心から死を恐れていた言葉だった可能性が高い」
ナトラがそう話し終えた瞬間。エンヴィーが張り詰めた面持ちでその両肩を強く掴み問い詰めた。
「ッ、それ本当か?! 本当に、姫さんが泣きながらそう言ったのか!!?」
「ああそうじゃ、我はこの目でしかと見た。呪いを振り撒く瀕死の竜の前に震えながら立ち、我を救わんと奇想天外な事をやってのけた勇気ある人間が…死ぬ事が怖いと当たり前の事で赤子のように泣く姿を」
「…………クソッ…!!」
エンヴィーはフラフラと立ち上がり、怒りのままに壁を握り拳で叩く。するとその壁は少しばかり陥没し、亀裂が入った。
アミレス・ヘル・フォーロイトという人物の明らかな矛盾。それに気づいた誰もが感情の荒波に飲み込まれ、溺れゆく。
少女の願いは誰もが願うような平凡なもの。しかしその少女にとっては最難関とでも呼べる願いだった。
「おい精霊、何故アミレスの親を殺さぬ。それを殺してしまえば、アミレスの言う未来の不安は取り除けるじゃろう」
「………出来る訳ないだろ。出来るならとっくにやってる。出来ないから今もこうして地団駄を踏んでばかりなんだよ」
ナトラは鋭い眼光をシルフに向け、ギザギザの牙を剥き出しにする。
「アミレスが苦しむ様を指くわえて黙って見ておくだけか!」
「ッだからお前達がいるんだろ! 人間界の事に干渉出来ないボク達じゃなく、人間界に生きるお前達が!! あの子を守ってくれよ、あの子を救ってくれよ! ただ幸せを願うあの子を幸せにしてくれよ!!」
フーッ、と息を荒くしてシルフは叫んだ。
シルフは──精霊はこの世界にあまり干渉してはならない。制約のもとそれは許されないのだ。
だからこそ。この中で最も長くアミレスの傍にいたシルフは……何度も何度も奥歯を噛み締め、何も出来ない事に酷く歯痒い思いをしていたのである。
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