第99話緑の竜 番外編2

 翌朝。何名かは二日酔いに悩まされつつ起床する。

 念の為にと城中を探すも、まだアミレスの姿は無かった。

 実の所、彼等はアミレスの行先に心当たりがあった。それは厩舎から消えた一頭の馬と、アミレスが消える前に侍女に突然尋ねた事柄から導き出した答えだった。

 その場所は──百年樹。数百年前よりオセロマイト王国のほぼ真ん中に聳え立つ大樹。

 観光地として有名、人気で…王都からも馬車で四日程行けば着く場所にある。

 だが、それだけだ。立派な大樹という事以外、百年樹にはこれと言って何も無い。強いて言えばとある言い伝えがあるのだが……それは草死病そうしびょうと無関係である。

 なので彼等には分からなかったのだ。何故アミレスが一人で百年樹を目指したのか。

 その理由が分からない上に書き置きのお願いも相まって、下手に身動きが取れない状態に彼等は陥っていた。

 唯一の救いは、百年樹が普段は・・・割と安全な観光地であると言うマクベスタの言葉。それを聞いて彼等はひとまず胸を撫で下ろしていた。

 ……しかし彼等は知らなかった。この草死病そうしびょうの感染拡大により、本来行われる筈だった動物や魔獣や魔物の討伐が暫く行われず、それらが蔓延する竜の魔力を浴びた影響で強化されていた事を。


「っあぁ…疲れたぁ……!」

「お疲れさん、リード。これ万能薬と、昼飯にって城の人が」


 涙を流して歓声をあげる人々から距離を取り、青白い顔で長椅子ソファに倒れ込むリードに差し出される瓶と小さめのバスケット。

 バスケットの中には手軽に食べられる野菜や果物をパンで挟んだ色とりどりのサンド。中には焼いた肉が挟まれたものもあり、腹を満たし活力をつけるにはうってつけだった。


「ありがとうディオ、万能薬を取りに行く気力が無かったから助かるよ……」

「お前…大丈夫か? 朝から俺達の二日酔い治してあのすげぇ魔法何回も使って…昼飯がてらちゃんと休んどけよな。その間、押し寄せて来る感染者達はひとまず俺達が対応しとくから」

「いいのかい? それじゃあお言葉に甘えて昼食の間は休ませてもらうよ」


 ディオリストラスの配慮に感謝し、リードは数時間ぶりの休憩をとった。

 必要があり今朝から飲み続けた万能薬ではあるが、決して美味しい訳ではない。寧ろ不味い。

 その為万能薬を飲んでも精神的にはあまり癒されない。だがしかし、今こうして味もあり普通に美味しい昼飯を食べられた事によりリードの精神は少なからず癒された。


(これ美味しいなぁ………)


 大きな口でサンドにかぶりつき、もぐもぐと咀嚼する。そんなリードの事を物陰からきゃあきゃあと眺める女性達がいた。


「なんて美しいのかしら…! あの憂いを帯びたお顔!」


 疲れているだけである。


「酒や煙草に溺れて女に暴力振るわなさそうないい人……」


 暴力は振るわないが酒と煙草は大好きな男だ。


「あの深い緑の髪……聖女様が遣わした緑の守護者に違いないわ……!!」


 断じて違う。

 これは氷山の一角に過ぎないが…このように多くの女性達が騒いでいた。彼を遠目で眺める衆目の目には、リードの姿が一種の宗教画に見えているようだった。

 ちなみに、この頃には既に『銀髪に青系統の瞳をした聖女』の噂が街で飛び交っている。

 彼等がここに来た初日、大人達に囲まれ異彩を放つ一人の少女………その姿が人々の記憶に強く残っていた。そこにシャルルギルとリードの謙虚な姿勢が合わさり、結果──氷結の聖女という名称が広まったのだ。

 見目の整ったリードは元より女性に騒がれやすかったのだが今回の功績も相まってそれが激化している。が、リードはそれに気づかない。

 慣れている上に今は疲れているので仕方ない。


(何か外が騒がしいな…)


 リードは窓の方を見遣りふと思う。その騒ぎの原因が国教会の聖人である事など、この時のリードには知る由もない事だった──。



♢♢♢♢



 夕暮れ時、王都ラ・フレーシャは更なる騒ぎに包まれた。

 それは何故か──突如として上空に現れた飛空船が理由であった。誰もが初めて目にする未知のものに驚愕し、目を奪われていた。

 やがてその飛空船は王都の外れにある草原に着陸する。錨のように船体から四本の棒を地面に向け穿ち、それにより地面と繋がった船体は安定し、陸にも着地出来る様になったという訳だ。

 マクベスタ達を初めとした国の大臣等の重役達に兵士達…そして何事かと見物に来た民衆達が、着陸した飛空船の周りにて固唾を飲む。

 もしもの場合は即座に攻撃出来る様にと兵士達はそれぞれ武器を構えていた。

 そして。少し経った頃……その飛空船から一人の少女が姿を見せた。

 夕日に照らされて濃くその深みを増す深海のような藍色の長髪。みずみずしい果実のように赤く輝く真っ赤な瞳。

 その姿を見たマクベスタは目を見張った。

 まるで人形のような愛らしさを持つその少女は、飛空船の周りに出来た人だかりを見下ろし、ふぅ、とため息をついた。


「──予想以上に出迎えが多いようですが、どうなさいますかお嬢様」

「……予定通りに。何とかお父さんの代わりを任せて貰えたんだもの、やり遂げないと」


 少女に声をかけたのはフォーマルな服に身を包んだ若い男。彼は少女の父親が少女につけた護衛だった。

 護衛の男が民衆をどうするかと少女に判断を仰ぐと、少女はそれを断り、飛空船に備え付けられた機能を扱う。それは甲板に仕込まれた階段を地面に向け伸ばした。

 少女は護衛の男と共に、多くの注目を集めながら階段をゆっくり降りて行く。そして少女が大地を踏みしめた時、大臣の男が一歩前へと踏み出し少女に問うた。


「──い、一体何者だ!? その空を飛ぶ船で我が国に何をしに来たと言うのだ?!!」


 大臣の男はその痩せこけた頬に脂汗を滲ませていた。

 必死の形相の男と違い、少女は優雅に一礼して名乗る。


「メイシア・シャンパージュと申します。シャンパー商会会長ホリミエラ・シャンパージュの代理として、仕事の為こちらに参りました」


 そしてメイシアは懐より、己がシャンパー商会が会長代理である事を示すホリミエラ・シャンパージュ直筆の文書を取り出し、見せつけるように掲げる。

 それを見た大臣は戦慄した。何故なら相手はあのシャンパー商会……オセロマイト王国とフォーロイト帝国間の取引を一手に担う強大な商会だからである。

 そのようなシャンパー商会の会長代理を名乗る少女だと知らずに無礼な態度をとってしまったから……。


(ななな、何故シャンパー商会が…っ?! そもそも少女が会長代理などおかしいだろう!? しかしよくよく見れば空を飛ぶ船にシャンパー商会の紋章が刻印されておる……っ)


 己の失態が確実に自業自得であると察した大臣は焦燥を顔に浮かべた。

 しかしそれに驚いたのは大臣だけではなかった。観衆達もまた、少女の言葉に懐疑的になっていた。


「うそ、あんな小さい子が…?!」

「あのシャンパー商会の会長代理……? いやありえないだろ…」

「じゃあ何者なんだよ、あんな空を飛ぶ船初めて見たぞ」

「あの子可愛いな………」

「もし本当にシャンパー商会会長代理だとしても、何しに来たって言うのよ」

「あんな空を飛ぶ船で現れたんだ、きっとうちを侵略しに…っ」

「ただでさえ病に襲われているのに帝国にまで来られたらもうこの国は終わりじゃない!」

「かっこいい! ママ、あの船すっごくかっこいい!!」

「こら! なんて事言うの?!」


 どよめきだす観衆。その大半がメイシアの言葉に首を傾げ半信半疑であった。

 そんな観衆を無視して、メイシアは淡々と話を続けた。


「此度はアミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下からのご注文により、オセロマイト王国へと我が商会の在庫の七割近い数に及ぶ食材等を納品しに参りました。受け取り責任者──マクベスタ・オセロマイト王子殿下、こちらの契約書にサインをいただけますか?」


 また一枚の契約書を取り出しながら、メイシアはマクベスタを名指しで呼び出した。

 その事にマクベスタは目を丸くし、アミレス・ヘル・フォーロイトという名に観衆は手のひら返し。一斉に歓声をあげた。

 この時にはもう氷結の聖女アミレス・ヘル・フォーロイトの噂はラ・フレーシャ中に広まっていた為、その名一つで人々は一気にメイシアの事を信用した。

 ──ああ! またもや我等が聖女様が救いの手を差し伸べてくださっているのだ!!

 ──何でも南部に現れた国教会の二人組も聖女様が遣わした者らしいぞ! 聖女様はなんと素晴らしい御方…いや、女神様なのか!!

 人々の心が、人々の言葉が途端に重なり始める。その様子に多少の疑問を抱きつつも、メイシアは観衆の言葉に同意していた。


(ええそうよ、アミレス様はとってもお美しい上に可愛いくて心優しく尊くてこの世の何よりも素晴らしい女神のような御方。それがきちんと分かるなんて、ここの人達は皇太子殿下よりもまともな頭をしてるのね)


 どこか満足げな様子でサラリと祖国の皇太子を貶すメイシア。メイシアはアミレスを冷遇するエリドル・ヘル・フォーロイトとフリードル・ヘル・フォーロイトがかなり嫌い──というか、理解出来ないのであった。

 どうしてアミレス様を愛さないなんて事が出来るのかしら、まともな脳を持つ人ならばそんな事出来る筈もないのに……とメイシアは考え、アミレスを愛さないばかりか嫌うエリドルとフリードルの事を同じ人間として全く理解出来ないと日々思っていた。

 その為、心の内でこうして容赦のない一言を放つ事が多いのである。


「……メイシア嬢、どうしてここに…品物の受け取りは国境近くの村でという話だったんじゃないのか?」


 マクベスタは人だかりから抜け出してメイシアの元へと向かいながらそう尋ねた。アミレスが言うにはそういう話だったのだが、今回は少し訳が違うらしい。

 それにメイシアは小さく微笑んで、


「この大荷物をアミレス様に持たせる訳にはいかなかったので」


 ちらりと飛空船を一瞥する。しかしこれはマクベスタの望む答えではなかった。


「いや、そうではなく…何故オレ達がここにいると分かったんだ?」

「──全て聞いたからです。アミレス様が何をなされようとしているのか……ですので、少しでもアミレス様のお力になろうと思い、父に頼みこの飛空船の使用権と会長代理の権限を借りたのです」

「聞い、た………そうか、ハイラさんか…!」


 誰からこの事を聞いたのかを察したマクベスタは、どうしてとばかりに眉をひそめた。

 そう、メイシアにこの件の事を話したのはハイラであった。

 それはアミレスからの命令違反になりかねい事。ハイラはそのような危ない綱渡りをするような人物では無いのに、今回ばかりは違った…その事にマクベスタは戸惑っていた。


(あの人が全て話した? それをアミレスが望む筈もないと、他ならないあの人が気づかない筈が無い。ならばどうして………)

「『姫様の事をどうかよろしくお願い致します』と商談の時にハイラさんに言われました。あの人は…アミレス様に怒られる事よりも、アミレス様が無事に戻って来る事を望んでいるようです」


 マクベスタの疑問に答えるようにメイシアは語った。それを聞いて、マクベスタは腑に落ちた気分であった。

 言われてみればそれしか可能性は考えられなかったから。その理由であれば、ハイラという人物を突き動かす燃料たり得るから。


「ですのでわたしは今こうして、シャンパー商会で開発されたばかりの運送経路を用いてこちらに来ているのです。それとそろそろサインしてください」

「あ、あぁすまない。名前で良かったか?」

「はい…………受け取り責任者のサイン、いただきました。それではこれより搬入しますので、何か荷馬車の類を用意いただければたいへん助かるのですが…」


 契約書を裏から支え、マクベスタは言われた通りにサインする。それを確認したメイシアが左手を上げ合図を送ると、ついに商品の移送が始まった。

 護衛の男が魔法にて大量の商品を飛空船より降ろす。それが山のように積まれ、人々は顎が外れたのかと錯覚する程口を開いたまま唖然としていた。

 金額に換算すればどれだけの大金となるのか………誰もがその商品の山を見つめそう考えた。それと同時に。


 ──あれだけの物資を用意して下さるなんて、氷結の聖女様は海よりも深く空よりも広い尊き慈愛の心をお持ちであらせられるのだ!


 そう、観衆は氷結の聖女を崇め始めたのである。

 感涙に咽び泣く民衆と、他国の幼い王女が見せた常識外の慈善。

 それに心打たれたオセロマイト王国中枢部があっという間に彼女に心酔したのは、もはや言うまでもない。

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