第85話オセロマイト王国にて4
誰とも接触しないように外で待つ事十分程…ようやく大臣が人数分の手袋を用意して戻って来た。
その後大臣と共にマクベスタが、歌劇場に集められた感染者達の情報を纏める為にと何処かに行ってしまった。
手袋を着けてリードさんとシャルが勇み足で再度歌劇場へと足を踏み入れ、感染者の治癒にあたろうとした時。
不安が抑えきれなかった私はふと呟いてしまった。
「………毒も病も呪いさえも帳消しに出来る治癒魔法って無いのかな…あったら最強なのに……」
こんなの願望に過ぎない。光の魔力や治癒魔法に明るくない人間による馬鹿みたいな願望。
これは私の虚しい独り言として消えゆく筈だった。しかし、リードさんがこの独り言に反応したのだ。
「あるよ、そう言う魔法」
人の良さそうな爽やかな笑顔で、リードさんはサラリと言った。私は溢れんばかりに目を見開き、「本当ですか!?」と彼に詰め寄った。
リードさんは一瞬驚いたように肩を跳ねさせ、
「う、うん。まぁかなり面倒な魔法だからそれなりに疲れるし魔力も消耗するけど……ありとあらゆる悪を抹消する光魔法があるにはあるかな。それ使った方がいいならそれ使うけど…」
と人差し指を立ててにこやかに説明した。何だか物騒な言葉が聞こえた気がするが、そんな便利魔法があるのなら是非とも使って欲しい。
私はそのリードさんの手をこの指とまれみたいな感じでぎゅっと両手で握り、懇願した。
「お願いします、リードさん! その何だかとにかく凄い魔法を!!」
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ、ちゃんとやるから。誰かに頼ってもらえるのはいつでも嬉しいものだからね」
リードさんはそう快く了承した後私の手をゆっくりと離して、「…何だかとにかく凄い魔法かぁ……」とくすくすと笑っていた。
内容がよく分からないのだから仕方が無いでしょう、語彙力の無さはもう置いておくとして。と少しムスッとしながらリードさんを睨むも、彼は早速準備に取り掛かっていた。
「王女様、俺が具体的に何をすればいいのか実はよく分かってないんだが……とにかく体の中の悪いものを全部無くしてしまえばいいのだろうか」
リードさんを睨む私に近寄りつつ、シャルがそう声を掛けてきた。私の説明が曖昧だったばかりに…。
ディオとイリオーデなんて、(分かってなかったのかお前…)って言いたそうな顔してるもの。私の説明が雑だったばかりに!
「とにかく人間の体に毒なものは全部消し去ってくれて構わないわ。思いっきりやっちゃって!」
「分かった、思いっきりやっちゃおう」
シャルは大真面目な顔で頷いて復唱し、リードさんと同様に感染者達の方へと向かった。
不安と緊張ではやる鼓動を必死に落ち着かせ、彼等を信じて待つ。
程なくしてリードさんが「できるかなぁ…やるしかないなぁ……」と緊張した面持ちで呟き一度深呼吸をしてから、彼は祈りを捧げるように両手を合わせ、治癒魔法を使用した。
「………迸る生命の星よ。我が呼び声、我が言の葉を聞き届け給え。我が欲せしは神秘、我が願いしは幸福、我が求めしは幻想、我が望みしは安寧。悪しきを滅し、悪しきを排し、悪しきを覆せ。天上の主よ、御照覧あれ。是は人の犯す傲慢、人の超えし最悪の善行なり──
清廉な彼の唇が紡ぐその言葉に従うように、彼を中心に金色の魔法陣が半径二十メートル程まで広がる。それはやがて上空にいくつもの魔法陣を生み出し、多重魔法陣となる。
そこから溢れ出る光の柱はたちまち人々を包み込み、その心臓の真上に小さな光の十字架を作り上げた。
時間が経てば経つ程その十字架は黒く染まってゆき、十字架が黒く染まるのと同時に感染者達の体にあった痣が消えていった。
十字架が完全に黒く染まりきった時。まるでその罪の重さに引き摺り堕とされるかのように、十字架は逆さを向く。
「──裁定を受けよ」
リードさんが低い声でそう告げた刹那、魔法陣の範囲内にいる感染者達の心臓の真上に浮かんでいた黒い逆十字が砕け散り霧散した。
その直後、力なく横たわっていた感染者達が次々に活力を取り戻した。その体から痣は消えており、失った筈の活力も復活している。
これは、もしかしなくても…。
「……治癒、出来てる……?」
目の前の光景に呆然としながらボソリと呟くと、リードさんが地面へと背中から倒れ込み、ユラユラ震える手でピースを作っていて。
「…い、いぇーい……せいこー、したよ。ぁー……つかれた…」
滝のように汗が流れ、その口元には力の入っていないへらへらした笑みがある。元気になった感染者達と打って変わって、リードさんは異常に疲弊していた。
「どっ、どうしたのリードさん!?」
「……はは、いやぁ、情けないなぁ…たった一回でこれとか…」
急いで駆け寄りリードさんの体を揺らすと、彼は悔しそうに弱々しい声を発した。
「…これじゃあ、みんなを助けるのに…どれだけかかるんだろう。やっぱり……僕には…」
「ねぇ教えてリードさん、貴方が今使った治癒魔法は何なの!? どうして貴方はそんなに疲弊してるの…?!」
「………今のは治癒魔法なんかじゃないよ。あれは、ただの光魔法……」
治癒魔法じゃない? 一体どう言う事なんだ? と私は固唾を飲んだ。
「あれはね、裁きの魔法だ…範囲内のありとあらゆる悪を排除する……呪いも、毒も、病も、人さえも……その裁定を下すのは僕じゃなくて、主だから……主が悪と断じたものすべてが、この世から消失する……そういう、魔法なんだ…」
たった一度でこうなんて、我ながら情けない…とリードさんは薄ら笑いを浮かべた。
──光魔法に明るくない私でも分かる、これは恐らくとんでもない魔法だ。何せ……竜の呪いを完全に解呪せしめたのだから。
そんな魔法を代償が凄まじいにも関わらずあっさり発動させるなんて、リードさんは本当に凄い人だ…。
「ごめんね、僕が、不甲斐ない…ばかりに。次使うためには、多分……半日は休まないと無理かなあ。こんな事なら…もっとちゃんと──……」
「っ、とりあえず一旦休んで下さい! イリオーデ、ディオ、リードさんを運ぶの手伝って!!」
ディオ達の方を向いてそう叫ぶと、二人が急いでこちらまで駆け寄って来た。そしてリードさんを担ぎ、近くの空いているスペースに横たわらせる。
ディオに引き続きリードさんを見ていてくれと頼み、私はシャルの元へと戻った。
あれ程ポンポン治癒魔法を使っていたあのリードさんがここまで疲弊したんだ、シャルとしても相当キツいかもしれないと思ったからである。
リードさんが広範囲を一気に解呪してのけた為、シャルはその範囲外にいた感染者の解呪に挑んでいる。リードさんを寝かせた位置から人にぶつからないよう小走りでシャルの元を目指す。
少しして大柄な男性の“毒”の除去を始めているシャルの背中が見えた。その背中に向けて、私は声をかける。
「シャル、調子はどう? 体は大丈夫?」
「………今の所は。ただ、これを何回も繰り返せば俺も倒れてしまうだろう、たぶん」
リードさんのような目に見える派手さは無いものの、シャルもまた懸命に解呪に取り組んでくれているようだ。その証拠にシャルが解呪しようとしている感染者の体にある痣が、少しずつではあるが薄まってゆく。
しかし薄まる痣と反比例するかのように、シャルの顔に浮ぶ脂汗はどんどん濃さを増すばかりだった。
「…無理だけはしないでね」
私が何だかとにかく凄い魔法を使ってくれと頼んだからリードさんはあれ程までに消耗してしまった。そう、考えると…私にこんな言葉を言う資格なんて無い。
だけどこれ以外に言葉が見つからなかった。呪いの事は言えないし、私が一人で何とかしに行くとも言えない。
だからこそ、こんな無責任な言葉しか……。
「無理なんてしてない。俺は、俺達は…ただやるべき事をやってるだけだ。少なくとも俺は……俺達に初めて手を差し伸べてくれた王女様の為に、俺が出来る事をやりたいんだ」
少しだけこちらを振り向いて、シャルがふっと笑った。滝のように汗が流れているにも関わらず、その表情はとても穏やかで…とても優しいものだった。
「汗、拭くね。どこかに余った布とか…」
私の我儘に着いてきて、こんなにも頑張ってくれているシャル達に少しでも報いたい。
だから私は彼の顔に浮かぶ大量の汗を拭いてあげようとしたのだが、綺麗な布が無い。探しに行こうと立ち上がろうとした時、私の目の前に探し物が差し出された。
「はい、綺麗な布ならあるよぉ」
「シュヴァルツ。そう言えばどこにいたの…?」
シュヴァルツがタオルぐらいの大きさの布を渡して来たのでそれを受け取り、私はふと、先程から少しの間全く姿を見なかったシュヴァルツにどこにいたのかと尋ねた。
シュヴァルツは二、三度瞬きをした後笑顔で答えた。
「えっとねぇ、リードの
「確かに凄く眩しかったわね。でも急にいなくなるからびっくりしたじゃない」
「えへへっ。ごめんなさい」
シュヴァルツのふわふわな頭を撫でてあげると、まるで子犬のようにシュヴァルツは満足気にはにかんだ。
一度、シャルの手伝いをするから後ろで大人しくしててね。とシュヴァルツに告げ、私は予定通りシャルの汗をそっと拭く作業に取り掛かった。
程なくして、ついに一人目の解呪が完了した。大柄な男性は元気になった自身に感激し、シャルの事を拝んでいた。
しかし当のシャルはその謝辞を長くは受け入れず、すぐさま次の感染者の元に向かった。
その後は同じ事の繰り返し。シャルの体力と気力とが持つまで、ずっと同じように解呪しては汗を拭きを繰り返した。
十一人程を治した辺りでついにシャルの体力が底をつき、この日はもう日も暮れていた為ここで終わりとなった。
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