第124話




 ディルクが主の執務机の前に待機してから、まだ僅かな時間しか経っていない。

 けれど、眼前のトリエスの王は全てを読み終えたようで、机の引き出しから何枚もの白紙を取り出した。

 いつの頃からか自分の記憶力が人と違うと気づいた彼は、膨大で多岐に渡る指示を出す時には、紙に書いて配下の者に渡す事を覚えたのだ。

 配下の者は其れを元に動くと同時に、当然、指示書も直ぐに廃棄する。

 そういった流れが出来上がっていて、今回も例に漏れず、多くの指示をかなりの速度で書き出した。


「―――このようなはずでは無かったのだがな」


 書く手の動きを少しも鈍らせる事なく、トリエスの王が話し出した。


「小娘が余の前に現れた時、良い駒が手に入ったとまず思った。不可思議な事象など、どうでも良かった。そのような事は不都合が生じそうになれば、その時に改めて対策を練ればいい、そう考えていた」

「まあ、貴方ならそうでしょうね」

「何をするにしても後腐れなく、何かあったとしても煩わしい身内も知り合いも居ない。誰ひとりとして気にする事のない、そんな都合の良すぎる駒だ。何に期待しているのか動きの鈍い者共への燃料投下に丁度良いと、そう思ってな」


 トリエスの王は一枚目の指示を書き終えたようで、二枚目に手を伸ばした。

 そして直ぐに新たな指示を書き出す。


「サデヴァの話を振った。そう期待はしていなかったが、小娘は物の見事に理想の返しをしてくれてな。笑いそうになるのを耐え、多くの者が居るあの場で、余が小娘の言を聞いたように見せた」


 指示を書いていた二枚目の紙を横に避け、トリエスの王は三枚目に筆を走らせ始める。


「あの場を出た後、直ぐさまサデヴァ侵略の指令を出したさ。緩衝国とは名ばかりの、トリエスにとってどうでもよい国だったが、王である余が小娘の無責任な言葉を聞いたと思わせる、ただそれだけの為に女王と王弟の首を取れとな。……今にして思えば、小娘に剣を向けた無能の首も取っておけば良かったと思うが」


 三枚目を書きあげ、四枚目五枚目と続き、八枚目を半ばまで書き終えると、トリエスの王は「レネヴィア分だ」とディルクに手渡す。

 受け取った其れに、ディルクは直ぐに目を通し始めた。


「あれが珍獣だと思ったのは確かだ。最初から奇行も酷く、思考回路もどうかしていたからな」


 トリエスの王が新たな紙に筆を走らせる。


「だが非常に使える駒であるのも確かだった。故、珍獣保護法の適用を即座に決めた。バルツァーは相当な難色をあの後も示し続けていたがな」


 書く速さを少しも衰えさせる事なく、トリエスの王は小さく息を吐いた。


「そう、色々と画策していたんだ。このようなはずでは無かった、本当に」


 レネヴィア国境で待機している騎士団長らと、同国内に潜り込ませている自分の手の者への指示書からディルクは一旦視線を上げた。


「貴方は最初、適当なところで彼女を始末するつもりだったでしょう? まあ、かなり早い段階で考えが変わったようですが」

「……そうだな。権限を与え過ぎていたからな。使う頭が全く無かったようだが」


 机上の白紙を使い切ったトリエスの王は、引き出しから新たな紙を追加で取り出した。


「あれと接していると妙に毒気を抜かれてな。策をめぐらせている此方が馬鹿らしくなってくるんだ。どうしようもない虚しさを感じるというのかな」

「あー…それは分かる気がします」

「だろう? その色々と画策しているものの中には、目障りで面倒な国々を傀儡にしようかどうしようか長年をかけて準備しているものもあった。今、軍を同時展開している三ヵ国を筆頭にな。気づかれぬようにお前の配下の者を各所に潜り込ませ、力を削ぎ、有能な者を始末して、だ」

「そうですね」

「正直なところまだ時期では無い。まだ早い。だが今回、そうも言ってはいられない。寧ろ、どのような犠牲を払ってでも余が成したい、そう思ってしまった。―――小娘ひとりの為に」

「そうですか。まあ、それでいいんじゃないですかね? 少なくとも俺とヴィルフリートは貴方の幸せを第一に願っていますよ。ヴィルフリートは其処に、腹を抱えて自分が笑える事、が入ると思いますが」

「……ヴィルフリートはそうだな。あれは、なかなか歪んでいる」

「貴方がそれを言いますか」

「…………」


 トリエスの王が書きあげた紙を机上で整えた。

 そしてディルクに「ラガリネ分だ」と言いながら手渡す。

 ディルクは其れを受け取り、トリエスの王は新たな白紙を用意した。

 だが、これまで少しの迷いも無く動いていた筆が完全に止まる。


「……ガルダトイア、か」

「どうするんです?」


 トントンとトリエスの王が人差し指で机上を叩き出した。

 暫し目を伏せながら何やら思案して、机上を叩く手を止める。

 白い紙面に彼は視線を戻し、筆先を置いた。


「神獣の乙女。召喚。神獣。アベノセイメイ。神術。媒体。神力。血脈。―――断ち切ってみるか、この連綿と続く悠久の流れを。…………いや、どう言い繕っても言い訳にしかならないか。どうしても譲れないものの為に余が断ち切りたいだけだ。たとえ僅かにでも可能性が潜む限り。これではガルダトイアの愚か者どもの事を何も言えないな」


 自嘲気味にそう言うと、方針を決めたのだろう、トリエスの王はレネヴィアやラガリネの時と同じような速さで筆を動かし始めた。


「……小娘は余を恨むだろうか」

「どうでしょう。彼女は少々、いや、かなり変わっているので、俺には彼女の気持ちを推し量れませんね」

「これが知れたら、余は小娘に嫌われるな。……怖いな。人に嫌われるのが怖いと思った事は此れが初めてだ」

「まあ其処は知られなければいいんですよ。この世には知らない幸せというものもある」

「詭弁だ、それは。……だが、そうするしか無いのだろう」


 トリエスの王が走らせていた筆を止め、立ち上がった。


「それでも。小娘が恨み嫌おうとも、余は己の望みを叶えたい。気づいてしまった今、それだけは譲る事が出来ない」


 執務室の両脇にある多くの書類や書物が収められている棚にトリエスの王は向かった。

 何処に何が収められているのか彼は全てを把握しているのだろう。少しの迷いも見せずに十数枚の紙を綴じ込んだものを取り出す。

 其れをパラリと流し見して、直ぐに執務机に戻った。


「ガルダトイア分だ。此れを添付しておく。全てを確実に遂行するように。特に添付したものへの漏れは一切許さない」

「了解」

「それとお前に渡したい物がある」


 ディルクがガルダトイア分の指示書を受け取ると、トリエスの王は執務机の白紙の入った引き出しではない場所を開錠した。

 そして其処から一つの頑強な黒い箱を取り出し、ディルクの方へと机上を滑らせる。


「少し前に余と説明を受けたものだ。お前に渡す。指示通りに使え」

「了解」

「その際、余からの言葉として、こう言え」


 続くトリエスの王の言付けにディルクはただ頷き、その箱を手にした。

 それを視界に収め、親書と報告書を手にして退室しようとトリエスの王は扉の方へと歩き出す。


「今後の指示は此れで全てだ。外の事はお前たちに任せる。上手くやれ」

「貴方は?」


 ディルクの問いに彼は振り向き、足を止め、何処か狂気を孕んだ笑みを浮かべた。


「―――掃除を」


 無機質な紫の瞳が愉悦の色に染まる。


「あれの人生の全てを使って付き合ってもらおうと思っている。故、少しでも居心地の良い城にする為に、余は余の出来る事をするつもりだ」


 そう言葉を残し、トリエスの王が執務室から去った。

 彼が立てた扉の開閉音に、止まり木で寛いでいた囚われの青い鳥が驚いて美麗な籠に張り付く。

 ディルクは其れを眺めながら、今はガルダトイアの王城に居る彼女への言葉を口にした。


「珍獣様、逃れられませんよ。貴女はもう、陛下から―――」


 囚われの青い鳥が美しい籠の中で翼を羽ばたかせた。



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