煉獄への道標

大橋博倖

第1話


 1年戦争。

 南極での和平交渉は決裂し、戦争の継続が連邦、公国の両国間で確認された。

 それは、短期決戦を企図していた公国にとり不本意な結果であったが、それはそれとして、戦争継続の手段として、連邦を再び交渉の座に着かせる為にも、その持てる戦力を更に一段、進めることが必要な事態となった。


”空から単眼の悪魔が舞い降りてきた”


 濃密なミノフスキー粒子の散布がその先触れであった。

「ジオンの攻撃か」

「本部からはまだ」

 殺気だった高級将校たちが短く言葉を交わす中、基地のデフコンが引き上げられ、主力戦闘機であるティンコッドが増援としてスクランブル、慌しく駆け昇っていく。

 その基地の上空直掩にあたっていた1機がはじめに気付いた。

「なんだ、あれは」

「空挺降下?」

「あんな上空をか」

 誤認だった。

「ちがう、あれは!」

「大きい、おおきいぞ?!」

 空雑音。通信が途絶する。

「どうした?!何があった。応答しろ!!」

 直掩機が次々と撃墜されていく。

 対空監視の兵もそれを目撃していた。

「なんだ、あれ」

 空を指差す。

 それは確かに、一見、降下兵に見えた。

 空から降りてくる、人影。

 だが、パラシュートは無く。しかも。

「ああ!またやられた?!」

「何なんだ?!あれは!!」

 携行している火器で友軍機を次々に落していく。


 すこしずつ、大きくなる。


 その姿がみるみるふくれ上がり。

 そして、視界を塞ぎ、眼前に舞い降りた。


 うわあああっっ?!?!。


 狂乱した兵士たちは思わず持ち場を離れ、離散する。


 それこそは、初めて地上に姿を見せた、ジオンの新兵器。モビルスーツ。MS-06、通称、ザク2であった。


 既存の兵器体系は、MS(モビルスーツ)の前には無力だった。

 航空機は3次元移動体だが、主戦場を宇宙とし非常に広い射界と真の3次元戦闘能力を持つMSに比しては、その機動、軌道は直線的な、いわば2次元的なものに等しい。戦術支援コンピュータによる偏差射撃により容易に捕捉、撃破された。


「くそ、空軍の役立たずめ!撃て、撃て!!」

 61式戦車が射撃を開始した。

 鉄の巨人、そのうちの1体の頭部を吹き飛ばした。歓声が挙がる。

 戦車兵は一瞬だけ、夢見た。

「なんだ、やれるんじゃないか?!あ」


 戦闘車両はもっと無力だった。

 MSの正に3次元的な、垂直機動戦闘に火器の射界が全く追随できず、またトップアタックにより脆弱な上面を攻撃され、これもあっさりと葬られた。

 準備不足の要素もあったが、万全な迎撃体制が整えられていたとて、有効な戦闘が出来たかは難しい。


 オデッサは、陥落した。



「誤認、ではないのか」基地司令の叱責には、語勢を裏切る何かすがるような響きがある。

「残念ながら、誤認ではありえません」事態を伝える情報参謀は平静な態度を崩していないが、言葉には張りが無く目付きも少し空ろだ。

「当戦区内にて作戦中の部隊について、機動兵器の存在を伝える情報はありませんでした。この情報は最新のものです。機数は3。機種等詳細については確認を急がせておりますが、形状はいずれも装脚装腕、歩行により約50km/hにて当基地に向け移動中であります」

 情報参謀は最近連邦軍内にも定着しつつある、ベムやテロノイド等の蔑称ではなくジオンの名を口にしてみせた。

 作戦室、作戦室といっても野戦テントに過ぎない。基地もまた物資集積所に築陣を施した臨時補給所であり、前方には陥落して間もないオデッサが黒煙を吹き上げており、また後退、敗走中の部隊が、兵が、機材が存在する。後方には敗残兵を収容、再編中のヨーロッパでは中規模に該当する制式拠点が位置している。


「機動兵器。ザク、とやらが3機か……」

 発言、意見ではなかった。愚痴、いや、ぼやき、に近い。

 全員が互いにそれぞれの顔を、不機嫌に、或いは不安げに眺めた。言葉を発する者はなかった。


 作戦室を一時支配した沈黙は、外部からの進入者に破られた。通信担当士官が手ずから電文を握りしめ入室してくる。


「ヨーロッパ方面軍軍司令より至急電です。読みますか」

「頼む」

「発、ヨーロッパ方面軍エルラン、宛、IDB-103基地司令バルクマン。

 本文、現在、ヨーロッパ方面軍各所にて戦闘発生中、当方に救援の余力無し。

 帰属に係わらず、貴官が有する全戦力の使用を許可する。

 現在確認されている貴官担当戦区のジオン部隊を全力を持って殲滅せよ。

 貴官の忠誠と義務の履行を連邦は期待する。

 以上です!」


 何だそれは?!。作戦室に悲鳴と怒号が飛び交った。学生の委員会ほどの秩序も失われ掛けた。


「止めんか!!」

 自身も、その混沌に身を投げ出したい誘惑を辛うじて抑えて、司令が一喝する。

 しかし。


「諸君、意見だ。何でもいい。やつらを止める手立てを、だ!!」

「……そもそも当基地に直接帰属する正面戦力は存在しません、つまり」

 と、戦務参謀がまるで辺りを見回すような仕草で確認するように言う。

「そこらを移動してる”使えそうな”部隊を手当たり次第に臨編、指揮下に組み込んでしまっていい、その認可を得た、と解釈してよいのでしょうかコレは」


 何人かが同意の表明。


「士気もそうだが、重機材を投棄している者も多いだろうな。どれだけの戦力をかき集められるか」

「情報参謀。敵部隊の到着想定時刻は」

「約2時間くらいでしょうか」

「兵力再編、作戦、展開、逆算で猶予は30分前後か……」

 戦務参謀が呟くような声で立案していく。

「戦力の召集を行う。手の空いている兵にも参加するよう伝えろ」

 指示を出しながら自身、司令は作戦室を飛び出す。


 何とか編成された戦力は、敗残の身であることもあり、意気が上がらないことおびただしかった。

 同時に、彼らは自分たちが、他の多くの敗残兵、戦友たちが撤退する時間を稼ぎだす為の必要な犠牲、”捨石”であることをも知っていた。

 だが、作戦を聞かされた兵たちは、絶望しながらもそれなり、納得せざるをえなかった。

 確かに、それぐらいしか手段はないだろう。

 そして、それが出来るのは、辛うじて、壊走することなく、部隊としての秩序を維持して後退が可能だった、我々ぐらいなのかもしれない。

 勝算は、低い。

 しかし、やるしかない。

「1分でも2分でもいい。時間を稼げ」

 合言葉のように、呪文のように、口々にそう言い交わしつつ、彼らは配置に付いた。


 イヤな予感がした。

 理屈ではない、しかしこういうモノを大事にする兵が戦場では長生きをする。

 森林の切れ目、ぽっかりと開いた平坦地。

「気をつけろ。連邦もそろそろ何か仕掛けてくるかもしれんぞ」

「平気ですって。連中に何が出来るっていうんですか」

 先頭を行くザク2がせせら笑う。

「待て、一時停止」

 一歩、遅かった。


 轟音。


 先頭のザク2の足元で炸裂したワイアー・トラップが、その右足首を吹き飛ばした。

 先頭機はそのまま転倒する。


「しまった!」

 3人が同時に叫んでいた。


 一瞬、棒立ちになる後続の2機。


「!!いや、いかん!!」


 隊長機はすかさず緊急回避動作、後方へバック・ブースト。

 だが、2番機は数秒、静止目標であり続けた。


 そこへ、狙撃班の対物ライフルの一斉射が集中する。

 射線は頭部へ。


 モノアイが破壊された。


「歩兵だと?!歩兵ごときがザクを足止めするだと?!なめるな!!」

「まて!!やめろ!!ここは一時……!!」


 隊長機の制止を振り切り、逆上した2番機が突進する。既にたっぷりと連邦軍の血を吸っているヒートホークを高々と振りかざしながら。

 横転している3号機の脇をかすめて森から走り出る。


 最後の罠が閉じた。


「今だ、撃て」

 対面する森の木陰でダッグ・イン(車体を地中に埋める)により存在を隠蔽していた、61式戦車5両のその連装砲、計10門が一斉に1機のザク2目掛けて火を噴いた。

 先頭機同様、片足を吹き飛ばされたザク2は地面を派手にえぐりながら無様に転倒、擱座する。

「ばかが……だから」

「た、たいちょう~!!」

「目標変更、B、撃て」

 先に倒れた機に射撃目標が移る。今度は腕が打ち砕かれた。スクラップまでもう1歩。

「バーニアだ、バーニアを吹かせ!!後退しろ!!」

「そ、そうか!」

 隊長機は慎重に、僅かにバーニアを吹かしポップ・アップ。発砲を確認した一帯に向けザク・マシンガンの1連射を叩きこんだ。

 爆発が起こり、1、2両は破壊したようだったが、別の地点からの新たな射撃が探知される。

 一体、どれだけの敵が潜伏しているのか。さすがに危険な状況だった。

「一時撤収する。ここまで来い!」

「りょ、了解……」

 なんとか、逃げ戻って来た部下の機体をそれぞれ両脇に抱えると、隊長機は、交戦距離から離脱したと判断出来るまで連続バックブーストで素早く後退していった。

「悔しいが、やつらこそプロの軍隊だ。頭もあれば牙もある、特にここではな。長生きしたければ今日の経験を忘れぬことだ」

 部下たちはまだ血の気の戻らない顔で、何度も頷いた。


 伏射姿勢で地面に腹這いになっていた狙撃兵の一人が、ぎこちなく立ち上がった。ザクが巻き上げた粉塵を頭から被り、泥だらけのみじめな有様だった。

 「追い返したか」

 喉につまった異物を押し出すかのように、言葉を漏らした。

 体中が気持ちのわるい汗で濡れている。反対に、口の中は乾ききっていた。

 赤い単眼を光らせながら現れた3体の巨獣。ビルがそのまま歩いているかの様な、ありえない光景を目の当たりにした恐怖、絶望感。

 生身であんな”化け物”と対峙して。一生分の勇気を使い果たしてしまった様な気がする。

 もう、二度とはごめんだ。痺れたような頭の片隅で呟きながら、何げなし、背後に視線を移す。戦車班の陣地へ。

 あいつらはどうなんだろう、と。


 戦車兵たちも同様だった。


 勝利、の実感などカケラもなかった。

 長い、地球上での戦いの歴史の中では、”古典”とも言える地形を利用したアンブッシュ、キルゾーン戦法。

 少し油断して走っていた者をちょっと蹴つまづかせただけに過ぎない。

 そう、”地上”に不慣れなスペースノイドをちょっとだけ、引っ掛けてやった。ただそれだけ。

 しかも、一瞬とはいえあれだけ有利な戦術環境を実現できたにも関わらず、撃破も適わなかった。挙句にこっちは、それでも2両も喰われて。

 あの機体は、2、3日もすればまた我々を殺しにくる。


 おそらく、幾分か慎重になって。


 どうやって、あんなやつらと「戦争」をしていけばいいのか。


 それが例え刹那の、仮初めのものであっても、勝利の言葉を口にするような無邪気な、或いは楽観的な、無神経な者は一人もいなかった。

 次はどうすればいい。

 答えのない切実な疑問を胸に、兵達の間にはただ沈鬱な空気が漂っていた。


「よし、後退だ」

 その言葉で、不意に呪いが解けたかのように兵たちは動き始めた。

 あるものは銃を担ぎ直し、戦車兵はエンジンを始動する。

 生き延びた。とりあえず今は。

 やや生気を取り戻した顔で兵達はささやくような言葉を交し合う。

「まあ、最悪の中での最善は尽くした、のかな」

「時間は稼いだ。義務は果たしたさ」


 そう、彼らはまだ幸運だった。

 他の戦線では、多くの部隊が、兵が、ジオンの苛烈な追撃の中、MSの振るう猛威によりなすすべもなく、今この瞬間にも文字通り蹴散らされ、捻り潰され、踏み潰されていた。


「おい、どうした」

 一人の兵が立ち止まり、天を仰いでいた。


 オデッサが燃えている。

 立ち上る噴煙が曇天の空と溶け合う。空ろな眼差しをその彼方へ投じている。


「おれたちにも……モビルスーツを」


 無力な嘆きが天に向け放たれた。

 応える声もなく、灰色の雲がただ切れ目無く続いている。


 連邦軍、その敗北に次ぐ敗北。

 そしてまた地上でも示された煉獄へと続く路。

 先の見えない道程の、今はその一歩を踏み出したに過ぎない。


 了

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煉獄への道標 大橋博倖 @Engu

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