ファニーフェイス・ファニーバトル

大橋博倖

第1話


 ふぁ。


 ヒマだ。そして平和だ、少なくともこのコクピットの中は。


 ルナ2封鎖艦隊の母艦から出撃し、地球に向かってギリギリまで落ちていき、再び戻る数日間。その繰り返しの日々。ガトルーE1は読んで字の如し、ガトルから武装を撤去し代わりに各種センサ(観測機器)を増強、航続距離も延伸した偵察機で定員は1名。センシングは完全自動化されているししかもパッシヴ(受動)探査だし、道中は慣性飛行なので、搭乗員の仕事といえば定時連絡くらいなものなのだが無論、作戦行動中の偵察機が自ら電波を発する様なアホをするワケもなく、つまりはヒマなのだ。


 開戦劈頭、初手でオデッサという連邦側の要衝に楔を打ち込み、地球圏の戦力配置を一気に惑乱させた上で更に数次の降下作戦を断行、前線を地上に進め攻勢を続けたジオンだったが、皮肉にもオデッサを失陥した現今では一転、地球圏に展開していた戦力を分断されたカタチとなり、情勢は、厳しい。どの程度かというと少なくとも地球軌道上に遊弋させていた艦隊を、再編と称して一度撤収させる程には、だ。

 非効率だが果敢で執拗な連邦側の“下”からの攻撃に辟易したジオン地球方面艦隊は、地球軌道上からの撤収、再編を本国艦隊司令部へと上申、渋々ながら了承された。眼下に確保していたオデッサという策源地を喪失した以上、微小な損傷、損耗品の補充でもソロモンかグラナダの港湾まで戻らなければならなくなる。そして艦隊は僅かずつではあるが日々刻々と、確実に戦力を低下させている。損傷を受けようものなら無論、銃砲の一射、推進剤の一吹かし毎に艦隊の継戦能力、その戦力は不可逆的に変化していく。


 オデッサの失陥により最も深刻な混乱、打撃を受けたのはジオンの兵站である。


 当初より長期戦を想定していなかったジオンの兵站は、南極での交渉失敗と戦争の続行以後、悲鳴を上げ続けていた。その後方戦力を構成するのは、パプアの様な正規の装備は希少で、大部分は徴発された民間船舶により代替されており、それが対連邦比1:30という劣悪なジオンの戦争経済を更に圧迫するという悪循環をも招いていた。

 つまり、オデッサの早期攻略は妙手であると同時に必然でもあったのだ。

 オデッサ(連呼してて悪文だなぁ)の確保により一息ついたジオンの兵站は、その失陥により以前以上の窮状に晒されることとなる。臨時徴発していた民間船を各職へと復旧させていたのに加え、オデッサという地球圏、地上に存在する策源地の存在を前提としての補給網の再編が既に終了していたからだ。

 本国から宇宙、地上の両方へ供給されていた補給は、地上と地球周辺はオデッサ、本国は宇宙、と切り分けられた。

 中でも兵站上での艦隊の扱いは低かった。艦隊が地球軌道上で磐石の制宙権を掌握している限りにおいては、アンヴィバレンツなことにそれは遊兵そのものなのだ。そして何とも皮肉なことに、今こそ、地球方面艦隊には十分な補給が求められておりそれは事実必要だったが、同時に不可能だった。今のやせ細った補給線に地球までの艦隊補給など乗せたらあっけなくパンクしてしまう。補給はあくまで地上、そして何よりMS(モビル・スーツ)の稼動が優先されていた。


 艦隊の護衛が無くなれば、地上への補給も一時途絶する。自分たちのハナ先をかすめて降下していくHLV(降下/打上カプセル)を沈鬱な想いで見送りながら、ジオン地球方面艦隊は地球軌道を離れた。

 ジャブロー強襲こそ頓挫したものの、北米、アフリカ……、地球圏の戦力は連邦に脅威なさしめる存在として十分に健在であり、連邦がこれを放置して近々に戦力を宇宙に向け展開する可能性、その余力も極めて低いとジオン参謀本部は状勢判断を下した。艦隊を再編、再配備する猶予は十分にある、と。

 一方、艦隊内の一部では頑強に、この決定への抵抗を示した者たちも存在した。その一人は戦後こう述懐している。

「理屈では判っていた。だが、我々はもう(地球圏に)戻れないのではないか、その予感に怯えていた、軍人としては不見識なのだが、そのように思う」と。



 短い、硬質な電子音。


 眠気覚ましに、と空きメモリに焼いてあるライブラリを眺めつつそれでもウトウトしていたのが一発で覚醒する。

 任務の時間だ。素早くセンシング・モードを呼び出す。フライトデータはコンソルの脇へ退避。

 搭乗員が偵察・観測を兼ねているのでこういう仕様になっている。


 赤外反応……1つ。


 僅かな時間差で同定結果が表示された。旧式のHLV。それが1機。


 赤外反応が歪んでいく。

 煙幕を展張しているのだ。

 煙幕、ミノフスキー粒子の散布を。

 何の為に。

 もちろんだ。決まっている。

 新たな、微弱な赤外反応を検出。

 反応は出力を増す。

 昇って来る。地上から。

 続々と。反応増大。

 2・3・4・5・・・10・・・20・・・50・・・既に100を越えた。

 電子音が鳴り続ける。


 それに突如警報が重なった。


「きゃん!」

 彼女は悲鳴を上げた。先ほどから心の中は声にならない絶叫で満ちていたが。

 彼女、そう、軽くて、(1gでも)酸素消費量が少なく、(同)ストレスに強い、(男より)女性航宙士は長距離索敵の要員として最適なのだ。正しく適材適所。


 照射を受けた側の電子兵装がホワイトアウトする程の大出力によるアクティヴ・センシング(能動探査)。恐らくは戦艦級の。

「見つかった?!」

 叫びながらも左手は訓練通りにリリースボタンを正確かつ迅速に3回連打。

 直後。

 機体の周辺をおぞましくも煌びやかな、メガ粒子砲のビーム光束が立て続けに奔り抜けた。

 ミノフスキー粒子の緊急散布で間一髪、これを回避している。

「軍と公国と亡きガルマきゅんへの忠誠と義務は充分尽くしました!!よね?!」

 自らに宣言しながら最大出力+乱数加速で強引に機を帰還軌道に向け放り投げる。


 この期に及んで無線封止を続けている意味はない。

「あ、サイテー」

 先ほど受けたセンシングの威力で、センサの幾つかに加え、長距離通信系まで死んでいる。

 最大出力から2Gの定常加速にセットし、もうさすがに艦砲射撃はないだろうとセンシングモードを呼び出すと、壊れかけたセンサは無慈悲にも2つの赤外反応を拾っていた。

 2機のセイバーフィッシュ。ホントに故障ならいいのに。

 ガトルの機動性能は、標準でも8G(てきとう)のところに、E1は兵装撤去での軽量化を上回る機体重量の増大により6Gを切るまでに低下している。

 対する連邦のセイバーフィッシュは、過去の公国との交戦データによると少なくとも10G以上の(てきとう)性能を誇るらしいことを彼女は知ってしまっていた。

 つまりー、このまま追っかけっこをしていてもー、もし例えこちらが全力を出したとしても、向こうは余裕でこっちを捕捉するわけでー。


 計算してみる。

 結果は瞬時に表示される。

 しなければよかった。はげしくおちこむ。


 双方が全力発揮した場合、約3時間。

 向こうが余裕をかましても、それでも必死に逃げて(減速分まで吹かしきっても)、逃げられるのは半日程。


 いや。


 向こうの酸素携行量はそれほどないだろうから、向こうは……敵は、それほどの猶予は与えまい。


 平均して余命6時間前後、だろうか。


 取り敢えず空になったプロペラント・タンクと完全に死んだセンサの幾つかを投棄してみた。

 直後に後悔あああ。

 もしかして、攻撃回避のなけなしの何かのたしになったかもー。

 いやいや。

 フィクションじゃあるまいし。

 何かをバラまいてみてもIRもイメージも騙せない、下手な考えムニャムニャ。

 1gでも軽くするのが、ここは正解。



 戦術上、理屈の上では、もちろんそう結果が出た以上、直ぐに全力加速に移行するべきだったのだが。

 なぜとはなし、ためらわせるものがあった。

 それは、事実と真逆であるのだが、何となく、推進剤を景気よく吹かすとその残量に応じて、残された時間が共に喪われていくかの錯誤に陥っていたから。

 そしてしばらくして気付いた。

 救難用共用回線を通じての着信に。

 更に気が重くなった。

 内容の予想はついたが、仕方なしに回線を開く。

「~に生還の余地はない。直ちに加速を停止し、地球に向け~」


 切る。


「はぁ~」


 名誉の戦死。投降。


 地球軌道上に、つまり連邦軍の動静に何らかの変化が発生したことは、或いは公国側でも既に察知しているかもしれない。

 しかしそれがあれほどまでに大規模な戦力展開であることを、精確に示すデータは、私と、この機にしかない。今は。

 それこそ何に代えても情報を携え、帰還せよ、という状況だが、しかしこのままでは何をどうしても数時間後に撃墜されるのは確定確実。

 戦争において情報速度は死命を制する。

 本国の艦隊まで派遣増強して連邦を再び地上に追い落とすにせよ、防備を固めるにせよ、この情報はその決断材料として不可欠だろう。

 今、この情報が、私が、公国の命運を握っている……ホントに?。


 偵察機が1機、未帰還になったとて、次の機を飛ばすだけ。


 否、連邦のこの軌道上での動静を鑑みて、必要と判断すれば小艦隊の1つも投入した威力偵察すら強行するだろう。それが軍隊という組織。


 私がここでバンザイしても、せいぜい数時間、最大数日のタイム・ラグ。


 数日のタイムラグ?!。この逼迫した戦況(ワタシだって判る)で、それって結構クリティカル。


 あー。


 だからこのままじゃあどうせ犬死なんだってばー。


 それに……、連邦のジオン兵の扱いについては、ウワサからも断片的な情報からも、全く、期待できない。

 ましてや自分の性別やその、客観的な事実上からの外形的な幾つかの特徴、異性の戦友たちが示す様々な反応から鑑みるに、極上の”歓待”を受けることだろう。


 前門の狼後門の虎、退くも地獄進むも地獄。


 戦死、投降、投降、戦死、投降、戦死、戦死投降とうこぅセンシトウコウセンstouk……。



 グルグルぐるぐるるるるるる。



 あ。



 ば き ん。




「おうちがだんだん遠くなるぅ~」

 ぼやいてみせると。

「だったらさっさとキルマーク1コ稼いで帰ろうぜ」

 ウイングマンが混ぜっ返す。

 まあそうだな、と返しつつ、どこか気乗りしない。

 マトは独航の偵察機、恐らくは丸腰の。シッティングダックといってこれ以上に容易な標的はまず、ない。

 逃げる気があるんだかないんだか。ちんたらと定常加速で前を行くその背後に何だか文句の一つもぶつけたくなる。


 なんでUAV(無人“偵察”機)を使わない。


 今までの挙動を見れば、間違いなく目標が有人機であることは判る。

 そもそも返答こそ無かったが、1度だけ投降勧告に回線を開いた。

 理由も理解出来る。

 地上の様なショートレンジであれば、パッとUAVを飛ばして回収、情報収集を出来るが、しかし機械に故障は付きモノ。長距離偵察では結局、人間を使った方が安くて確実なのだ。


 ドップは何機も落としている。同じ偵察機であるルッグンも。


 消耗品。


 そう、この漆黒の空間が呼びかけて来た、その声をはっきりと聞いたように。

 初めての感覚だった。


「オレもか」

 小さくごちる。独り、安全な地球圏を離れ、ジオンの海深く邀撃任務に投入されている。

 同じだ。

「なんだって」

 訂正、二人。

「さて、戦争だからな」

 プライベートな事情に、ややおおざっぱだが気のいい戦友と、まだまだ貴重な連邦の機材二つをいつまでも付き合わせているワケにはいかない。

 回線を開く。

 最後の投降勧告。

 偽善、自分への免罪符。

 それでもいい。自分を納得させ、トリガを弾き、任務を完遂し。

 キルマーク、1。それでいい。

 もし応答が無ければ、全力加速に移行し。

「共同撃墜でいこう。そっちのタイミングに合わせる」

「お、ありがたいね。コピー」

 そして、舌打ち。

 相手も回線を開いている。今まで通り無視すりゃいいだろうに。

「あー」

 一度、くちびるを舐め。

 いや。

 応答している?。

 雑音交じりに向こうから漏れてくる……。

 意味不明の音声、これは。


 泣き声、すすり泣き??。


「なんだ、それは」

 逆に、一気に醒めた。

 泣こうが喚こうが投降するかしないかの二者択一、でなければスプラッシュ。

 それ以外の選択は、ない。

 つい先刻、自身に巣食っていた場違いなセンチメンタリズムまで嘲笑された気になり、自然と語気が荒れた。

「最後だ。投降の意志表明なくば撃墜する。以上だ」

 短く宣告し、カットオフ。

 しようとした手が凍りつく。


「こ、ここどこ……おじちゃん、だれ?」


「……」



 あ た ま ま っ し ろ。



「なんだ、今の」

 一拍間を置いてウイングマンも声を発した。

「聞いたか」

「聞いた。聞かなきゃよかった」

「これは、つまり」

「つまり、壊れちまったのか」

「みたいだな」

「……どうする」

「どうするって。聞いてない。オレたちは何も聞いてない」

 そうだな、それがいいな、と相槌を打ちながら。

「男じゃなかったな」

 ぼそりと言った。余計なことを。


「あーあーあーっ!」


 思わず声が漏れた。

 何もかもがイヤになる。


 追い詰められた挙句精神崩壊を起こした、ジオン女性兵士が搭乗する非武装の偵察機を。


 スプラッシュ。


 いっそ懲罰覚悟で見逃してやるか。

 待て待て、演技の可能性もある。

 だとしたらその機転、胆力、相当なもんだが。


 そして、気がついた。

 目標は加速を停止している。


 繋ぎっぱなしの回線の向こうからなにやら物音。そして。


「いやー!!ここから出してだしておうちかえるー!!」


 コクピット内でやみくもに暴れまわる拍子に、航法を弄ったのか。


「これ……撃墜っていうか。ランデヴーして救出するしかないんじゃねーの」

「そうだな。説明する言葉がないんだが、軍人以前に人としての何かを試されている気がする」

「要はあの機の帰還を阻止すりゃいいんだろ」

「移乗して軌道変更してもいいしな」

 ランデヴー軌道及び帰還軌道を算出する。ぎりぎりだ。酸素残量が。

 兵装を投棄し、加速、機を航法が示した軌道に向け遷移させる。



「おそとでる~おうちかえる!!」

 何度めかの危機だった。

「今行くから!おじさんたち、もうすぐ着くから!」

 今度こそ掛け値なし、事実だった。あと数分で減速加速を終え、目標の脇にぴたりと静止する。実際には軌道要素を一致させ共に慣性航行しているのだが。

「ほんとに~?」

「ほんと、こんどこそほんと!」

「おうち、かえれるの?」

「かえれる、やくそくするから!」

「……」

「きいてる?」

「じゃ、まってるね~」

 そして、2機のセイバーフィッシュは目標を挟むようにその両脇に静止した。

「よーし、もうだいじょうぶだ。おそとにでておいで」

 少しして、偵察機のキャノピが開き。

 彼女は姿を現した。

 内心で小さく口笛を鳴らす。変色したバイザの向こうは見透かせないが、ノマールスーツ越しでもそのスタイルは見事だ。


 いや、違う。


 精神崩壊を起こし、幼児に退行した人間が、あんな、紛れもない航宙士の挙動を取れるか。


「ごめんなさい」


 囁く様な声がした。そして、その背後で。

 ガトルが、動き始めた。


 機のコクピットに慌てて飛び戻り、全力加速で再び航行を始めた目標に向け唯一残った機銃で射撃を浴びせたがその時点でもう、視界外へとび去っていた。有効な攻撃が出来たとは思えない。


「見事でした。完全に手玉に取られた」

「いえ……私、本当に壊れて…壊れかけていました」

 意外な回答だった。

「正気に還った、と」

 いぶかしげな連邦軍パイロットの言葉に、彼女は頷いた。

「おうち、かえれるの?」

 彼女は、呟く。

「心の奥底のどこかに、それが絶対にムリなこと、刻まれていたんだと思います」


 それとも。


 約束、守って、もらえますか。


 寂しげな声で、そう告げた。

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