第16話 只野天使

 メイド少女のつま先から黒ストッキングを通り、顔へと視線を上げていく。


 移動の余波で漆黒のツインテールを左右に揺らしながら佇む小柄な少女は、神羅の肩ほどまでの低い背で、いかにも怜悧そうで聡明叡知という言葉がぴったりに思える無表情のクールビューティだった。


 メイド服が非常に似合うその少女の虹彩は、アメジストのようなパープル色に輝いていている。顔立ちは日本人だが、その独特な色の瞳を見れば分かる。彼女も判明者だ。


 天使と呼ばれる清純な少女は、紫色の目で俺を真っ直ぐ見据えてペコリと頭を下げた。


「初めまして、神羅様の専属従者である只野天使ただのてんしと申します。【可能性】は常動型の【完全完美かんぜんかんび】、あらゆることを完全に完璧に朝飯前にこなすことができます。お気軽に天使とお呼びください」


 天使というのは渾名ではなく本名らしい。


 天使が説明に合わせて、どこからともなく取り出したタブレットデバイスを弄ると、電子黒板に彼女のプロフィールが表示された。


 俺達と同い年、誕生日は七月七日、血液型はAB型、身長145センチ、体重42キロ、スリーサイズは75/55/75、特技は全て、趣味は神羅様のお世話、好きな食べ物はバウムクーヘン、嫌いな食べ物は――って


「どんだけ詳細に書いてんだよ!! 文字が小さくて読みにくいんだよ!!」


 スリーサイズまで晒しているというのに、天使は事もなげに表情を崩さない。


 高飛車な神羅が一人で行動しているのは違和感があったが、このメイドを付き従えていたのか。神羅のスライド作成や演出などは全て天使がこなしていたのだろう。あのタブレットデバイスで学内にハッキングでもしているのかもしれない。


 究極に器用とも言える【完全完美】なんてチート能力持ちが裏方をしていたと考えれば納得だ。


 メイド持ちとは、神羅はいよいよ本当に外見通りのお嬢様のようだ。

 神羅は隣に立つ天使の小さな頭をポンポンと叩いて、自慢気に笑顔を見せた。


「天使は私の幼馴染みでね、可愛いくて何でもできる最高のメイドなのよ」

「メイドくらい朝飯前です」


 褒められた天使が一瞬だけ静かな表情を崩し、淡い微笑みを浮かべた。

 それは俺の目には、とても純粋な感情に見えた。


 幼馴染み――か。


 きっと天使は【私乃世界】の影響を抜きにしても神羅を本当に愛し、自分の意志で仕えているのだろう。直感的にそれが分かる、そんな笑みだ。


「幼馴染みってことは、メイドは遊びの延長みたいな感じか」

「失敬な。天使にはちゃんとお給料も払っているし、正式に雇っている使用人よ」

「お好きな額頂けるとのことなので、月に七桁振り込ませていただいています」

「俺も雇ってくれ」

「なんでっ!?」


 想定外の額に思わず本音が出てしまった。

 まさかそこまでの億万長者だとは。


「神羅様は女性しか雇わないので不可能です」


 そして天使に無表情で論理的に淡々と断られた。残念だ。


 にしても、神羅の奇行に対しても従順な天使は健気で良い子みたいだ。

 左目に泣きぼくろがあり幸が薄そうな顔立ちで、彼女こそ愛されるべき存在じゃないかと思える。


「ともかく、天使の意見を教えて」

「結人さんが神羅様を愛してくれないという問題についてですね?」


 神羅が「そうよ」と頷くと、紫水晶の目に少しだけ力を込めた天使が俺を見た。


「神羅様を愛してください」

「そんなこと言われても、無理なものは無理だ」


 即答した。

 天使の表情は変わらないが、なんだか失望された気がする。瞳の奥に宿る神羅への忠義の念のようなものをひしひしと発して伝えてくる。


 天使に目で訴えられた俺は、小さく息を吐いた後、持論を言葉にして紡ぐことにした。


「そもそも、お前は愛を何だと思っているんだ?」

「な、何って言われても……。本気で、す、好きになることでしょ……?」


 曖昧な定義の意味を問う少し意地悪な質問に、神羅が照れ混じりの困り顔を見せる。


「違うな……。お前は生まれつき【可能性】のせいで知らないんだろうから教えてやる」


 愛という物の正体を、俺は彼女に教えてあげることにした。

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