第1話 式上結人
改札を出た俺は、ブレザーの内ポケットから学生証を取り出して、改めて見てみた。
家の鏡の中に居た自分はもう少しマシに見えたはずだが、写真の中の俺は『火』という漢字のようなムスッとした表情だ。まるで誰にも愛されず憎しみを一心に受けて育ってきたかのような目つきをしていて悲しくなってくる。
写りの悪さにショックを受けながら駅前ロータリーへ出た俺の耳に、女性の声が響いた。
「
腕章をしてプラカードを持つ大学生スタッフらしきお姉さん達が、新入生をスクールバス乗り場へ誘導していた。
今日は、俺が通うことになる明麗高等学校の入学式兼始業式だ。
高校最寄り駅から出るスクールバス乗車時には、事前に発行されていたICカードの学生証をドア付近のカードリーダーにタッチするらしい。
だが、新入生で勝手が分からない生徒も多数いることを考慮してか、入学式の今日だけは乗車前にお姉さん達によるサポート兼目視での確認も実施しているようだ。
元気なお姉さんの指示に従って俺も列に並び、学生証を提示した。
「おはようございます。では学生証を拝見させて……ヒッ!!」
両手で学生証を受け取った笑顔のお姉さんが、俺と目が合うとビクリと顔を引き攣らせて肩を竦めた。怯んだ様子で硬直している。
そんなに露骨な態度を見せなくても……。
朝一番から傷つくだろうが。
「あの、何か問題でも……?」
「い、いえ、大丈夫です! すみません! では中でタッチしてください!」
硬直していたお姉さんに声を掛けると、弾かれたように勢いよく学生証を返却されバスへの乗車を許可してもらえた。
不快な思いをさせてしまい逆に申し訳なく思う。
俺は顔の造形は悪くないはずだし性格も優しくて正義感もある方だと自負している。
だが中身に反して憎しみに満ち満ちているかのような鋭利な目つきをしていて、虹彩も瞳孔も闇を凝縮したような漆黒色のせいもあり、性格がキツく見えて第一印象が最悪というのが悩みの種。
妹曰く「近寄ったらぶっ飛ばすぞってオーラを放出している」らしいが、それは小中学生時代の過酷な日々による弊害だろう。
小学三年生から中学三年生までの六年間、俺は虐めと闘っていた。
友人なんて居なかったし、授業には出ずに空き教室で自習していたし、部活は帰宅部で、修学旅行などのイベント類も当然のように全て欠席していた。
だから少年時代に学生らしい生活を送れなかった俺は、高校生になったら生まれ変わると決めた。
新環境の高校で青春を謳歌するためには自分を変えなくては。先ずはクラスの自己紹介がチャンス。第一印象が大事だ。友達ができるように頑張らないとな!
そう前向きに反省しつつバスへ乗り込み、どこに座ろうかと空席を見渡す。
『自由闊達』の校訓で規則が緩いからこそ入学式の今日ですら私服の生徒も数人見られる。が、俺と目が合った生徒達は次々と焦りながら空席に鞄を置いて席を埋めた。
早速心が折れそうなんだが?
もう帰ろうかな……。
どうしたものかと逡巡していると、
「あ、結人!! おーい、こっちこっち!」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
右窓側の席から頭を出して手招きしている少女が見える。
目立っていて恥ずかしかったので直ぐに彼女の隣へ移動すると、肩上までの焦げ茶色のウルフヘアが似合う、ボーイッシュな制服少女が満開の笑顔を見せた。
「おっはー結人! 朝から相変わらずの目つきの悪さだね!」
「おはよう。お前は相変わらず一言余計だ。けど奇遇だな」
「ねー! これはもう運命だよ。結婚しちゃおっか?」
「別れよう。お前の浮気性にはウンザリだ」
「そんなに軽い女じゃないよ!?」
男を勘違いさせる甘い言葉を容赦なく切り捨て、彼女の隣へ腰を下ろす。
朝から無駄に元気な彼女の名前は
運動大好きで元気溌剌、天真爛漫で曲がった事が大嫌いと外見を裏切らない明るい性格の、表情豊かで笑顔が絶えない魅力的な女子。
薫は持ち前の可愛い容姿と嫌味がない人当たりの良さから誰とでも仲良くなれる陽キャの鑑で、部活も陽の象徴たるテニス部だった。そんな薫だからこそ、クラスで一緒になったこともなければ周囲に敵しかおらず陰の象徴たる存在だった俺とも接点があった。
だが、やはり俺と薫の関係の根幹にあるのは、お互いの【可能性】だろう。
「座れて助かったよ、ありがとう」
感謝を伝えると、薫はアンバーのように琥珀色に輝く双眸で俺を見つめ、
「じゃあお礼がわりに早速!」
と言い、両腕を俺の胴体に回して逃げられないようにギュッと強く抱きついてきた。
控えめな胸を強く押しつけながら俺の首元に顔を寄せ、犬のようにクンクンと鼻を持ち上げて匂いを嗅いでくる。
「う~ん、やっぱり結人は良い匂いがするなぁ」
「出会って五秒で人の匂いを嗅ぐな! 犬かお前は!」
「いいじゃん。こうやって人の匂いを嗅げるのは結人からだけなんだもん。それに、いつでも嗅いで良いって言ってたでしょ? 困ってる人の力になるのが結人の抱負でしょ?」
「それは……確かに言ったけども……」
薫は【
他人が楽しんでいるとフルーティーな甘い匂いがしたり、他人が悲しんでいると雨の日のペトリコールの匂いがしたりと、常に様々な感情が良い匂いに変換されてしまうらしい。
しかし、俺は唯一の例外だった。俺からは感情の匂いがせず、中学で初めて出会った時に「生の人間の匂いだよ!!」とかつてない感動をされたのだ。
それ以来、【可能性】の影響で匂いフェチの変態となってしまった少女に、こうして事あるごとに全力で匂いを嗅がれるようになった。
抱きついてきた薫がスンスンと鼻を動かし、散歩中の犬みたいな挙動で蠢く。
「本当に変わった性癖と言うか、妙な【可能性】だよな、薫は」
「人の【可能性】を笑うな、だよ!」
「……そうだな」
開き直る彼女へ、俺は微笑んで答えた。
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