11 旅は道連れ

 麓の村へは馬で行くことになった。当然私は馬術の心得などないので、ナナキと二人乗りである。

「……どうして馬車ではなく馬なんですか」

「馬車は目立ちますからね。盗賊や魔物に目を付けられやすい上に逃げづらいので、避けた方が無難でしょう」

 それはそうなのだが、問題は近すぎるということである。

 現在、私はナナキに背後から支えられるようにして馬に乗っている。ナナキは私の体ごしに手綱を握っているのだが、そのためお互い非常に密着した状態になっているのだ。観覧車デートすらしたことのない私は馬車の中で二人きりでも息が詰まるのに、馬上で長時間密着するのはいっそう精神的にきついものがある。

 せめて何か喋って気を紛らわせないと、正気を保てそうにない。


「あの……盗賊はまだわかるんですが、魔物ってどんな生き物なんですか?」

「君の住んでいたところにはいなかったんですね」

「ええまあ……猛獣ならいましたけど」

 と言っても日本国内で危険な野生動物は熊や猪くらいだろうか。それも人里にはそう頻繁に下りてくるわけでもない。田舎育ちの私でも、実際に遭遇しているのは狸や鹿や猿くらいのものである。

「基本的には似たようなものですね。大きな違いは、魔物の餌が肉ではなく魂であるということでしょうか」

「魂?」

「そう、生き物の存在の核となるものです。人の場合、それは心臓に宿っています。ですので魔物は他の部位には目もくれず、心臓だけをえぐり取って食べます。また、肉体をまとわず魂がむき出しになっている精霊も大好物ですね」

 想像しただけでかなりエグい。心臓だけ食い破られた死体など、できれば一生拝みたくないものだ。

「君のように仮の体に魂を定着させている存在は、魔物にとって格好の餌です。今の君はただの武器で斬られたり殴られたりしても死ぬことはありませんが、魔物に食われたら魂が消滅して確実に死にますので気を付けてくださいね」

「そういうことは早く言ってくださいよ!」

 何でそんな大事なことを先に言わないんだ!? この前、鉱山に来た時に襲われていたらどうするんだ。

 しかし、対するナナキは平然としている。

「まあ、僕がいるので大丈夫ですよ。なので僕のそばから離れないでくださいね」

 ずいぶんと余裕たっぷりである。アイシアも腕が良いと絶賛していたし、相当強い力を持っているのだろう。確かアイシアは「精霊術師」と呼んでいた。


「あの……ナナキさんは精霊術師なんですか?」

「広い意味ではそうですね。ただ、一般的に精霊術師とは、この世界に存在する精霊を扱う者を指します。僕の場合は異界から精霊を呼び寄せるため、召喚術師とも呼ばれています」

「精霊の種類が違うんですか?」

「異界から呼び寄せた精霊は、召喚主の命令に絶対服従します。しかし、すでにこの世界にいる精霊を操る場合、その力の一部を借りるだけなので、あまり大きな術は使えないんですよ。しかも術師と精霊の相性も良くないと力を貸してもらうこともできませんしね」

「どちらにしても不思議な力を持っているのはあくまで精霊で、人間はその力を貸してもらうだけなんですね」


 ナナキの話を聞く限り、この世界では人間が自分の魔力で自在に魔法を使えるわけではないらしい。どうせならゲームのように派手なエフェクトのかかった魔法の撃ち合いでも見てみたかったのに。

「そうですね、人間はあくまで人間でしかありません。自らの魂を媒介として、精霊と契約を結ぶのです。精霊術師は死後、その魂が昇華して、他の術師に使役される精霊になります。そこで役目を終えて初めて生まれ変わることができるんですよ」

「あの、前に聞いた説明では、こちらの死者の魂は私たちの世界に渡ってくると言っていませんでしたか?」

「死者が全員渡ってしまったら、あちらは大混雑してしまうでしょう。あくまで渡るのは、時空の狭間を何かの拍子に超えてしまった一部の者だけですよ。もしかしたらこちらのように、君の世界にも魂を召喚する術師がいるのかもしれませんね」

 召喚と言われて、私はコックリさんやイタコの口寄せを思い浮かべた。元の世界では「霊」と呼んでいたものが、こちらの死者の魂が行き着いた姿だったのだろうか――



 目的の山が近づいてきた頃、ナナキは馬を停めた。そこは麓の村ではなく、鉱山からは少し離れた小さな町だった。

「村には行かないんですか?」

「少し寄り道しましょう。君はまだこちらの世界に来てあまり外を見ていないでしょうしね。見聞を広めるのも悪くありませんよ」


 立ち寄った町は小さくても周囲を城壁で囲まれている。西洋によく見られる城郭都市と同じく、外敵からの侵入に備えた構造である。ただし、こちらの町の特色は、城門や城壁上のあちこちに青い石が埋め込まれていることだった。

「あれが水光石の結晶です。もともとの魔除け効果を、さらに精霊術で強化しています」

 そう説明しながら歩くナナキの両手は塞がっている。右手は降りた馬の手綱を持ち、左手は私の手を握りしめてきたのである。

「離れないでくださいね」

「こ、子供じゃないんですから、迷子にはなりませんよ!」

 私は慌てて彼の手を振りほどこうとしてが、なぜかできなかった。

 ――そういえば、召喚された精霊は召喚主の命令には逆らえないのではなかったか。

 そのせいかはわからなかったが、結局私は子供のように手を引かれたまま町を歩いて回るはめになってしまった。



 町は小さく、昨日行った市場よりもはるかに商店街の規模は狭かった。野菜やパンなども売られていたが、どれも元気がなく貧相に見えた。

「この辺りは去年の大雪以来、天候不順が続いていましてね。作物の出来もよくないんですよ」

「食事の味があまりしなかったのは、この体のせいではなかったんでしょうかね」

 今の私の体は食事の必要はないのだが、屋敷の者に不審に思われないよう、人間らしく食事はとっている。その際、あまりおいしいとは思えなかったのだが、それは作物の生育不良に原因があったのだろうか。

「それもあるでしょうが、今の君の体は君とアイシア嬢の記憶を再現していますからね。そのどちらの記憶にもなかったり、苦手な食べ物だったりすると、おいしいと感じられないのかもしれませんね」

 つまり原因はアイシアの好き嫌いだったわけか。

 確かこれまでのメニューに肉や魚はほとんどなく、野菜と穀物が中心だった気がする。野菜嫌いのお子様舌だったんだな、お嬢様め。


「おいしい食事を体験してもらえないのは残念ですが、これならいいでしょう」

 その声は、不意に背後からかけられた。いつの間にかナナキは私の後ろに立っていたのである。そして振り向く前に、首の後ろで小さな金属音がした。

 それは鎖の留め金が留められる、かすかな音。

「あの、これは……?」

 おずおずと私は胸元に手を伸ばした。

 そこにあるのは淡く輝く青い石。

「魔除けですよ。今の君は魔物に狙われやすくなっていますからね。常に身に着けていてください」

「あ……ありがとうございます……」

 図らずも水光石のネックレスを贈られて、私はお礼以外の言葉が咄嗟には出てこなかった。

 異性からアクセサリーをプレゼントされるなど、これまでの人生で初めてのことだったのだ。

 血まみれの聖夜を迎えて以降、人生の初体験ばかりしているな……と、私はしみじみ思った。

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