因果応報未満
はねのあき
因果応報未満<前編>
ありえないクソ上司に嫌味を言われ続ける毎日は地獄だ。
クソ人間こそ地獄に落ちるべきなのにのうのうと私の上司をやって偉そうにしていて、どうしてこの世界はこうも不平等なのか。
まるで私の嫌なことばかり起こるように歯車を仕込んだみたいな世界だ。
いいことなんて全然ない。
嫌な仕事の毎日で、ミスをすればクソ上司がやってくる。
クソ上司の下田真司が、
「村上さん、A食堂さんの求人書き直してください」
とまた飽き足らずに私の仕事に文句をつけてくる。私の書いた原稿のデータに、ご丁寧にもアンダーラインがいくつも加えられている。このアンダーラインを取るのも私には面倒で余分な仕事なのに。
私の勤める会社は求人広告を書く仕事をしている。求人を出したい企業などから依頼を受けて、その求人の記事を書く。私たちの書いた記事は求人サイトに掲載される。
下田は私の書く記事に何度もリテイクを出して嫌がらせをしてくる。あれやこれやと理由をつけて修正を要求してくるが、私には修正が必要だとは思えない。それなのに下田は「何度も言ってますよね」とねちねち私を責めてくる。
下田は私以外のライターには優しい。きっと私への当てつけでそうしているに違いない。
「川島さん、さっき出してくれた原稿よかったよ。この前教えたことがしっかり身についてるね」
そうやって露骨に褒めて私を苛立たせる。まるで私を役立たずみたいに扱うことで下田は楽しんでいる。
大して身体を動かさないデスクワークなのに仕事が終わると疲労でくたくたになっている。電車に乗ると、こちらにも聞こえる声で話して笑っている連中に腹が立つ。そいつらもスーツを着ていて、仕事帰りのはずなのにどうしてそんなにも元気が有り余っているのか。
車内でべらべら喋れるほど楽な仕事をしているくせに給料をもらっている。そう思うとさらに腹が立つ。この世は不平等だ。
極めつけにアパートに帰る道で、私はつまずいて転んだ。ゴミ捨て場に本が捨てられていた。こんな時間に置くのはルール違反。しかも明日は燃えるゴミでも資源ゴミでもない。
「なんなんだよ、本当に……!」
苛立ちで私を転ばせた本をぶん殴る。表紙が厚くしっかりしていて、拳が痛い。なにもかもうまくいかない。最悪だ。
一体なんという本なんだ。本のタイトルを知ったところで捨てたやつに復讐できるわけでもないが、私を襲う不幸の正体を知りたいという欲求で本を拾い上げてみる。
外国の本なのか文字は読めなかった。後ろを見てもバーコードがない。そこで私はひらめいた。
なんだか貴重そうな本だし、フリマアプリで高く売れるのでは?
不幸続きの毎日、これくらいの幸運はあってしかるべき。私は汚れを軽く払ってその本を持ち帰った。
晩ご飯はサラダと菓子パン。体形維持のために低カロリーのサラダを食べる。ダイエットはこのところ全く成果がないけれど、だからと言ってダイエットをやめればリバウンドするに違いない。
人は見た目で判断される。美しいプロポーションは内面も美しいと印象づけられる。太れば最後、内面まで下田のように醜い肥溜めと思われてしまうのだ。
「私はこんなに頑張ってるのに、どうして私の周りには醜いやつしかいないんだろうなあ」
おかげで彼氏もここ数年いない。嫌だ嫌だ、と呟いていると、
「随分とご不満のようですね」
と声をかけられた。
泥棒かストーカーでも部屋に入ったのかと思い、恐怖で声を上げた。だけどその声の正体はすぐに見つかった。さっき拾ってきた本がひとりでに動いていた。わけはわからないが、泥棒やストーカーではないことに安堵した。
「なに? あんた誰?」
毅然と問いかけると本はちょうど真ん中のページで開いてみせ、そこから男が生えてきた。
こんなふうに登場する男はろくなものじゃない。と言うか、人間じゃない。かなりのイケメンだった。
「私は悪魔。人間の歪んだ心を糧に生きていく者です」
悪魔を名乗るイケメンは仰々しくお辞儀をした。さらに本から鶏も出てきて、部屋をうろつく。
「悪魔か。私、殺されるの?」
「冷静ですね。もしかして悪魔を信じてませんか?」
その逆だ。本が動いてイケメンが現れたのだから、普通の人間なんてことはありえない。悪魔でもなきゃ、本から現れてイケメンにはならない。
「私がその本を拾ったから呪い殺されるってこと? それならそれでいいよ、こんな人生、つまらないと思ってたところだから」
「いいえ、むしろ拾っていただいて感謝していますよ。お礼に私の力をお貸ししようと、そう思ってます」
「なにをしてくれるわけ?」
「あなたを苦しめた人間に天罰を下してあげましょう」
悪魔はうさんくさい笑顔で天罰と言った。鶏がコケッと短く鳴いた。
「普通、天罰を下すのは神様で、悪魔は下される方じゃないの?」
「嫌だなあ、比喩に決まっているじゃないですか。細かいところにつっこまないでくださいよ」
仕事で疲れている私にはこういうやり取りもうざくてたまらない。今すぐこの悪魔に天罰が下ってほしいくらいだ。しかしどうやら私に利益のある提案のようなので、ぐっとこらえて話を聞いてやる。
「話は単純。悪魔の私にとって人間の醜い心はごちそうです。ですからあなたには醜い心の持ち主……すなわちあなたの嫌いな人間を教えてほしいのです。そうしたら、ごちそうのお礼として私はその嫌いな人間に因果応報の罰と改心を与えましょう」
「罰と改心?」
どちらもおおよそ悪魔が提供するものではなさそうだが。
「罰は罰です。罪の大きさに応じた痛い目に遭い、程度によっては怪我もします。軽い罪なら軽い怪我、重い罪なら重い怪我」
「じゃあ改心って?」
「私が食べるのは心の醜い部分だけ。ですので綺麗な部分は残ります。おそらくあなたを傷付けることはしなくなるでしょう。それが改心です」
「嫌なやつから害を受けなくなる?」
はい、と悪魔はうなずいた。
それはまさに今私が最も欲しいものだった。罰と改心。嫌なやつが痛い思いをして、それからは私に手出ししなくなる。まるで神様からのプレゼントだ。悪魔だけど。
私の頭にはもちろん下田の顔が浮かんでいた。私を散々痛めつけてきたクソ上司。
「今すぐにでも食べてほしい人がいるって顔をしてますね」
「いるよ。私のクソ上司」
「どれ、記憶を覗かせてもらいますよ」
悪魔は私の頭に手を伸ばしてきた。抵抗せず頭に触れさせてやる。ただ頭を押さえているふうにしか感じなかったが、それで悪魔は私の記憶を見ているようだった。しばらくすると手を離し、
「これは因果応報未満ですね。大した罰は下りません」
と言った。
「は? なんで? そんなわけないでしょ、もっとちゃんと見てよ」
「外傷としては、転んで膝小僧に擦り傷を作る程度です。ただし私の力で怪我と同時にそのクソ上司さんに改心を与えます。きっと心を入れ替えて優しい上司になりますよ」
膝小僧を擦りむくだけ。そんなの私には認められなかった。
「いやいや、私かなり酷い目に遭ったんだよ? それなのに擦り傷で終わりとかありえないでしょ。もっと苦しんでくれないと釣り合いが取れないっていうかさ」
もっと重い罰にすべきだと交渉しようとするのだが悪魔は私の言葉を遮って代案を出してきた。
「でしたらもう少し罪が溜まるのを待ちますか? 罪が溜まれば、それだけ罰も重くなります」
「もっと大怪我をさせられるってこと?」
「はい」
クソ上司の嫌がらせに耐えなくてはいけないのはきついが、しかしその先に天罰があるのなら耐える価値はある。
「さあ、どうしますか? 今すぐ改心してもらいますか? それとも重い罰を与えるために罪が溜まるのを待ちますか?」
「もっと罪が重くなるまで待ってて」
すると悪魔は先ほどまでのうさんくさい笑みとは違って、心から満足したような笑顔になった。利害が一致したということだろう。鶏が飛べもしないのに羽ばたき、部屋に白い羽が舞う。
「美味しいご飯になりそうです」
と悪魔は言った。
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