幽霊女子、トイレで元カレに再会し、墓場で女子会を開催す
保月ミヒル
1話 危険怪異管理機構
放課後の小学校は、斜陽に照らされてどこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。
オレンジの日差しは放課後のトイレにも差し込み、私はその光景を懐かしく思いながら、女子トイレの天井に浮遊している。
幽霊よろしく。
というか、幽霊なのだけども。
さっそく個室にクラブ活動を終えたらしい女の子が入ってくる。
私はそのつむじを見つめながら、女の子を気の毒に思った。
子どもを脅かすのは気が進まないが、仕方ない。
「仕事、これは仕事」
自分に言い聞かせるようにして呟くと、女の子が不思議そうに私が漂っている天井を見上げた。
私のことは見えないはずだけれど、声がかすかに聞こえたのかも知れない。
うーん。霊感って本当にあるんだなあ。
幽霊になって初めて霊感の存在を信じることになろうとは。
ともあれ、仕事をしなくては。
私は小さく咳払いをしてから、唇を開いた。
「赤いはんてん着せましょうか……。青いはんてん着せましょうか……」
「え?」
しまった。掠れた声でそれっぽい雰囲気作ろうとしすぎてうまく伝わらなかったかな。
「赤いはんてん、着せましょうか。青いはんてん、着せましょうか……」
今度はよく聞こえるように、ゆっくりと復唱する。
とたんに、女の子の唇がわなわなと震え始めた。
「う、うわあああーー!!」
女の子が硬直が溶けたように個室を飛び出ると、脱兎のごとく走って逃げていく。
「あっ、危ないよ! 前見て-!!」
すでに夕暮れの廊下に出て行ってしまった女の子に、私の声は聞こえなかったようだ。
というか、すごく怯えてたな。当たり前だけど。
ほんの少しの罪悪感。
しかし仕方がない。これも仕事なんだから。
私は夕暮れが迫りつつある窓の外を見た。
「ふう……。今日はこんなところか。帰ってビール呑も」
幽霊にだって、アルコールに酔って後味の悪い仕事の鬱憤を拭いたい時もあるのだった。
◆
『全国各地に伝わる定番の怪談』というものがある。
三番目の個室に現れるというトイレの花子さん。
道で突然『私きれい?』と聞いてくるという口裂け女。
上半身だけで這い寄ってくるというテケテケ。
これらの怪談は時代によって微妙にその姿形を変えながらも、どこからともなく人々のあいだに流布し、退屈な日常にちょっとしたスパイスを与える。
なぜそれらの噂が途切れることがないのか、疑問に思ったことはないだろうか。
もちろん、怪談や不思議な話を好む人間が、時代を問わず一定数存在するから……という恐怖を求める人間の性も関係しているのだが、実を言うとその背景には特別な組織の存在があった。
長ったらしい上に早口言葉のような組織名だが、何を隠そう、私もその組織の一員である。
この組織は、ロマン溢れる怪談を絶やすことなく『この世』に伝え、恐怖とちょっとした非日常をお届けすることで、怪談の消滅を防ぐための組織だ。
なぜそんな組織が存在しているのかについては、それなりに正当性のある理由があるのだが、今は割愛する。
ちなみにこれはその名の通り、世界的規模の取り組みだ。
私こと
名乗るのはいまだに恥ずかしい。
トイレ担当て。
まあ、恥ずかしいと口に出したところで、同僚からはいまだ人間だった頃の羞恥心を引きずっていると笑われるのだろうけど。
そう、私たちは死者である。
もう人間とは違うのだ。何もかも。
「あ゙-! やっぱ仕事終わりはビールでしょ」
私は幽霊らしく空中に浮遊しながら瓶ビールを飲み干して、自分の墓石の上にタン!と置いた。
今は丑三つ時。人間が来るような時間帯ではないので、振る舞いに遠慮がなくなっている。
私の向かいには、レトロな着物を着て、つややかな髪を三つ編みにした可愛い女の子がいた。
「酔えないのに飲んで意味あるのぉ?」
私の隣にふわりと浮かぶ可愛い女の子――やえちゃんが、呆れたように言う。
ここは墓場。
私が飲んでいるビールは、私のお墓に供えられていたものだ。
私のことをわかっていると喜ぶべきか、それとも生前の自分のイメージを悲しむべきか、悩ましい。
ともあれビールは好きなので、有り難くいただくことにしている。
「飲む意味はあるよ。やっぱり、酔ったときの心地よさは覚えてるわけじゃん。肉体がないとはいえ、気分だけでも味わえるじゃん。やえちゃんも飲む?」
「いらないわよぉ。私はそれよりも渋く淹れたお茶とおはぎが食べたいわ」
おばあちゃんのようなチョイスだった。
やえちゃんがどういう人物かを考えれば、予想通りではあるけれども。
「お互い仕事が一段落して本部に戻ったらたらふく食べようね」
「うん」
頷いたやえちゃんの、ほんわかした笑顔に癒やされる。
やえちゃんは明治から大正にかけて生きていた人だ。
100歳まで生きて大往生したらしいが、今の外見年齢は18歳程度である。
一昨年25歳で死んだばかりの私の姿も、死んだそのときより微妙に若い。
髪型から察するに、23歳の頃の姿を再現しているらしかった。
どうやら、何も意識しなければ自分が全盛期だと認識していた時の姿になるらしい。
ちなみにやろうと思えば生前のどの時点の姿にもなれる。
目の前のやえちゃんも、説教くさいことを言う時はおばあちゃんの姿になり、やたら説得力を出してきたりするのだった。
「それにしても、最近新人来ないわねえ」
墓場を見回し、独特のおっとりした声でやえちゃんが言う。
「まあ、来ないに越したことはないけどね」
同じ墓所に入ったもの同士は、なんとなくゆるいコミュニティを築く傾向にある。
自分が死んだ自覚のないものや、どこに行けば良いかわからなくて戸惑っている幽霊は、とりあえず自分が埋葬されている場所に行く。
そこには大抵幽霊の先輩がいて、懇切丁寧に新人向けのチラシを渡してくれたりするのだ。
私がチラシをもらった時の内容はこうだ。
1.あなたはすでに死んでいます
2.この後の進路は天界で相談して決めます
(生まれ変わる・決められた期間のみ幽霊として思い出の地に留まる・天界の任務を受ける等。皆さんの宗教も考慮します)
3.ここにいる皆さんは幽霊の先輩です
困ったことがあったら遠慮なく相談してください
墓によってはサークル活動がさかんで、このあと新人の勧誘が始まるらしい。
大学かよ。
「ところでみことちゃん。少しは思い出した? 生前のこと」
「だめ。やっぱり虫食いみたいになってる。ほとんどのことは覚えてるはずなんだよ? 子どもの時の出来事も、就職してから2年が経ったことも覚えてるし、もちろんビールの味だって。でも、何か決定的な記憶が抜け落ちてる気がするの」
「そっかあ」
やえちゃんが少し残念そうに呟く。
私も早くこのもやもやした気持ちとは別れを告げたかった。
私のように、生前の記憶があやふやな死者も多いと聞く。
それは時にあえて成仏を選ばない理由にもなる。しばらく現世に留まって、自分の記憶を取り戻そうということだ。
私もこのまま成仏するのはなんとなく癪で、世界危険怪異管理機構の一員となり、天界からの任務を受けることで生前と変わらない心持ちのまま現世に留まっている。
やえちゃんもその一人だ。
私たちは仕事を通して天界と繋がることで、怪異にもならず平和にここで生活していくことが出来ている。
「みことちゃん、明日も仕事だよね? 現場、新しくなるんでしょ?」
「うん、そう。最近改装した中学校のトイレに派遣されるんだけど」
「ああ。改装して綺麗になっちゃうと、怪異が出そうな雰囲気も綺麗に吹き飛ばされちゃうもんねぇ」
「そうそう。私達の仕事も普段はくだらないものだけど、一応人間たちの安全に関わるものだからさ」
私たちには、人間に怪異の存在を思い出させるという重要な任務がある。
もちろんそれは生者への嫌がらせなどではない。
私たちの役目は、昔ながらの怪異を装って人間を脅かし、『もしかしたら怪異に殺されていたかもしれない』という恐怖を与えることだ。
怪談に出てくる怪異たちは、本当に実在している。
正確に言えば、この世に強い未練や恨みを残したまま死んだ魂は、怪異に変化することがある。
怪異となったモノたちは本来の自分の姿を忘れ、禍々しい異形へと姿を変えるのだ。
そしてその異形としての姿や在り方は、人々が持っている『怪異』のイメージに引っ張られる。
それゆえに、例えば『トイレの花子さん』は概念化し無数のトイレの花子さんを生み出したし、『口裂け女』も無数の口裂け女とそれに類する怪異を生み出した。
怪異は人間を脅かすだけではなく、食いものにし、時には命さえ奪う恐ろしいモノたちだ。
私たち幽霊は直接人間に害を及ぼすことはできないものの、怪異は違う。
もちろん天界もそれらを放置することは出来ない。
危険な怪異が生まれれば、天界から特殊な部隊が派遣され無力化することになっている。
しかし怪異はそうそう頻繁に生まれるものではなく、放っておけば人間達はその恐ろしさを忘れてしまう。
そうすれば、きっと興味本位で怪異に近づき、餌食になってしまうことも増えるだろう。
私たちが人間を脅かすのは、それを防ぐためでもある。
怪異はいる、そして油断をすれば遭遇してしまうものなのだと、心のどこかに留めておいてもらうために。
そして怪談として次の代に伝え、ワクチンのように人間を本物の怪異から遠ざけるために。
私たちが派遣される場所や土地は、怪異が生まれる条件を兼ね揃えている場所が多く、実質パトロールのような側面もあった。
「それじゃ、明日もがんばろー!」
「がんばろー」
酔った勢いで空のビール缶を掲げると、やえちゃんも付き合って右手を元気に突き上げてくれた。
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