アルムウォーレン・ストーリーズ

ボンゴレ☆ビガンゴ

【魔術士の子】

 母が亡くなった。

 冬の日のことだった。

 自室で静かに、私に手を取られ。

 眠るようにして母は亡くなった。

 私との確執など初めから無かったように穏やかな死に顔だった。


  ☆


 母は魔術士だった。

 十魔戦争を生き抜いた魔女の一人で、いつも背筋が伸びていて怠惰な所作など一つも見せず、口を開けば正論ばかりで冗談も言わず、笑顔も涙もあらゆる感情を表に出さず、その生き様は精密な魔術構成のようだった。


 つまり、やっぱり母は魔術士になるために生まれてきた人だったのだ。


 それに対して父は、気楽な大工だった……らしい。というのも、私は父のことをよく知らない。

 酔うとすぐに下手くそな歌をうたう陽気な奴だったと父の古い友人に聞いたことがあるけど、父のことで知っていることはそのくらいだ。顔もよく覚えていない。


 父は私が生まれてすぐ、運河に落ちた酔っ払いを助けようとして、泳げもしないのに運河に飛び込んで、そんなことで呆気なく死んでしまった。


 父も酔っ払っていたというから救いようのない馬鹿だ。


 どうして母のような冗談の通じない真面目な女性が、そんな陽気で身の程も知らぬ馬鹿と結婚したのか、今となってはわからない。母は父のことを話さなかったから。


 ともかく、父が死んでしまったのだから母は一人で私を育てることになった。

 真面目一辺倒のエリート魔術士である母がその馬鹿真面目な責任感を振りかぶって私を育てたのだ。当然、厳しく育てられることになる。

 一流の魔術士の娘なのだから、一流以上に育てなければならない。母は当然のように思ったのだろう。


「魔術がなければ私たちは戦争に負けていたし、魔術がなければ私たちはあらゆる不自由に縛られたままなのよ」


——だから、あなたも一生懸命に魔術を習いなさい。


 それが母の教えだった。

 だけど、一流の子供が一流になるとは限らない。 むしろ、そうじゃないことの方が多い。

「竜の子は龍になれぬ」

 有名なことわざの通りだ。


 幼い頃から厳しく魔術を教え込まれた私だったけど才能は無かった。情熱も持てなかった。私は魔術が好きになれなかったのだ。

 その理由は大きく分けて三つあった。


 魔術を使うためには体内に魔力を取り込まなければいけない。魔力を取り込むためには魔力源と呼ばれる消毒液みたいな苦い液体を飲まなければならない。

 それがまず嫌だった。


 食事の前にはコップ一杯の魔力源を飲み干すのが我が家のルールだった。青色のドロっとした気味の悪い液体でとにかく不味い。食欲は失せる。

 嫌で嫌で仕方がなかった。

 だけど、魔力源を飲まなければ魔術は使えないのだから、魔術を使う者ならば当然飲まなければならない。母は当然、毎日魔力源を飲む。私も当然のように毎日不気味な青い液体を飲まされる。

 けど、いつまで経っても味には慣れなかった。とても嫌だった。


 次に嫌なのは座学だった。ひどい味の魔力源を頑張って飲み、魔力を取り入れても、それを魔術に変換するためには複雑な魔術構成を頭の中に描き出す必要がある。

 それはつまり机に座ってペンを持って勉強しなければならないということだ。

 魔術の種類によって学ぶべき魔術構成は違った。算術に近いものや小論文を綴るように頭を使うものがあり、毎日机に座らされて教え込まれた。


 だけど、私は勉強全般がまず好きではなかった。

 大雑把で要領のいい私は体を動かすことや、人付き合いは得意だったけど、細かい数式を覚えるような勉強は大の不得意分野だったのだ。嫌で嫌で仕方がなかった。 


 そして、最後にして最大に嫌だったのが、魔術がアルムウォーレンで流行っていない、という歴然たる事実だった。


 これが魔術都市サルカエスなら違ったのかもしれないが、魔術後進都市と呼ばれるこのアルムウォーレンで、同年代の友人に魔術を習っていることを知られると笑われるのだ。

 陰気なおばちゃんの趣味みたいだねと。


 だから嫌だった。


 時代のせいだ。

 戦争が終わって、平和な世の中になって、もう魔術など必要ないものだと思う人が増えていた。


 様々な文化が混じるこの港町では、古い価値観で不味い魔力源を摂取しながら生きる魔術士はインテリでお高く止まってていて、気味が悪く時代遅れと思われていたのだ。

 母達、魔術士協会の人は魔術の重要性を説いていたけれど、魔術を教えている学校や私塾も人が集まらず、閉鎖するところが多くなっていた。

 

 私はというと、ハイスクールに入る頃にはすっかり魔術に興味など無くなっていた。新しいオシャレや恋やアイドルに夢中になっていた。


 夜な夜な友人と出かけてはダンスを踊ったり、男の子と港の亜人街を徘徊したり、朝までくだらないおしゃべりをしていることの方が多くなった。

 母は忸怩じくじたる思い、って顔をしていたけど、その頃の私は初めて自由を謳歌していた。


「魔術がなければ私たちは戦争に負けていたし、魔術がなければ私たちはあらゆる不自由に縛られてしまうのよ」

 

 もう母親の言葉は私の心には響かなかった。

 だって、魔術は私に自由を与えてくれなかった。むしろ、魔術のせいで私は縛られていたのだから。


 ハイスクールを卒業して大学に進んで、一人暮らしを初めて私は母と疎遠になった。

 母も私が大学を受験すると言った時にはもう魔術を習うようにとは言わなくなっていた。

 失望したのだろう。けれど私は母じゃない。一流の魔術士にはなれないし、なりたいとも思わない。

 

 大学時代は楽しかった。軽薄な恋をして、誰かの胸で泣いて幾つかの擦り傷を心に作って、でもあれはきっと青春だった。

 母は連絡もよこさなかった。寂しくなんかなかった。私も一人になれて良かったと思った。 


 大学を出た私は貿易会社の事務として働きはじめた。


 普通の生活。

 それが嬉しかった。そして、いつも会社に来る郵便配達の若者と恋に落ちた。


 不器用だけど真面目な郵便屋だった。

 真面目で、不器用なのに、ふとした時に出るユーモアや照れ隠しが愛しかった。


 何年かの交際の後、私たちは結婚することにした。


 母はその頃も現役の魔術士だった。魔術士協会で地位のある役職につき、この街に再び魔術を広めるために日夜活動していた。


 私は母が魔術士であることが恥ずかしくて、彼を母に紹介したくなかった。

魔術士なんて時代遅れだ。


 けれど、彼は真面目だから絶対に挨拶をしたいと聞かず、仕方なく母に連絡をして家に行った。


 久しぶりに会った母は老いてなお瞳は鋭く、威圧感がみなぎっていた。まさに挫折を知らぬ『不笑の地獄魔女笑わずのヘルウィッチ』だ。

 十魔戦争の時に母につけられたという呼び名がふと頭に思い浮かんだ。


 スーツを着て挨拶に出向いた彼を、母は正魔装束で出迎えた。

 魔術士の正装で、冠婚葬祭などの時に着用するもので、見るからに古臭く魔女っぽくて威圧感があるが、逆にそれが現代では滑稽にすら見えてしまう出立ちだった。恥ずかしかった。母の魔術に対する心持ちや生真面目さの全てが恥ずかしかった。


 母は玄関で定型分のような挨拶を言い、彼も真面目な顔でそれに応じた。

 家に上がり、お茶を出され、少し話した後、彼は私との結婚を母に申し出た。

 母は深々と頭を下げて「不束な娘ですが、よろしくお願い致します」と言った。

 感情のこもらない母のいつもの声だった。


 母が夕飯を用意しているから食べて行きなさいと言い、遠慮した彼だったが、定型通りに何度か誘われると「お言葉に甘えて」と浮かしかけた腰を下ろした。


 母が食事の準備を始めて、私も食器を出したりするのを手伝った。


「……ミナアイ。あなたには辛い思いをさせたわね」


 母が突然、言った。声はいつも通り、小さいながらもはっきりとしたものだった。つまりは感情のこもらない声。そういえば母が何かを言い淀んでいる所を見た記憶はない。


「あなたが魔術を学ばなくなった時は、寂しかったわ」

 

 母のそんな言葉、聞いたことがなかった。自分に厳しく弱音など吐いたことがなかった。少なくとも娘の前ではいつも完璧であろうとした人だったのに。


「私には向いてなかったんだよ」


 もしかしたら、今なら、母とほんの少しでも分かり合えるかもしれない。そう思った次の瞬間だった。


「……けれど、もし子供ができるようだったら、魔術はきちんと習わせなさい」


 心の中のどこかで開きかけた大きな扉が音を立てて閉じた。


「魔術がなければ私たちは戦争に負けていたし、魔術がなければ私たちはあらゆる不自由に縛られたままなのよ」


 私は返事をしなかった。



 それから、一度も母に会わないまま一〇年が過ぎた。母の体の調子が悪くなってきたと、親戚から何度と聞かされていたが、それでも私は母に会う気にはなれなかった。


 会う理由がなかった。

 母と会っても疲れるだけで、私には何も良い事はない。

 それにその年、六歳になったばかりの娘がいたのも気がかりだった。

 母のあの狂信的で時代遅れな魔術への思いを、娘に向けさせたくなかった。


 子供が産まれたことも、私は母には言わなかった。後から生真面目な夫が連絡を入れていたと聞いたけど、母は丁寧な口調で定型分みたいな祝いの言葉を言っただけらしい。相変わらず感情のない人だ。

 私は母とは関わりなく生きていこうと思っていた。


 だけど、そうもいかなくなった。

 母が倒れたのだ。


 魔女もヒトだ。年には勝てない。老人によくある病気で少し様子がおかしくなり、介護が必要になった。


 元気な身寄りは私しかいない。幸い安い施設になら入れられる程度の蓄えはあったのだけど、夫がそれは可哀想だと言って聞かなかった。

 熱心な夫の言葉に折れて、母を家に迎えた。けれど私はできるだけ母には関わらないでいた。夫が母の話し相手になっていた。


 私は冷たい娘だろうか。

 相手はもう老いさらばえた母なのだ。

 優しくしなければいけないと頭では思うのに、どうしても距離を置いてしまう。


 しかし、そんな状況も長くは続かなかった。母の症状はみるみるうちに悪くなった。

 ほぼ寝たきりで下の世話もしなければならなくなった。

 施設を断ったのは僕だから、とそれすらやろうとする夫を私は引き止めた。

 ごめん、それは私がやるよ、と。


 調子の良い時はトイレで用が足せたけれど、それはベッドに横たわる母を抱え起こし、車椅子に乗せてトイレに連れて行き、おむつを外して便座に座らせ、終わった頃に尻を拭いておむつを履かせ、力の入らない体を抱えて車椅子に乗せて、再び母の部屋のベッドまで連れて行き、ゆっくりとベッドに戻す作業だ。肉体的には辛いものがあった。

 けれど、不思議と精神的に弱ったりすることは無かった。

 母の介護なんて、憂鬱な事だけだと思っていたが、考えてみれば、私は三〇年ほど前、この母におしめも変えて貰ったし、尻をきれいにして貰っていたのだ。

 してもらったことをしてあげているだけ。


 そう思ったら、なぜか今までの母へのわだかまりも薄れていった。

 真面目でエリート気質の母だから、私に世話をされるのは屈辱だったかもしれない。私に世話される時はいつも目を瞑って眉間に皺を寄せていた。

 そんな顔を見ると少し心が重くなったけれど、それでも私はそう思ってくれている母を愛しく感じた。


 母は調子が良い時には私の娘とも話をしていた。安楽椅子に腰掛けて私には見せないような柔和な顔つきで、

「サーヤは賢い子ね。勉強すればきっと良い魔術師になれるわ」と繰り返しに言った。


 私は娘に魔術を習わす気はなかった。だけど、もう母も長くない。わざわざ口を尖らせることもない。

 母自身、魔術を使えない体になっていたから、たとえ娘が母に懐いていても、母に魔術を教える術はなかっただろう。


 魔術を取ったら母からは何も残らないのに、すでに母の体には魔力源を摂取できるような体力はなかった。母はきっと自分の人生を彩り輝かせた自らの魔術を孫に見せたかったはずだ。


 けれどそれは叶わなかった。

 冬の終わり、母は亡くなった。母が家に居たのは半年ほどだった。


 それは夕食を食べさせようと、部屋に行った時だった。


 母はベッドで横になっていた。私が部屋に入ると、


「待ってたよ」と掠れた声がした。


 珍しく母は起きていた。


「どうしたの」私が聞くと、

「こっちにおいで」と優しい声で言った。ドキッとする声だった。今まで感情のこもらない声でしか喋らなかった母の初めて聴く柔らかい声だった。


 私は母の枕元に腰掛け、その手を握った。いつもより冷たい手だった。


「あなたは小さい頃から魔力源を飲むのが嫌いだったわよね」


 母の声は柔らかかった。その声がとても不思議な心地だった。母の優しい声なんて聞いたことがないのに、それなのに、ずっと昔から聞いてきた声のような気がしたのだ。


「美味しくないんだもの」

「そうね。美味しくはないわね」

「うん。嫌だった」

「そう」


 母は静かに息を吐いて、そして吸った。


「あなたが魔術を嫌いなことは知っている。あなたが決めた人生だもの。だから、誰かに何を言われても、もう無理して嫌な魔術を使わなくていいからね」


 私は母の手を握っていた。ずっと握っていても母の手は暖かくならない。


「当日はサリル叔母さんに任せなさい。誰が何を言っても気にしないでいいの。あなたはあなたの道をまっすぐ進んできたんだから。そういうところは私にそっくり」


「当日? サリルってサリルおばさんのこと? ちょっとお母さん。今なんの話をしてるの? 大丈夫?」


 朦朧としはじめたのかもしれない。母の言うことは大分よくわからなかったから。

 私は夫を呼びに行こうした。けれど、母は私の手を離さなかった。


「私はずっと良い母親でいようとしたけど、下手でしたね」


 寂しげな声だった。否定はしなかった。けど肯定もしたくなかった。首をどちらに振りもしなかった。黙って母の小さな手を握り、震える唇を見つめていた。


「でも、これでもあなたを愛していたわ。あなたがサーヤを大切に思っているのと同じくらい」


 私は静かに頷いた。


「……知ってたよ。でも、その愛し方が私には伝わらなかったんだよ。それだけだよ」


「そうね。ああ、でもこうして最後にあなたと話せてよかった。初めてあなたとちゃんと話せた気がする……」


 ふふふと微笑んで、続けて何かを言いかけたような顔をしたまま母は亡くなった。

 私との確執など初めから無かったように穏やかな死に顔だった。



 葬儀は魔術士協会の元、しめやかに営まれた。

 母を慕っていた魔術士がたくさん来て、仰々しい正魔装束の大群にギョッとした。

 こういう時に生真面目な夫は頼りになる。様々な手続きや挨拶をきちんとこなしてくれる。申し訳ない気になりながらも頼ってしまう。

 娘のサーヤは初めて死というものを身近に感じたのだろう。ずっと俯いて泣いていた。

 協会から火葬場へ移動するため、ボックスボートに乗り込む際、叔母がやってきた。叔母は母の姉で高齢だったが、母よりも元気だった。


「サリル叔母さん。今日はありがとうございました」


 隣の席に招き入れ、頭を下げた。


「妹を先に送るとは思わなかったね。あの子ったら肩肘張って生きてたから、他人より寿命が短かったのかしらね」


 叔母は魔術学校の講師の傍ら、魔術道具を売る店を経営していた。

 母とは顔つきは似ていたが、性格は正反対だった。

 人付き合いが好きで、私に母の体調や近況を報告してくれていたのは彼女だった。


「私が魔術をやめなければ、お母さんともっと話せてたかな」


「気にするこたぁないさね。ミナアイの人生はミナアイのものだ。たとえ母親だって、それを否定はできないよ。ウェイは自分の人生をあなたに押し付けすぎちゃったのよ。……でもね、言ってたよ。娘には娘の幸せがあるから、できるだけ遠くから見守るようにするってさ。すぐに体を壊してあのざまだったけれども」


「うん」

「それで、今日はどうするんだい。最後の火は」

「……火?」

「棺につける火だよ。魔術でやれるのかい? それとも着火器を使うかい?」


 何の話をしているのかわからず、ぽかんとしていると、私の表情から事情を察したらしく、叔母は声をあげて笑った。


「あはは。あんた、そんなことも覚えてないのかい。本当に魔術には縁がなかったんだね」

 

 皮肉を言っている表情ではなかった。本当に愉快そうに笑ったが、周りの目を気にしてすぐに声を潜めた。


「イーデル叔父さんの葬儀でミナアイも、きっと見てたと思うけど、魔術士の棺を焼く火は血縁者が魔術でつけるってのが昔からの伝統なの。あたしの母親が死んだ時も、ウェイと一緒に棺に火をつけたよ」


 言われても遠い記憶は甦らなかった。


「時代も変わったし、ミナアイみたいに魔術士にならない子も増えたから、着火器で火を付けているのを見る機会も増えたけどねぇ。でも、ウェイは魔術士協会の役員だったし、周りの目もあるからね。嫌なら変わってやろうかと思ってね」


 そうか。母の最後の言葉の意味がわかった。

誰かに何を言われても、もう無理して嫌な魔術を使わなくていいからね。


 この日のことを言っていたのか。


「ミナアイ。どうするかい?」


「私、やるよ。魔術は好きになれなかったけど憎んでいたわけじゃない。単に母と子のわだかまりってだけだもの」


「そうかい。でも、魔力源は取っているのかい?」


「お母さんが亡くなって次の日の朝。部屋に残されていた魔力源を飲んでみたの。気まぐれだったけど」


「どうだった」


「何十年ぶりにあの青い消毒液みたいな味を感じて後悔したわ。ひどい味だった。あんなの毎日飲めないよ。やっぱり私は魔術は向いてないって思ったわ」


「ふふふ。そうか。そうだろう」


「でも、魔力源を飲んで、体の芯に魔力が貯まっていくあの感じは、少し懐かしかった。お母さんに無理やり魔術を教えられた日々のことが胸に浮かんだ。嫌なことばかりの日々だったはずなのに、なぜか嬉しかったことや褒められた記憶ばかりが浮かんだの」


 サリル叔母さんは黙って頷いた。


「最初に習ったのが火の魔術だった。頭に火の紋を思い描いて指先に意識を集中する。空気の中の小さな埃や塵を少し擦るようなイメージをする。それが上手くいくと指先に小さな火が灯る」


「よく覚えているね」


「これだけはね。一番最初に覚えた魔術だもん。これしか覚えてないけれど」


 葬儀屋の人がやってきて、火葬場の準備ができたと夫に告げた。


「だから、私やるよ。魔力は体に残ってるし、魔術構成も編める。だから、大丈夫」


 サリル叔母さんは私の手を取って頷いた。


「じゃあ任せるよ」


 多くの魔術士が棺の周りを囲んでいた。火葬路の台車の上に置かれた棺の中の母に最後の別れを告げている。

 神師に促され棺の前に私は歩み出た。

 夫が簡単に挨拶をすませ、遺族による火葬の代理人として私が一人棺の前に立った。


 火葬路に母の棺が入れられる。母の棺から伸びた一本の白い紐状の導火線に火をつけるのが私の仕事だ。

 参列者の視線が私に注がれる。ここにいるのはほぼ魔術士だ。祖母の仕事やプライベートの関係者。きっと魔術士にならなかった私に対して嫌悪感を持つ人々もいるだろう。

 奇異の目で見られている意識はあった。だけど、他人の目など気にしない。


 母と向き合う最後の時間だから。


 目を閉じ体の芯で冷えている魔力を温めるように意識を集中する。

 魔術の構成を編む。教えてくれた母の声が胸に蘇る。


「頭に火の紋を思い描いて。ゆらめく火の形を思い浮かべて指先に意識を集中させて。そうしたら、指の先にある空気の中の小さな埃や塵を少し擦るようなイメージ。そう。それが上手くいくと指先に小さな火が灯るわ」


 胸の中の母の言葉の通りにすると、ボワっと頼りない小さな日が指先に灯った。


 ほらお母さん。ちゃんと出来るんだから。あの頃の私が胸を張った。

 

 指先を導火線に近づける。火が移った。

 油と紐の焦げる匂いが立ち込め、導火線は火葬路の奥の棺の方へと続いていった。

 炉の両脇に立っていたスタッフが頭を下げて炉の扉をゆっくりと閉めた。


 そして、母は天に還っていった。


 私はもう二度と魔術を使うことはないだろう。

 きっとこれが私にとって最後の魔術だ。


 振り返れば夫に手を握られた魔術のことなど何も知らない幼い娘が心配そうな顔をして立っていた。

 私は二人の元に歩み寄った。


「お疲れ様」生真面目な夫は言った。

「おばあちゃんとはもう会えないの?」

 娘は寂しそうに言った。

 私は娘の小さな体を抱きしめた。 


「愛していれば大丈夫。おばあちゃんはサーヤの心の中にずっといるよ。おばあちゃんに会いたいと思ったら、目を閉じて胸の中に語りかけるのよ」


 そう言って娘の髪を撫でた。娘は「うん」と頷いて私の体に抱きついた。 


 私は母が好きではなかった。

 母は私を理解しようとしてくれなかった。


 けど、母は私を愛していた。

 私もきっと母を愛していた。


 ただ、お互い愛し方がうまく伝わらなかったんだ。

 それだけのことなのだ。


 水上都市アルムウォーレン。


 この街で生まれた母はこの街で死んだ。

 

 自室のベッドで静かに眠るように。

 最後は娘に手を握られて。


 娘との確執など初めから無かったように穏やかな死に顔だった。


 

 

 〈了〉

 

 

 


 


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