想い続ける限り⑤

 『トリトニス』という街には二○分とかからず到着した。


 二○○キロの超長距離をこれだけの短時間で移動できるというのは凄まじい力だとアルフェリカは思う。


 移動の間に輝も目を覚ましてくれた。結構な頭痛が残っているらしいが、それ以外の異常はないとのことだ。嘘じゃないことはわかるので、少し安心した。


 『トリトニス』の景観はまさしく『街』と言ったところ。木造の建築物が区画ごと規則性を持って並んでおり、この街がきちんと統治されていることが見て取れる。生活用品店やレストランなどの店もそれなりに点在しており、人々の往来も盛んだった。


 街の中には狩人のライセンスを門番に見せるだけで簡単に入ることができた。都市のように転生体の出入りのチェックまではしていないらしい。


 むしろ怪我をしているアーガムを見て、門番の人間が病院の手配までする親切さ。


 アーガムの治療に付き添ったセレスからは命に別状はないと聞かされた。出血は多いものの輸血して休養すれば大丈夫とのことだ。


 アルフェリカとしてはあの男がどうなろうとどうでもいいが、セレスに涙まじりに安堵した顔を見せられては、そんなことを言えるわけもない。


 アーガムの治療をしている間、いつの間にか輝が宿を確保してくれていた。言ってくれれば自分がやったというのに。本当は輝も安静にしていて欲しかった。


 【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャの使用は本当に心配なのだから。


 それとは別に、テンプスとの戦闘で消耗していたことは事実だし、何より久しぶりのベッドで眠れることは嬉しかった。


 すぐにでも眠ってしまいたかったが、先に汗と土埃を洗い流すことにした。


 夕姫、レイ、イリス、セレスも同じことを考えていたらしく、それならばと五人で宿の浴場に向かった。


 夜中ということもあってか浴場には誰もいない。神名を見て騒がれると面倒なので、貸切状態なのはありがたい。


 お湯に浸かっていると全身の疲れが溶けていくような気がする。こんなに穏やかな気分でいられるのは久しぶり。



「アルちゃん、隣……いい?」



 目を閉じて湯に揺られていると遠慮しがちな夕姫がやってきた。



「ダメなわけないじゃない。どうぞ」


「うん、じゃあ失礼するね」



 おずおずと隣に腰を下ろす。妙によそよそしい。



「どうかしたの、何か変よ?」


「そ、かな?」


「そうよ」


「……そ、かな」



 ちらちらとこちらを見て、何か言いたげに口を開いているが、言葉は出てこない。それを何度も繰り返している。


 何を言いたいのかはわからないが、こちらも夕姫に言いたいことがある。



「助けに来てくれて、ありがとう」


「え?」



 礼を告げると夕姫は間の抜けた声を出した。本当は年上のお姉さんなのに、なんだか子供みたいな可愛らしさにくすりとしてしまう。



「あたしを助けるために来てくれたでしょ。だからお礼を言いたかったの。ありがとう」



 坑道で輝が生き埋めになって、夕姫と言い争いになった。


 輝にとって夕姫は大切な存在だ。失わせるわけにいかなかったから、生き埋めになった輝よりも夕姫の安全を優先した。


 しかしそれが夕姫にとって気に入らなかった。


 当然だ。夕姫にとっても輝は大切な存在なのだから。彼女からすれば自分はあのとき輝を見捨てたように映っただろう。


 嫌われたと思っていた。それなのに来てくれた。



「違うっ!」



 その感謝の意を受けて、夕姫は否定した。



「私はお礼を言われる立場にないっ。アルちゃんが攫われたのは私のせいなのっ。私があのとき、アルちゃんの邪魔をしようとしてランタンを壊したっ。もしかしたらアルちゃんが魔獣にやられちゃうかもしれなかったのに、私は自分の感情を優先してアルちゃんを排除しようとした。私がそんなことしなければ、アルちゃんの言う通りにしていれば、アルちゃんは攫われるなんてことはなかったかもしれないのにっ」



 夕姫は涙を滲ませた。



「ごめんなさい。ごめんなさい、アルちゃんっ。怖かったよね? 辛かったよね? 私のせいで、私があんなことをしたせいで……」



 後悔と自責。その意識に押し潰されそうになりながら、夕姫は何度も何度も謝った。


 きっとずっと悩んでいたのだろう。誰にも相談することもしないで、ずっと一人で罪悪感を抱えていたんだと思う。



「えいっ」


「わぷっ!?」



 水鉄砲を夕姫にかけてやる。続けてもう一発。



「わ、ちょっ、ア、アルちゃんっ!?」



 何度も何度も。夕姫が謝った回数分だけ水鉄砲をお見舞いする。



「夕姫のせいなんかじゃない。夕姫のせいなんかじゃないわ。確かに夕姫がしたことは危ないことだったけど、あたしが攫われたのとはまた別の話。悪いのは夕姫じゃない」


「でも、私は――ぁだっ!?」



 バチンッ、ばしゃーん。


 〝断罪の女神〟の力を使って夕姫にデコピン。盛大に吹き飛んで湯飛沫が弾けた。


 お湯から顔を出した夕姫は額を押さえて、先程とは違う理由で涙目になっている。



「魔獣との戦闘中にランタン壊して視界を潰すなんて、とんでもなく危ないのよ? だからこれくらいの罰は受けてもらわないとねっ」



 余人が見ればなんて軽い罰と言われるかもしれない。しかし人間一人が吹き飛ぶデコピンを食らって軽いと言える人間は果たしてどれだけいるか。


 それを痛いで済ませられるのは夕姫が転生体であるからだ。というより〝戦女神〟のさがか、反射的に自分から飛んで力を逃がしていたので、それほど痛みもないはずだ。


 罪は裁かれた。


 だからあとは彼女夕姫自分アルフェリカにしたことを許せるかどうか。


 それを決められるのは夕姫だけ。


 目を白黒させている夕姫に近づいてそっと抱きしめる。



「助けに来てくれてありがとう。キミのことを恨んだりなんてしてない。大好きよ、夕姫」



 そんな言葉、初めて口にした気がする。けれど偽らざる本心。それがちゃんと伝わって欲しくて抱きしめる手に力が入る。



「私もだよ、アルちゃん」



 それが嘘偽りのない言葉だということは〝断罪の女神〟の力を使わなくてもわかった。


 嬉しい。



「仲睦まじいのは良いことですね! 負けてられないよレイちゃん! 私たちもあの二人みたいに仲良しアピールしないと!」


「なにか邪なものを感じるので遠慮します」



 レイの胸に飛び込もうとしたイリスだったが、【接触拒否】アンタッチャブルで弾かれて宙を舞った。そのまま湯船にダイブ。


 アルフェリカと夕姫は頭からお湯を被るハメになった。



「ちょっとイリス! 飛び込むんじゃないわよっ」


「わざとじゃないですよっ!?」


「でもキミが悪い!」


「じゃあ代わりにアルフェリカ様に抱きつきます!」


「意味わかんないんだけどっ!?」



 レイが駄目ならアルフェリカと言わんばかりにイリスが飛びついてきた。まさか自分に向かってくるとは思ってなかったので逃げる暇もなかった。



「ひあ!? ちょっとイリスどこ触ってんのよっ」


「はあ〜、レイちゃんもだけどアルフェリカ様もなかなか……なに食べたらこんなに大きくなるんですかね。ね、夕姫様?」


「……なんで私に振ったのか聞いてもいい?」



 青筋の立った怖い笑顔を夕姫に向けられたイリスはアルフェリカの背に隠れた。しかしそれでももにゅもにゅと両手を動かすのはやめない。



「ふんっ」


「ひぎゃあっ!?」



 背後に回ったイリスの頭を両手で掴み上げて水面に叩きつけた。打ちつけた背中がさぞかし痛そうだったが情状酌量の余地はない。



「レイだけじゃなくてあたしまで標的になるなんて……」



 汗を流しに来たのに余計な汗をかいた気がする。しかもどっと疲れる。



「イ、リ、ス? 少しはしゃぎ過ぎではありませんか?」



 湯船に入って来たレイがこれまた怖い笑顔をイリスに向けていた。何というか落ち着きのない子供を叱るお母さんだ。


 イリスは小さく悲鳴をあげた。


 逃げようと振り向いた先には笑顔の夕姫。さらに逃げようと向きを変えればアルフェリカ。


 前門の虎、後門の狼どころではない。


 オロオロと視線を彷徨わせたイリスとセレスの目が合った。唯一味方になってくれそうな存在に希望を見出したイリス。


 しかしセレスは自分の胸を両手で隠して。



「その、そういうのは個人の自由なので否定しないですけど、私、ノーマルなので……」


「私もですよ!?」



 セレスの勘違いにイリスは声を上げるが完全に自業自得だ。


 イリスは植えつけてしまった誤解を解こうと頑張って弁明するが、イリスが近づけばその分だけセレスは距離を置いてしまう。ついには助けを求めてレイに泣きついて、仕方がなさそうにレイがセレスに説明して弁護。何とか誤解が解ける。



「ふふっ」



 思わず笑ってしまった。


 『ファブロス・エウケー』の日常でよく見てきたやり取り。イリスの忙しなさも、それを諫めるレイも、それを遠巻きに眺めて困ったり苦笑したりするのも、全部が懐かしい気がする。


 アルフェリカが笑うと皆も笑った。仕方がないなあ、という何とも曖昧な笑い。


 それでもこれが『ファブロス・エウケー』での日常だった。



「ところでみなさんに聞いてみたいことがあるんですが、聞いてもいいですか?」


「なんです?」



 セレスが振った話題にイリスが反応すると、セレスはやや頬を上気させながら興奮気味に尋ねた。



「みなさんは輝さんの正室か側室なんですか?」


「んなわけないじゃないですかぁ!」



 脊髄反射でイリスが否定した。まさか即否定されると思っていなかったのか、セレスはきょとんとしている。



「え、違うのですか? みなさん輝さんとは特別な関係なように見えたのでてっきり」


「何をどう見たらそうなるんです!?」


「うーん、一番気になったのは呼び方ですね。みなさん輝さんのことを名前で呼んでいたので。王様をそう呼べるのって特別な関係にある人だけですよね? そうなると正室か側室かなって」


「ちーがーいーまーすっ! 百万歩譲っても輝様と私は主と従者です! それ以上でも以下でもありません!」



 『ファブロス・エウケー』発足後、『鋼の戦乙女』アイゼンリッターは王直属の組織として再編されたからあながち間違いではない。


 いつも輝に噛み付いているイリスが、自分からそれを口にしたのは正直意外だった。



「ほら、他のみなさんも何か言ってくださいよ!」


「そ、そうですね。そういう関係では、ないですね……」


「あー、うん、そうだね……」


「レイちゃん!? 夕姫様!? 照れながら言われると説得力に欠けるんですが!?」



 夕姫は輝のことが好きなのだから、そういう関係を想像して照れるのは何となくわかる。


 レイはどうだろうか。男性恐怖症はほとんど鳴りを潜めているとはいえ、完全に克服できていない。前に輝だけは平気だと言っていたから、多少そういう気持ちはあるのだろうか。


 期待した答えじゃなかったのか、セレスは少しばかり不満そうに膨れた。



「えー、でもみなさん輝さんに少なからず好意があるように見えるんですけどー? じゃあ輝さんのことはどう思ってるんですか? アルフェリカさん」


「え、あたし?」



 目をキラキラさせたセレスに訊ねられて少し首を傾げた。


 考えるまでもない。



「あたしのすべてよ。輝はあたしに居場所をくれた。転生体の運命から解放してくれた。あたしを守るって約束してくれて、今回だって守ってくれた。だから輝のためにあたしはあたしのすべてを費やす。そういう相手よ」



 思っていることをそのまま口にすると、セレスは嬉し恥ずかしそうに自分の頬に両手を当てて色めき立った。



「アルフェリカさん! それってもう完全に好きってことじゃないですか! そうですよね、自分のためにあそこまでしてくれたらキュンってしちゃいますよねっ。わかります!」


「全然わかってないと思うけど……」


「すみません、そうですよね! アルフェリカさんの輝さんへの想いの丈を私なんかが理解できるわけもないですよね! だってそれはアルフェリカさんだけの気持ちなんですからっ」



 何を誤解したのかセレスはキャーッと盛り上がってしまう。初対面の時とはまるで別人のような明るさ。


 きっとこれが本来の性格なのだろう。いろいろな宿命から解放されて、彼女に落ちていた影が取り払われたのだと思えば悪いことではない。



「それでそれでっ! アルフェリカさんは輝さんのどこが好きなんですかっ!?」


「あーっと、だからね?」



 あまりにもはやし立ててくるのでさすがに気恥ずかしくなってきた。


 自分が輝に対して抱いているものは、夕姫が抱いている気持ちとは違う。



「ずっと側で力になりたいの。助けられたから彼を助けたい。それだけの、そういう気持ち」


「絶対それだけじゃないですよ! 輝さんに抱きしめられたいとか、愛されたいとか、そういう気持ちだってありますよねっ!?」



 そんなわけない。そうと答えようとしたのに、とっさに声が出なかった。


 その不自然に空いた間にセレスはニマニマと笑った。イリスもニマニマしている。夕姫とレイも湯で温まったのとは別の理由で頬を染めながらこちらを見ている。


 なんだかとても居心地が悪い。



「もういいでしょ!? はいっ、この話は終わり! あたしもう上がるわね!」



 耐えきれなくなって逃げるように湯船から上がった。というより本当に逃げた。ダッシュで浴場を出て脱衣所に逃げ込む。呼び止める声も無視した。


 熱いのは湯あたりしたせいだ。


 そう決めつけた。

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