傍に居たくて④
蒼色の光が視界を覆ったとき、驚きよりも先に嬉しさが込み上げてきた。
知っている色。自分を守ってくれる色。いつも味方をしてくれる色。
紫色の影が眼前を通り過ぎた。一瞬だけ視線が交わった気がする。それが誰なのかわかって、彼の存在を確信する。
戻れる。もうすぐ彼の側に戻ることができる。ここから連れ出してくれる。
知らず涙が溢れていた。安堵に満たされて感情がうまく制御できない。
複数の足音が近づいてくるにつれて心臓が早鐘を鳴らした。待ち切れない思いに胸が焼け焦げそう。
「アルフェリカ!」
そして待ち望んだ人が目の前に現れた。名前を呼ばれることがこんなにも嬉しい。
少しでも彼の近くに行きたくてガラスにぶつかる勢いで駆け出した。
「輝!」
来てくれた。本当に来てくれた。約束してくれた通りに。
彼だけは絶対に裏切らなかった。だから絶対の信頼ができる。
「無事かっ!?」
「うん、うんっ」
涙を拭うことも忘れて何度も頷いた。
レイとイリスの姿もある。この二人も助けに来てくれた。心がじんわりと暖かくなった。
「――ってえぇぇっ、アルフェリカ様!? 輝様がいるんですから少しは隠してくださいよ! 輝様もなにガン見してるんですかっ! さっさと目を閉じないと抉りますよ!?」
イリスはアルフェリカを見るなり叫びながら輝の目を塞ぎにかかる。
指摘されて自分がどのような格好をしているのかを思い出し、慌てて輝に背を向けた。
「お、おいイリスっ。今は遊んでる場合じゃないだろっ。だいたい前にも一回見てるからいまさら――」
「どんだけデリカシーないんですか!? 一回見たから二回目もオッケーってんなわけないでしょうがっ。女の肌はそんなに安くないんですよ! っていうか前にもってどういうことですか! いつそんなことしたのか詳しく説明してもらいましょうかぁっ!?」
「いたたたっ!? 指を立てるなっ! 本当に抉り取る気かっ!」
「いずれレイちゃんまで被害に遭いそうですしぃー? それもアリかもですねーっ!」
「イ、イリス……その辺りで。まずはここから出るのが先決です」
「止めないでレイちゃん! これはレイちゃんのためでもあるんだからっ」
「いや止めますよっ!」
イリスが輝に突っかかって、それをレイが止める。
『ファブロス・エウケー』ではよく見たやり取り。この三人が揃うといつもこうなる。
日常の風景。
つい笑ってしまう。こんな地獄で自分が笑うことができるなんて思いもしなかった。
ああ、こういうのを幸せって言うんだろうな。
アルフェリカが笑っていることに気づくと、イリスはピタリと静かになって輝から離れた。
「さっさとこんなところ出ましょうアルフェリカ様。みんなで一緒に」
「ええ、でも……」
取り付けられた首輪に手を添える。これを外すことができない限り、自分の命は『魔導連合』に握られたままだ。
「待ってろ。すぐに外す」
「でも輝っ」
「大丈夫だ」
輝は機械鎌にシリンジを装填しながら、そんなことを言った。
「
刹那にも満たない一瞬。波動のようなものが一帯に広がったかと思うと首輪に封じられていた魔力が戻ってきたことを感じた。
それを見て思ったのだ。
この魔術は輝を蝕む。
だからあまり
次は本当に目覚めないかもしれないから。
「来て――
顕現するは執行者が握る白銀の双剣。あらゆるものを裂く断罪の刃。
この力を彼のために振るうと決めた。自分と輝を隔てるものがあるのならば何であろうと斬り捨てる。
刃を振るえば、輝の魔力砲撃でもビクともしなかったガラスがいとも容易く破片へと変わり果てる。
手を伸ばせば彼に届く。急激にこみ上げてきたものに感極まって、アルフェリカは輝の胸に飛び込んだ。
彼はそれを受け止めてくれる。
「よく頑張ったな」
「うん」
ぎゅっと抱きしめ返してくれた。彼の温もりが擦り減った心を満たしてくれる。
「ウォルシィラと合流して脱出するぞ」
「ちょっと待って」
一刻も早くこんなところから出たいところだったが、一つだけしておきたいことがある。
アルフェリカは輝から離れると自身が捕らえられていた牢の対面にある牢に近づいた。
「その方が黒神輝さんですね? 再会できて本当に良かったです」
「セレス、キミも一緒に来る気はない?」
輝が来るまで耐えられたのはセレスの声を耳にしたからだ。彼女の言葉を聞かなければ、きっと先に心が折れていた。この子の兄は憎いけれど、この子には感謝している。
だからセレスを置いていくのは後ろ髪を引かれる思いがあった。彼女はきっと断るだろうが、それでも訊ねずにはいられなかった。
予想通り、セレスは首を横に振った。
「ありがとうございます。だけど私はここに残ります。いまここで逃げ出してしまったら、今日まで兄が費やした時間が無駄なものになっちゃうので」
「そっか」
「はい、そのお気持ちだけで十分です」
そう言ってセレスは微笑んだ。
ならこれ以上は自分が口を挟むことじゃない。
「あ、アルフェリカさん、これ持ってってください」
セレスが手をかざすと空間が歪み、白い布がいきなり現れた。アルフェリカの手に収まったそれは、彼女がいつも着ていた白装束。
「保管庫にあったアルフェリカさんの服を取ってきました。その格好で外を歩くわけにはいかないと思うので」
セレスの体表に浮かぶ神名がわずかに明滅していた。どんな力かわからないが、神の力を使ったということは明らかだ。
「命削ってまで、することじゃないわよ」
「お小言よりお礼が欲しかったです」
「……ありがとう」
そう言われてしまったら、そう言う他にない。服に袖を通すと肌に触れる布地の感触に少しホッとした。
「ふふ、どういたしましてです。それに兄さんが作ってくれた腕輪があるので少しくらい大丈夫ですよ。これってすごいんですよ? なんと神名の侵食を遅らせてくれるんです。兄さんはすごいですから、もう少しで神名の侵食を止める術式兵装を完成させてくれます。なんたって私の兄さんは
腕輪を見せながら、なんてことはない、とセレスは笑う。そこに嘘はなく、心の底からアーガムのことを信じていることが見て取れる。
「いや、その申し出を受けさせてもらいたい」
そこにいないはずの人物の発言に全員が振り返った。 知らず
「兄さんっ」
アーガムがそこに立っていた。諦観漂う沈鬱な面持ち。兄を呼ぶセレスに力なく微笑む。
「兄さん、どういうこと?」
「『魔導連合』を離れる。同行を許してもらいたい」
「それってもしかして――」
一瞬、喜色を浮かべたセレスだったが、俯きながら目を逸らすアーガムを見て、思い浮かべたことが誤りであることを悟る。
わずかな時間だけ沈黙が漂った。
通路の奥から鈴のような澄んだ音が響き、つられるようにそっと口を開く。
「そっか……しかた、ないね」
諦めたのだ。残された時間がないことは誰の目にも明らかで、そしてその時間で妹を救うことはできないと諦めた。
「すまない」
ここから逃げ出して、せめて残された時間くらいは。たとえ短い時間だったとしても、一緒に居ようと思っているのだろう。
アルフェリカ自身、そういう選択もあると考えたから一度セレスを誘ったのだ。
「謝らないで。ずっと頑張ってくれたんだもん。感謝してる。ありがとう、兄さん」
しかしこの男がその選択をすることだけは度し難い。
「だが私は……」
セレスを救う術を見つけるために、『魔導連合』の犬となり、他者の平穏を踏み躙り、妹すらも
「言いっこなしだよ、兄さん。私は、
そこまでして救おうとした妹に嘘までつかせて、我慢することなんて出来るわけがない。
「どこまで自分勝手なのよっ!」
気がつけばアーガムを殴り飛ばしていた。
認められない。許せない。他者に対し、ここまでの憎しみを抱いたことはない。
「いい加減にしてよ! やっと居場所を見つけられたと思ったら、キミのせいでまたこんな地獄に引き摺り込まれて、そこまでされたのにセレスを救うのを諦めたっていうのっ!? だったらあたしは何のためにまた苦しめられたのっ!? セレスは何のために五年も耐えてきたのよっ!? 人を振り回すのも大概にして!」
「返す、言葉もない……」
口の端から血を流すアーガムに纏わりつく黒い靄がはっきりと見て取れた。悍ましくて醜悪な罪過の香り。
吐き気が止まらない。
「結局、自分が耐えられなかっただけでしょう!? 自分の手を汚し続けることに耐えられなかった! セレスを苦しめ続けることに耐えられなかった! セレスを救うために最後まで足掻き続けることに耐えられなかった! 罪の意識に押し潰されて途中で折れるくらいなら、初めからこんなことしないで!」
「待ってくださいっ、アルフェリカさん!」
叫びを無視して
振るわれた刃はアーガムの首ではなく、セレスを捕らえる牢のガラスを粉々に斬り裂いた。
首を落とされると思っていたセレスとアーガムは何が起こったのかわからず、茫然とアルフェリカを見た。
「一発殴ったわ。セレスに感謝しなさい」
「――あ」
その意味を理解したセレスの瞳が揺れた。
「ありがとう、ございます」
「約束だし、服のお礼。それだけよ」
アーガムのことは許さない。けれどこの件で彼を問うことはもうしない。
そういう約束だ。
「ごめんみんな、待たせちゃったわね」
何も言わず、ずっと見守ってくれていた輝とレイとイリスに頭を下げる。
輝は構わない、と言ってくれた。
「構うよ!? ボクはだいぶ待ったよ!?」
いつの間にか
ウォルシィラの姿をみれば、衣服の至るところが裂けて、肌からは血が滲んでいた。致命傷ではないが、それなりの怪我だった。
自分のせいで夕姫に怪我をさせてしまった。申し訳なく思う反面、嬉しさもあった。
坑道では夕姫の様子がおかしかった。怒っていたし、もしかしたら彼女に嫌われてしまったのかもしれないと思いもした。
しかし危険を顧みず、こんなところまで助けに来てくれた。その事実が嫌われたわけではないのだと教えてくれる。
そのことにとても安堵した。
はたと気づいて意外に思う。まさか自分が誰かに嫌われることに不安を感じるなんて。
「なにニヤニヤしてるのさアルフェリカ! 君のために夕姫はこんなとこまで輝について来ちゃったんだからねっ。そこんとこわかってる!?」
「ご、ごめんなさい」
「まったくもうっ、時間稼ぎする身にもなってよね! 感動の再会はまだしも、込み入った話をこんなところでしないでほしいなあっ。時間稼ぎ通り越して倒しちゃったよコイツ」
悪態をつきながら乱雑に何かを放り投げた。
それは気を失っている黒髪の男だった。
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