傍に居たくて②
カタカタとキーを叩く音は止まることがない。
アーガムは自身の研究室で一心不乱に指を動かしていた。モニターに映し出されている情報を睨みつけ、解析と分析を行い、問題を洗い出して、改善策を打つ。
今日一日だけで数十回。これまでに何度行って来たかわからない作業。
トライ&エラーは研究では当たり前。失敗を繰り返し、知見を積み上げることで技術は進歩する。
研究者にとってそんな当たり前のことがこの時ばかりは許容できなかった。
「――くそっ、また失敗だ!」
キーボードに両手を叩きつける。それによって不正な値が入力されてけたたましいエラー音が鳴った。
そんな煩わしい音すら焦燥に駆られるアーガムには聞こえていない。
「これでは間に合わない……」
セレスの神名の侵食はすでに末期だ。試作品の腕輪で多少侵食を遅らせることができても焼け石に水。実験で力を使い続ければ全身を覆われる日は遠くない。
おそらく後二、三回の実験でセレスは神に奪われる。
『創生祭』が終わる四日後、実験は再開される。
もう時間が残されていない。
それなのに研究は完成していない。新しく得られたデータからさらに改良を重ねたものの、神名の侵食を止めるほどには到っていない。これを使っても多少時間稼ぎが出来る程度。
しかしそれも次の実験に耐えられるほどの成果ではない。
「私は、どうすればいい……?」
このままではセレスを救えない。唯一の家族を失ってしまう。
セレスと一緒に逃げてしまおうか。幾度と無く思い、そして振り払ってきた考えが脳裏をかすめた。
しかし今回に至っては簡単に振り払えるものではなかった。
ここから逃げれば少なくともセレスの延命はできる。研究は行えなくなるが、いま作成した腕輪を着けて神の力を使わずにいれば半年は持つだろう。その余生を穏やかに二人で生きていけばいい。
セレスはこれ以上苦しまずに済むし、その方が良いのではないか。
苦痛の日々の果てに最期を迎えるよりもずっと良い。
「結局、私は無力なのだな」
セレスを神から救うためにあらゆる手を尽くしてきた。研究に心血を注ぐなんて大前提。利用できるものがあればなんでも利用した。研究を続けるために人を騙し、弄び、傷つけ、時には命を奪ったことだってある。
そこまでしても妹一人救い出すことができない。
絶望が重くのしかかり、諦観に心が縛りつけられた。
さっきからエラー音がうるさい。
音を止めようと俯いていた顔を上げる。偶然入力された値から、もう少し改良できそうだな、とぼんやり思った。
これが最後だ。人生の大半を費やした研究はこれで終わり。そのあとはセレスと一緒に『魔導連合』に見つからないような遠い辺境で静かに暮らせばいい。
救えないならせめて、残された時間だけでも。
もはや機械的に新しい術式を構築し、それを専用の機械で腕輪に刻み込む。
「黒神殿との契約も、まだ果たしていなかったな……」
腕輪への刻印が完了するのを待っている間に、自分の研究成果を記憶媒体にコピーする。ついでに自分が閲覧可能な『魔導連合』に蓄積された研究データもコピーした。
『ファブロス・エウケー』にはティアノラ博士がいる。輝から彼女へこのデータを渡してもらえば、必ず有効活用してくれるだろう。
ほどなくしてデータのコピーが終了し、それを懐に忍ばせる。ちょうど腕輪への刻印も完了した。
アーガムは未完成の腕輪を手に取り、研究室を出て行った。
どういうわけか施設内はいつもと比べて
しかし輝たちにとっては好都合だろう。
彼らは上手くやれているだろうか。順当に進んでいればもう施設内に入っているはずだ。
セレスと共に彼女も連れ出そう。逃げると決めた以上、もはや『魔導連合』に固執する理由はない。ケジメにすらならないが、償いはしなくてはならない。
なんたる矛盾。なんて筋の通らない話。最後まで自分勝手。自己嫌悪で己を縊り殺したくなる。
妹が囚われている区画の扉の前まで行くと、扉の向こう側の異変を感じ取った。
濃密な魔力の気配。誰かが扉の向こうで魔術を使用している。それも複数人。複数回。
十中八九、輝たちだ。
アーガムは自身のIDで解錠して扉を開く。しかし扉が開いた先にあるのは黒い壁だった。
手を伸ばしてみるが何かに触れたという感覚はない。まるで空気のようであるにも関わらず、その向こうへの侵入を阻んでいた。
「影で空間が隔絶されている……シャドウの魔術だな」
行く手を阻むこの影を何とかしなければセレスのところにはいけない。
術式を解析してみると
しかし
ましてや解析と構築を得意とする
黒影の壁に大きな穴が開き、閉ざされた空間が姿を現わした。
その更に奥では明らかな戦闘音が響き渡っていた。
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