第三章:傍に居たくて《リライアンス》

傍に居たくて①

 研究区画に来たといっても、専門家でもない輝が目にしてわかるモノはほぼない。


 デスクに並んだ多数の機材。壁に投影されているモニター。棚には大量の試薬、資料、本、メモ書き。


 モニターに映し出されるデータとにらめっこしながら議論している研究員たちの言葉はまるで何かの呪文や暗号のように聞こえる。


 そして一際目を引くのは壁一面を使うほど大きなモニターだった。


 映し出されているのは暗い部屋だった。窓もなく、ドアもなく、全てが黒曜石で作られたような密室。床には魔法陣が何度も刻まれた跡が残っている。



「そこは実験室じゃよ。ここで転生体に刻まれた神名を調べておる」


「稼働してないみたいだが?」



 転生体を実験動物のように扱う『魔導連合』のことだから、非道な実験が行われていると思っていたが、予想に反して実験が行われている様子はない。



「『創世祭』の期間中は実験中断の命令が出ておるんじゃよ。期間中、研究員も大多数が『ソキライス帝国』に派遣されておっての。おかげで人が少なくなって寂しいもんじゃよ。話し相手もいなくてあまりにも暇なのでな。ここにやってきた若者の案内役を買って出てるというわけじゃ。まったく上の連中は何を考えておるのやら……」



 実験が行われていないと聞いて少なからず輝は安堵した。


 『魔導連合』と聞くだけで恐怖するアルフェリカを思えば、ここでの実験が転生体の心に傷を負わせる類のものであることは想像できる。



「これだけでは味気ないからの。転生体についてちょっとした講義をしてやろう」



 淡白な輝の反応を退屈していると見たのか、テトロがコンソールを操作すると転生体の情報がモニターに映し出された。



「転生体とはなんだと思う?」


「神の力と魂を宿した人間、ですか?」


「概ね正解じゃ。厳密には『神の力と魂を宿した刻印を持つ生物』と定義されておる」



 元学生の夕姫の答えにテトロは補足する。


 つまり転生体は人間ではないと。そう定義づけられているとテトロは言う。



「では転生体に必ずある神名とはそもそも何物なのか。現代においてこれは超高度な術式だと考えられておる。それが生物の肉体にあるというのは、どういうことかわかるかの?」



 視線でテトロに指名された夕姫は、わからずに首を横に振った。


 輝はその答えを知っている。



「術式兵装と同じだ。物質に術式を刻んで魔術を発動するように、の肉体に神名という術式を刻むことで、神の力を発動できるようにする」


「ほほぉ、それに気づくとはお主、見所があるのぉ。その気があるなら『魔導連合』の門を叩いてはどうじゃ?」


「考えておくよ」



 もちろんその気はない。目を丸くするテトロの誘いを輝は上辺の言葉でかわす。



「お主の言う通り神名とはの肉体に刻まれた術式じゃ。じゃがそんじょそこらの術式とは比べもんにならんほどに複雑かつ高度に構築されておる。代表的なのは神の力の術式、神の魂の保全、侵食による肉体の支配。細かいものでは魔力の生成や肉体の変質などが挙げられるの。これらを研究し、神の脅威を取り除く手段を確立させることが人類の悲願じゃ」



 理解できない話ではない。転生体に対する人間の恐怖心も、転生体が迫害を受けるのも、世界に魔獣が溢れたのも、神が全ての元凶なのだから。


 それさえ取り除ければ世界はまた平和になる。



「まあ今も転生体を無力化する手段はいくつもあるがの。一番手っ取り早いのは神名に傷をつけることじゃな。神名は宿主の生命活動にも密接に関わっておる。傷をつければ機能不全を起こし、生命活動を維持できなくなるのじゃよ。複雑であるが故の脆さじゃな。まあ例外もあるようじゃが」


「例外?」


「なんとじゃなっ、神名に深い傷を負っているにも関わらず、生きている転生体が見つかったのじゃよ! しかも神の魂だけが死滅し、神の力は残ったままという例外中の例外じゃ! これだけ貴重な実験サンプルは世界中を探しても見つからん! これが解明できれば大発見どころではないぞ! 世界が変わる!」



 神名に傷を負ってなお、神の力を失わず生存している転生体。



「輝様」


「わかっている」



 袖を引くイリスと目を合わせないまま頷く。


 アルフェリカがこの施設に囚われているのは間違いない。



「そんな珍しい転生体がいるなら、ぜひ会ってみたいんだが」



 興奮冷めやらぬといった様子だったテトロはその申し出に難しい顔になった。



「あー、それはのぅ……見せてやりたいのは山々じゃが、百体以上の転生体を管理している場所で、危険じゃから機密区画になっておるんじゃよ。じゃから開放しておらん」


「どこだ?」


「ここじゃ」



 テトロが見取り図を指差す。確かに色が塗られていない範囲外の場所だった。


 しかしここからは近い。



「どうしてもダメか?」


「う、ううむ……ちょっとくらいなら、良い、気もするのう……」



 なんとも歯切れが悪い。見せたいという本音と規則を守らねばならないという義務の間で揺れ動いていることが見て取れた。



「駄目ですよドクターテトロ。あそこは敵性転生体や敵性覚醒体も収容してるんですから。この施設に入って来られるだけの能力を持った有望な人材にもしものことがあったら、我々にとっても魔術界にとっても大きな損失ですよ」


「そうじゃのう……」


「そうですよ。それに万が一にも都市に転生体が溢れ出て、時計塔の術式が発動するような事態になったら、『ソーサラーガーデン』が滅んでしまうんですから」



 物騒な話を聞いた気がする。まさか捕えた転生体が脱走したときに都市ごと転生体を滅ぼすような術式ではあるまいか。


 もしそうなら行き過ぎな対策だと思える。



「うむ、仕方ないのぉ。すまんがそれは我慢してくれるかの。将来『魔導連合』に勤めてくれたときに改めて案内してやろう」



 輝は心の内で舌打ちした。規則とはいえ余計なことを言ってくれたものだ。


 自発的に案内してくれないというならば、無理矢理にでも案内させるしかない。


 できれば穏便に進めたかったのだが。


 輝はレイに目配せをする。また彼女の力を借りる必要がある。


 レイが頷くのを確認し、輝はわざとらしく肩を竦めた。



「そうか、残念だな」


「すまんの。代わりと言ってはなんじゃが、他の設備はしっかりと見せてやろう」


「その前にトイレに行ってもいいか?」


「構わんよ。ついてきなさい」



 テトロに案内される形で輝たちは緩やかに曲がる廊下を歩いていく。大多数の研究員が派遣されているせいだろうか、廊下を歩く人物の姿は一つもない。



「そこの通路を入ったところじゃよ。ついでに儂も済ましてくるかの。お嬢さん方も今のうちに行っておくといいじゃろ」



 通路の先はやや奥まっていて廊下からは死角になっていた。都合がいい。



「そうですね」


「私たちは大丈夫なのでここで待ってます」


「ちゃんと手を洗ってきてくださいね」



 輝とテトロの後にレイが続き、夕姫とイリスは通路の入口付近で待機。



「あの、ドクターテトロ、少々よろしいでしょうか」


「なにかの、お嬢さんや――っ!?」



 レイに声をかけられて振り向いた瞬間、青白い輝きを目にしたテトロの顔が驚愕に染まる。



「先程のお話にあった転生体がいる区画に案内してください」



 【あやかす蠱惑の眼差し】ファシナティオ・イントゥエレ


 たとえ枯れ果てた者であろうとも、この〝美神〟の魔眼から逃れることなどできはしない。


 レイを求めてテトロの手が伸びた。輝がそれを阻み、レイがもう一度告げる。



「先程のお話にあった転生体がいる区画に案内してください」


「……こっちじゃよ」



 【魅了】にかかったテトロは虚ろな目で先導を始めた。ついて行った先は、行き止まりにしか見えない通路。


 テトロがその奥の壁に手を触れると術式が起動し、壁に穴が空いてさらなる空間が現れた。


 その先にあるモノを目にして、一同は言葉を失う。


 長い一本道の通路。透明のガラスで区分けされており、その一つ一つには衣服すら与えられていない転生体が収容されていた。入室した輝たちを目にしても反応はなく、何もかも諦めてしまったような陰りきった表情。当然のようにあの首輪が取り付けられている。


 頭に血が上っていくのを感じて、輝は深呼吸を繰り返した。激情に身を任せたところで、この転生体たちを救えるわけではない。


 それに、ここに来た目的をたがえるな。



「それで先程の話の転生体はどこにいるのでしょうか」



 レイに言われてテトロは無言で歩き出す。それについて行こうとしたとき――。



「おっと、ここは立ち入り禁止だぜ、お客人」



 突如として聞こえてきた声と共に、通路一帯が真っ黒く染まった。それが魔術による影だと気づいたときには、出入り口が閉ざされて退路を断たれてしまう。


 影の中に浮かび上がる無数の赤い目。影の中から影が膨らんで人の形を象る。



「初めまして、俺はシャドウ。ここまで侵入するなんてなかなかやるな、黒神輝」



 赤色のインクを落としたような歪な目が輝たちを見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る