エリィは新聞配達人

佐古間

1.エリィは新聞配達人 前

 クォーツの街は本日も輝く太陽に包まれて、清々しい朝を迎えた。

 エリィは新聞配達人だ。クォーツでのみ刊行しているローカル紙、「クォーツ・タイムス」の朝刊配達担当だ。

 クォーツ・タイムスは小さな新聞社だが、街の中の情報ならなんでも掲載していて、逆に、街から外の情報は全く掲載していない。移住してきたばかりの人や、古くからクォーツに住んでいて、今後移住の意思がない人などは好んで購読しているが、外部の情報を取り入れたい層は、大抵首都経由で刊行されている「ジェム・トゥデイ」だの、「ジェム・ジャーナル」だのを読んでいる。

 新聞配達人、といっても、エリィが所属しているのは販売所ではなくてクォーツ・タイムスの本社である。モリオン地区に本社を持つクォーツ・タイムスは、この地区を含めた南西エリアに販売所を持たず、本社からの配達で賄っている。本社のあるエリアだと言うのに、一番購読者数が少ないエリア、というのも理由の一つだ。南のシディアン地区はどちらかというと貧困層が多く、新聞をとる余裕のない者の方が多いし、西のモリオン地区は比較的中流階層が多く住むエリアだが、中央近くになればなるほどオフィスが多く占めて、そもそも居住者が全体比率的に少ない地区なのだった。

 エリィは毎日深夜零時に起きて、一時半には出社する。

 エリィの住むシディアン地区からモリオン地区までは歩いて三十分程かかるため、本社に着く頃には丁度体も温まる頃合いだった。

 出社をしたらまず、印刷直前の最終稿をチェックさせてもらう。別段エリィのチェックは必要ないのだが、この街にやってきたばかりのエリィが「記者にしてくれ」とクォーツ・タイムスの門戸を叩いた時、生憎と記者にはできないが、と前置いた上で、面白がった社長が配達人として雇ってくれたのだ。その時に、記事に触れるだけでも勉強になるだろう、と、最終稿をチェックする役目をくれたのだった。張り切ったエリィには残念なことに、チェックをしたから何かができるわけでもなかったが、それでもごくごく稀に誤字や脱字を見つけるので、無意味なチェックでもないのだろう。

 最終チェックをした後、印刷されるのを待ちながら本社のカフェブースで軽く朝食をとる。大体深夜二時すぎくらいのことだ。起きた時に自宅でも朝食は食べているが、三十分の徒歩通勤と、頭を使うチェック作業ですっかり空腹になってしまうので、エリィはいつも朝食を二回摂っている。

 印刷が終わってからがエリィの仕事の始まりだった。

 紙面に問題がないことを確認しながら、担当区域分の部数を持って配達に向かう。三時過ぎくらいから配達を始めるので、空はまだ暗く、殆ど夜といって差し支えがない。

 エリィの担当するエリアは、モリオン地区の中でもオフィス街周辺エリアで、個人宅へ配達することはあまりない。契約している家のポストにことり、ことりと新聞を入れ込みながら、オフィスへの配達は専用のポストに入れたり、警備員に手渡したりする。中にはクォーツ自警団の詰所もあって、配達する場所が比較的時間の関係なく人のいるところが多いためか、あまり、深夜から早朝に働いている、という意識を持っていなかった。


「おはようエリィ、今日はどんなニュース?」


 詰所の警備室には、各小隊長の分と、役職者分と、十数部新聞を置いていく。部数確認と、まとめ配達のため受領のサインをもらう関係で、警備室を担当する団員とはそこそこ交流があった。

 新聞を受け取りながら、部数を数えるのは第二小隊のロバートである。今月は警備室担当が第二小隊らしく、その中でもロバートは今週の担当らしい。昨日も同じ会話をしたな、と思いながら、「討伐進捗とか、議会の様子とかね」と肩を竦めてみせた。


「そろそろ選挙の時期だもんなあ、あまり意識してなかったけど」

「ロバートは誰に入れるか決めてるの?」

「いんや、自警団の扱いを良くしてくれる人がいいけど」


 言いながら、数え終わったロバートは「ほいよ」と受領用紙にサインした。いつもよりやや歪な文字を見て、エリィはあれ? と首を傾げる。


「今日は左手で書いたのね。右手、怪我でもしたの?」


 問えば、苦笑を浮かべてそんなとこ、とロバートは答えた。ふらり、と持ち上げられた右手は包帯で包まれていて、昨日はなかった怪我にエリィは顔を顰めた。


「ロバートったら、警備室の担当なのに、討伐にも出てるの? 働きすぎじゃない?」

「いやいや、討伐での負傷なら勲章なんだけどな。これは違うんだよ」


 思わず心配すれば、ロバートは肩を竦めて「大したことないよ、ただの打ち身」と笑う。


「ほら、二ヶ月前に人員補強で傭兵を雇っただろ。討伐のない日はしょっちゅう訓練場で手合わせしてるんだけど、昨日はちょっと強い人に当たってね」


 ばちーん、って打たれたのさ、とロバートは続けた。

 エリィはロバートが戦うところを見たことがないので、どれほどの腕前なのか知らないが、警備室を一人で任せられるくらいにはそこそこ実力を持っていると認識していた。ありていにいえば中堅団員だ。クォーツの街は他の街と比べて魔物の出現率が高いと聞くし、他の街の自警団などと比べても、団員の質は良いはずだ。中堅団員といえど、よそからの傭兵に遅れをとるようなことがあるのだろうか。

 エリィ疑問いっぱいの顔を浮かべたので、ロバートは「傭兵やって街を渡り歩いてるくらいだからなあ、強い連中ばかりさ」とそれだけを教えてくれた。

 そういうものなの、と頷きながら、いったいロバートを負かした傭兵は何て名前なのだろう、と聞こうとしたところで、背中がじんわり暖かいことに気がついた。


「さあほら、まだ配達残ってるんだろ。そろそろ日が昇り切るぜ」


 振り返れば、確かに太陽が顔を出し始めたところのようで、街並みがきらきらと輝き始めている。エリィは夜から朝になっていく、魔法の粉を振り撒いたような輝く様子が好きだった。


「あら、大変、急がなきゃ。ロバート、また昼にでもお話し聞かせてちょうだいね」

「おお、俺が起きてたらな」


 言ってロバートが見送ってくれる。エリィは慌てて残りの配達分を数えながら、昼に立ち寄ることを忘れないようにしよう、と決めた。





 四時半をすぎると、全ての配達を終えてエリィはクォーツ・タイムスの本社にもどる。エリィの業務はあくまで朝刊の配達で、それ以外の仕事はないからだ。編集室に顔を出すと、髭の濃い色黒の編集長がちょい、とエリィを手招いて、封筒に入った本日の給料をくれる。一日大体八千モース。他の配達人たちの給料より少しだけ額が多いのは、エリィが最終稿のチェックも行なっているからだった。

 深夜零時から動き続けた体は、この辺りで少しばかり疲れを訴えてくるのだけれど。その頃には本社一階にあるカフェテリアも緩やかに稼働し始めるので、家には帰らずカフェテリアの一席を陣取って、封筒に入れられた給料を数えながら、気に入りの財布に移すのを日課にしている。この仕事以外にも収入源はあるものの、どうしたって、欲しいものややりたいことが沢山あると、資金は幾らあっても足りないのだ。

 今は、気になっているカメラの購入を目標に貯金をしている最中だ。ネリアン地区のセントラル通りから一本脇に入ったところにある、創業五十年のカメラ専門店。古いカメラから最新のカメラまで豊富に取り揃えていて、店の中を見て回るだけでも楽しいのだけれど、一ヶ月ほど前からショーウィンドウに出始めた最新型のカメラが、エリィでも扱えそうなスリムなフォルムが可愛らしくて、どうしても欲しくなってしまったのだ。エリィは新聞配達人だが、記者になることが夢だった。


「おはよう、エリィ。この間聞いた面白い話があるんだけど、どう?」


 さて、あと幾ら貯めればあの可愛らしいカメラに手が届くか、頭の中で計算をしていると、不意に声をかけられてエリィは顔を上げた。

 クォーツ・タイムス一階のカフェテリアは、本社で不規則な出勤を行う社員がいつでも使えるように、早朝四時から夜二十一時まで営業している。この近辺でこれほど長く営業している店は少ないので、クォーツ・タイムス社員以外にも、周辺の早朝労働者がよく利用していた。

 おすすめのメニューは新鮮な野菜をたっぷり使ったサンドイッチだが、オープンから十時までのモーニングの時間帯は、焼き立てのクロワッサンにふわふわのスクランブルエッグを挟んだクロワッサンサンドが一番人気だ。セットのコーヒーがついて五百モース。仕事終わりのエリィは大体いつもコーヒーだけ注文するが、その日の気分でお腹が減っていればクロワッサンサンドを好んで食べた。今日はそれほどお腹が空いていなかったので、テーブルの上には半分ほど減ったコーヒーだけが残っている。


「マリーさん。おはようございます」


 声をかけてきた人物を見とめて、エリィはきちんと挨拶をした。ええ、おはよう、と笑みを浮かべたのは、背の高い女性だった。

 マリーはクォーツ・タイムスに勤める記者の一人だ。新聞記事ではないが、同社が刊行している情報雑誌などの記者をしていて、自身が担当するコーナーなども持っている。エリィのよく行く編集室とは違う部署だったが、毎朝カフェテリアにいるエリィのことが気になったらしく、編集長経由で紹介をされた。マリーもまたエリィが記者になりたいことを知っていて、よく気にかけてくれる上に、時折試しに書いた記事なども添削してくれる。最も、それらが実際に掲載されたことはないのだけれど。


「面白い話って、なんです?」


 マリーは手にしていたテイクアウト用のカップをエリィのコーヒーカップの向かいに置くと、ごくごく自然に向かいの席に座った。マリーと知り合ってからは時折あることなので、エリィも特に気にしていない。マリーは面白そうに笑みを深めると、「この間、ネリアン地区のレストランで聞いた話なんだけどね、」と話し始めた。


「自警団の第一小隊隊長さん、ダンテさんって言ったかしら。彼が、女性とひどく言い争いをしていたらしいのよ」


 少しだけ声を顰めたマリーに、エリィは思わず「えっ」と声を上げた。

 クォーツ自警団の第一小隊隊長といえば、自警団内で一番の実力だとか、若い頃は首都の防衛騎士団に所属していたとか、そういう噂のある人物だ。高級住宅街でもあるネリアン地区に自宅を構えていて、確か三歳になる娘がいたはず。

 声を上げたエリィに気を良くしたのか、マリーは「確証はないんだけどね」と続けた。


「見ていた人たちの話から、どうも、相手の女性は奥さんだったんじゃないかって。ダンテさんはよく記事で掲載されるけど、その家族の情報までは出てこないじゃない? だから本当にそうかはわからないのだけど、喧嘩を聞いてた人が言うには、話の内容的に、奥さんだったんじゃないかって」


 スクープじゃない? と、マリーは目を煌めかせた。

 スクープ、という言葉にエリィは曖昧に笑みを浮かべた。話、自体は面白いが、あくまでダンテという人を表面だけでも知っているが故の、野次馬的面白さだ。マリーはエリィの様子を気にした風でもなく、「エリィが書いてみたいなら、取材して記事にしてみたら?」と、そんなことを言った。


「えっと、」

「上手く出来てたら次の号に掲載できるわよ。エリィ、いつも色々書いてはいるけど、実際に掲載したことはないでしょう?」


 マリーは心配そうに眉尻を下げると、「勿体無いと思うのよ、」と口籠った。


「色々読ませてもらうけど、別段、とっても悪い記事なんて一つもなかったわ。載せてもいいなってものも幾つかはあったもの。ただ、タイミングと、ネタのインパクトがね……」


 マリーのその言葉はとても嬉しいものではあったが、エリィは口籠って、言葉を探すようにコーヒーを口に含んだ。どうにも、そわそわと落ち着かない。


「今回の話、もし本当に奥さんとの喧嘩で、それが離婚の話だったら……? 第一小隊の隊長だもの、立派なスキャンダルよ。実際、他社の記者はもう動いていると聞くし、うちも何人かは取材を始めているわ」


 その中で勝ち残れるかは、エリィの実力次第だけど。

 締めくくられたマリーの言葉にエリィはもう一度コーヒーを飲み込んでから、「ありがとう、ございます」と頭を下げた。


「よく考えて、みます。もし良い記事ができたら、読んでいただけますか?」

「それは、もちろん! 私から出した話だもの」


 マリーはにこやかに笑うと、カップを手に取り立ち上がった。


「あ、ちなみに、レストランで喧嘩が目撃されたのは三日前。レストランの名前は、確か、アゲート、だったかしら。探してみて」

「はい。色々ありがとうございます」


 もう一度頭を下げると、マリーはエリィの赤毛をぽん、と撫でると、じゃあまたね、と去っていった。

 はあ、とため息を吐く。マリーは確かにエリィのことをよく見てくれて、色々と世話を焼いてくれるのだが。


(でも、チャンスはチャンスなのよね……)


 なんとなく気乗りしないのは、エリィが目指している記者が雑誌記者ではなく、新聞記者であるからだ。エリィは有名人のスキャンダルを追いたいのではなく、社会的な様々な事象・現象――政治的な内容だったり、事件や事故についてだったり――を追いかけたいのだ。自分の書いた記事が瞬く間にクォーツの街に広まって、それで人々が正しく・最新の情報を得られるとしたら、これほどやりがいのある仕事はないだろう。音声ラジオだけでは伝えきれない現場の詳細を、繊細に伝えることができたとしたら。


(掲載してもらえたとしたら、原稿料って出るのかしら……)


 ぼんやり考えながらカップに残った最後のコーヒーを飲み干した。カフェテリアの少し無愛想な男性店員に「今日もご馳走様」と挨拶をして、とにかく今日も色々探してみようかな、と、店を出た。





 新聞配達の仕事が終わったら、大抵エリィはクォーツの街を虱潰しに歩き回り、「何か変わった出来事はなかったか」様々な人に聞いて回る。エリィが街にやってきてからずっと続けていることで、話を聞くときに必ず「私はエリィ、記者を目指しているの」と自己紹介をするので、街の多くの人と顔見知りだった。

 ネタ探しは色々な方法で行なっていて、何か一つのことを集中的に追いかけることもあれば、目についたものを片端から聞き込みすることもある。今日はマリーの助言もあって、レストラン・アゲートで目撃された、第一小隊隊長、ダンテのスキャンダルについてを追いかけていた。

 マリーの言っていた通り、ダンテが女性と激しい言い争いをしていた様子は多くの人が目撃しており、一人に聞けば僕も私も、とあちらこちらから話を聞くことができた。

 一通り聞いたものの、それを記事にするかどうかはこの後考える。経験を積むために記事を書く必要はあると思えど、それでも、書きたい内容の記事と、そこまで書きたくない内容の記事と、エリィにだって好みはある。

 取材――とエリィは呼んでいるが、他の人からはネタ探しだの、記者ごっこ、だのと呼ばれている――を終えて、十一時くらいには自宅に戻るようにしている。翌日再び深夜零時に起きて仕事をしなければならないので、夕方四時には寝ていないと体がもたないのだ。

 なので、セントラル通りのベーカリーでクロワッサンの袋を買ったら、アパートのあるシディアン地区までのんびりと帰ることにしている。取材の開始はクォーツ・タイムスだが、終わりはセントラル通りのベーカリーと決めていた。

 ダンテのスキャンダルは、記者でなければそこそこ面白く聞けていただろうな、という印象だった。取材の傍ら、エリィが書きたい何かしらの事件だとか事故だとか、そういうものが起こればそちらの記事にシフトできたのだけれど。生憎とクォーツの街は平和で――なにせ、クォーツ自警団が外の魔物も中の犯罪者もきっちりと討伐・取り締まりをしてくれているので――早々に事件が起こるはずもない。事故を起こすような人もいないし、そもそも首都と比べれば自動車の所有者自体が少なかった。よくある事故といえば、車をひく馬が急に暴れ出したとか、そういったものだったが、馬関連の事故など日常茶飯事なので事故とも呼べない。第一怪我人だって殆ど出ないのだ、大事にならずに喜ぶべきことではあるが、エリィとしては面白くなかった。

 それで、やっぱりマリーさんのいう通り、ダンテのスキャンダルを書くべきかな、と、悩みながらアパート近くまで帰ってきた時だった。


「あんたにやれる飯はないよ! 出て行っておくれ!」


 聞き馴染んだ声が通り一帯に響き渡って、押し出されたような勢いで、誰かが道の真ん中に飛び出した。ちょうどエリィの目の前だ、エリィは思わず立ち止まった。

 聞こえた声は、エリィのアパートの三軒隣にある食堂のおかみさんの声だ。料理をするのが面倒なときにたまに利用するが、恰幅の良い体で豪快にフライパンを使いこなし、痩せ細った気の弱そうな旦那さんと二人で食堂を切り盛りしている。この辺りは低賃金の労働者が多いため、食堂の価格自体もお安めで、その分味は特別美味しくもなく、だからといって不味くもなく。家庭の味、というのが一番近いだろう。なんとなく懐かしい味の料理が多いので、どの時間帯に店を訪れても、よく賑わっている店である。

 その、おかみさんだが、確かにさっぱりとした性格で嫌なことははっきり嫌だと主張するタイプの女性ではあったが、店から誰かを追い出すところは始めて見た。驚きながら、飛び出してきた人をまじまじと観察する。エリィは胸がどきどきと鳴り始めるのを感じた。


(これって、これってスクープじゃない?)


 何せ、飛び出してきた人は全身を大きなローブで覆い隠し、男か女かもわからない。背丈はエリィより少し大きいくらいだが、エリィは同年代の中でも小柄な方なので、あまり当てにはならないだろう。ローブの人は何を言うこともなく深くため息をつくと、たたらを踏んだ勢いで長いローブの裾を踏ん付けたらしい、つんのめって地面に大きく転がった。転がってもなお、ローブは捲れず、どんな人か判断がつかない。


「あのぉ」


 それで、エリィは近寄って声をかけた。転がっていたローブの人は、エリィの声に驚いた様子で身を起こす。一瞬、ローブの下から金色が見えた気がしたが、気にせずエリィは続けた。


「私、エリィと言います。何かあったんですか?」


 単刀直入に聞くと、ローブの人は躊躇うように僅かに上を向いて――最も、ローブで隠されているために、どこを見たのかはわからなかったが――か細い声で「私は、スゥと言います」と答えた。高く澄んだような声だったので、漸くエリィはこのローブが女の子だ、と理解した。


「すみません、お腹が減っていて……食べられるところを探していたのですけど、ローブを脱がないと店に入れたくないと言われてしまって……」


 ローブを脱ぎたくなくて、と、スゥ、と名乗ったその人はボソボソと言葉を続けた。

 なるほど、と、状況を理解した。この辺りはシディアン地区でも外れの方で、外からくる人が最初に訪れやすい場所だ。やってくるのは大抵南の砂漠から首都を目指す人たちだが、ごく稀に、砂漠に拠点を置く盗賊が入り込むことがある。

 勿論、そのような不届者を街に入れないために、街の周囲は強固な防御壁で囲まれており、門番が訪問者を一人一人確認しているのだが、時折すり抜けてやってくることがあるのだ。

 ローブを深くまで被って顔を見せず、脱げと言っても脱ごうとしない、となれば不審者扱いをされて店を追い出されるのも頷ける。エリィは苦笑を浮かべて、「それなら、うちに来ますか?」と問いかけた。スゥ、がことりと首を傾げる。顔は見えないが、可愛らしい女の子が首を傾げた様子、が簡単に想像できて、エリィは思わず声をあげて笑いそうになったのを堪えた。声の感じだけみれば若い女の子だ、エリィよりも年下かもしれない。


「えっと……」


 戸惑った様子のスゥに、エリィはダメおし、とばかりに付け足した。


「何か事情があるんでしょう。でも、この一帯の治安はあんまり良くないから、ローブのままじゃずっと食事にありつけないわよ。

 それに、私、記者を目指しているの。あなたは何か事情がありそうだし……スクープの予感がするわ」


 ね、いいでしょう。

 にこりと笑みを浮かべると、スゥは戸惑いながらも頷いた。よろしくお願いします、と、また、か細い声が続ける。

 それじゃあ決まり、とスゥを立ち上がらせた。エリィのアパートはすぐそこで、幸いなことに、エリィもまたこれから食事をする予定だった。

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