愛は水の中

鍵崎佐吉

第一話

 そこは水魔の洞窟と呼ばれていた。


 海水の浸食によってできたその洞窟には、海賊の財宝が隠されていると噂され、多くの冒険者たちがそれを求めた。しかし洞窟内に蔓延る魔物たちに阻まれ、いまだその財宝を手にした者はいない。


 そしていつしか冒険者の間で妙な噂が囁かれるようになった。


「あの洞窟で死んだ者は水魔に呪われる」


 それが真実なのか、呪いとは何なのか、それは誰に聞いても要領を得ず、噂の出どころもわからなかった。


 今日もまた命知らずの冒険者たちは、財宝を求めて洞窟の闇の中へと消えていく。






 目が覚めるとそこは病室のような場所だった。いや、よく見れば街の診療所だ。何度か訪れたことがある。なぜ俺はここにいるのだろう。そう、俺は水魔の洞窟にいたはずだ。運よく魔物と会わずにすみ、かなり奥まで進んだはずだ。でもあいつが途中で引き返そうって言い始めた。理由を聞いてもはっきりしない、ただ悪い予感がするとかそんなことを言ってた。そして、そしてどうなった?記憶はそこで途切れている。


 体を動かそうとするとかなり痛んだ。傷を負っているらしい。ということは、まさか。少しずつ状況が飲み込めてくるにつれて、不安は膨らんでいく。病室には俺しかいない。とにかくじっとしているわけにはいかない。ベッドから這い出て病室のドアを開ける。


 そこには女がいた。俺と目が合うなり軽く悲鳴を上げた。


「び、びっくりした。起きてたんですね」


「おい、あいつらはどこだ」


「え?」


「俺と一緒にいた冒険者だよ。金髪の女と鎧を着た大男、俺の仲間だ」


「あの、ひとまず落ち着いてください。まだ傷は治ってないでしょう?」


「いいから答えろ。どこにいる」


「それは……その……」


「……もういい、自分で探す」


「あ、待ってください! その体じゃ無茶ですよ!」


 女を無視して廊下を突き進む。あの態度だとここにはいないと見た方が良い。そうなるとどこだ? 見当はつかないが湧き上がる不安が立ち止まることを許さない。こうなったら片っ端から探してやる。そう大きな街でもないし、俺も顔が利く方だ。きっとどうにかなるはずだ。


「あなただけなんです!」


 後ろから女の声が聞こえた。前に踏み出そうとした足が石のように固まって動かない。


「ここに運ばれた来たのはあなただけなんです……! 水魔の洞窟の入口付近に一人で倒れていたって……」


「……そうか」


 心の中で、何かが崩れて溶けていくようだった。その日は唐突に訪れる。冒険者であれば誰だって理解していることだ。


「治療費はあとで払う。俺が戻ってこなかったら、遺品を全部やるからそれを売り払って充ててくれ」


「行く気なんですか、水魔の洞窟に」


「ああ、そうだ」


「ダメです。そんな体の人間を行かせるわけにはいきません……!」


「あいつらが待ってる。俺が行かないで誰が行くんだ」


「……あえて言わせてもらいます。状況的に考えてあなたは魔物に襲われ、命からがら逃げ伸びてきた。あなたがここに運び込まれたのは昨日の晩です。他に助けられた人間がいないということは、残念ですけどあなたの仲間はもう……」


「わかってる。だから行くんだ」


「え……?」


「死体くらいは持って帰ってやらないと。近頃は妙な噂も流れてるしな。あんなところに放っておくわけにはいかない」


「でも……!」


「それができないなら、せめてあいつらと同じ場所で眠らせてくれ」


 女はもう何も言わなかった。沈黙を背に俺は再び歩き出した。






 この洞窟に入るのも何回目だろうか。時に道に迷い、時に魔物に返り討ちにされ、それでもなんとか生きて帰って、ボロボロの体であいつらと笑いあった。いつだって死の予感はすぐそこにあったけど、それを笑い飛ばせるくらい生きているという実感があった。そして今、俺は明確に目の前に迫る死を感じ取っている。それでも、行かなければいけない。自分だけ逃げおおせて、あいつらの屍の上で生を貪るなんてこと俺には耐えられない。


 しばらく進んでいっても洞窟の中は静かだ。あの妙な噂のせいか最近はこの洞窟に入る者も減ってきている。中には財宝なんてないんじゃないかとか、ここを閉鎖した方が良いなんて言い出す奴もいる。ロマンのかけらもない臆病者どもが。真実はいつだって最も勇敢な者にだけ与えられるんだ。その権利を自ら放棄するなんて馬鹿のすることだ。


 近くで何かが跳ねるような水音が聞こえる。身構えてあたりの様子をうかがうが、魔物の気配は感じられない。かなり深いところまで来たが、いまだに魔物の姿が見えない。やはり何かがおかしい。そう思わないでもないが、今更引き返して何になる。せめて遺品の一つでも見つけるまでは帰るわけにはいかない。


 あまり記憶は定かではないが、おそらくこのあたりまでは二人も一緒だったはずだ。周囲の痕跡を探るが、目ぼしいものは見つけられない。その時また水音が聞こえた。いったいどこからだろう。音がしたであろう方角に進んでいくと、そこは開けた水場になっていた。こういう場所は水棲の魔物の住処になっていることが多いため、本来はうかつに近づくべきではない。


 またパシャリという水音がした。かなり近い。しかしこの音の主が魔物であれば、こんなことをするだろうか。獲物を狩るのなら息を潜め、油断した隙を一気についた方が良い。わざわざこちらに気取られるような行動を取る意図がわからない。


 なおも鳴り響く水音。気にはなるが、これ以上無駄足を食うわけにはいかない。早くあいつらを見つけ出してやらないと。俺が引き返そうとしたその時、何かが水から飛び出す音が聞こえた。まずい、やはり魔物か!? 剣を抜き、素早く後ろを振り返る。


 そこにはあいつがいた。綺麗に整えられた長い金髪、満月の夜の海に似た深い青色の瞳。昨日までずっと一緒にいた、これからもずっと一緒にいられると信じていた、俺の一番大切な人。水面に飛び上がった彼女と目が合う。彼女の上半身は露わになっていた。そして、下半身は魚のようになっていた。それはつまり人魚とでも言うべき姿だった。


「カルナ!」


 俺の声が届く前に、彼女は水に沈んだ。どれだけ待っても彼女が再び現れることはなかった。

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