第6話 魔女の扉
俺がこの世界に来てから、ひと月が経過した。
この世界では、翻訳機能のおかげか数字の数え方は元の世界と同じだが、一日は三十時間ある。
創世の日、大地の日、火の日、風の日、水の日、大樹の日の六日で一週間。それを五週で一ヶ月だ。
一年は十二ヶ月で、大陸内でも地域によって気候は異なっている。
シィエンルーアの屋敷があるロザリエント大樹林は、大陸西側の南北に広がる広大な森林地帯で、北方には高山地帯が広がっている。
高山地帯へ行くと寒冷な気候で、南方は温暖で湿度が高い。そのあたりの地球の常識は、この世界でも成り立っている。砂漠もあれば、密林もあるかなりの広さがある大陸だ。
シィエンルーアの屋敷の敷地内は、過ごしやすい気候が保たれているため、快適な環境で修行ができたことは、俺にとってありがたいことだった。
「そろそろ、クラエスが王位につく頃だ」
俺の魔法と剣術がある程度形になって来た頃、オーヴェルグが突然そう切り出した。
「クラエスって?」
「ノザリアの王太子の名だ。ノザリアでは、王太子が二十五歳になる冬に王位につく。俺は即位の儀に間に合うように、国に帰らねばならん」
「即位までに戻るってお姉さんと約束してるのか?」
オーヴェルグの姉は、ユールヴィアの母親だ。オーヴェルグはユールヴィアが魔力を制御できるようになるよう、シィエンルーアに指導してもらうための付き添いでここにいる。
「そのようなところだな」
「そろそろって、間に合うの?」
このロザリエント大樹林は大陸の西の端にある。ノザリア王国は大陸の北東だ。つまり、ここからノザリア王国まで行くとすると、大陸を横断しなければならない。
今から大陸を横断していたら、確実に間に合わない。
「間に合う方法があるのだ。シエラの魔法に頼ることになるがな」
オーヴェルグが話をふると、シィエンルーアは目をぱちぱちとさせ、驚いたようにオーヴェルグの顔を見る。
「もうそんな時期ですか。私も、近頃レンの修行に夢中になっていたようです」
シィエンルーアは俺の扱きに夢中で、すっかり時間を忘れていたようだ。さすがの鬼教官である。
「帰らないとだめなのー?」
ユールヴィアは帰りたくないかのように、唇を尖らせている。ユールヴィアは父親や母親と離れていて寂しくはないのだろうか。そう思いながらユールヴィアを見ていたら、オーヴェルグが俺を見て目線を合わせてきた。
「レン、おまえも一緒に来ないか」
「俺も?」
「あぁ。ノザリアの王都で冒険者登録をするのはどうかと思ってな」
どうやら、オーヴェルグは俺の今後のことも考えていてくれたらしい。本当に面倒見のいい男だ。
ひと通りこの世界を見て回りたいと思っていた。冒険者になって旅をするのが一番稼げるし、国境を跨いでも仕事が成り立つ。
シィエンルーアの書庫で読み漁った書籍によると、冒険者というのは、魔獣や魔物を狩ったり、あるいは依頼人の護衛をしたり、稀少な素材を採取してきたりするような依頼を受けて、その依頼に対する報酬を得る職業だ。
俺は修行が終われば、一番近くにあるウェスタリア王国で冒険者になろうと思っていた。しかし、オーヴェルグとともにノザリア王国に行くほうが、何も分からないところにひとりで行くよりも俺にとっては安全だろう。
「オーヴェルグ、一緒に連れて行ってくれ」
「あぁ。ともに行こう」
オーヴェルグは少しだけ目を細め、俺の頭に手を置く。オーヴェルグの手の温かさがくすぐったかった。
「ところでオーヴ、いつ発つつもりなのです?」
「三日後、扉を開いてもらえるか。シエラ、世話になったな」
「えぇ。わかりました」
オーヴェルグとシィエンルーアの間で出発日が決まってしまった。
俺がここにいられるのは、あと三日。
「扉って?」
「魔女の扉です。三日後、楽しみにしていてください」
魔女の扉という魔法で、ノザリア王国まで移動するようだ。シィエンルーアの使う魔法は、とても精緻で見た目も美しい。きっと扉も美しいのだろう、と俺は三日後を楽しみに待つことにした。
それからの三日間も、俺はきちんと修行を続けた。これまでの修行で、初級魔法はほぼ使えるようになり、剣の扱いも随分慣れた。冒険者としての第一歩を踏み出すには十分だろう。
「準備はいいですか?レン」
俺が滞在している部屋の扉を開いて、シィエンルーアが顔を出す。
この美しい師匠とも今日でお別れだと思うと、もの寂しい気持ちになる。
「元々荷物も少ないし、いつでも大丈夫だよ」
「あなた方がいなくなると、この屋敷も静かになってしまいますね」
シィエンルーアは寂しそうに、だが、これまでの日々を思い出しているのか、くちびるに笑みを浮かべながら言った。
とくに、ユールヴィアがいなくなったら静かだろう。いつも賑やかに過ごしているし、なんといっても爆発の常習犯だ。
「また会えるよな。シィエンルーアは俺を呼んでくれるんだろ?」
いたずらめかして笑う俺に、シィエンルーアはほほえみながら頷いた。そのほほえみは、寂しさを隠しきれず、それでもただ美しい。
「私が呼んだら必ず来ていただける契約ですからね。魔女との契約は制約が厳しいのですよ」
「そりゃ怖い。さすが魔女だな」
「さ、魔女の扉は屋敷の地下室にあります。行きましょう」
俺とシィエンルーアは軽口を言い合いながら屋敷の階段を降りていく。
階段を降りた先の扉を開くと、そこにはすでに支度をととのえたオーヴェルグとユールヴィアの姿があった。
「忘れ物はないか、レン」
「忘れるほど物は持っていないよ、オーヴェルグ」
オーヴェルグは俺の肩を軽く叩いて、部屋の中へ視線をやった。
部屋の真ん中に複雑な円と文字、幾何学模様で描かれた魔法陣がほのかに光っていて、そこに美しい装飾がされた扉が浮かんでいる。
「これが魔女の扉か」
俺が思わずといった様子で声をあげると、シィエンルーアは満足そうにうなずく。
「レン、あなたにこれを」
シィエンルーアが差し出したのは、青くて丸い魔石を銀の蔦が覆っているような加工をされたペンダントだった。
「これは?」
「この大陸の各地にある魔女の扉を使うことができる通行証です。扉の場所は地図に表示されるよう魔法をかけておきました。自由に使っていただいてかまいません」
魔女の扉は、通行証と相応の魔力さえあれば扉同士行き来ができるというものだと、シィエンルーアから説明を受けた。
扉のある場所は隠蔽魔法がかけられていて、それなりに魔法の心得がないと見つけられないようになっているらしい。
「これを使えば、大陸中どこにいてもこの屋敷まですぐに来られます。また必ず来てください」
「ありがたく使わせてもらうよ」
俺は受け取ったペンダントを早速首にかけ、そっと握りしめる。シィエンルーアの魔力の気配が魔石から感じられた。
「レン、あなたの道行にイグミンスールの御加護がありますように」
旅人の無事を祈る場合、通常は風の神シルヴァンセブの加護を祈る。そう、図書室で読んだ本には書いてあった。この大陸の習わしだ。しかし、シィエンルーアは大樹の神イグミンスールと契約しているため、より強力な加護を得られる契約神の加護を祈った。それを旅立ったのちオーヴェルグから聞かされた俺は、シィエンルーアの温かい気持ちに鼻の奥がツンとすることになる。
「では、扉の前に」
シィエンルーアに促され、三人は扉の前に移動する。
魔法陣の光が強くなり、部屋の中が明るくなった。
「それじゃあ、また」
「またね、シィ」
「シエラ、息災でな」
俺、ユールヴィア、オーヴェルグの三人は、口々に別れの言葉を口にし、扉を潜っていった。
扉が音もなく閉まり、後に残されたシィエンルーアは、静かに祈るように、しばらく扉の前から動かなかったという。
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