異世界クレーデルの歩き方
桐嶋 莉緒
第1話 いわゆる異世界転移
午後八時。俺、佐々木蓮十郎が仕事から帰宅すると、家の中は真っ暗だ。明かりをつけながら、靴を脱いで玄関に鞄を置き、自室に向かう。
「毎日毎日代わり映えしないなぁ」
ぽつりと呟いた声が、しんとした部屋の中に吸い込まれていった。このごろ、完全にひとりごとが習慣になってしまっている。
小学生のころ、両親を相次いで交通事故と病気で亡くした。その後は、母方の祖母とふたりでこの家で暮らしてきた。祖母とふたりで過ごす時間は穏やかで温かくて、俺に愛されることを教えてくれたのは、間違いなく祖母である。しかし、その祖母も今年の春、帰らぬ人となった。
それからは、この家でひとり暮らしてきた。寂しいと思うことも特になく、諦めの混じった惰性の日々だ。
毎日仕事に行って、帰ってきて眠る。元々、学生時代も友人と呼べる相手はほとんどおらず、働くようになってからは完全に縁が断ち切れていた。
身体を動かしている間は、さらに何も考えずに済むことに気がついてからは、ジョギングすることが日課になっている。
今日も、いつものトレーニングウェアに着替えて、小銭入れだけポケットに突っ込み、鍵をかけて家を出る。
走り始めると、真冬の冷たい空気が肺に流れ込んでくる。きゅうっと全身の血管が縮まるような気がする。そうしているうちに、何も考えなくなってくるのだ。
いつものジョギングコースをいつものように走っていたら、全身に何か柔らかいものが当たった感触がして、急に体が軽くなった。
家の近くのいわゆる田舎の田んぼ道を走っていて、もうすぐ神社の森だなとぼんやり思ったところまでは普通だったはずだ。
近くの道にもまばらにしか街灯はなく、夜だからか昼間以上に人通りもない道だけれど、男がひとり走っていても危険なんて何もない、何の変哲もない田舎の道だったはずなのだ。
「いや、ここどこ?」
俺は誰にともなく呟いて、周りを見渡す。
目を凝らして見ると、周囲には鬱蒼と生い茂る巨大な樹木。どこからか聞こえてくる獣の遠吠え。不気味な鳥の鳴き声と、虫の声。そして、葉擦れの音がするばかり。さらに言うならば、道らしき道すらない。緊張から冷たい汗が背中を流れる。
俺は自分の置かれた状況を把握することができず、完全に混乱状態に陥っていた。
「やあやあ、お若いの!よく来たね!」
そんな中、突然やけに明るい声が耳に響いたせいで、驚いて尻もちをついた。心臓の音が大きく体内で響く。
急に暗闇から声をかけられて、平気なやつはいないと思う。
俺は決して若いと形容されるような年齢ではないため、からかわれたような気がして、むっと顔を顰める。
いつの間にか目の前に、やけに顔の整った男がいた。透き通るような色素の薄い金色の髪と、虹色の瞳が印象的な、CGだと言われても違和感がないくらいに文句のない美形だ。
突然の周囲の変化に警戒していたにもかかわらず、近くで声をかけられるまで全く気配を感じなかった。
「……誰?」
俺のその問いかけは、至極当然のことだろう。見知らぬ場所で、気配もなく人に近づくことができて、何よりもイケメンなのだ。怪しいと思って当然だ。
「僕は創造神クレーデル。この世界を創ったのは、僕だ。そして、君をここに
軽口で答える相手に、一瞬殴りたい気持ちになったのは仕方がない。男の言っていることの意味がわからない。目の前の存在が神で、呼んだなんて言われても、にわかに信じられる話ではない。
たとえ、先ほどまでいた場所と突然様子が違っていたとしても。街灯どころか、ほのかに光る美形の男しか光源がなかったとしても。
「……は?」
こんな言葉しか出なかったのも、状況的に仕方がないはずだ。けっして俺の語彙が少ないわけではない。
「そりゃあ、そうなるよねぇ」
クレーデルと名乗った男も、うんうんと頷いて笑っている。その頷くさまも腹立たしいのはなぜだろう。
「ところで佐々木蓮十郎くん。君は僕にこの世界に連れてこられたわけだけれど、そこはわかってもらえたかな?」
改めてクレーデルが尋ねてくるが、俺にはやはり意味がわからない。名乗ってもいない名前を知っているのも気味が悪い。
「……なんで?」
俺の口から疑問の声が出るのも、状況的に仕方がないはずだ。突然異世界に連れて来られるような理由など思い当たらない。
――俺が何かしただろうか。
「この世界といわゆる地球ってすごく相性がよくて、たまに重なり合うことがあるんだ。そんなときに、世界にいい影響を与えられそうな人を引き抜くんだけど。今日たまたま重なり合うタイミングだったんだよね」
だからどうした、というような理由で、俺は世界を渡ったらしい。そんなバカなことがあるかとも思うが、現実として俺は知らないところに来てしまっている。
腕を組んで、首を傾げたままクレーデルを見ていると、ふと彼の顔つきが変わった。
「納得はできないとは思うけど、君にはやってもらいたいことがある」
真剣な眼差しを俺に向けて、そんなことを言い出した。今までとは異なる雰囲気に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
勝手に人を連れて来て、やってもらいたいことがあるだなんて、神様ってのは都合のいいものだ。人の都合ってものは、お構いなしらしい。
「やってもらいたいこと?」
問いかけると、クレーデルはひとつ頷いて、また話し始めた。
「この世界には、創造神たる僕と五柱の自然を司る神々が存在する。そして、さまざまな人や動物、魔を宿すものたち。それぞれが契約を結び、争い、共に生きている。君には、それらの調停者として過ごしてもらいたい」
またしても、意味がわからない。調停者がどんな役割を担うものなのかもわからなければ、それが必要な理由もわからない。いちばん分からないのは、俺にそれをやってもらいたいということだ。
俺こと佐々木蓮十郎は、日本の地方都市で暮らすしがない中小企業のサラリーマンだ。世間からはみ出すのが怖くて、三十五歳になった今も、とくにやりたいこともなく、日々惰性と世間体だけで生きている人間だ。そんななんという事は無い人間が、大層な役割を担えるとは到底思えない。
「俺にそんなことができるとは思えないんだけど」
不安を隠すことなく、クレーデルへと向けると、満面の笑みを返された。まるで何も問題はないのだと言わんばかりの顔だ。
「まず、君は気が付いていないかもしれないけれど、君はあちらの世界に何らの未練もない。かといって、君のような前途ある若者を放っておくのはもったいない。この世界でやりたかったことをやってみてほしい。それから……」
たしかに、俺には何も未練はない。
家族はもう誰もいないし、恋人もいなければ、飼っているペットもいない。世間的にはいい大人なのかもしれないが、前途ある若者と言われるほど、若くもない。
「君は今までいろいろなことを諦めてきたようだけれど、心根は正直で善良だ。物事を客観的に見られるというのもいいと思った。現に君は、驚きながらも自分の置かれた状況を正確に把握しているように見受けられる。とても調停者向きだと思うね」
たぶん褒められているのだろう。客観的に見ているというよりは、俺がラノベもマンガもゲームも嗜むタイプで、いわゆる異世界だったり、ファンタジーだったりが大好物なだけであることは、そっと心にしまっておこう、と思った。
「こういうときって、いろんな能力を与えるのがお約束らしいんだけど、何か欲しい能力ってある?」
こういうときに与えられる能力は、一方的に押し付けられたり、一覧から選択するのがセオリーですと言った方がいいのだろうか、などと考えながら、首を捻る。
「まぁいっか。とりあえず、いろいろ付けておくね!」
聞いておいて自由にする感じ、本当に神様というのは自由な存在だ。
「それと、顔立ちと色彩をこの世界寄りにさせてもらったよ。日本人の容姿はこちらではすごく目立つからね」
なんと、俺は顔と色も変わっているらしい。これはもはや異世界転移というよりは、異世界転生みたいなものではないだろうか。
「あとの能力とかは、ステータス画面見て確認してね」
有無を言わさず、いろいろ決められてしまった。ステータス画面って何だ。ゲームか。
「『ステータスオープン』で見られるからね」
こんな感じで、俺、佐々木蓮十郎の異世界生活は無茶ぶりと共に幕を開けたのだった。
ちなみに、ステータスは俺が見る限り、いわゆるチートっていうやつだったので、割愛しようと思う。
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