あの日、僕は一種の病にかかった

るり

第1話

 あの日、僕は一種の病にかかった。

前代未聞、というのには、語弊があるだろうか。少なくとも僕は、一度、耳にしたことがあったのだから。


「はあ…。」

夏休み。それは、喜びの始まりでもあり、同時に憂鬱の始まりでもある。

夏の長期休暇。それに見合うほどの大量の宿題が出される。大量の宿題が出されることには異論はない。ただ、「読書感想文」というものが出される、というのにはどうしても納得できない。大量の宿題は、主に学習したことを忘れさせないために存在する。最も、僕のように四、五日で終わらせてしまうような人には意味を成さないのだけれど。

それに対し、読書感想文は、学んだことを復習させるわけでもなし、これから学ぶことを予習させるわけでもなし。全く必要性を感じられない。

 そんなことを考えているうちに、僕が最も忌み嫌う場所が見えてきてしまった。そう、図書室である。図書館ではなく図書室。何故かというと、この学校には、変な決まりがあるからだ。

「図書室の利用を増やすために、読書感想文の本は、学校の図書室から借りることにしましょう!」

 こんな馬鹿げたことを言い出したのは、どこの

どいつだ、とは思わない。何故なら、言い出しっぺを知っているから。僕の母が言い出したのだ。僕の母は、在学中、図書委員をしていた。図書室の利用者数を増やすための苦肉の策らしい。己の母親に何度恨み言を言ったことか。その度にドイツ語で返されたのだけれど。母は、ドイツと日本のハーフである。

そして、僕の母は、大の読書好きである。

全く、僕は誰に似たのだろうか、とは思わない。何故なら、誰に似たのか知っているから。僕の父に似たのだ。僕の父は、大の読書嫌いである。

 そんなことを考えながら、図書室の扉を開く。

 さあ、開戦だ!

図書室には、もう数人の同胞達が来ていた。どうやら本を物色しているようだ。読書感想文では、いかに本を読まずして短時間で原稿用紙を埋めるかが重要になってくる。そのため、本を物色している、という表現には語弊があったかも知れない。正しくは、あらすじと挿し絵を物色しているのだ。あらすじは限られた文字数の中で、どれほど多くの情報を伝えられているかを見る。そして、絶対に外してはならないもの、挿し絵。挿し絵がなければ、情報量は明らかに減る。それだけ、本文をちゃんと読んで情景を思い浮かべなければならない。想像力のない者にとって、それは、苦痛以外の何者でもない。そして、本文を読むことは、僕らの信条に反する!挿し絵なくして読書感想文はかけぬのだ!

彼らが気にしているのは、あらすじと挿し絵。だが、僕は一味違う。もちろん、あらすじと挿し絵の物色は欠かさない。二つ考慮するものが増えるだけだ。

一つ目は、タイトルである。タイトルが長ければ長いほど良い。書かなければいけない字数は、四百字詰め原稿用紙四枚なので、八百字。例えば、タイトルが十文字ならば、それを文中に三回使用するだけで七百七十文字、と三十文字削れるのだ!タイトルが二十文字ならば、六十字削れるのだ!些末な事のように思えるが、これは、とても重要だ。

二つ目は、王道の話かどうかである。つまり、お決まりのパターンかどうかである。例えば、魔王を倒す勇者物。これは、魔王を倒すことが確約されている!瑣末な事のように思えるが、これも、とても重要だ。例えば、恋愛小説を選んだとする。さて、恋愛は成就するのか、それは読まなければ分からないようになっている。あらすじにも書かれていないはずだ。何故なら、本の裏表紙に書いてあるあらすじの本質は、どんな話なのか知ってもらうというよりかは、本文を読んでもらう手助けをすることだからだ。

 さすが僕、伊達に四年間首席やってないぜ。さらば同胞達よ。僕は、ある本棚の前へ進み出す。僕が求める本は、ラノベ。別にラノベ以外の本でなければいけないという規定はない。ラノベも列記とした本である。難しく考え過ぎたら負けだ。

ラノベなら、タイトルが長いものが探しやすい。そして何より、絶対に挿し絵がある!それに加え、口絵というサービスもある!

 僕は、一冊の本を取ろうと手を伸ばした。が、結論からいうと、その手が本に触れることはなかった。理由は至極単純。次の瞬間、本の事など、読書感想文の事など、僕の意識の外に出されてしまったのだから。

僕の視線を、心を、意識を、奪ったもの。それは、白い女性だった。肌の色だけではない。その髪も、目も、唇も、果てには衣服まで、彼女を形作るものは、全て白かった。だが、そんな事ではない。彼女は、その異様な容姿を補って余りあるほど美しかったのだ。神々しささえ覚えた。美しい、ただそれだけだった。それ以外の思考は許されなかった。故に、何故、という思考もできなかった。思考が、機能しない。それほどまでに、彼女の美しさは、尋常ではなかった。絶世の美女の域を脱していた。ふと、目が合う。髪に隠れていない方の目に見られただけで、時が止まったかのような感覚さえ覚えた。だが、それはあくまで感覚。時は止まっていない。それを証明するかのように、胸が苦しくなり、鼓動が痛いほどに速くなる。

 

 この日、僕は一種の病にかかった。


彼女が去ると同時に胸の苦しさも消え、心臓も通常のリズムを取り戻す。

「す~は〜、す~は…。」

僕は呼吸すら忘れていたようだ。なるほど、それほどまでに、魅入っていたらしい。そういえば、その前、何してたっけ?

「って、ハッ!そうだ、本!」

僕は、一冊の本を取ろうと手を伸ばした。


 あの後、僕にしては珍しく、本文をちゃんと読んで読書感想文を書いた。それは僕の信条に反するのだが、何故だか、きちんと書かなねばならない気がした。分厚い本を借りてきた僕を見て、母は、目を丸くしていた。

「明日、地震かしら?それとも、世界が終わるのかしら?」

何気に失礼で恐ろしいことを言われた。それも本気で。


 あの時、僕は一種の病にかかった。


あの時以来、あの女性のことを考えると、胸が苦しくなる。

「これが、俗に言う…。」

そう。アレだ。僕が初めて抱く感情。

「でも…。」

そう。所詮は、叶わぬ恋なのだ。現に、僕はあの日以来、あの女性に会えていない。僕は、あの女性のことを何も知らない。忘れるのが最善策だろう。仮に付き合えたとしても、理想と違う彼女の一面を見てしまった瞬間、勢いよく燃え上がった炎は勢いをなくしてしまうだろう。一目惚れとはそんなものだ。付き合えたとしても、多くの場合、バッドエンドが待っている。ハッピーエンドは極僅ごくわずか。


 夏休みも終わり、学校が始まった。多くの生徒が、夢のような時間から離れ、現実を見なければならなくなる。生徒達の絶望の叫びが聞こえてきそうだ。まあ、普段から「理想郷ユートピア、ここに成れり」な生活をしている人間にとっては、些末な事なのだろうけども。

通学路を通っていると、教科書を持ちながら勉強している生徒がちらほら見えた。僕はというと、あんなことしても意味ないのになあ、とか、危ないなあ、と思っていた。生徒達が事故に遭わないことを祈りながら、学校に到着する。ピロティで靴を履き替え、教室へと足を向ける。

 教室内に足を踏み入れて気付く。教室の空気がピリピリしたものに変わっていた。教室内に居る者は、誰一人としてぼ~っとしていなかった。中には、教室で宿題を終わらせようとしている強者も居たのだけれど。僕は、そんな空気を気にするでもなく、いつも通りぼけ~っとする。まあ、こんなんだから、こんな視線を感じるのだけれど。後ろの席から。優等生ではなく、順位を下から数えた方がはやい組から睨まれている。何故なら僕が、そんなに、というか全く勉強していないのに、良い成績をとるから。かといって、必死に勉強しているふりをするのも得策ではない。何故なら、それはそれで、ガリ勉とか言われるから。つまり、僕が勉強しようがしまいが、どっちみち悪口を言われるのだ。点数を下げても悪口を言われるし。こういう人間の行動は、気にしないのが一番良い。

「ホント、ムカつくんだけど…!」

ホント、悪口言う暇あったら勉強すれば良いのに。

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