第138話.お風呂の誘い
温泉宮で過ごす日々は、あっという間に過ぎていった。
宴が開かれ、月見の会があり、女性陣集まっての茶会があってと行事の連続で、依依は各所に引っ張りだこにされていたが、どれも楽しい時間だった。
いろいろととんでもない出来事もあったのだが――そちらについては、依依はなるべく考えないようにしている。その結果、不自然に飛傑や宇静を避けてしまったりもしたのだが、二人は一応気遣っているのか、何も言ってこなかった。
そしていよいよ明日の朝。
皇帝一行は温泉宮を辞し、宮城へと戻る予定である。
温泉との別れは名残惜しいが、依依としては久しぶりに純花に会いたいという気持ちも大きい。少ない荷物をまとめていると、部屋の外から呼びかけてくる声があった。
「依依殿、瑞姫様がお呼びです。案内しますので、宮までお越しください」
仙翠の声だ。依依は返事をし、すぐに立ち上がった。
温泉宮自体は貴人の宿泊所としての性格が強く、そう大きな建造物ではない。先導する仙翠についていくと、四半刻とかからず瑞姫が滞在する宮に到着した。
拱手し、まずは形式的な挨拶をしようとする依依だったが、そんな依依にてってと瑞姫が近づいてくる。
「ご足労いただきありがとうございます、お姉さま」
そうして、くわっと瑞姫は言い放つ。
「実はわたし、お姉さまと一緒に温泉に入りたいのです!」
急すぎる要求に、依依は目をぱちくりとする。
「……え? 私と温泉に?」
「はいっ、ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
瑞姫が頭を下げる。柔らかそうなつむじが見える。
「えっと、仙翠さん」
瑞姫の暴走を止めるのは、基本的には仙翠の役割だと依依は思っている。なんとか言ってあげてくださいよ、ということで仙翠に水を向けてみる。
「依依殿。あなたは瑞姫様に心配をかけた、ということをもう少し自覚ください」
しかしよくできる女官からは意外にも、依依を注意する言葉が飛んできた。
「……は、はい。すみません」
逆に依依が頬をかいて謝る羽目になる。
(そうよね。瑞姫様も潮徳妃も、温泉にも入らずに帰還を祈ってくれていたそうだし)
自分たちばかりゆっくり休む気になれず、祈祷をして過ごしていたのだという。荒くれ者に襲われて飛傑の安否が分からなかったのだから当然なのだろうが、もちろん二人とも、依依のことも案じてくれたことだろう。
「大兄さまや小兄さまとは、一緒にお風呂に入れません。でも依依お姉さまとわたしは女同士なので、何も問題ないはずです!」
温泉宮を離れるときになって、いろいろ吹っ切れたのだろうか。瑞姫はぐいぐいと押してくる。
しかし依依は、「いいですよ」と安請け合いできない。それには理由があった。
「でも、いいんですか? 瑞姫様の、その、裸体を見るというのは、私には畏れ多いというかなんというか……いえ、もちろん、直視したりはしませんけど」
「依依ねえさま……」
瑞姫が頬を赤くしているので、なぜか依依まで気恥ずかしくなってきた。
「いえ、これは貴重極まりない機会です。絹のような艶やかな髪質は芸術品そのもののように輝かしいですし、磨き抜かれた玉の肌が汗ばみ桃色に上気する様を、その目にしかと焼きつけることをおすすめします」
(仙翠さんまで、いつもよりおかしなことを言ってるような……)
美人の肌をさらに美しくするのが温泉の効能だという。
湯に浸かるたび可憐に成長していく瑞姫を、専属女官である彼女はひしひしと感じ取っているのかもしれない。誰かにぜひ見てうっとりしてほしい、というような意気込みが感じられる。
しかし過保護な仙翠も反対していないなら、依依から固辞する理由はない。もちろん畏れ多くはあるが、断るほうが瑞姫を傷つけてしまうだろう。
分かりましたと頷こうとしたところで、部屋の外から呼びかける女人の声がした。
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