第135話.将軍様の餌づけ
手の動きを止めて、依依は布団の中で首を動かす。
衝立の向こうから姿を現したのは、桶を持った宇静だった。
「起きていたか」
「……将軍様?」
ぼけっとしている依依を一瞥した宇静が、桶を布団の近くに置く。
からら、と中で氷が揺れる。それだけで空気が冷えたような感じがする。どうやら氷が溶けてしまったから、新たに運んできてくれたようだ。
あぐらをかいた宇静が浸していた布巾を絞り出したので、依依は慌てて声を上げた。
「すみません、自分でやります」
「いい。まだ体調が悪いんだろう。部下を労うのも上官の仕事だ」
宇静はそう言うけれど、牛鳥豚が夏風邪で寝込んだとき、彼が見舞いに来た覚えは一度もない。
(相手が私、だから?)
それは依依の自惚れなのだろうか。それとも出会った当初より少しずつ柔らかい態度を見せる宇静が、そう思わせてしまうのだろうか。
(ていうか女だから、かも)
その結論に至ると、ちょっとむかつく。
だが逆上せてひっくり返ったのは事実なのだし、ここで反発する姿勢を見せるのは正しくないと、依依にも分かっている。結局、宇静が優しさで動いてくれているのは本当のことなのだから。
落ち着かない気持ちながら大人しくしていると、宇静が問いかけてくる。
「水は飲んだか」
唇に、感触がまだ残っている。……ような気がしないでもない。
反射的に唇を指でなぞっていた依依は、赤い顔で肯定した。
「す、少しは飲みました」
「まだ飲むか?」
言われてみれば、喉がひどく渇いている。
宇静は湯呑みに移そうとしたが、依依は寝台の脇に置いてある水差しごとぐびぐびと飲んだ。一気飲みした。
「どれだけ渇いていたんだ」
呆れた口調で言われるが、湯呑みに口をつけていた飛傑を思い出したのだから、依依としてはどうしようもない。
「腹はどうだ」
「……かなり空腹です」
「卵は?」
依依は、こくりと頷く。
すると宇静がとんでもないことを宣った。
「俺が剥いてやる」
(えっ、なにゆえ?)
何かの冗談かと思ったが、宇静は真剣な顔をしている。
籠に積まれた卵をひとつ手に取る。剣だこのある骨張った指は、存外きれいに卵の殻を剥き始める。
依依は横目で、見るとはなしにその様子を眺めていた。
「口を開けろ」
身体を起こして、大きく口を開けてみる。
丸ごと食べたら喉が詰まると思ったのだろう、宇静は少しずつ温泉卵を食べさせてくれた。
もはや温泉卵というか、単なる茹で卵である。それでも、おいしいのは変わらない。
「うまいか」
「……はい。とっても」
もきゅもきゅ、と依依は卵を頬張る。
卵だなんて贅沢品を、依依は清叉寮に入ってから始めて食べた。温泉宮ではこうして、籠いっぱいの温泉卵だって、たらふく食べることができる。
(しかもなぜか、上司に殻を剥いてもらって……)
宇静がほのかに笑う。小さな笑みは、空気に溶けるように消えていく。
「まるで餌づけのようだな」
「私のこと、野生動物か何かだと思ってます?」
「似たようなものだろう」
まぁ、否定はできない。そこらの野生動物より凶暴な自覚もある。
依依は大人しく、咀嚼を続けることにした。
――そうして気を抜いていたからか、がぶっと一撃。
あっ、と依依が思ったときにはもう遅い。
「いッ」
卵ごと指を噛まれて、宇静が押し殺した悲鳴を上げる。
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