第126話.灼家の到着


「依依、とっとと縛るぞ」

「了解です!」


 放り投げられた縄を受け取り、依依は手早く男たちを縛っていく。

 八割方は意識ごと刈り取られているので、簡単に拘束できる。可哀想なことにまだ意識のある男らは、首の後ろをとんっとして脳を揺らしておいた。


「ご苦労だった。宇静、依依」


 小さな呻き声だけが響く鍾乳洞を、飛傑が優雅に歩いてくる。

 彼をひとりにするのは心配だったが、身を隠している間、特に問題はなかったようだ。


 といっても、飛傑も武芸の心得がないわけではない。皇族といえども、狩りをしたり、武芸を披露する場があったりするので、最低限の武術は身につけているものである。

 労せず仕事を終えたところで、複数人の足音が近づいてきた。


 依依は着ていた上衣を折りたたんで脇に隠す。髪の毛を頭巾と帽子に隠してしまえば、そこに立っているのは武官の楊依依である。


「皇帝陛下! ご無事ですか!」


 鍾乳洞に駆け込んできたのは、雄率いる武装した一団だった。

 灼家、あるいは灼家に近い人間で構成されているのだろう。若い男が多く、そのほとんどが赤い髪をしているのは、なかなか壮観だった。


(親族勢揃いだわ!)


 飛傑の左右を守るように宇静と共に立ちながら、依依は少しだけ緊張した。


「遅い到着だったな、灼雄」


 しかし、出迎える飛傑の物言いは冷ややかなものだ。

 遅い到着も何も、遠く離れた南国からやって来て、悪党の根城にまで駆けつけたのだから、むしろ早すぎるような気がするし、そもそも雄は文官だし……といろいろ思った依依だが、口出しできるような場面ではない。大人しく黙っておく。


 怪我のひとつもない飛傑を見て、安堵した様子の雄だが、すぐに表情を引き締める。


「皇帝陛下。このたびは申し開きもございません」


 衣が汚れるのも厭わず叩頭する雄や配下を、飛傑は温度のない目で見下ろす。


「一応、言い訳は聞いておこうか」

「……灼家は、行方をくらました連中を密かに追っていました。しかし彼らは各地で目立つ動きをし、我らの目を分散しました。目撃情報をつなぎ合わせたところ、紗温宮の方角に向かったと判明したため、参じた次第です。到着が遅れ、慚愧の念に堪えません」


 雄の説明には淀みがなく、失敗を正当化しようとする企みも感じられなかった。

 心底申し訳なさそうに不始末を詫び、額を汚れた地面に擦りつけている。そんな雄を凝視して、飛傑が小さく息を吐いた。


「分かっている。武装して温泉宮に向かう許可を得るのに時間がかかったのだろう? それこそ二心あるのかと、皇太后陛下は疑っただろうからな」


 少しだけ、飛傑は雄の事情に寄り添うような物言いをした。

 ここで必要以上に雄を罵るのも、得策ではないのだ。灼家を敵に回せば、宮城にとって大きな損失となる。内乱が起きれば、犠牲となるのは罪のない民である。


「だが灼雄、忘れてくれるな。お前の失態を埋め合わせたのは、この陸宇静と楊依依だ」

「……は。肝に銘じます」


 深々と雄が頭を下げる。


「これで話は終わりだ。顔を上げよ」

「皇帝陛下のご温情に感謝いたします」


 雄たちが立ち上がる。依依はそのやり取りを耳にしながら、静かに息を呑んでいた。


 飛傑が作った図式。依依たちが灼家に貸しを作った、という形だ。


(これ、考えようによってはかなり有効かも……)


 何かの契約を結んだというわけではない。単なる口上での貸しではあるが、あるとないでは大違いだ。その使い道には一考の余地があるだろう。

 これは思いがけない拾い物だと、依依がにやにやしていると。


「なぜ、ここに灼純花がいるのだ。どうして……」


(んげっ)


 鍾乳洞に、その声はよく響いた。


 ぶつぶつと呟くのは頭目の男だ。どうやら意識を取り戻したらしい。

 宇静がすぐさま首根っこを掴んで連行していくが、その内容は雄の耳にも届いていた。


「……灼賢妃? どういうことです?」

「さて、な。霊山で惑わされ、おおかた白昼夢でも見ていたのだろうよ」


 飛傑が肩を竦めて答える。

 依依は視線を感じた気がして、自然と人混みに紛れるようにして鍾乳洞を出た。


 今日はあまり霧が出ていないようだ。見上げれば、朱色に染まった空に白い雲がたゆたっている。

 襲撃者たちは、灼家によって次々と引っ立てられていく。依依は笑顔でそれを見送る。

 山を下っていけば、清叉軍も皇帝の帰りを今か今かと待ち構えているだろう。涼や牛鳥豚が援軍を送ってくれる手筈になっているのだ。


 そうして集団で山中から抜け出ると、まず依依を出迎えてくれたのは栗毛の馬だった。


ランー!」


 嵐じゃないのーとぱたぱた駆け寄る依依に、ひひん、と威勢のいい答えがあった。

 鼻面を押しつけてくる愛馬の頸を、おーよしよしと依依は撫でてやる。

 依依以外にはまともに扱えない暴走馬は、身体のあちこちが汚れていた。それに痩せてしまっている。依依が彷徨っている間、彼女もまたあちこちを捜して走り回っていたのだろう。


 隣には宇静の愛馬の姿もあった。心持ち身体を小さくして主人を待っているので、依依は笑ってしまった。

 最初に逃げてしまったのは今後の課題だが、こうして主人の元に駆けつけてくれたのは偉い。とっても偉い。人参をあげたいが手持ちにない。


 今までの失態を取り戻すかのように、乗って乗って、とせがんでくる嵐の背に、依依は跨がる。隣に並ぶのは同じく乗馬した宇静だ。


 飛傑は清叉軍が運んできた馬車に乗り込んでいる。その後方を守るように灼家の面々が揃っているので、依依は宇静と共に前を行くことにした。

 枝に止まった小鳥がぴちぴちと鳴き交わす。かっぽかっぽ、と穏やかな蹄の音を聞きながら、依依はゆっくりと息を吐いた。


「大変な数日間でしたね」

「……ああ」


 宇静が頷く。ここに来て、無敵の清叉将軍にも疲労の色が見え始めていた。

 だが目的地は、目の前まで迫っているのだ。


「でも将軍様、もうすぐですよ!」


 依依は笑顔で指させば、宇静が目を眇める。

 美しい夕空の下、温泉宮の建物が見えてきていた。



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